- そどむ 完全版 上 (KCデラックス)/小野塚 カホリ
- 小野塚カホリ 『そどむ』
- を読んだ。
- この作品ね、漫画はもうここまで来ちゃいましたか、って思うの。
- 現代日本で、セクシュアリティをテーマに扱う作品は、漫画が先端をいっている気がするのよ。
- 文学は弱いし、映画は、女流映画みたいな系譜もないし、あったとして、まだそこまで純度が高い作品ってないわよね。あるとしても、玄人の中だけで愛されて、一般には浸透しない。
- 学問は、ひと段落ついて、衰退した感じがあるわよね。
- クィアとかLGBTは、娯楽として消費されていく流れができてしまっているわ。
セクシュアリティをテーマに扱う漫画家の先駆けは、もちろん岡崎京子よね。
90年代の混沌としていて、苛烈なものを追いかける時代の波の中で、
セックス、自分のセックスに対する意識ってのも、やっぱり苛烈だったのよね。
アカデミズムとか、そういうの関係ないところで生きていても、
女として生きること、消費されていくこと、それでも誰かと繋がっていたいってこと、
に、集団の中にいれば、特別なところのない女の子が、強い問題意識を持っていた時代。
意識しているか、否か、は別にしてね。
そういうところで、岡崎京子から、「女のセクシュアリティ」が漫画として、文学として、の確かな流れが出来たのよね。
そういう分野の漫画家のなかで、小野塚カホリが、特別に好きなの。
まず、画が好きなの。
目の遣り方、表情、身体つき、筋肉の附き方が、
ああ人間ってのは、どんなに清潔ぶっても、生身の肉体を持っているんだ、って感じるからなの。
あと、セックスは、べつにベッドに入っておわりじゃなくて、そこからを描いてくれるところも、ほんとうだわ、って感じるの。
物語も、確かな教養があるから、好きなの。
映画も、純文学も、いやらしくなく差し込んでくれるから、好き。
そんな小野塚の作品のなかでも、最高傑作だと思うのが、『そどむ』よ。
個人的な好みっていう意味では、『愛い奴』って作品が好きだけれどね。
『そどむ』は、ある一組の恋人たちをめぐる物語なの。
主人公の里香子と葉二は、同じ専門学校に通う、二十歳前後の学生よね。
この二人には、共通の知人の知花がいるんだけれども、
その知花は、里香子と葉二が関係を深めつつあるなか、自分の子どもを道連れに自死してしまうのよね。
冒頭は、その知花から、里香子への最期の手紙が届くところから始まるの。
最初は、里香子はこの手紙を読むことができないのよ。
この一遍を通して、里香子はこの手紙を開封できるようになって、大切な気持ちとか、愛とか、人と
付き合うということはどういうことなのか、分かるようになるの。
この物語は、ひとりの人間が、自分以外の誰かに自分を明け渡す、
ともに生きていく、ために自分のかたくなな部分をほどいていく過程が描かれているわ。
里香子は、人の気持ちに鈍くて、でも周りが見えないからこその純粋さもあって、無邪気で、容姿も可愛らしくって、守られて生きてきたタイプなの。
それを本人も自覚しているんだけれど、悪びれてないのよね。
好き、とか、嫌い、とか自分の気持ちや情緒を大切にしずぎていて、人の気持ちに寄り添えない。
それでも、二十歳前後までは大きなダメージもなく、なんとなく許されて生きてこれたのよね。
そういう風に許されて生きてこれたのは、
つまり、許されるような関係にしか身を置いてこなかったからよ。
それが、葉二という恋人ができたことで、
人と深く付き合うということの本質、近い関係だからこそ指摘できることだとか解決しなければいけない問題に直面するのよ。
この葉二というのも、ちょっとワケありで、溌剌としてるタイプでもないのよ。
女にだらしない、って噂もあったりだとかね。
この葉二が、むかし、知花と付き合っていたということを里香子が知って、物語は加速するのよね。
葉二の生い立ちや、知花の孤独、
二人を取り囲む人それぞれの生き方、これがけっこう深刻なのよね。
誰かと一緒に生きる、ってぜったい簡単なことじゃないのよ。
愛する、って、愛されるって何なの。
どうして、しなくても生きていけるのに、人が欲しくなるのだろう。
そういう人間同士の付き合いの、一つの答えが示されているのよ。
言葉、台詞、が抜群に冴えていて、切ないところ抉られるのよ。
人との関係、自分を明け渡すこと、が未熟だった里香子が、
ラストシーンで目にする、知花の言葉の重さが、ふかく突き刺さる。
愛する、愛される、って、きっと死よりも深いの。
愛するのは、生きている人の義務なのだわ。
わたしをまもっていいのは、あの人だけって決めているのよ。