北へ!(その1)西宮北口から一の鳥居まで

 

深夜3時前。北へ向かって歩き始めました。

 

初の川西市!

 

小学生のころの生活圏に入ります。

 

ここに通ってましたね。すんごい階段が狭かった印象。

1Fのパン屋はなくなってました。

 

イトマンスイミングスクールの最寄り駅、滝山

 

40年前に外見の昭和臭に鼻の奥がツンとした建物は、40年後も同じ古さのままだった。

線路をはさんで向かいの駄菓子屋は跡形もなくなっていた。

 

鶯の森で始発電車に出会う。

 

第一の難関。路側帯ゼロ地帯。北へ向かうのが億劫なのは、危ないから。

ただ、この時間は大阪方面へ向かう車は多くても、その逆はほとんどない。

走れ!

 

すごいところにマンション。

 

鼓が滝のダイエーがない。。。

35年前に、2階より上はすでに時代から取り残されていた印象だった。

そして、あの広大な駐車場はイオンのスーパーに。

 

多田のイズミヤは健在

 

ファミコンショップ わんぱくこぞうは もうない。

 

ここも昔から変わらない。

 

ファミコンショップ ブルートも もうない 

 

平野駅前は、なぜこんなにも切ないのだろう

 

40年前、すでに時代に取り残され、そこからまったく変わらぬ風景

 

少しもキャッチ―ではないと子供ごころに思った少年の絵は、ずっとこのまんま。

 

ここに茶色の巨大な建物(小学生の目線では)があった。

 

サンシャインはコーナンに。同一業態だった。

 

三ツ矢サイダー発祥の地

 

この印象的な風景も変わらず

 

新名神が開通して、ここだけ大きく変わりました。

 

あっ、そうだ。ここには大阪青山大学の城があった。

歴史的に見れば、このあたりは城とは無縁であり、妙見山への一の鳥居があった場所である。

「一の鳥居に城ってww」と、全のせでん沿線民は思ったはず。

この大学を創設した理事長は、この近くを治めた(山下あたり)の国衆の末裔だった。

この城は、そんな彼の晩年の夢想である。故郷に錦を――なんだか悲しい。

(続く)