ビクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』読書メモ㉕

 

ビクトル・ユーゴー Victor Hugo 豊島与志雄訳 レ・ミゼラブル LES MISERABLES 第三部 マリユス (aozora.gr.jp)

 

 

第八編 邪悪なる貧民

 

十二 ルブラン氏の与えし五フランの用途

 ジョンドレッド氏(テナルディエ)は、ルブラン氏がジャン・ヴァルジャンであることに一目で気づいていた。そして、彼女がコゼットであることも。そして、何やら悪いことをたくらんでいる。

 ――確かだ。もう八年になるんだが、俺は見て取ったんだ。奴だと見て取った。一目でわかった。だが、お前にはわからなかったのか。

 ――「も一つおもしろいことを聞かしてやろうか。あの娘はな……。」

 ――向こうでも気がついたらもう来やしねえ。危うく取りもらす所だった。このひげのおかげで助かったんだ。このおかしなあごひげでな、このかわいいちょっとおもしろいあごひげでな。

 

 ――彼は女房の前掛けの中に、「慈善家」がくれた五フラン貨幣を投げ込んだ。

「火鉢に炭を?」女房は尋ねた。

「そうだ。」

「幾桝ばかり?」

「二桝もありゃあいい。」

「それだけなら三十スーばかりですむ。残りでごちそうでも買おうよ。」

「そんなことをしちゃいけねえ。」

「なぜさ?」

「大事な五フランをむだにしちゃいけねえ。」

「なぜだよ?」

「俺の方でまだ買うものがあるんだ。」

「何を?」

「ちょっとしたものだ。」

「どれくらいかかるんだよ。」

「どこか近くに金物屋があったね。」

「ムーフタール街にあるよ。」

「そうだ、町角の所に、わかってる。」

「でもその買い物にいくらかかるんだよ。」

「五十スーか……まあ三フランだ。」

「ではごちそうの代はあまり残らないね。」

「今日は食いものどころじゃねえ。もっと大事なことがあるんだ。」

「そう、それでいいよ、お前さん。」

 

十三  ひそかに語り合う者は悪人の類ならん

 1時半。マリウスは、「かかる悪人どもは踏みつぶさなければいけない。」と思い、警察へ向かう。途中、長髪の男(ブリュジョン)が、ひげの男(ドゥミ・リヤール)に、「パトロン・ミネットの力を借りれば、しくじることはねえ。」と言うのを聞いて、ジョンドレッドの恐ろしい計画に関係があると感じる。

 ――道すがら彼は天に感謝した。彼は考えた。今朝ジョンドレットの娘に五フランやっていなかったら、自分はルブラン氏の馬車について行って、その結果何にも知らなかったに違いない、そしてジョンドレット一家の者の待ち伏せを妨ぐるものもなく、ルブラン氏はそれで破滅になり、またおそらく娘もともに破滅の淵に陥ってしまったであろう。

 

十四 警官二個の拳骨を弁護士に与う

 2時半。ジャヴェール登場! すべてお見通しだった。「パトロン・ミネットが多少関係してるに違いない。」。ジャヴェールは、マリウスを正直な男と認め、小さなピストル二挺を渡し、事が始まったら、ピストルで合図するように言った。

 ――その男は獰猛さと恐ろしさとにおいてはあえてジョンドレットに劣りはしなかった。番犬も時とすると、狼に劣らず出会った者に不安を与えることがある。

 ――その男は平静でまた性急であって、人をこわがらせまた同時に安心させる点を持っていた。恐怖と信頼とを与えるのだった。

 ――髪の長い男はブリュジョンに違いない。髯のある方は、ドゥミ・リヤール一名ドゥー・ミリヤールに違いない。

 ――君はなかなか勇気のあるらしい正直者らしい口のきき方をする。勇気は罪悪を恐れず、正直は官憲を恐れずだ。

 ――ピストルを打つのは、空へでも、天井へでも、どこでもかまわん。ただ早くしすぎないことだ。いよいよ仕事が初まるまで待つんだ。君は弁護士と言ったね、それくらいのことはわかってるだろう。

 

十五 ジョンドレット買い物をなす

 3時。クールフェーラックがボシュエと連れ立って歩いている。ジョンドレッドのあとをつけているマリウスを見つけた。マリウス帰宅。

 ――なるほど君(ボシュエ)はすてきな獣だね。男の跡をつけてる男を、また追っかけて行こうというんだからな。

 

十六  一八三二年流行のイギリス調の小唄

 5時半。ジョンドレッドが帰って来た、隣室にだれもいないか確かめるように言う。マリウスは寝台の下に隠れた。すぐさま、エポニーヌが入って来た。鏡に向かってほほえみながら恋を歌う。そして、出て行った。

 

十七  マリユスが与えし五フランの用途

 隣室を覗くと、火鉢の中では、ジョンドレッドが買った鑿が焼けて真っ赤になっている。椅子を取りに、ジョンドレッドの女房が部屋に入って来たが、マリウスには気づかなかった。マリウスが引き金を上げるとき、鋭い音がした。「だれだ?」とジョンドレッドが叫んだが、壁板の音だということになった。「マリユスはピストルを手に握りしめた。」

 ――月は窓の四枚の板ガラスからさし込んで、炎の立ってるまっかな屋根部屋の中にほの白い光を送っていた。そして実行の刹那にもなお夢想家であるマリユスの詩的な精神には、それがあたかも地上の醜い幻に交じった天の思想の一片であるかのように思われた。

 

十八 向かい合える二個の椅子

 6時。ルブラン氏が現れた。

 ―― マリユスは一種不安な胸騒ぎを覚えたが、何らの恐怖をも感じなかった。彼はピストルの柄を握りしめて心を落ち着けた。