ビクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』読書メモ㊸

 

ビクトル・ユーゴー Victor Hugo 豊島与志雄訳 レ・ミゼラブル LES MISERABLES 第五部 ジャン・ヴァルジャン (aozora.gr.jp)

 

第五部 ジャン・ヴァルジャン

第一編 市街戦

一 サン・タントアーヌとタンプルとの両バリケード

 1848年6月の二つのバリケードについて。サン・タントアーヌのバリケードをクールネが築き、バルテルミーがタンプルのバリケードを築いた。バルテルミーはロンドンに亡命し、クールネを殺した。バルテルミーは死刑に処せられた。バルテルミーは黒い旗しか掲げなかった。

 

二 深淵中の階段

 1832年6月のシャンヴルリー街。アンジョルラスは2時間の仮眠を勧めた。3人の女は姿を消した。1832年6月7日午前2時。残り37人。

 

――フイイーはその二時間のすきを利用して、居酒屋と向かい合った壁の上に次のような銘を刻み込んだ。

 民衆万歳!

 その四文字は、素石の中に釘くぎで彫りつけたものであって、一八四八年にもなお壁の上に明らかに残っていた。

――コンブフェールは学生や労働者らに取り巻かれて、ジャン・プルーヴェールやバオレルやマブーフやまたル・カブュクのことまで、すべて死んだ人々のことを話し、またアンジョーラの厳粛な悲哀のことを語っていた。

 

三 光明と陰影

 アンジョルラスは偵察に出かけた。暴徒は希望に満ちていた。前夜の襲撃撃退、朝になれば一個中隊が裏切り、正午にはパリ全市が立ち上がり、日没には革命となると考えていた。しかし、アンジョルラスが再び現れ、絶望的な見通しを伝える。勇敢な無名の男が、最後のひとりまで抵抗する決意を述べた。

 

――人民の方は、昨日は沸き立っていたが、今朝は静まり返っている。今はもう待つべきものも希望すべきものもない。郭外も連隊も共にだめだ。われわれは孤立だ。

 

――群集の最も薄暗い奥の方から、一つの声がアンジョーラに叫んだ。

「よろしい。防寨を二丈の高さにして皆で死守しよう。諸君、死屍となっても抵抗しようではないか。人民は共和党を見捨てるとしても、共和党は人民を見捨てないことを、示してやろうではないか。」

 その言葉は、すべての者の頭から個人的な心痛の暗雲を払い去った。そして熱誠な拍手をもって迎えられた。

 右の言葉を発した男の名前は永久に知られなかった。それはある労働服を着た無名の男であり、見知らぬ男であり、忘れられた男であり、過ぎ去ってゆく英雄であった。かかる無名の偉人は、常に人類の危機と社会の開闢とに交じっていて、一定の時機におよんで断乎として決定的な一言を発し、電光のひらめきのうちに一瞬間民衆と神とを代表した後、またたちまち暗黒のうちに消えうせるものである。

 

四 五人を減じてひとりを加う

 アンジョルラスは、30人いれば十分だと言う。そして、家族のある者は帰れと言って、4人分の軍服を敷石に置いた。コンブフェールが雄弁に説得する。ユーゴーは、コンブフェールの言葉を、「最も荘厳なる瞬間における人の心の不思議な矛盾さよ!」と評した。彼自身が母親のことを忘れていたのだった。マリウスは、二人の意見に同意した。五人の男が前に出たが軍服は四着しかない。五人の男は、「居残る者をあなたが指定して下さい。」とマリウスに頼んだ。「選んで下さい。私どもはあなたの命令に従う。」。そこへ、国民服を着たジャン・ヴァルジャンがバリケードに入って来た。そして、事情を理解して、自分の来ていた軍服を脱いで、差し出した。

 

――その自滅は範囲をせばめて、決して他人におよぼしてはいけない。もしそれを近親の者にまでおよぼす時には、自滅ではなくて殺害となる。金髪の子供らのことを考えてみ、白髪の老人らのことを考えてみるがいい。聞きたまえ、今アンジョーラが僕に話したことを。シーニュ街の角に、光のさす窓が一つ見えていた、六階の粗末な窓に蝋燭の光がさしていた、その窓ガラスには、一晩中眠りもしないで待ってるらしい年取った女の頭が、ゆらゆらと映っていた。たぶん君らのうちのだれかの母親だろう。でそういう者は、立ち去るがいい。急いで行って、母親に言うがいい、お母さんただ今帰りましたと。安心したまえ、ここはあとに残った者だけで充分だ。

 

――家族のある者はわれわれの言に従い、われわれと握手して立ち去り、われわれをここに残して自由に働かしてくれてはどうか。むろん立ち去るには勇気が必要である。それは困難なことだ。しかし困難が大なるほど、価値はますます大である。諸君は言う、俺は銃を持っている、俺は防寨にきている、どうでも俺は去らないと。どうでもと、そう口で言うのはたやすい。しかし諸君、明日というものがある。その明日には、諸君はもう生きていないだろうが、諸君の家族はまだ残っているだろう。そしていかに多くの苦しみがやってくるか! 

 

――ジャン・ヴァルジャンもまたそれを見それを聞き、それから黙って自分の上衣をぬいで、それを他の軍服の上に投げやった。

 人々の感動は名状すべからざるものだった。

「あの男はだれだ?」とボシュエは尋ねた。

「他人を救いにきた男だ。」とコンブフェールは答えた。

 マリユスは荘重な声で付け加えた。

「僕はあの人を知っている。」

 その一言で一同は満足した。

 

五 防塞の上より見たる地平線

 アンジョルラスの演説。

――僕の言を聞け、フイイー、君は勇敢な労働者、民衆の友、諸民衆の友だ。僕は君を尊敬する。君は明らかに未来を洞見した、君のなすところは正しい。君は、フイイー、父もなく母も持たなかった、そして、仁義を母とし権利を父とした。君はここに死なんとしている、すなわち勝利を得んとしてるのだ。

――兄弟よ、ここで死ぬ者は未来の光明のうちに死ぬのである。

 

六 粗野なるマリウス、簡明なるジャヴェル

 フォーシュルヴァン氏は、マリウスに声をかけなかった。アンジョルラスは、ジャヴェールに声をかけた。そして、ジャヴェールは、部屋の入口に立つジャン・ヴァルジャンの姿を見た。ジャヴェルは別に驚きもしなかった。ただ傲然と目を伏せて、自ら一言言った。「ありそうなことだ。」

 

――「何か望みはないか。」と彼にアンジョーラは尋ねた。

 ジャヴェルは答えた。

「いつ俺を殺すのか。」

「待っておれ。今は弾薬の余分がないんだ。」

「では水をくれ。」とジャヴェルは言った。

 アンジョーラは一杯の水を持ってき、彼がすっかり縛られてるので自らそれを飲ましてやった。

「それだけか。」とアンジョーラは言った。

「この柱では楽でない。」とジャヴェルは答えた。「このまま一夜を明かさせたのは薄情だ。どう縛られてもかまわんが、あの男のようにテーブルの上に寝かしてくれ。」