今年の灘中1日目の文章と似た内容の記事を書いていた件
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これです!
昨年から、私はなぜかグミの食べ比べをおこない、これを記事にしていました。自分でも「浮いてる記事」だと認識していましたが、なぜか更新を続けていました。すると、今年の灘中で同じような内容の文章が出題されました。昔から、灘中の文章と私の行動は変にリンクしており、私がラダック(インドの奥地)へ行けば、灘中でもラダックに行く文章が出題されるといった具合です。
今年の文章は、いかにもぶどう味といった風味の飴を食べた筆者が、これこれ!とうれしくなったという他愛のない内容です。その中で、このチープな飴との対比でグミの話が登場します。
――もうずいぶん前から、果物のお菓子は果汁をそのまま詰めこんだように濃縮されたジュースを飲んでいるような味に進化したように思う。特にグミ。もはやその果物を超えてしまっているのではないかと思うくらい、果汁の酸味や甘みが濃い。
(くどうれいん『桃を煮るひと』)
そうです。私が全農のグミを食べ比べているから、こんな文章が出題されたのです
筆者は、そのチープなぶどう味の飴が「ぶどうあじあじ」だったと表現しています。一方、私もまた、4戦目で、ぶどう味のグミを食べています。さて、どんなことを書いてあるのか!?
――知ってる感じのブドウグミの香り。
要するに、問一で問われているような、「ぶどうの味じゃなくて、ぶどう味の味がするの、わかる?」の「香り」版の記述となっています。その後、私の記述は、筆者の言うように、「今の」グミの方へと移っていきます。教材に使った文章が入試に出る「的中」は、めずらしくありませんが、自分の書いた他愛のない文章が、入試と似ているというのは、なかなかめずらしい経験でした。
という話を書いたのは、やらなければいけない仕事が山積していると、やらなくてもいいことをしたくなる、そんな現実逃避からです。
ちなみに、問二の飴は、たとえばこんな感じのもののことです。