ビクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』読書メモ㉙

 

ビクトル・ユーゴー Victor Hugo 豊島与志雄訳 レ・ミゼラブル LES MISERABLES 第四部 叙情詩と叙事詩 プリューメ街の恋歌とサン・ドゥニ街の戦歌 (aozora.gr.jp)

 

 

第三編 プリューメ街の家

 

一 秘密の家

 サン・ジェルマン郭外のプリューメ街に、十八世紀に法院長が建てた妾宅があった。ジャン・ヴァルジャンはここに住み、ユルティーム・フォーシュルヴァンを名乗っていた(ほかにも二つの居室を持っていた)。五年間過ごしたプティー・ピクピュス修道院を去ったのは、コゼットの人生を奪うことになると思ったからだった。

――彼は自ら尋ねた、それらの幸福は果たして自分のものであるか、それは他人の幸福ででき上がってるものではあるまいか、老いたる自分が没収し奪い取ったこの娘の幸福からでき上がってるものではあるまいか、それは窃盗ではあるまいか。彼は自ら言った、この娘は人生を見捨てる前に人生を知る権利を持ってるではないか、あらゆる辛苦から彼女を救うという口実の下に言わば彼女に相談もしないで前もってすべての快楽を奪い去ること、彼女の無知と孤独とを利用して人為的の信仰を植えつけること、それは一個の人間の天性を矯ためることであり、神に嘘うそをつくことではないか。

 

・フォーシュルヴァン老人…ジャン・ヴァルジャンが修道院に来た五年後に亡くなる。これを機会にジャン・ヴァルジャンは修道院を去る。

・トゥーサン…一八三二年のジャン・ヴァルジャン邸の女中。老年で田舎者でどもり。ジャン・ヴァルジャンに救われた。

 

二 国民兵たるジャン・ヴァルジャン

 コゼットは母屋に、ジャン・ヴァルジャンは中庭の門番小屋に住んでいた。一八三一年の徴兵検査により、修道院から出て来たジャン・ヴァルジャンは、市役所から立派な男と認められ、警備の任についていた。年に三、四回、国民兵として軍服を身につけ、警備の任に当たった。

 

三 自然の個体と合体

 庭についてのユーゴー氏の詩的な講義。

 

四 鉄門の変化

 コゼット(十四歳)の成長と、ユーゴーの古風な母親論。ジャン・ヴァルジャンは、軽々しくファンティーヌの名前を口に出せなくなっていた。

――「お父様、どうしてあなたはそんないやなパンをお食べなさるの。」

「ただ食べていたいからだよ。」

「ではあなたがお食べなさるなら、私もそれを食べますわ。」

 すると、コゼットが黒パンを食べないようにと、ジャン・ヴァルジャンも白いパンを食した。

――コゼットは彼とともに外に出かける時、いつも彼の腕によりかかって、誇らかに楽しく心満ち足っていた。かく彼一人に満足してる排他的な愛情の現われを見ては、彼も自分の考えが恍惚たる喜びのうちにとけてゆくのを感じた。あわれなるこの一老人は、天使のごとき喜悦の情に満ちあふれて身を震わし、これは生涯続くであろうと我を忘れて自ら断言し、かかる麗わしい幸福に価するほど自分はまだ十分に苦しまなかったと自ら言い、そして心の底で、みじめなる自分がこの潔白なる者からかくも愛せらるるのを許したもうたことを、神に向かって感謝した。

 

五 薔薇はみずから武器たることを知る

 コゼットは、自分の顔が美しくなっていることに気づいてしまった! 

――もはや疑う余地はなかった。彼女は庭におりてゆきながら、自ら女王であるような気がし、小鳥の歌うのを聞き、冬のこととて金色に輝いた空を見、樹木の間に太陽をながめ、叢の中に花をながめ、名状し難い喜びのうちに我を忘れて酔った。

――コゼットが自分を愛し続けてくれるように! この子供の心が自分のもとにやってきて長く留まっていることを、神は妨げたまわないように! 

――彼は自ら言った、「彼女あれはいかにも美しい。この私はどうなるであろう。」

 けだしそこに、彼の愛情と母親の愛情との差があった。彼が苦悶をもってながめていたところのものも、母親ならば喜びの情をもってながめたであろう。

――コゼットは自分の美しいことを知って、それを知らない時のような優美さを失った。自分の美を知らない優美さはまた特別なものである。なぜなら、無邪気のために光を添えらるる美は言葉にも尽し難いものであり、自ら知らずして天国の鍵を手にしながら歩を運ぶまばゆきばかりの無心ほど、世に景慕すべきものはない。しかし彼女は、素朴な優美さにおいて失ったところのものを、思いありげな本気な魅力において取り返した。彼女の一身は、青春と無垢と美との喜びに浸されながら、輝かしい憂愁の様を現わしていた。

 マリユスが六カ月の間を置いて再びリュクサンブールの園で彼女を見いだしたのは、ちょうどそういう時期においてであった。

 

六 戦のはじまり

 マリウスとコゼットの出会いを、コゼットの側から再び描いていく。

――世間から離れていたコゼットは、やはり世間から離れていたマリユスと同じく、今はただ点火されるのを待つばかりになっていた。

――互いに視線を交じえたために恋に陥ったということを、今日ではほとんど口にする者もない。しかし人が恋に陥るのは、皆それによってであり、またそれによってのみである。

――自分がきれいであることを知っていたので彼女は、漠然とではあったが自分に武器があることをよく感じていた。子供がナイフをもてあそぶように女は自分の美をもてあそぶ。そしてついには自ら傷つくものである。

――彼女は恋ということを知らずに恋しただけになおいっそうの情熱をもって恋した。それはいいものか悪いものか、有益なものか危険なものか、必要なものか致命的なものか、永遠なものか一時的なものか、許されたものか禁ぜられたものか、それを少しも知らなかった。そしてただ恋した。

――コゼットは、しだいに一人前の女となり、自分の美を知りながら自分の恋を知らずに、美と愛とのうちに生長していった。

 

七 悲しみは一つのみにとどまらず

 ジャン・ヴァルジャンはマリウスを嫌った。マリウスがコゼットに夢中なだけでなく、コゼットもまたマリウスに夢中であると気づいてしまう。マリウスがへまをして、ジャン・ヴァルジャンはお引っ越し。三か月後、再びリュクサンブール公園へ行くことを提案すると、コゼットは目を輝かせた。しかし、マリウスはいなかった。翌日、再びリュクサンブール公園に誘うと、コゼットは「いいえ。」と答えた。

――若い娘はいかなる罠にもかからぬが若い男はいかなる罠にも陥るのは、苦しみ悩む初心の頃の通則であり、最初の障害に対する初恋の激しい争いの通則である。ジャン・ヴァルジャンはマリユスに対してひそかに戦いを始めたが、マリユスはその情熱と若年との崇高な愚昧さでそれを少しも察しなかった。

――いったい彼は何をさがしにきているのか。一つの恋物語をではないか。何を求めているのか。ひとりの愛人をではないか。愛人!

――あれほどお互いのみを愛し合い、しかもあれほど切に愛し合っていたふたり、互いにあれほど長く頼り合って生きてきたふたりは、今やいずれも苦しみながら、互いに苦しみの種となりながら、互いにうち明けもせず怨みもせず、ほほえみ合っていたのである。

 

八 一連の囚徒

 ジャン・ヴァルジャンは苦しんだ。何とかしてコゼットの気を引こうとした。一八三一年十月、徒刑場へ連れていかれている七つの馬車を見る。大きな衝撃を受けた。数日後、コゼットは言った。「お父様、徒刑場とはどんな所でございますか?」

――おりおりジャン・ヴァルジャンはひどく心を苦しめて子供のようになることがあった。人の子供らしい半面を現わさせるのは、悲痛の特色である。彼はコゼットが自分から逃げ出そうとしているという感じを打ち消すことができなかった。彼はそれと争い、彼女を引き止め、何か花々しい外部的なことで彼女を心酔させようとした。そういう考えは、今言ったとおり子供らしいものであり、また同時に老人らしいものである。

――彼は一つの光景をながめてるのではなく、一つの幻影に見入ってるのだった。彼は立ち上がり、逃げ出し、身を脱しようとした。しかし足はすくんで動かなかった。時とすると、眼前に見える事物はかえってその人をとらえて動かさないことがある。