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宮本百合子 『伸子』


を読んだ。


紐育(ニューヨーク)で、35歳の言語学者・佃と出会った19歳の伸子。

結婚して共に生きる五年間。愛が、冷たくなっていって、死ぬまで。

宮本百合子の私小説。



素晴らしい!!

才能とはまさに!!この人!!

たまげた!興奮する!


宮本百合子は、今ではもうほとんど読まれていない作家でしょう。

だから、代表作『伸子』も今では絶版で、入手しにくい状況で、残念。

でも、青空文庫でばっちり読めちゃうんだから、時代よね。


宮本百合子の名前は、もうずっと前から知っていて、

このブログの記事にも、宮本の作品を読んだって記述があったから、

ここ6年くらいの間に、確かに読んだことのある作家のはずで、

でも、どんな内容の作品だったかは、てんで覚えていないの。

つまり、当時、その程度しか、印象に残らなかったのだけれど、

もう!この作品を読んで!わたしはもう一生宮本百合子の文章を忘れない!

一生!残り続ける!


そもそもわたし、私小説ってジャンルが好ましくない。

いや、正確にいうと、信じていない。

信じていない、ってのは、文学の一ジャンルとして信頼していない、という意味でね。


だから、敬遠しがちなジャンルではあるのだけれど、

今回、『伸子』を読もうと思ったのは、少しわけがあって。


わたしはまだ観ていないのだけれど、『百合子、ダスヴィダ―ニャ』という映画があって、

その作品は、宮本百合子とロシア文学者である湯浅芳子との親密な日々を切り取った作品なのね。

その映画を知って、宮本百合子その人にも目が向くようになったってわけ。


最初の夫が古代東洋語研究者で、ロシア文学者・湯浅芳子と同棲して、共産党員の宮本顕治と再婚。

この交際遍歴!

問題意識を持った知的な人間と深く結び付いている。

知性と知性の結び付きで、関係を深めていく?

あるいはただの偶然だとしても、そういう構図を、理想と情熱をともに伸ばしていけるような関係を!見てみたいと思った。


そうして、読み進めたの。



19歳の伸子が、父とともにニューヨークへ渡米し、

父のインテリサークルのパーティで、35歳の古代東洋語研究者の佃に惹かれるところから始まるのよね。


19歳の佐々伸子は、エネルギーに満ちていて、触れたものすべてを新鮮に感じ、自分のなかに取り込もうとする、いわば知的な高揚期にあって、

親元から離れて自立したい、と考えていたのね。

そこで、生まれ育った家を離れて、渡米して、佃一郎に会うの。


最初の印象は、佃の横顔。

暗く影を落としたような、静かな表情。

伸子は、自分が快活な性質なものだから、自分とはまるで違う、佃の、陰のある部分、に惹かれていくのよね。


父は帰国し、ひとりニューヨークに残った伸子は、

そこで留学生として勉強する日々を送るのだけれど、

そのときに、身近にいる親しく話ができる日本人が佃だったのよね。


そこで、関係を深めていった二人だけれど、

なんせ二人は15歳も年は違うし、

いくら知的で大人びているとはいえ、伸子はまだ20歳だし、

なんといっても、佃という男は、人付き合いを疎んじていて、周りからの評判は良くない、ものだから

当然、二人の関係を周りは反対するのね。


ニューヨークで伸子が師事していたミス・プラットは、

老婆心と、女らしいいやらしさとで、佃の悪い評判を口にするのね。

敬愛している人からの、不穏な忠告で、

「伸子は自分の子供らしい暗示に負け易い性質を見抜いたミス・プラットの、怜悧なしかたが不愉快になった」りするのね。


この心理描写の細やかさ!

この作品は、私小説、それも若い女の視点を通したある一つの連続した日常なのだけれど、

一人称小説ではなく、三人称小説で、

心情の変化、細かいニュアンスを、緻密に記述してあるのが、素晴らしい。

研ぎ澄まされた感性と、それを適切な言葉で表現する能力、推敲を重ねた隙のない文章。

あやうい情緒と、若さゆえの感じやすさを、鋭い言葉でぴったりと当て嵌める。

その言葉の的確さに、やられてしまった!


閑話休題


佃のプロポーズを受け、結婚について思いめぐらせる伸子は、伸子なりの理想の結婚・夫婦について思いを固める。

伸子の考える結婚・夫婦の目的は「互の愛をまっすぐ育てられる位置において二人が、より豊富に、広く、雄々しく伸びたい」という望みからなるもので、

佃は佃の仕事をし、自分は自分の仕事をする、某夫人としてではなく、一人の人間と人間が手を取り合って支え合って生きてゆきたい、というものだった。


伸子はエネルギーに満ち溢れた積極的な性質で、

若さゆえの純粋さやブレのなさで、自分の理想をかかげていくのね。


そうやって、結婚生活は始まっていく。


この作品は、一貫して、伸子の目を通したものであるから、

この理想も、言ってしまえば、伸子の側の願望なのよね。


それが、ある一種の情熱が燃え尽きて冷静になったときに、自分の気持ち以外のところが見えてくるのが、この作品の肝ね。

この作品というか、人と人との関係の勘所よね。



ニューヨークで結婚した伸子と佃は、

母親の出産やら何やらで、帰国して、伸子の実家に身を寄せるのだけれど、

親の問答無用で、結婚した伸子と佃を、当然のことながら、伸子の両親とくに母親はよく思っていないのよね。


伸子を含め、佐々家の人間は、エネルギーに満ち溢れた性質で、

怒るときには本気で怒り、泣くときには本気で泣く、というような激情家の集まりなのよね。

ことに母と伸子、はこれでもか!と深く結び付いているものだから、争いは絶えない。


佃と伸子の結婚。

この結婚を批判するのならば、二人よりも年長の者は、とうぜん佃を非難する。


伸子の母は、お前は佃に騙されている、と伸子にしきりに詰め寄るし、佃への嫌悪感を顕わにする。

佃のことは、佃さん、などと敬称付けて呼びもせずに、はなっから、佃と呼び捨てにする。


そういう不穏で、張りつめた雰囲気の家で、伸子は自分たち二人が認めてもらえるよう奮闘するのよね。


「『ね、母様、それじゃ一つ佃という人間を離れて見てちょうだい。どっか母様の知っていらっしゃる人の中で、私が愛してもいいとお思いなさるような人があること?これまで私の囲りにあらわれた人と、一人でも自由に交渉させていいとお思いになったことがあって?ないでしょう。どんな人だって、その人が私と深い交渉を持ちそうになると、母様の目には価値のない者となってしまうんですもの』」


と、伸子は、母の反撥心に、向き合う。


年頃の娘なら、「放っておいてよ!」と、突っぱねてしまいそうなところを、対話で解決しようと試みる。


結婚する気持ちを、伸子は

「『――普通、娘さんはお嫁に行って落ち着いて、良人と同化して、最も現在の社会に安定な生活を得ようとするのが目的でしょう?だから同じ階級、同じ伝統を持った家、または少しか或いは沢山、運命が許すだけ成り上ることを条件とする――違うというのはここなの……私は自分が育ったようにして育ち、自分が見てきたようなものばかり見てきた。その親達も母様達とそっくりだという男には、ちっとも興味を感じない。それどころか不安よ。だから私が惹きつけられるときは、いつでもきっとその点だけでも何か違ったところがあるものだということになってしまうの。――お分かりになる?……だから、佃がよい、わるいは抜きにしたって、この点で、どうせ母様は満足おできなさらないだろうと思うわ。私は野蛮人だから、生活だって何だって、自分の手で自分の欲しいのを掴んでみなければ承知しないたちなのよ……』」

と、言明する。


母は、伸子とばかりやりあっていても仕様がないから、佃と二人で話し合う機会を作ろうとするも、失敗する。失敗というよりは、母が思い描いていたような本音と本音のぶつけあいにはならない。

社交性とはまるで無縁な性質。むっとしながらも、自分の本心を隠すかのようにはっきりしない物言い。


ある時、母は、世間体から、

佃、というどこの誰だか知れないような家系に伸子を輿入れさせるよりも、

佃を、それなりに名の知れた佐々家の養子にしよう、と提案する。


当然のことながら、旧来的な「家」というものに縛られない夫婦でいたい伸子は猛反対するのよね。

必死で、佃に、いやだ、と訴える。

それを佃は「さあ……しかし――もしそれがあなたの幸福になるんなら私は――どうせ捧げた体です」とマア歯に物の挟まったような逃げ口上ともとれる返答をするのよね。


この男!

あなたのために、と言いながら、自分では一切の責任を持とうとしない。

すべてを伸子に委ねるというのは、すべての責任を伸子に押し付けているということでしょうよ。え。

その話を佃にするとき、伸子としては、心外だ!と即座に切り捨てて欲しかったはずだし、

もしそうしたならば、伸子と佃の信頼はより深いものになっていったでしょうねえ。


このやるせない気持ち。

「本心の明らかでない、その癖変に対手の感謝を強いるような佃の返答は、伸子の心を暗くした。」


ここまで読んでいると、

伸子と佃の関係が、食い違って、やがては離れていってしまうのが分かる。

周りと上手くやれない性質の佃は、単に伸子の家族と折り合いが悪いだけでなく、

伸子自身とも、根本的な部分、肝要な部分で、相性が悪い。


佃の返答で、伸子はいくつか当たりをつけ煩悶し、非常な知性で、苦しむ。


思うに、伸子がもっと気のつかない、愚鈍な、けれど苦しまずに済む性質であれば、

ここまで追い詰められずに済んだでしょうよ。


いよいよ母・多計代は思い詰めて、伸子を勘当しちまうのよね。

この母娘の関係を、伸子は

「何と自分たち母娘の愛は並はずれであろう。離れると云えばこのように全力的に傷け合い、はたき合い、つまりはその勢いで離れなければ、離れることも出来ないほど深く愛し合っているという有様は。――」

と感じるのよね。

クリステヴァにしろ、ボーヴォワールにしろ、萩尾望都にしろ、母と娘の関係というのは複雑なものなのでしょうよ。研究材料になるくらいにはね。


動坂の実家を出て、赤坂で二人で居を構える二人。

佃は大学で講師をし、自分らの生活が予定通りはじまる。けれど、伸子は、細君という席がぴったりしない。


訪問客のない、彼らの家。

高等教育を日本で受けなかった佃には、友人がほとんどいない。

しだいに、伸子は芸術的雰囲気の欠如に苦しめられるようになる。

眠り足りたスポンジのような頭脳で貪り読み、感じ考えたとしても、それを共に語る人がいない。

佃の文学も、シェイクスピア、ベーコン問題から進むことはない。

その異様な知的な孤独を、佃は、今に馴れます、という。馴れてしまう?それこそが、伸子のおそれていることであるのに?


単調な日々から抜け出すために、伸子はひとり東北の祖母の実家に身を寄せるのよね。

べつに佃と距離を置くというわけじゃあなくって、

気分を変えるためというか、ほんの気晴らし程度の旅行みたいなものね。このときの意図は。


田舎の、生命の流れの寂として充実した感じが伸子を動かしてね。

そこで、あるひとつの仮定に辿りつくのよね。

「伸子――佃は佃として生きる場所があるのだ、と思うようになってきた。世界には、無数の、何でもない男というのがある。その一人で彼があったとして、何の悪いことがあろう。自分が、彼から期待したものが得られないと云ったって、それは自分が悪いのではないか。」



ああ!何でもない男!であったとして、それが彼の生きる場所であるならば?

役に立たない、あるいは伸子がたいした価値がないと考えてしまうペルシャ語の研究をチマチマこなしている佃。

それだって、伸子にとっては、刺激のない課題だとしても、

佃にとっては、立身の希望と、日常の習慣と、堪忍の美徳の中にあって、幸福なのかもしれない。



彼の幸福の種類は、伸子のいるものではない。

そう思い至ってしまうということは、もう共に同じ道を歩めないということよね。


その夏、伸子はひとつの短い小説を書く。

そのなかに、母・多計代について、本人が読めば好ましくないであろう形容があって、それがまんまと母の耳に入ってしまうのよね。

母は怒って、伸子に詰め寄るのだけれど、母の思惑では、佃の差し金!ってな批判のしかたでね。伸子は、佃に唆されたのだと。

そっから、動坂の実家との距離がますますひらいていってしまうのよね。

そんなときにも、佃はチンタラぬらりくらりその場しのぎの対応をして、伸子を打ちのめしてしまう。


たまの伸子の来客にも、愛想悪く、客人を居づらくさせてしまう佃。

しずかな、地にもぐりこみたいような、伸子の絶望。


どんどん佃への不信感を募らせていく伸子。

べつに、佃が変わってしまったというわけではなくて、そもそも佃の人間性というか気質は、そのような気質で、そのような性質だということが、だんだんと分かってしまったというだけよね。

見る目がない、ってわけじゃあなくって、

自分と性質の違う人間に焦がれる気持ちは確実にあるものだし、刺激にはなるのだけれど、「気の合わない」二人が暮らしていくには、誠意と真心と歩み寄りとか努力が必要よね。

自分の流儀をまもって生きていきたい、と思うのなら、性質の違う人間と生きていくのは、よっぽどよっぽど難しい。


別々に暮らそう、と提案する伸子。

それを棄却する佃。


年長の知り合いに、佃とのことを相談するも、

伸子自身の迷いに沿うかたちで、よく考えてみることです、と

そんな、世慣れた人なら誰でも言うことを、この人の口から聞きたくは無いのだ、という気持ちと、

そう答えさせるしかない自分の優柔不断な気持ちに、伸子は苦しむのねえ。


いろいろな攻防に心を砕いているうちに、ある日とつぜん佃が喀血するのよね。

もとから身体も心も丈夫でない佃は、

いよいよ悲観的になって、

自分はもう長くはないから、せめて自分の生きている間は一緒にいて欲しいと思ったけれど、もう引きとめる権利はないから、好きにすればいい、とのたまう佃。


このやり口!

感傷的で、悲壮感に駆られた、気ぜわしさ。


床に臥せって、聖書を神妙な面持ちでめくる佃。

「日本へかえってからは、平常聖書など読まず日を送っていた佃が、床についてから、自分を最も不幸な境遇に陥った者らしく取り扱って、陰惨に聖書をひねくるのが、伸子には、惨めなような、恥かしいような堪らない心持なのであった。」


新しい鋭い、説明しがたい不快。

佃の本質を、見てしまったような気がして、やるせないわ。


まあ、床に臥せているうちに、佃の健康はアッサリ平常まで回復するのだけれどねえ。


生命力のない!仕様もない男よねえ。


あるとき、年長の文学上の先輩・佐保子のもとを訪れる伸子。

佐保子のモデルは、野上弥生子ね。

彼女の邸に、同席よろしい?と言って、入ってきたのが、ロシア文学者の吉見素子。湯浅芳子のことね。


素子は裕福な家の出で、

一軒の家の主人として、露西亜文学を専門として暮らしている女性。


素子とは、散歩をしながら文学上の意見を交わしてみたりして、親交を深めていくのよね。


いよいよ佃のもとを離れる、という意味で、祖母の東北の田舎に身を寄せる伸子。

そのとき、素子と文通をするのが!伸子の楽しみだった!

素子の皮肉な、それでいて芯は素直で正直なところに、あたためられていく伸子。


「あなたなんか、まるで世間知らずなんだと思う。今日の手紙だって、あの伝で佃氏についても夢想したのだと思いました。私に感心なんかするのは馬鹿ですよ。さんざん買いかぶられた挙句、どかんと幻滅したりされるのは誰しも御免です」

と書いてよこす素子。

痛快!


素子が、暇をみつけて、伸子のいる田舎に遊びにくるという。

その知らせを聞いてつよい喜びにふるえる伸子。

このとき伸子は、自分が佃との五年間で、どれだけ喜びに飢えていたかを知ることになる。

自分のために何かをしてくれる、という喜び。

悦ばせやすい、悦びたがってがつがつしているような伸子を、どうして佃は喜ばせることができなかったのか。

思いめぐらし、二人の生活を考えてみても、苦しいことばかり。

その癖いつも生活の主になって動き求めていたのは自分だけだった、と気付く伸子。


田舎で素子と会って、佃と別れて、素子のもとへ身を寄せようと考える伸子。


自分と生活して、何かひとつでもいいことがあったのなら、それでいい、と穏やかに、傷つけ合うことなく、別れようとする伸子。

それを佃は苦しいだけの激情をこじらせるのだけれど、今度は伸子も引かない。


二人の五年間は、そうやって閉じたんだわ。



好きでいることはできても、ともに生活していくことができない二人。

そもそも気が合わない。

欲情の交換だけでやっていけるほど、伸子が愚鈍であれば?あるいはやっていけた?

それはだって、伸子じゃあないのよ。


一生懸命になっているのが自分だけだと、苦しみを募らせていくだけだわ。


ああもう!

宮本百合子って、なんて知性とエネルギーの持ち主なの!

好き。

























こんなにも!勝手に!好きになってしまって、ごめんなさい。