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ボーヴォワール、杉捷夫訳 『おだやかな死』


を読んだ。


実の母が、死ぬまで。



ボーヴォワールはこの作品にレシ(出来事)という呼称を与えているのよね。

「母親の死」という一点のみで構成された一冊。

母親の死、に則して、永久の不在に打ちのめされる。


この作品は、ほんの短い一冊なのだけれど、

春から、時間をかけて、やっと読み終えることができた。


いかにも感傷的であり、もちろん感傷的な一冊よ。


簡潔な一文一文に、深い教養が読みとれる。

知的で、繊細な感性の持ち主、の言葉。



「母の手も額も冷たかった。それでも、それはまだ母だった。そして、永久に母の不在だった。」(紀伊国屋書店、1995年、p.128)


「我らはすべて死すべきもの。八十と言えば、死人になる十分の資格のある年ではないか……。そうではなかった。ひとは生まれたから死ぬのではなく、生き終わったから、年をとったから、死ぬのでもない。ひとは何かで死ぬ。母が年から言って死期は遠くないと私が心得ていることが怖しい衝撃を緩和しはしなかった。(中略)自然死は存在しない。人間の身に起こるいかなることも自然ではない。彼の現存が初めて世界を問題にするのだから。ひとはすべて死すべきもの。しかし、ひとりひとりの人間にとって、その死は事故である。たとえ、彼がそれを知り、それに同意を与えていても、それは不当な暴力である。」(p.156-157)



ひとが死ぬのは、いつでも苦しい。