ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典60(48人目)

 

~ゾシマ長老~

 

 

・ゾシマ長老…この町の三代目の長老。若いころは軍役につき、コーカサスで尉官をつとめた。六十五歳だが、すでに衰弱のため、余命いくばくもない。逝去とともに奇跡が起きて、修道院に栄光が訪れることが期待されている。アリョーシャが修道僧の世界に入るきっかけをつくった。三位一体という言葉があるように、彼の一生にカラマーゾフの三兄弟が一体になっているように思われる。

 ロシアの長老制度は、十六~七世紀に一度忘れられたが、十八世紀末に復活した。長老制度を取り入れている修道院は多くない。長老は絶対的な力を持ち、告白や懺悔を自分の魂に引き受ける。ゾシマ長老のもとに話をしに来た人は、一様に晴れやかな顔で帰っていく。庵室での会合については、修道院内部で、長老に対する何らかの圧力があったのかもしれないと、語り手は推測している(長老制に疑問をいだく人たちが修道院にも一定数いる)。「あのひとたちの 調停人にこのわたしを仕立てたのはだれかねえ?」。【⇒第1編:ある家族の物語5 長老たち】

 

 1日目11

 ゾシマ長老:「大切なのは、あまり自分を恥ずかしく思わないことです。」

 アリョーシャと見習い僧ポルフィーリーをともなって庵室へ入る。祝福を与えようとして手を差し伸べると、四人(フョードル・ミウーソフ・イワン・カルガーノフ)とも素知らぬ顔をしたので、手をひっこめた。会合は荒れ模様で、フョードルがさっそく道化を始めて、ミウーソフは激昂して帰ろうとした。長老はミウーソフを落ち着かせ、フョードルには「大切なのは、あまり自分を恥ずかしく思わないことです。これがすべてのはじまりですから」と伝えたうえで、「自分にウソをつかないことです」とアドバイスした。そして、あらためて席に着くように求めた。フョードルは長老の手に口づけをして、「殉教者列伝の話(迫害された聖人が首を切られたあと、立ち上がってその首を拾い上げ、それに『いとおしげに接吻した』)」を始めたので、長老は、そんな話は存在しないと言った。この話は、ミウーソフから聞いたのだ、そのせいで信仰がぐらついたのだとフョードルは息巻くと、長老はいったん中座すると言って、「それからあなた、やはり嘘はいけませんよ」と、にこやかな顔で言い足した。フョードルが追いすがって来て、「わたしはずっと、そう、あなたを試そうと思って、わざとあんな真似をしてみせたんです。わたしはずっと探りを入れていたんです。あなたと一緒にやっていけるものかどうか、とね。あなたは表彰状ものです。あなたとなら一緒にやっていきます。」と言った。【⇒第2編:場違いな会合2 老いぼれ道化】

 

 ゾシマ長老:「悔いているのなら、愛することです」

 「場違いな会合」を中座して、女たちに祝福を与える。息子を亡くした町人の女性には、「ラケルが息子たちゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む。息子たちはもういないのだから」の話をして、夫のもとに帰るように諭した。続いて、息子が帰らないことを不安に思って、迷信にすがろうとしていた老婆には、「じっさい生きている人の魂を、こともあろうに生みの親が供養するなど、どうしてそんなことができるのですか! それは魔術にひとしいたいへんな罪悪です!」と叱った。次に、つらい夫婦生活の末に、夫をなくした女性が、「体よくなって、また起きられるようになったらどうしようかと。そのとき、わたしのなかにあの恐ろしい考えが浮かんだのです」と告白し、「死ぬのが怖くて」と言うので、「悔いているのなら、愛することです」と伝えた。四人目は、健康そうな農婦。長老の健康を心配してくれた。「いろいろありがとうよ」。【⇒第2編:場違いな会合3 信仰心のあつい農婦たち】

 

 ゾシマ長老:「嘘を避けることです。どんな嘘も、とくに自分自身に対する嘘は」

 ホフラコーワ夫人がリーズの全快を伝え、リーズがアリョーシャをからかい、オブドールスクの修行僧が長老を非難する。そして、ホフラコーワ夫人は、どうすれば来世を証明できるのかと問う。長老は、「さしあたり証明するすべはなくても、実践的な愛をつむことで、確信することはできる」と伝えた。さらに夫人が、見返りなしに愛することができないことを告白すると、ある医師が同じことを言っていたと伝え、「もし自分の誠実さをわたしに褒めてもらうためだけのものだとしたら、実践的な愛という行いの点で、何も達成できないでしょう」と忠告する(物語終盤でのイワンの証言につながるテーマ)。そして、「嘘を避けることです。どんな嘘も、とくに自分自身に対する嘘は」と伝えた。そして、夫人がリーズに祝福を求めると、「いいえ、あなたのお子さんは愛に値しません。この目で見ていたのですから。ずっとふざけどおしだったのです」と、ドキリとするようなことを冗談交じりに言った。そして、アリョーシャが自分の家に来てくれないと泣くリーズに、「優しく十字を切り」、「かならず行かせますよ」と約束した。【⇒第2編:場違いな会合4 信仰心の薄い貴婦人】

 

 ゾシマ長老:「事情は今もまったく変わってません」

 25分ほどして庵室に戻って来た長老は、アリョーシャの目からは、いまにも失神しそうなほど疲労しているように見えたが、「あきらかにこの会合をお開きにしたくない様子」だった。イワンの論文についての話が盛り上がっていたので、続けるようにうながした。イワンの「教会が国家を包むべきだ」「犯罪者を切り捨てず、再生させるべきだ」という考えを聞き、「事情は今もまったく変わってませんね」と言う。キリスト教がなくなれば、懲役刑では人は更生できない、また別の犯罪者が生まれるだけだという考えを述べる。そして、イワンの考えは間違っていないが、現実にはその準備が整っていない。いつか実現する定めではあるが、「いつ」なのかは神のみず知ることなので、人間が考えるべきではないと言った。【⇒第2編:場違いな会合5 アーメン、アーメン】 

 

 ゾシマ長老:「あなたはほんとうにそういう信念をおもちなのですか?」

 ミウーソフが、「無神論者には悪が賢明な結論として許される」というイワンの言葉を紹介すると、ゾシマ長老は、イワンに「あなたはほんとうにそういう信念をおもちなのですか?」と問う。イワンが、「不死がなければ善なんてない」と答えると、長老は「そう信じておられるなら、あなたはたいそう幸せなお人か、でなければ非常に不幸なお人のどちらかです」と言い、「十中八九、ご自分の魂の不死も、教会や教会裁判についてお書きになったことも信じておられないからです」と続けた。そして、イワンが「まるきり冗談でいったわけじゃありませんよ」と言って顔を赤くすると、長老は「この問題はあなたを苦しめている」のだが、受難者は「ときに絶望に苦しむかに見せて、絶望で気晴らしを楽しむことがある」と伝え、自分の言葉を自分が信じられない胸の痛みを解決できず、論文や議論で気晴らしをしているのだと指摘する。イワンが、「その問題は、僕の中で解決されるんでしょうか? 肯定的な方向で解決されるんでしょうか?」と問うと、長老は、「もしも肯定的な方向で解決できないなら、否定的な方向でもけっして解決されないでしょう」と答える。長老がイワンに十字を切ろうとすると、イワンがふいに立ち上がり、長老に近づき、祝福を受けると、手にくちづけをして、元の席に戻った。

 

 ゾシマ長老:「お赦しください! すべてをお赦しください」

 その様子を見たアリョーシャは怯えた表情を浮かべ、フョードルは椅子から飛び上がった。その直後に、フョードルがドミートリーの素行を暴露し、ドミートリーがフョードルのたくらみを暴露する。長老の言葉をみなが待ち受けていたが、長老は「何かを待ち受けているように、自分でもまだ納得ゆかず何かをさらによく見きわめたいと願うかのように、じっと目を凝らしていた」。フョードルが、なりふりかまわず侮辱を続ける中、不意に、長老はドミートリーの足元にひざまずいて、地面に額をつけてお辞儀した。そして、「お赦しください! すべてをお赦しください」と言って客人に会釈をくり返したので、ドミートリーは、茫然としたあと、「ああ!」と言って部屋を飛び出してしまい、ほかの客人たちも、あいさつすらしないまま、部屋を飛び出していった。こうして突然、場違いな会合は幕切れを迎えた。【⇒第2編:場違いな会合6 どうしてこんな男が生きているんだ!】

 

 1日目の夜

 ゾシマ長老:「悲しみのなかに幸せを求めよ」

 寝室にもどったあと、アリョーシャに、「さあ、行きなさい」と院長のところへ行くようにうながし、さらに、自分の死後、すぐにも修道院を出るように言う。そして、まだ話す機会はあるだろうと前置きしつつも、「悲しみのなかに幸せを求めよ」と遺言した。そして、「さあ、行きなさい、急いで。兄さんたちのそばにいてあげるのだよ。でも、一人のそばではなく、二人のそばにだよ」と言って十字を切った。【⇒第2編:場違いな会合7 出世志向の神学生】

 

 2日目の朝

 夜が明けないうちに目を覚まし、アリョーシャに「きょう一日、もたないかもしれません」と言った。そして、すぐに懺悔と聖体を受けた。夜が明けて、体力の許す限り説教を続けた。死の瞬間を前にして、「命あるうちにもう一度、自分の心のうちを吐露しておきたいという、切なる思いに駆られていた」。多くの人が感動の思いでその話を聞いていたが、多くの者が、「その言葉におどろき、そこにまたある種のあいまいさを感じてもいた……」。説教を終えた長老は、「おまえがいないところでこの世への別れの言葉を告げることはしない」ので、約束した人たちのところへ行ってやりなさいと言った。【⇒第4編:錯乱1 フェラポンド神父】

 

 2日目の夜

 ゾシマ長老:「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。」

 最後の法話には、パイーシー神父、ヨシフ神父、ミハイル神父、アンフィーム神父の四人が集まった。見習い僧のポルフィーリーもつきそった。遅れて登場したアリョーシャには、ドミートリーの消息をたずねた。「昨日のあの方の目は、まるでご自分の運命全体を表しているようでした」「悲しいことながら、その人たちの運命は、そのとおりのものとなりました」と言う。アリョーシャを遣わしたのは、「弟としてのお前の顔」があの人の助けになると思ったからだと言う。そして、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」ということを、よく覚えておくように言った。そして、アリョーシャが、十七歳で亡くなった兄とそっくりだったと言い、兄の思い出を話し始めた。客のだれひとり、「よもやその日の夜に長老が息を引き取るなどと思ってもいなかった」。彼の最後の談話は、「途方もない活力を保たせてきた最後の感動のようなもの」だった。「長老の生命はふっと断ち切られた」。【⇒第2部 第6編:ロシアの修行僧1 ゾシマ長老とその客たち】

 

――長老ははげしい痛みのようなものを感じて蒼白となり、両手を心臓部につよく押し当てた。全員がそこで席から立ち上がり、駆け寄った。だが長老は、苦しみながらも、微笑みを浮かべて彼らを見つめ、肘掛け椅子から床にしずかにすべり降りるようにしてひざまずいた。そこから、床にひれ伏して両手を差し伸べ、歓喜に酔いしれ、大地に口づけし、祈りながら(みずから教えたとおり)、しずかに、嬉しそうにして神に魂をあずけた。