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2021年度 甲陽学院(2日目)
大問1:森田真生『数学の贈り物』
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筆者は、ミシマ社のオフィスで原稿用紙と向き合っているようです。缶詰にされてしまったのでしょうか。プロの文筆家は大変ですね。この文章は、まさに「書くことについて」書いているので、実感がこもった内容になっています。
――あらためて、何かを生み出すことの難しさを思う。白紙からはじめて、一日の自分に成し遂げられることの小ささを思う。
本当にその通りだと同意しつつも、文筆家が書くことについて書いてしまったのは、ネタが尽きたのだろうかと余計な心配をしてしまいます。
この文章は、込められたメッセージが、内省的な語り口によって、他人へと向かう棘とならず、同時にまた、冒頭に描かれた夏の景色によって、内省が暗いものとなっていません。何より、読者を巻き込まずに、ただ自分の喜びや発見を語っているのがいいです。変な目的や意図をまとわりつかせないだけの「文章の力」がある、すばらしいエッセイでした。
筆者は数学者ではなく、「数学」を引用しながら、哲学分野へとアプローチする人です。脳科学で言うなら、池谷裕二ではなく茂木健一郎に近い立ち位置の人なので、学者として見るなら、あやしさもあります。ただ、自分が一流の数学者になれないと知っているからこそ、自分の好きなことを自分の能力の届く範囲で模索しようとしている点で、ひとりの哲学者であると言えます。あとは、この葛藤をどこまでズルなしで生き続ける覚悟があるかです。変な色気を出してしまうと、すぐに単なる講演屋・新書屋になってしまうので、なかなか難しい立ち位置ですが、がんばってほしいものです。
甲陽は、1日目の入試では人と出会わせてくれました。2日目の入試では文章と出会わせてくれました。この著者が国語の先生なら、きっとよい先生だっただろうなと思いました。
問一 「判然」「道程」などが難しめ。
※「難解な証明をアンショウしたとき」というのは、どういうことかが、わかりにくい。
問二 C→D→A→Bの順で埋めると合う。
問三 2つ後の段落をまとめる。
問四 1 指示語の問題だと考える。 2 「~する」だけだと短すぎるので、「~して~する」くらいの感じで書けば安心。
問五 オが切ない……。
問六 受験生も、この問題に対して、筆者の言う通り、「ぐっとこらえて、ただ自分の身一つで、白紙と辛抱強く向き合う」ということをやってくほしい。この問題は、書くことについて書かれたエッセイに書かれている書くこととは何かについて書くことなので、自分を重ね合わせることができる。
大問2:阿部暁子『パラ・スター』
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本当はやりたい子なら、やりたくないと叫べる。あたしだってやれるならやりたいけど、どうしていいかわからないの!
本当はやりたくない子は、その場ではやると言って、時間をかけて、やらないことを受け入れていく。
こんな光景を何度も見て来ました。親子の表情を、こうして見比べることも日常でした。二十代のころは、母親というものは、なんとわからず屋なのかと腹が立ったものです。母親の「聞いて!」という思いを受け入れられるようになったのは、ようやく三十代も半ばになってからだったように思います。この物語のように、子どもの味方でいたいと思うことが、かえって二項対立を生んでしまったことに、なかなか気づけなかったのです。そんな苦い経験を思い出させてくれます。
この物語の母親は、娘の決然とした表情を見て、茫然としていますが、母親もまた、娘の決然とした様子を見て、決然としてしまうことも多いものです。「いいんです、お金はいくらかかっても」というセリフだけは、さすがに聞かなかったです。それ以外はリアルです。あっちに進んでもらっては困る、こっちに進むといやなことしか待ってない、互いの思いが交錯するが、互いにどうすることもできないとき、言葉に過剰な力が期待され、こんな場面が立ち上がるのです。
受験をめぐる親子喧嘩は、大人が、そんな小さな一歩も踏み出せないのかと非難し、子どもはあんたが部屋の前にいるから、出られないんじゃないかと腹を立てるという、滑稽な争いでした。もちろん、いなくても出てこないんですけどね。そんなときに、子どものことを考えたなら、無理にでも引っ張り出した方がいいのか?
昭和はイエスだったから、先生は熱血でした。平成はイエスとノーの過渡期でした。だから、クレーマーの時代でもありました。「ウチの子になんてことをするんですか!」とも、「ウチの子を見捨てるんですか!」とも、どちらとも言えたのです。方針も自信を持たない弱い親は、うまくいくまで、文句を言い続けることができたのです。令和はノーの時代です。おかげで先生は楽になりました。それと同時に、目の前に先生がいるということの価値も、ずいぶん下がったのではないかと思います。時代の空気は、個人の価値観の集積です。クレームを言ってまで、どうにかしたいと思ったり、どうにかしてくれるはずだと藁にすがったりするほど、「価値」を置かない人が増えたのです。
そんな空気の中で、叫ばれるのは価値観の多様性。お互いに、自分の価値観について了解し合いつつ、それを絶対視せず、互いに影響を受け合いながら、互いに価値の枠組みを広げていくのが、令和流です。
先生が神様だった昭和、客が神様だった平成。両者を止揚した、ノーから始まる対話の時代になってほしいものです。
――もう君もわかったと思うけど、大人はそこまで察しのいい生き物じゃない。むしろ余計なことを考える分だけ、時として自分の思いこみを君の気持だと錯覚してしまうこともある。君の気持は、君が守るんだ。
とても重い言葉です。心から子どもに謝ったことのある大人は、その経験を糧にして、こんなことを言うようになります。私にも同じような経験がありました。こんなことをただ言うだけの人の言葉とは、重みが違うのですよ。こういう作品が塾の教材に入ることで、だれかの救いになるのではないかと思います。
問1 わかる。
問2 なるよ。
問3 選べる。
問4 わかる。
問5 わかれ。
問6 わかろう。