ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典22(17・18人目)

 

~イリューシャ~

 

 

・イリューシャ…二等大尉スネリギョフの息子。九歳。友達がいない。不健康そうな青白い顔をして、黒い目をキラキラ輝かせている。最後は、ゾシマ長老の兄のような存在へと聖化されていく。

 

 回想

 予備クラスに入ってすぐにいじめられたが、コーリャが助けてくれた。それ以来、コーリャにつきまとうようになった。しかし、最近、コーリャが自分の冷たく接するので腹が立っていた。そんなとき、スメルジャコフと仲良くなった。スメルジャコフにそそのかされて、犬のジューチカに釘の入ったパンを食べさせると、七転八倒してから急に走り出し、どこかへ姿を消してしまう。イリューシャは、その話をコーリャに告白し、良心の呵責から泣いて震えた。コーリャが、「きみは卑劣なやつだ、当分のあいだ、きみとのつきあいはやめにする」と、スムーロフを介して伝えると、ひどいショックを受けたイリューシャは、「クラソートキンに、ぼくからといって伝えておけ、ぼくはこれから、すべての犬に針の入ったパンをくれてやる、ってね。すべての犬にだ、すべての犬に!」と逆上した。【⇒第10編:少年たち4:ジューチカ】

 

 4日前

 父の二等大尉が、「都」でドミートリーに引き回されたとき、イリューシャは大声で泣きながら、父親のかわりに謝り、お父さんを助けてと頼みまわった(子が親の犠牲になることは、直後の『大審問官』へとつながる大きな主題)。【⇒第4編:錯乱5 客間での錯乱】あの日、父がドミートリーに居酒屋から引きずり出されたのを、ちょうど下校中に通りかかったイリューシャが目撃し、「放してよう、放してよう、これはぼくのパパだよう、パパだよう、パパを許してやってよう」と叫んで、ドミートリーの手にすがりつき、「その手に、キスをした」。【⇒第4編:錯乱7 きれいな空気のなかでも】

 

 1日前

 コーリャがイリューシャを見捨てたのを見ると、子どもたちはいっせいにイリューシャをからかい始めた。後ろで黙ってみているコーリャが、彼らをけしかけていると誤解したイリューシャは、ペンナイフをさっとつかみ出し、コーリャに突進して、太ももに突き刺した(傷といっても、引っかき傷程度だった)。コーリャは逃げず、ただ軽蔑の目でイリューシャを見ていた。コーリャは大声で泣き出し、一目散に駆け出して行った。イリューシャは、自分の病気は「あのときジューチカを殺したからなんだ、これは、神さまがぼくを罰しているしるしなんだ」という考えにとらわれている。【⇒第10編:少年たち5:イリューシャのベッドで】

 学校から帰ったイリューシャは真っ青な顔をしていた。散歩のとき父に、「仲直りなんかしちゃだめだよ」「学校の子たちがみんな言うんだもの。おまえの父さん、あれであいつ(ドミートリー)に十ルーブルもらったって」と言うので、スネリギョフは、どんなことがあってもお金をもらわないと約束した。すると、イリューシャは急に体をがたがたふるわせ、父の両手をつかんでキスをする。そして、「パパ、あいつに決闘を申し込みなよ」と言う。父が家族を養うためには決闘するわけにはいかないと説明すると、「ぼくが大きくなったら、ぼくが決闘を申し込んで、殺してやるから!」と言う。人殺しは良くないと諭すと、「サーベルを叩き落としてやる」「おまえなんか殺そうと思えばすぐに殺せるが、許してやる、いいか、思い知ったかって」。散歩を続けると、今度は「パパ、お金持ちって、世界でだれよりも強いんだよね」と質問する。「そうさ、イリューシャ、お金持ちぐらい世界で強い人たちはいないんだよ」と答えると、将来は金持ちの将校になるという夢を語り、「ぼくらのこの町って、ほんとうにいやな町だね!」と言った。父は、引っ越しの話で、息子の暗い考えをまぎらわすことができたことをうれしく思った。

 

 1日目

 学校から帰ると、また暗い顔をしている。引っ越しの話をしようとしても、乗ってこない。そして、堰を切ったように泣き出して、「パパ、パパ」「イリューシャ、イリューシャ」と親子で抱き合ったまま、涙を流した。【⇒第4編:錯乱7 きれいな空気のなかでも】

 

 2日目11時45分

 イリューシャ相手に、六人がかりで石を投げつけようとする少年たちを、アリョーシャが止めに入る。その際に、イリューシャは、アリョーシャの肩に石を命中させている。イリューシャは「あかすり」とからかわれており、アリョーシャを敵視している。「ぼくはきみをからかう気なんてありませんから。さようなら!」とアリョーシャが背を向けると、背中に石を投げつける。「きみ、恥ずかしくないの?」と問われると、アリョーシャの顔に石を狂ったように投げつけ、飛びかかって、左手の中指を骨が見えるほど強く噛んだ。アリョーシャが静かに「もう気が済んだでしょう? それじゃあ教えてください、ぼくがきみに何をしたか」と問うと、返事をするかわりに、とつぜん大きな声で泣き出して、走り去っていった。【⇒第4編:錯乱3 小学生たちと知り合った】

 

 2日目12時半

 アリョーシャが家を訪れたとき、見るからに具合の悪そうな様子で横になっていた。ぶつけられた石で胸にあざができ、とうとう寝込んでしまったのだった。「その人はね、パパ、ぼくのことを言いつけにきたんだよ!」と叫び、「ここはぼくの家だからね、手出しはできないよ」と言わんばかりの表情で、アリョーシャをにらんでいた。父が家族紹介を始めると、「パパ、パパ! そいつなんかほっときなよ!」と、父親をにらみながら叫んだ。【⇒第4編:錯乱6 小屋での錯乱】

 

 事件後

 肺病で苦しそうにしており、一週間ももたないと言われている。クラスの十人くらいが、毎日イリューシャのところへ通っている。【⇒第10編:少年たち3:生徒たち】

 

 公判前日

 ジューチカとの再会

 心の中で、ただひとりの友人であり庇護者であるコーリャに飛びかかったことは、最も苦い思い出となっている。アリョーシャにかみついた日以来、ほぼ一か月、ベッドに寝ている。思いがけずコーリャが訪ねて来てくれたが、互いにうまく言葉が出てこない。コーリャが「ジューチカを覚えてるかい?」とだしぬけにたずねたので、イリューシャはぎくりとした。「いったいどこにいるの……ジューチカは?」と聞くと、コーリャは「うひょう! きみのジューチカ、どこかに消えちまったじゃないか!」「あんなごちそうにありついたあとだもん」と情け容赦なくからかい、そのかわりにペレズヴォンがいると言う。イリューシャが「だめ、だ、よ」と言うと、「いや、だめじゃない、ぜひ、見てごらん、気が晴れるから」と言って、スムーロフにドアを開けさせると、ペレズヴォンが飛び込んできて、ちんちんを披露した。イリューシャはぎくりとして、「これは、ジューチカだ!」と、苦しみと喜びのあまり、潰れたような声を出した。たしかに「片目がつぶれていて、左耳が裂けている」というジューチカの特徴どおりだった。コーリャは、ジューチカをすぐに探し出したことを明かし、実際にはパンを呑み込まなかったのだろうと説明した。イリューシャは、あんぐりと口を開け、血の気をなくした顔で、コーリャを見つめていた。その後、コーリャがペレズヴォンにさまざまな芸当をさせて、「こいつが、ものすごく立派になったところを見せてやりたかったんです!」と無邪気に叫ぶ。イリューシャが「ペレズヴォン! ペレズヴォン!」と手招きすると、矢のようにイリューシャのところへ飛んできて、頬をなめ始めた。イリューシャは、ペレズヴォンにひしと体を寄せ、ふさふさした毛のなかない顔をうずめた。さらに、コーリャが大砲のおもちゃを取り出すと、イリューシャはそれをうっとりした目で眺めていた。母親がどうしてもその大砲をほしがるので、「ママ、ママにあげるよ、だからほら、もっといで!」と叫んだ。母は感極まって泣き出した。その後、コーリャが「ガチョウ事件」の話をするのを、顔を輝かせて聞いている。医者が来たので、「ぼくは行かないさ、行かないからね」と言い残して、コーリャは家の外に出た。【⇒第10編:少年たち5:イリューシャのベッドで】

 

 イリューシャ:「でも、パパ、ぼくを、ぼくのことを、ぜったいにわすれないでね」

 医者が帰ったあと、再び部屋にもどってきた父とコーリャを、あらんかぎりの力で抱き合わせた。そして、全身を震わせて泣く父に、「パパ、パパ! ぼく、パパがほんとうにかわいそう!」と苦しそうに言った。父が、医者は必ず治ると言ってたよと元気づけようとするが、「ぼくね、新しいお医者さんがぼくのこと何て言ってたか、知ってるんだもの」と言って「パパ、泣かないでよ……ぼくが死んだら、別のよい子をもらってあげて……あの子たちのなかから、自分でよい子を選んで、自分でイリューシャと名付けて、ぼくのかわりにかわいがってあげてね」「でも、パパ、ぼくを、ぼくのこと、ぜったいにわすれないでね」「あの大きな石のそばにぼくを埋めてね。夕方になったらクラソートキン(コーリャ)とあそこにお参りにくるんだよ」と言う。三人とも抱き合ったまま何も言わなかった。【⇒第10編:少年たち7:イリューシャ】

 

 アリョーシャ:「イリューシャのように寛大で、勇敢な人になりましょう」

 判決の二日後に世を去った。「パパが泣くだろうから、パパといっしょにいてあげてね」と言い残した。死後三日たっても、死臭が漂うことはなかった。葬儀のあと、アリョーシャは、イリューシャの石の前で、「イリューシャのように寛大で、勇敢な人になりましょう、コーリャ君のように賢く、大胆で、心の広い人間になりましょう。そして、カルタショフ君のように、羞恥心にとんだ、でも賢い、いとしい人間になりましょう」と言った。イリューシャのことを永遠に忘れないことを誓い合って、物語は幕を閉じた。【エピローグ:3イリューシャの葬儀。石のそばの挨拶】

 

 

 

~イリンスキー~

 

・イリンスキー…一応、神父。フョードルの知り合い。内気で愛想のいい小男。まだ年老いておらず用心深い。ゴルストキン(リャガーヴィ・猟犬というあだ名)がチェルマシニャーに到着したことを、フョードルに伝えた。【⇒第5編:プロとコントラ7 賢い人とはちょっと話すだけでも面白い】

 ドミートリーが訪ねたとき、隣村にでかけていて留守だった。ドミートリーが、なんとか自分を救ってほしいと言うので、なにやら好奇心を覚えて、道案内した。神父は、注意深く話を聞いていたが、助言をほとんどせず、言葉を濁した。相続争いについてドミートリーが話し出すと、フョードルと持ちつ持たれつの関係にある神父は、すっかり震え上がった。サムソーノフが、「ゴルストキン」ではなく「リャガーヴィ」という呼び方(この呼び方をするとゴルストキンは怒る)を教えたのは、「何か理由があってドミートリーを笑いものにするためにやったことではないか」と、すぐに察した(が、黙っていた)。小屋で泥酔しているリャガーヴィを起こそうとして、ひどい悪態をつかれているドミートリーに、起きるまで待った方がよいと伝えたが、聞き入れないので黙った。ここに泊まるというドミートリーを置いて、馬で自宅へ帰りつつ、やっとひとりになれたと喜ぶ一方、恩人フョードルにこの件を伝えるべきかと思案した。【⇒第8編:ミーチャ2 猟犬】