ビクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』読書メモ55

 

ビクトル・ユーゴー Victor Hugo 豊島与志雄訳 レ・ミゼラブル LES MISERABLES 第五部 ジャン・ヴァルジャン (aozora.gr.jp)

 

第九編 極度の闇、極度の曙

 

一 不幸者をあわれみ幸福者を恕すべし

 マリウスは、ジャン・ヴァルジャンを排除しようとしていた。コゼットも、ジャン・ヴァルジャンのことを忘れつつあった。

 

――幸福であるのは恐るべきことである。いかに人はそれに満足し、いかにそれをもって足れりとしていることか! 人生の誤れる目的たる幸福を所有して、真の目的たる義務を、いかに人は忘れていることか!

――今は、しだいにジャン・ヴァルジャンを家から遠ざけ、できるだけ彼をコゼットの頭から消してしまおうと、ただそれだけをはかっていた。

――彼女は忘れやすいというよりもむしろうっかりしていた。心の底では、長く父と呼んできたその男をごく愛していた。しかし夫おっとの方をなおいっそう愛していた。そのために彼女の心は、多少平衡を失って一方に傾いたのである。

――自然は「前方を見て」いる。自然は生きてるものを、来る者と去る者とに分かっている。去る者は闇の方へ向き、来る者は光明の方へ向いている。ここにおいて乖離が生じてきて、老いたる者にとっては宿命的なものとなり、若い者にとっては無意識的なものとなる。その乖離は初めは感じ難いほどであるが、木の枝が分かれるようにしだいに大きくなる。小枝はなお幹についたまま遠ざかってゆく。それは小枝の罪ではない。青春は喜びのある所へ、にぎわいの方へ、強い光の方へ、愛の方へ、進んでゆく。老衰は終焉の方へ進んでゆく。両者は互いに姿を見失いはしないが、もはや抱擁はしなくなる。若き者は人生の冷ややかさを感じ、老いたる者は墳墓の冷ややかさを感ずる。そのあわれなる子供らをとがめてはいけない。

 

二 油尽きたるランプの最後のひらめき

 ある日、ジャン・ヴァルジャンは、街路の標石の上に腰をおろしていた。ガヴローシュがやって来たときに座っていた石である。翌日以降、ジャン・ヴァルジャンは、寝床から出てこなくなった。

――上のお爺さんは、もう起きもしなければ、食べもしないんだよ。長くはもつまい。何かひどく心配なことがあるらしい。私の推察じゃ、きっと娘が悪い所へかたづいたんだよ。

――どこと言って悪い所もないが、全体がよくない。見たところどうも大事な人でも失ったように思われる。そんなことで死ぬ場合もあるものだ。

 

三 今は一本のペンも重し

 ジャン・ヴァルジャンは、ひどく弱っていた。コゼットの衣装を取り出し、二つの燭台を立てた。そして、コゼットに向けて震える手で、手紙を書いた。自分が発明した飾り玉の作り方を記そうとしたが、数行書いて、絶望のあまりすすり泣いて、沈み込んだ。その時、扉をたたく者があった。

 

――彼は鏡の中に自分の顔をのぞいたが、自分とは思えないほどだった。八十歳にもなるかと思われた。マリユスの結婚前には、ようやく五十歳になるかならないくらいに思えたが、この一年の間に三十ほども年を取ってしまっていた。

――私はもう彼女に会うこともあるまい。それは一つのほほえみだったが、もう私の上を通りすぎてしまった。彼女を再び見ることもなく、私はこのまま闇夜のうちにはいってゆくのか。おお、一分でも、一秒でも、あの声をきき、あの長衣にさわり、あの顔を、あの天使のような顔をながめ、そして死ねたら! 死ぬのは何でもない。ただ恐ろしいのは、彼女に会わないで死ぬことだ。彼女はほほえんでくれるだろう、私に言葉をかけてくれるだろう。そうしたとてだれかに災いをおよぼすだろうか。いやいや、もう済んでしまった、永久に。私はこのとおりただひとりである。ああ、私はもう彼女に会えないだろう。