ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典105(114人目)

 

~リーズ(リーザ)~

 事件後

 アリョーシャとの婚約を破棄した。イワンが訪ねてくるようになった。四日前にヒステリー状態になる。昨日も同様に状態になり、「わたし、イワンさんなんて大嫌い、あの人をお通ししないようにしていただくわ」と叫んだ。今朝は、いきなりユーリアの顔をなぐり、一時間後にはユーリアを抱きしめ、両足にキスをしている。そして、ママのところへはこのさき絶対に行かないと言うので、夫人が足をひきずって部屋に向かうと、リーズの方から夫人に飛びついて来て、キスをして泣き出す。【⇒第11編:イワン2:悪い足】

 

 リーザ:「あなたの奥さんになるの断って、ああよかったって。」

 これ以降、「リーズ」から「リーザ」へと表記が変わる。入って来たアリョーシャを、刺すようなするどい目で、食い入るように眺めた。この三日の間に、様子が一変し、頬の肉までこけてしまった。アリョーシャと母の話を立ち聞きしていた。「あなたの奥さんになるの断って、ああよかったって。あなたって、夫には向かない人だもの」「いきなり手紙を渡して、こんど好きになった男の人のところに持って行ってって頼んだら、あなたはそれを受け取ってきっとその人のところへ持って行って、おまけに返事までもらってきてくれるんだわ」と言う。アリョーシャが、「あなたのなかには、何か意地の悪いものが同居してるんですね」とほほ笑むと、あなた相手だと恥ずかしくない、「あなたのこととても愛しているのに、尊敬はしてないの」と言う。そして、あなたをものすごく好きになると思うの、「あなたへの気持ちが冷めたこと、こんなにもすぐに許してくれたんですもの」と、皮肉なことを言った。

 

 リーザ:「わたし、貧乏になったら人を殺してしまうわ……それに、お金持ちになっても殺すかもしれない……」

 リーザは、家に火をつけたい衝動にかられると告白する。「なに不自由なく生活をしているからですよ」「じゃあ、貧乏なほうがいいっていうわけ?」「いいですね」「嘘よ。わたしがお金持ちで、みんなが貧しくたっていいの。お菓子も食べるし、クリームもなめる。だれにもあげないつもり」「わたし、貧乏になったら人を殺してしまうわ……それに、お金持ちになっても殺すかもしれない……」。

 

 リーザ:「あの人のお嫁さんになって、死ぬまでくるくる回してやろうかしら」

 カルガーノフの話になる。「あの人、いつも歩きまわって空想ばかりしているでしょう。あの人の言い分だと、まじめに生きていくより夢を見ていた方がましってことなのよ」。「あの人のこと夢中にさせてくるくる回して、鞭でぴしゃりぴしゃりぶってあげたい。あの人のお嫁さんになって、死ぬまでくるくる回してやろうかしら」。

 

 リーザ:「心のなかじゃ、みんな悪いことが好きなのよ」

 放火について、アリョーシャが「あなたは、良いことと悪いことをはきちがえているんです。それって、一時的な危機ですね」と言うと、リーズは「あらゆる悪いことを片っ端から試してみたくなるの」と目を輝かせた。放火願望について語る口ぶりに、以前のような「からかい半分や、茶目っ気」などが、かけらもなくなっていたことに、アリョーシャは驚いた。「人間は悪いことを憎むとか、みんな言ってるけど、心のなかじゃ、みんな悪いことが好きなのよ」と言い、フョードル殺しについても、「口では恐ろしいと言いながら、内心ではもう大喜びなの」と話し、アリョーシャもいくらかの真実が含まれていると認めた。

 

 リーザ:「それもすてき」

 リーズが、悪魔の夢を見ると言うと、アリョーシャも同じ夢を見ると答えた。リーズはショックを受けて、「アリョーシャ、ここに遊びに来て、もっと頻繁に来て」と、祈るように言った。そして、イワンの好みそうな、子どもへの残虐行為の話を始める。はりつけにされた四歳の男の子の真向かいにすわって、「パイナップルのコンポートなんか食べてるの。わたし、パイナップルのコンポートが大好物なの」と、目をらんらんと輝かせて言う。そして、イワンに手紙を出して、ぜひわたしのところへ来てくださいと呼ぶと、「子どもとコンポートの話」を聞かせ、「これってすてきなお話でしょ」と言うと、イワンは笑って、「ほんとうにいい話だ」と、帰ってしまった。イワンが自分を軽蔑しただろうかとアリョーシャに問うと、その人も「ひょっとしたらパイナップルのコンポートを信じているかもしれないでしょう」と言い、さらに、軽蔑はしていないが、「ただ、だれのことも信じていないだけなんです」と言う。「ってことは、このわたしのことも? わたしも?」「あなたもです」「それもすてき」と、リーズは歯ぎしりして言う。

 

 リーザ:「ああ、わたしって、なんていやらしい、いやらしい、いやらしい!」

 「あのね、アリョーシャ、じつをいうと、わたし、……アリョーシャ、わたしを助けて!」と両手で抱きしめて、「わたし、もう、生きていたくない」「どうしてあなた、わたしのことぜんぜん愛してくれないの」「わたし、だれのことも好きじゃないんだもの」と言う。「このまま、あなたを一人にして?」とおびえたように言うアリョーシャを、兄のところへ行くようにとドアのほうへ追いやり、その右手に、封をした手紙を握らせた。あて名は「イワン・カラマーゾフさま」。「渡してくださいね、必ず渡してくださいね」「そうじゃないと、わたし、毒を飲むわ! あなたを呼んだのはこのためなの!」と、母と同じようなことを言う。

 

 ――アリョーシャが帰ると、すぐに錠をはずし、ドアを少しだけ開いて、その隙間に指をはさみ、ドアをばんと閉めて、思い切り指をつぶした。十秒ほどして指を引き抜くと、彼女はしずかに、ゆっくりといつもの車いすにもどり、背筋をぐいと伸ばしたまま、腰をおろし、黒ずんだ指と、爪の下からじわじわとにじみ出て来る血にじっと目を凝らし出した。唇が震えていた。彼女は早口に、すばやくつぶやいた。

「ああ、わたしって、なんていやらしい、いやらしい、いやらしい!」(⇔アリョーシャの指のケガ)【⇒第11編:イワン3:小悪魔】

 

 その後

 リーザからの手紙をアリョーシャが渡すと、「なんだ、あの小悪魔か!」と言って毒々しく笑い、封も切らずにいきなり何重にも引き裂くと、宙に放り投げた。「まだ十六にもなってないだろうに、もう色目なんて使いやがって!」と言うので、アリョーシャが「なんてこと、言うんです」「彼女は病気なんです。とても重い病気なんです。ひょっとしたら、彼女も気がくるいかけているかもしれないんです……」「だから、さっきの手紙だって、兄さんに渡さざるをえなかった……ぼくは、逆に、兄さんから何かを聞きたかったんです……彼女を救ってくれる何かを」と熱く語るが、こっちから話すことは何もないとそっけなく断られた。

 イワンは、「さっき、リーザのことでなんと言った?」と話しかけ、「おれはリーザが好きだ。あおの子のことでおれは何かきたない口のきき方をしたな。あれ嘘だよ、じつはあの子が気に入ってるんだ……明日おれが恐れているのは、カーチャだ、いちばん恐れている。将来のことさ。【⇒第11編:イワン10:やつがそう言うんだよ!】

 イリューシャの棺は、リーザから夜明け前に届けられた花で飾られた。そして、スネリギョフは、イリューシャの亡骸に、花をふりかけている。この場面は、イワンがリーザの手紙を破り捨てた場面と対になっている。リーザは、自分を愛してもらえていないとの思いから、グルーシェニカと同じく、僧服のままのアリョーシャをからかっていた小悪魔となり、ゾシマ長老の死後、母のホフラコーワ夫人やアリョーシャの不信に触れて、大いに動揺した。最終的に、悪意もイワンに肯定的に受け入れてもらい、善意もスネリギョフに肯定的に受け入れてもらっている。悪魔への手紙は破り捨てられ、神への花は届けられた。一方、聖なる存在であるイリューシャの母が、コーリャからの大砲と、リーザからの追悼の花を取り上げたことにも、正負どちらの象徴的な意味も含まれていると考えることができる。【エピローグ:3イリューシャの葬儀。石のそばの挨拶】