ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典62(48人目)

 

~ゾシマ長老(ジノーヴィー)~

 

 d 謎の訪問客

 ???:「自分で教えを説いておきながら、信じてらっしゃらない」

 その人物は、五十歳くらいで、高い地位にあって町中の尊敬を集めている財産家だった。慈善家でもある。結婚して十年ほどで、三人の幼い子どもがあった。夜会の翌日、とつぜんドアが開いて、その紳士が入って来て、「この数日、いろいろなお宅であなたの話をうかがい、たいへん興味をもちましたもので、あなたと個人的な縁をもちたい」と言った。これほどひたむきな厳しい調子で近づいてきた人はいなかった。「あれほどのふるまいをなされるということは、あなたがご自身でお考えになるより、はるかに難しいことです」と言い、決闘場での心境を問う。わたしが話し終えると、彼は「ひどく晴れやかな顔」でこちら見つめた。

 それ以来、彼は毎晩のようにわたしの部屋に足を運ぶようになったが、彼自身のことについては何一つ話そうとしなかった。彼は、「どんな人間にも、自分の罪のほかにすべての人すべてのものに対して罪がある」という話に同意し、「どうしてあなたがこれほど完璧なかたちで突然そういう考えをいだかれたのか、不思議でならない」と言う。これを人々が理解できれば、「天の王国は現実のものとなる」のだ。わたしが「それはいつ実現するのでしょうか」と問うと、「ほうら、あなたも信じてらっしゃらない。自分で教えを説いておきながら、信じてらっしゃらない」と笑い、人間の孤立の時代が終わり、魂を兄弟愛による一体化というヒロイックな営みへと導くことが、偉大な思想を死なせないために大切だと言った。

 ここでの「すべてのものに対して罪がある」は、イワンの「すべて許されている」の対極にあり、謎の訪問客はイワンにとってのスメルジャコフでもある。また、ジノーヴィーの兵卒時代はドミートリーと重なり、出家後はアリョ―シャと重なる。

 

 ???:「わたしは……じつは……その……人を殺したことがあるんです」

 来る日も来る日も熱い歓喜にうちふるえるような議論をくり返すうちに、一か月ほどして、「彼自身が何かを打ち明けたいという欲求」に苦しみだしていることに気づいた。異常とも思える興奮に見舞われ、そのまま立ち上がって帰ってしまうこともあった。「長いこと刺しつらぬくようなまなざしでこちらを見つめること」もあった。そんなある日、「彼は長い熱弁をふるったあとで急に青ざめ、顔をすっかりしかめながら、こちらをじっとにらみつけている」のに気づいた。彼は「わたしは……じつは……その……人を殺したことがあるんです」と言って微笑んだ。

 

 ???:「おれはこの子どもたちの、汚れない明るい顔が正視できない」

 十四年前、金持ちの未亡人に結婚をせまったが、彼女にはすでに別の男がいた。彼女はプロポーズを退け、家に出入りしないように頼んだ。ある夜、彼女の家にしのびこみ、「復讐と嫉妬からくる憎しみ」にとらえられ、心臓めがけて短剣を突き刺した。女は、悲鳴ひとつあげずに息絶えた。その後、下男たちに疑いがかかるように、現場を荒らした。彼は本心を打ち明けられる友人がいなかったので、彼の恋のことはだれも知らず、この二週間ほど彼女を訪ねていなかったので、嫌疑もかからなかった。嫌疑は、「酒をあおり女主人を殺してやると息巻いていた」農奴の下男ピョートルにかかった。ピョートルは路上で酔いつぶれているところを発見された。ポケットにはナイフが、手のひらには血のりがついていたので、裁判にかけられ、熱病にかかり病院で死んでしまった。裁判は打ち切られたが、彼に「真の罰」が下り始めた。最初は良心の呵責に苦しまず、自分の愛も葬り去ってしまった無念の思いだけがあった。下男の死も湿った地面で一晩寝た風邪のせいだし、盗んだ品物よりもはるかに多額の金を養老院に寄付し、良心の痛みを癒した。しかし、苦しみに悩む日々が訪れるようになり、孤独な悩みを結婚で追い払おうと願ったが、現実にはそれと反対のことが生じた。「いっぽうで命を与えながら、他方で命を奪った身ではないか」「おれはこの子どもたちの、汚れない明るい顔が正視できない」。やがて、決然と人前に出て、自分は人を殺したとみんなに告白するという想念にとらわれるようになり、そのまま三年が過ぎた。

 

 ???:「恐ろしい一行だ。こいつはひとこともない、よくまあ選んでくださいました」

 そこへ、決闘場での事件が持ち上がり、わたしのもとを訪れるようになり、ようやく決心がついた。しかし、「ひとつだけ決めていただきたい。ひとつだけ!」と彼は言った。「妻子と別れるべきでしょうか、永久に妻子を捨てるべきでしょうか?」。わたしは「行って下さい」「みんなに明らかにするんです。すべて過ぎ去って、真実だけが残ります」。しかし、彼はその後二週間以上も、毎晩、わたしのもとに通った。土壇場での決心がつかずにいたのだ。そして、青白い顔をしてあざけるように、「あなたはいつも、また告白しなかったのかという好奇の色を浮かべて、わたしをごらんになる。もう少し待ってください。あれを決行するのは、あなたが思うほど簡単じゃないんです」と言う。家を出るとき、子どもたちに「パパ、行ってらっしゃい。早く帰って来て、いっしょに〈子どもの読み物〉読んでね」と送り出されてきたのだ。「いや、わからんでしょうな! 他人の不幸、思案の外と言いますからね」と言って、テーブルをたたき、「その必要があるんでしょうか?」と声を荒らげる。彼の決意を後押しするために、ヨハネの福音書「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」を読み上げる。「たしかに」と苦しげに笑い、「なんとも恐ろしい言葉にお目にかかりますな。それを他人の鼻先に突き出すのは、わけもないことですよ。それにこれはいったいだれの書きものです。人間じゃないでしょうが?」と言う。敵意すら含んだ笑い方で、「口先ですむんですから、あなたは楽ですよ」と言う。さらにわたしは聖書の別の場所を示した。彼は、「生ける神の手に落ちるのは、恐ろしいことです」を読み、「恐ろしい一行だ。こいつはひとこともない、よくまあ選んでくださいました」と言って椅子から立ち上がった。そして、「つまり、わたしは『生ける神の手に落ち』て、もう十四年になるというわけですな」と言って、苦しそうな顔をして出て行った。

 

 ???:「実はね、君を殺しに行ったんだよ!」

 わたしが聖像の前にひざまずいて彼のことを祈った。三十分ほど過ぎ、十二時が近かった。ふと目をやると、ドアが開き、彼がまた入って来た。「何か忘れ物をしたみたいで……」と言って二分ほどじっとわたしを見つめ、ふいに苦笑を浮かべた。そして堅くわたしを抱きしめ、キスをした……「忘れないでくれ。わたしが二度目にきみの家に来たことをね、いいかね、このことを忘れないでくれ」。その翌日、彼は自分の誕生パーティーで犯行を告白した。しかし、だれひとり信じたがらず、気の毒にあの人は気が変になってしまったのだということになった。彼はそのまま病に倒れ、命が危ぶまれる状態になった。町の人たちは「全部あなたのせいだ」と、わたしに食ってかかった。わたしは彼と会うことが許されなかったが、彼が断固として、わたしに別れの挨拶をしたいと要求したことで、最期に面会がかなった。「ついにやったよ!」と彼は言った。「いまでは心おきなく子どもたちを愛し、キスすることもできるよ」。そして、「覚えているかい、二度目に君を尋ねたときのことさ、真夜中近くに? しかも忘れないでくれって君に行ったね? わかるかい、なぜわたしが戻って行ったか? 実はね、君を殺しに行ったんだよ!」。わたしはぎくりとした。「わたしはひたすら君を憎悪して、すべてを賭けて、なんとしても君に復讐してやりたかった。だが、わたしの神が、わたしの心の中の悪魔を打ち負かしてくれた。しかし、いいかね、あのときぐらい君が死に近かったことはなかったんだよ」。彼は一週間後に死んだ。多くの苦しみをなめた彼、神の僕ミハイルのことは、いまにいたるも毎日、祈りのさいに思い起こすのである。