ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典58(47人目)

 

~スメルジャコフ(死後)~

 

 

 公判当日

 イッポリートによる論告。イワンに教え込まれた、「この世では、どんなことも許される」というテーゼのせいで気がふれてしまった。【⇒第12編:誤審6:検事による論告。性格論】

 イッポリートによる、スメルジャコフ犯人論への反論。スメルジャコフは少し頭が弱いが、おぼろげながらもいくらかの教養を身につけてが、その知力では背負いきれないほどの哲学思想を吹き込まれて、すっかり混乱していたというのが、イッポリートの見立てだった。しかし、実際は、イワンに吹き込まれた思想を狂信し、犯行に及んだものだった。イッポリートは、スメルジャコフがその場でフョードル殺害を決意したことや、ほんとうの金のありかをドミートリーに伝えなかったことや、わざと封筒を床に落としたことなどを、正しく理解できなかった。【⇒第12編:誤審8:スメルジャコフ論】

 

 フェチュコーヴィチ:「彼は自分しか愛さず、自分のことを奇妙なぐらい買いかぶっていました」

 フェチュコーヴィチの弁護。彼は、「弱い人間」ではけっしてない。とりわけ私は、彼の中に臆病なところを探りあてることができなかった。彼には純朴なところがまったくなく、子どもっぽさの下に隠されたおそろしい猜疑心と、きわめて多くを見抜くことのできる知力を見出した。

 

――そう! 検事はあまりにも素朴に、彼は知力が劣ると決めつけられました。わたしは彼からたいそうあざやかな印象を受けました。わたしは確信をいだいて彼のところから帰りました、この人物が徹底的に腹黒い、かぎりなく野心的な、復讐心の強い、邪悪といえるほどの嫉妬心をひめた男だと、こう思ったのです。わたしは、いくつかの情報を集めました。彼は、おのれの出自を憎み、これを恥じていて、『スメルジャーシチャヤから生まれた』ということを思い出すたびに、ぎりぎりと歯がみしていたということです。

 幼いころの恩人であるグリゴーリー夫妻に対して、尊敬の念など抱いておりませんでした。ロシアを呪い、見下していました。彼の夢はフランスに行くこと、フランスに帰化することでした。そして、そのための資金が足りないことを、かねてからたびたびこぼしていたということです。

 彼は自分しか愛さず、自分のことを奇妙なぐらい買いかぶっていました。彼は、文明というものを、立派な服や、ぱりっとしたシャツや、ピカピカの靴に見出していたのです。当人が自分をフョードルの私生児とみなしていたため、主人の嫡出子たちと自分とを見比べながら、おのれの出自を憎んでいたかもしれません。

 

 フェチュコーヴィチ:「あったのは絶望だけです」

 スメルジャコフは癲癇の仮病を使っていたのではなく、意識をとりもどしたのが、グリゴーリーが「父殺し!」と叫んだ、まさにあの瞬間だったのかもしれない。声に耳をさまし、下心もなく、叫び声が聞こえた方角へ、一体何事だろうと向かう。そして、主人からおそろしい話を聴く。夢うつつだった判断力が、頭のなかで一気に燃えさかり、「主人を殺し、三千ルーブルを奪って、ぜんぶの罪を若旦那におっかぶせてしまおう」という金に対する渇きと、完全犯罪の思惑と一体になり、息が詰まりそうなほどだった。目的は、三千ルーブル。立身のためだった。

 

――わたしはちょうど二日前に、まさにこれと同じ意見を耳にしたのです。つまり、カラマーゾフなら封筒をそんなふうに捨てて行ってしまうにちがいない、と、当のスメルジャコフがそう話すのを聴いていたのです。そればかりではありません。驚いたころに彼はわざと無邪気なふりをよそおい、先回りし、そういう考えをわたしに押し付けている、わたしが自分からそうした判断をひきだせるようにしきりに誘導している、そんな気がしていたのです。予審でも彼は、この考えをほのめかさなかったでしょうか? 才能あふれる検事に対してもそういう考えを押し付けなかったでしょうか。

 

 スメルジャコフが遺書に、何も書かなかったのはなぜか。検事の言うような後悔の気持ちはなく、あったのは絶望だけです。「彼の絶望は、憎しみに満ちたとても受け入れがたいものだったかもしれません」「自分の命を絶とうと両手を胸にあてたその瞬間、自殺した彼は、一生を通じてうらんできた人々への憎しみを、何倍にもふくらませていたかもしれないのです」。【⇒第12編13 思想と密通する男】