ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典44(34人目)

 

~グルーシェニカ(モークロエ前半)~

 

 

 3日目23時

 グルーシェニカ:「さあ、元気出して、陽気にやるの!」

 モークロエにて。ムシャロヴィチ・ヴルブレフスキー・マクシーモフ・カルガーノフと一緒にいる。突然、部屋に入って来たドミートリーの姿をまっさきにみとめ、「ああ!」と叫んだ。【⇒第8編:ミーチャ6 おれさまのお通りだ!】

 「だいじょうぶです! 怖がらないでください」と叫びながら入って来たドミートリーが、急にこちらをふり向いたとき、グルーシェニカは、カルガーノフに寄り添い、彼の手を握りしめていた。ドミートリーと握手したカルガーノフが、「うわっ、すごい握手だ! 指が折れちゃう!」と笑い出したので、「ほんとうにそうなの、いつもそんなふうに強い握手なの、いつもそう!」と、グルーシェニカは愉快そうに口をはさんだ。グルーシェニカは、ドミートリーが暴れまわる心配がないと納得し、彼を恐ろしい好奇の目で見て、「驚かさないんだったら、喜んであんたを受け入れてあげる」と言う。ドミートリーが泣き出すので、「ほんとうにもう、あんたって人は!」と叱りつけるような調子で叫んだ。前にも一度泣き出したことがあって、今度が二度目だ、恥ずかしいったらありゃしない!と、いらだたしげに言う。「ぼくは……ぼくは泣いてなんかいませんよ……ほら、このとおり!」と笑って見せた。「さあ、元気出して、陽気にやるの!」「あんたが来てくれてほんとうにうれしいんだから、ミーチャ、聞いてる?」「もしこの人が出ていくなら、わたしも出ていくわ、よくって!」と言うと、二人のポーランド人もドミートリーを受け入れた。

 

 グルーシェニカ:「わたしはアグラフェーナよ、グルーシェニカなの」

 マクシーモフの冗談、乾杯のひと騒動があったあと、ドミートリーはポーランド人2人(ムシャロヴィチ・ヴルブレフスキー)を隣室へ連れて行った。しばらくして戻って来た小柄なポーランド人は、顔を真っ赤にして「アグリッピナ(=グルーシェニカ)さん、ひどい侮辱を受けました!」と叫ぶ。グルーシェニカは、「ロシア語で話してちょうだい」「昔はロシア語を話したじゃない、この五年間で忘れたっていうの?」と怒りのあまり真っ赤になった。「わたしはアグラフェーナよ、グルーシェニカなの、ロシア語でいいなさいよ」「アグラフェーナさん、わたし、昔のこと忘れ、許すために来た」「許すですって? なに、あんた、このわたしを許すために来たってわけ?」「そのとおり、わたし心ちいさくない、わたし、心ひろい。でも、わたし、あなたの愛人たちを見て、驚きました。寝室でわたしに三千渡そうとした、わたしに手、引かせるためです」。それを聞いて、ドミートリーが自分は愛人ではないし、この人は純潔で輝いているとかばう。

 

――わたしが純潔だったのは、なにも身持ちが堅いからでも、サムソーノフが恐かったからでもない、この人のまえで堂々としていたかったからなのよ、いつか会ったとき、卑怯者って、相手に言える自分でいたかったからなのよ。

 

 グルーシェニカ:「ああ、ばかだった、わたしはばかだった」

 ここで、なぜポーランド人が5年経って、グルーシェニカのところに戻って来たのか、明らかになる。「わたしがお金を持っていると聞きつけて、それで結婚しようともどって来たわけね!」「君を奥さんに迎えるために来た。でも、君に会ってわかった。むかしの君じゃなくて、わがままで恥知らずな女だった」「そうかい、それならとっと、もといたところへ失せるがいいさ!」

 

――ああ、ばかだった、わたしはばかだった、五年間も苦しんできたなんて! でも苦しんでいたのはこの男のためなんかじゃない、憎しみで苦しんできたんだ! それに、この人もぜんぜん別人になってしまった! ほんとうにこんな人だったかしら? 

――あの人は笑ったり、歌を歌ったりしてくれたわ……それなのに、わたしったら、わたしったら、五年間も涙にくれていた、どうしようもないバカだわ、いやしくて恥知らずなバカよ!

 

 グルーシェニカ:「ああ、なんて男に成り下がってしまったんだろう!」

 両手で顔をおおった瞬間、となりの部屋から、モークロエの娘たちの合唱が響いて来た。「まるでソドムだ!」「豚どもめ!」と叫ぶヴルブレフスキーに対して、宿の主人トリフォーンが、ポーランド人2人のイカサマを告発する。「ああ、恥ずかしい、なんとはずかしい! ああ、なんて男に成り下がってしまたんだろう!」と叫んだ。

 逆上したヴルブレフスキーが、グルーシェニカに拳を突き付けて、「売春婦のくせして!」と言うと、すかさずドミートリーがとびかかり、隣の部屋に連れ出し、「あそこで床に叩きつけてやりました!」と、興奮で息をきらしながら報告した。そして、ムシャロヴィチに向かって、「大先生、あちらにいらしたらどうです?」と叫んだ。

 トリフォーンは、「ドミートリーの旦那、やつらから金を取り戻したらどうです」と声を張り上げる。カルガーノフは、「さっきの五十ルーブル、ぼくは返してもらうつもりはありません」と口をはさみ、ドミートリーも「おれもだ、さっきの二百、いるもんか!」と叫んだ。グルーシェニカも、「それがいいわ、ミーチャ! 立派よ、ミーチャ!」と叫んだ。

 ムシャロヴィチは、怒りで顔をむらさき色にしながら、少しも威厳を失わずに、ドアに向かいかけたが、「いいかい、もしもわたしについてくる気があるなら、いっしょに行こう、そうでないならこれでお別れだ!」ともったいぶって、ドアの向こうに姿を消した。彼はまだ、相手が自分についてくるという希望を失わずにいた。自分を買いかぶっていた。ドミートリーは、ドアをバタンと閉めた。カルガーノフは、鍵をかけて閉じ込めてしまいましょうと言った(すると、向こうから鍵のかかる音がして、ポーランド人2人は自分から閉じこもった)。「それでいいのよ! そうなる運命だったんだから!」と叫んだ。【⇒第8編:ミーチャ7 まぎれもない昔の男】