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2022年度 京都大学(理系国語)大問一 問三

 

  ショボーンそうは言っても、途中で終わるのは……やっぱり、続きも書いてみます。

 

爆  笑解説爆  笑

 

全体像をまとめたよ!

 

対比が大事だった

・「とらわれのない目で伝統を直視する」ことの具体例として、龍安寺の石庭のエピソードが挙げられています。この具体例は、「古い伝統(紫)」と「とらわれのない目(オレンジ)」の対比を意識して読みましょう。

・「権威やものものしい伝統的価値(紫)」を奉じる立場から、龍安寺の石庭を見ると、「シンとはりつめた凝固した名園の空気」が感じられます。一方、「単純素朴な価値判断(オレンジ)」に基づいて、龍安寺の石庭を見ると、「イシだ」「タカい」という感想になります。

・筆者も、最初にこの石庭を見たときは、「芸術のきびしさ」が見られず、「ヘンに観念的なポーズが鼻についた」のですが、「まちちがった伝統意識」をくつがえそうとして、「古典」や「中世の庭園」に親しんでいるうちに、「神妙に石を凝視しすぎるくせ」がついてしまったことを反省して、「アブナイ」と言っています。つまり、いつの間にか、オレンジからへと染まっていたのです。答案には、このあたりの内容を書いていくのですが、どの抽象度で書くのかを判断する必要があります。

・「用心していながら、敵の手にのりかかっていた」とは、日本の伝統意識にとらわれないように用心していたが、いつのまにか伝統意識にとらわれかけていたことに、気づかされたということです。端的に言えば、「ミイラ取りがミイラになる」ことです。

・「裸の王様」という比喩は、権威やものものしい価値をまとっている伝統が、本質的な芸術の力を持たないことを表しています。また、「子どもの透明な目」という比喩は、「とらわれのない目」を表しています。「目」もまた、「ものの見方」の比喩です。このように、比喩的な表現を意識的に置き換えていくことが必要です。

・「あれ(=子どもの透明な目)をうしなったら大変(=オレンジでなくなったら大変)」は、「どうもアブナイ(=になったらアブナイ)」を別の視点から言い換えたものです。

・なぜ「大変」なのかと言うと、「とらわれのない目」を失ってしまうと、「権威やものものしい伝統的価値」を打破する「再発見」が不可能になるからです。

・この「再発見」は、新たな伝統を創造するきっかけとなる重要なものです。「とらわれのない目で伝統を直視」して、古い伝統のヴェールを取り払うことで、新たな伝統の創造は始まるのです。

「とらわれのない目で伝統を直視する」→「即物的な発見」による「権威ものものしい伝統的価値」の打破→「近代という空前の人間文化の伝統がはじまる」という筆者の念頭にあるのは、科学の時代である近代が、宗教的権威の打破によって始まったことです。筆者の言う「人間文化」は、「精神文化」ではなく「物質文明」の側に属するものです。「即物的」とは、物に即するという意味で、科学が観察から始まったことを表しています。

・坂口安吾は、「美というものは物に(そくしたもの、物そのものであり、生きぬく人間の生きゆく先々に支えとなるもので、よく見える目というものによって見えるものではない。美は悲しいものだ。孤独なものだ。無残なものだ。不幸なものだ。人間がそういうものなのだから。」と言っています。

・この文章が書かれた当時は、戦前の行き過ぎた精神論を、科学の物質性によって洗い流そうとする動きが、各方面に起きていました。このような流れが行き過ぎて、科学万能主義に至り、七十年代のはじめに、環境問題が大きな社会問題となったことをきっかけに、今度は、「文明批判」の文章が主流となります。そして、論壇の中心人物たちが年を重ねていくに従って、伝統文化を懐古する文章が多く書かれるようになりました。

 

記述の「組み立て」について

・答案の書き方には、さまざまなアプローチが考えられます。①~④のように、書き方の幅を広げていきながら、相対的に良いものとして、★のような組み立てにたどりつけます

  ①《直接的な理由》だけを書く…「Aしてしまっていたから」

   →ミイラになっていたから。

  ②【否定】と《直接的な理由》を書く…「BではなくAしていたから」

   →素朴な目ではなく、ミイラになっていたから。

  ③《直接的な理由》と《目的》を書く…「AしてしまっておりCできなくなるところだったから」

   →ミイラになっており、ミイラを取れなくなるところだったから。

  ③《目的》と《直接的な理由》を書く…「Cしようとしていたら、Aしてしまっていたから」

   →ミイラを取ろうとしていたら、ミイラになっていたから。

  ④《原因》と《直接的な理由》を書く…「DすることでAしていたから」

   古典や中世の庭園に親しむことで、ミイラになっていたから。

  ★Cするために、Dしていたつもりが、Bをなくして、Aになっていたから

 

すべて相対的に決まる

・答案にどのポイントを入れるのかは、解答欄の大きさとの関係で、相対的に決まります。もし、解答欄が一行なら、①の書き方しかできませせん。今回は、三行分の解答欄があるので、さすがにポイント一つで書かないだろう……二つでも物足りない……というように、求められている加点要素を推測していくことになります。「これ以上書くと、一つ一つのポイントが言葉足らずになるから、欲張らずにこのあたりにしておこう」「いや、少し守りに入りすぎているか、もう一つ入れておこうか」というような「判断」を各自が行います。国語の正解とは、そのような「判断の一致点」です

・相対的であると言うのは、書き方のルールが存在しないからです。今回は、①~④のポイントで書きましたが、三行の答案が、いつでもこの組み立てで書けるわけではありません。本文に書かれている内容次第で、含められる「要素」が変わってきます。ただ、自分の答案を、どのような要素【否定】《理由》(内容)で組み立てているのかは、意識できるようにしましょう

・料理を器に盛るのと同じです。入試なので、できるだけ大盛りにしたい。しかし、こぼれるほどには盛れない。そこに「さじ加減」であるように、答案に込めるポイントの量も「さじ加減」なのです。そこに答案を作るときの、スリリングな楽しみがあります。よく起きるのは、ある部分をわかりやすくしようと固執しすぎて、他のポイントが入らなくなることです。深追いできたことで、自分では満足してしまうので、なかなか他のポイントの可能性に気づけなくなりがちです。

・たとえば、私自身の場合、「間違った伝統意識」というあいまいな表現を「権威によって価値を保とうとする伝統意識」のように、直そうとしましたのですが、そこで字数を使いすぎるのは得策ではないと判断し、「よりかかった」という、多少、比喩的なところのあるグレーな表現で、お茶を濁しました。

・「透明な目」のような、中心部分での比喩的な表現は、確実に減点されるので、何があっても避けましょう。中心とは、各ポイントの中心のことです。「AのようなB」というときのBの部分のことです。

・自分の答案を客観視するために、ABCDといった形で、あらかじめ答案の組み立てを考えたり、自分の答案がどんな組み立てになっているのかを、骨組みを取り出しつつ見直したりします。

【否定】部分を優先して書くのは、「対比」が重要な要素となっている場合だけです。「ミイラにならないのではなく、ミイラになっていたから」のように書いたところで、同じ内容が重複するだけなので、加点にはなりません。

・「アブナイのはなぜか」ではなく、「アブナイと筆者が言うのはなぜか」となっている場合、線部の「内容」だけでなく、「表現」についても、わかりやすくせよという指示であると、とらえるのが一般的です。「アブナイ」とカタカナで表記されていることで、そこに「危険である」という事実だけでなく、「アブネー」「ヤベー」というような心情も含まれていると解釈できます。

 

  

 

爆  笑爆  笑採点基準爆  笑爆  笑 

 

《理由1》古い価値観に染まる

《理由2》古い価値観をこわす

(内容1)古典や中世庭園に触れる

【否定】純粋な価値判断

+α 

 

  

 

模範解答の比較

 

・どの予備校も、表現の巧拙はあれど、同じポイントを入れて、答案を書いていることがわかります。このように、だれが解いても判断基準が自然と似てくる問題を、平易な問題と言います。この問題で取れなかった場合、「読解(インプット)」ではなく、「記述(アウトプット)」ができなかったということです。

 

  

 

爆  笑爆  笑爆  笑解答例爆  笑爆  笑爆  笑

権威によりかかった伝統意識をくつがえそうとして、伝統的な作品に触れていたつもりが、伝統的な価値観に染まり、単純素朴な価値判断を失っていたことに気づいたから。

 

  

 

おわりに

 

爆  笑今回は、記述の書き方についても、触れてみました。どうだったでしょうか?

えーんよかったら、他の記事も見て行ってください!