ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典49(36人目)

 

~コーリャ・クラソートキン(中盤)~

 

 

 公判前日

 しかつめらしい顔でアリョーシャが出て来るの待った。「アリョーシャについて聞かされる話のどれひとつとっても、何かしら共感できるものが、惹きつけられるものがあった」が、まずは「一人前」であることをアピールしなければならなかった。じゃないと、ガキ扱いされてしまう。コーリャは胸おどらせて、文句なしに一人前の男の顔つきをしようと躍起になった。アリョーシャはにこにこしながら、「やっと来てくれたんですね、ぼくたち、あなたのことをずっと待ってたんです」と言った。そして、「イリューシャの具合がひじょうに悪いんです。まちがいなく死にます。」「そうだったのか! 医学なんて、しょせん役立たずですもの、そうでしょう、カラマーゾフさん」と、コーリャは熱くなって叫んだ。そして、イリューシャとの出会いについて話し始めた。

 

 回想(コーリャとイリューシャ)

 コーリャ:「きみは卑劣なやつだ、当分のあいだ、きみとのつきあいはやめにする」

 予備クラスに入ったイリューシャは、さっそくいじめられた。自分は二学年上なので、遠くから見守っていた。イリューシャは、背も低くてひよわなのに、プライドが高く、取っ組み合いのけんかまでする。自分はそういうやつが大好きなので、イリューシャの貧しい身なりを侮辱する子どもたちを、こっぴどく叱りつけた。そして、イリューシャを保護してやると、「ぼくに奴隷みたいに従うようになった」。イワンとスメルジャコフの関係と、コーリャとイリューシャの関係は似ている。

 しばらくすると、イリューシャは、個人的に反抗して来るようになった。「性格をきびしくしつける」という信念のもとで、イリューシャの甘ったれに対して、冷淡に接したためだった。そのころ、イリューシャは、スメルジャコフと仲良くなり、パンのひと切れに釘を刺し、空腹の番犬に呑み込ませるという残酷で卑劣ないたずらをそそのかされ、ジューチカに釘入りのパンを投げ与える。ジューチカは七転八倒してから急に走り出し、どこかへ姿を消してしまう。イリューシャは、その話をコーリャに告白するとき、良心の呵責から、泣いて震えていた。そこでコーリャは、ひと芝居打ち、「きみは卑劣なやつだ、当分のあいだ、きみとのつきあいはやめにする」と伝えた。さすがに、少しきびしくあたりすぎたのかもしれないと思ったが、数日して、後悔した様子を見せたら許すつもりだった。

 

 イリューシャ:「ぼくはこれから、すべての犬に針の入ったパンをくれてやる」

 しかし、ひどいショックを受けたイリューシャは、「クラソートキンに、ぼくからといって伝えておけ、ぼくはこれから、すべての犬に針の入ったパンをくれてやる、ってね。すべての犬にだ、すべての犬に!」と逆上していたと、スムーロフから報告を受けた。

 そこへ、例のあかすりの一件が起きた。コーリャがイリューシャを見捨てたのを見ると、子どもたちはいっせいにイリューシャをからかい始めた。イリューシャがこっぴどく殴られているのをかわいそうに思って、飛び出していこうとしたとき、いきなり目が合うと、「ペンナイフをさっとつかみ出し、いきなりぼくのほうに突進してきて、この太ももに突き刺したんです(傷といっても、引っかき傷程度だった)」。コーリャは逃げず、ただ軽蔑の目でイリューシャを見ていた。すると、イリューシャは大声で泣き出し、一目散に駆け出して行った。同じ日、石の投げ合いをして、アリョーシャの指にかみついた。

 

 コーリャ:「ぼくは、ほんとにエゴイストなんです!」

 これまでのいきさつを黙って聞いていたアリョーシャは、「ほんとうに、ほんとうにあなたは、あのジューチカを探しだせなかったんですか?」と問う。コーリャは、ペレズヴォンをイリューシャに見せれば、マスチフ犬よりも、気持ちを引き立てられるかもしれないと言う。また、スネリギョフがどのような人物かをアリョーシャに問い、「カラマーゾフさん、あなたが人間というものを知っていることが、ぼくにはわかるんです」と言った。そして、アリョーシャが、この寒い中で、フロックコート一枚なのに気づいて、「ぼくは、ほんとにエゴイストなんです!」とあわてている。

 名前を聞かれて、ニコライ・クラソートキンと答え、年齢を聞かれて、「ぼくは年齢を聞かれるのが大嫌いなんです、いや大嫌い以上ですね」と答えた。さらに、小さい子どもと遊んでいることをバカにされるのもイヤだとぷんぷん怒るが、「劇場と役者」の話を例に出して説明され、面白い意見だと認めた。「ぼくはこのあと家に帰ったら、この件について脳みそをしごいてやろうと思います」と言った。「ぼくはあなたに、何か教えてもらえるものと期待していたんです」。コーリャが満足したのは、アリョーシャが自分を完全に対等に見てくれたことだった。【⇒第10編:少年たち4:ジューチカ】

 

 コーリャ:「うひょう! きみのジューチカ、どこかに消えちまったじゃないか!」

 イリューシャの家に到着したコーリャは、スネリギョフ(イリューシャの父)に手を差し出し、社交場の礼儀にのっとったふるまいを見せた。「かあさん」に対しても、ばかていねいなお辞儀をして、ニノーチカ(イリューシャの姉)にも貴婦人に対するようなお辞儀をした。そして、かつての幼い友人が二か月見ない間に、すっかりやせ細っているのを見て、ショックを受けた。つとめてきっぱりした口調で話すことで、「子どもみたいに」泣き出したりしないように、必死に感情を押し殺そうとしていたが、気持ちをおさえることは難しかった。

 どんな話題から切り出そうかと準備はしていたが、糸口を見失ってしまい、「ぼくも犬を連れて来たんだ。覚えてるかい、ジューチカを?」とだしぬけにたずねて、イリューシャをぎくりとさせた。アリョーシャも顔をゆがめた。「うひょう! きみのジューチカ、どこかに消えちまったじゃないか!」などと言い出す始末だったので、アリョーシャはその話をやめるようにと顎で合図したが、コーリャは聞こえないふりをして、情け容赦なく「あんなごちそうにありついたあとだもん」とからかった。ジューチカはいないが、かわりにペレズヴォンがいると言って、「ぜひ、見てごらん、気が晴れるから」とスムーロフにドアを開けさせると、ペレズヴォンが飛び込んできて、ちんちんを披露した。イリューシャはぎくりとして、「これは、ジューチカだ!」と、苦しみと喜びのあまり、潰れたような声を出した。たしかに「片目がつぶれていて、左耳が裂けている」というジューチカの特徴どおりだった。コーリャは、自分がジューチカをすぐに探し出したということを明かした。

 ジューチカがフェードフさん裏庭にいたことと、実際にはパンを呑み込まなかったことも説明した。コーリャは興奮して叫び続けた。イリューシャは、口もきくことができず、あんぐりと口を開け、顔は血の気をなくしていた。「何も疑っていないコーリャが、もしこのような瞬間が少年の容態に、どれほど無残で致命的な影響をおよぼすかを知っていたら、どんなことがあろうと今やっているような真似はできなかっただろう」。コーリャは子どもたちの喝采を浴びながら、有頂天になって説明を続けた。芸を仕込んで立派になったところを見せてやりたかったので、今まで連れてこなかった(しつけられたペレズヴォンは、コーリャによく教育されたイリューシャでもある)。コーリャは、死んだふりをさせたり、肉を鼻先にぶらさげた状態でマテをさせたりした。

 

 アリーナ:「わたしにおくれ!」

 さらに、コーリャは、青銅製のおもちゃの大砲を見せる。「今はありとあらゆる自制心を失い、急いでいたのである。《君たちはもうこんなに幸福だけど、それならもっと幸福を授けてやろう!》彼自身がすでに酔っていた」。二等大尉が火薬をつめこんで、華やかな発射の儀式が行われた。コーリャは大砲をイリューシャに渡すが、かあさんが「わたしにおくれ! だめ、大砲はわたしにくれたほうがいいの!」「イリューシャのものじゃなくて、ぜんぶわたしだけのものじゃなくちゃ、いや」と意地を張る。イリューシャが母へプレゼントしたいと言うと、コーリャも同意した。ボロヴィコフが聞き出した火薬の製法の話をしたり、この火薬のせいでブールキンが父親にこっぴどく叱られたりことを話したりした。

 

 アリョーシャ:「賛成できませんね」

 ブールキンの父親が、悪ガキコーリャを学校に訴えようとしたという話から、「鉄道事件」と「ガチョウ事件」の話になる。ガチョウ事件とは、プロトニコフの店で配達係をしているヴィシニャコフという若者をけしかけて、車輪の下に首を伸ばして麦を食べているガチョウをひき殺させたというもの(スメルジャコフが猫を殺したエピソード、イリューシャにジューチカを殺させようとしたエピソードを想起させるもの/フョードルを殺したのはイワンにそそのかされたからだとスメルジャコフが告げるエピソードの伏線となっている)。また、ジューチカを連れてこなかったため、良心の呵責にさいなまれたイリューシャを決定的に衰弱させてしまう。そして、あまりに強い喜びによってとどめを刺すという、無邪気な残酷さを見せている。

 ガチョウ事件のときに、ダルダネロフがかばってくれたという話つながりで、世界史は人類がおかしたいくつもの愚行の研究に過ぎないという考えを開陳し、自分が重要視するのは「数学と自然科学だけです」と大見得を切る。しかし、アリョーシャの沈黙が気になる。さらに、古典語も意味がないものだと主張するが、アリョーシャに「賛成できませんね」と、あっさり言われてしまった。コーリャはムキになって、古典語の導入は治安が目的であり、退屈で無意味なものだとまくしたてている。その一方で、「でもさ、ラテン語の成績はトップなんだよ!」と言われると、「彼らの誉め言葉は、自分にもひどく心地よかった」。古典は各国語に翻訳されているので、ラテン語など必要ないとも主張して、アリョーシャに、「だれがそんなことをあなたに吹き込んだんです?」と問われ、古典のコルバスニコフ先生がそう言っていたよと答えている。そこへ、カテリーナがモスクワから呼んだ医者が到着した。【⇒第10編:少年たち5:イリューシャのベッドで】