ビクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』読書メモ㉔

 

ビクトル・ユーゴー Victor Hugo 豊島与志雄訳 レ・ミゼラブル LES MISERABLES 第三部 マリユス (aozora.gr.jp)

 

 

第八編 邪悪なる貧民(続き)

 

六 巣窟中の蛮人

 ジョンドレッド氏(=テナルディエ)の部屋を描写する。ジョンドレッド氏とその妻、そして、エポニーヌの妹(アゼルマ)も描かれる。

 ――部屋の惨状を一段と加えるものは、それが広いことだった。

 ――マリユスがのぞいてる穴の隣のすみには、黒い木の枠にはいった色刷りの版画が壁にかかっていた。その下の端には「夢」と大字で書かれていた。それは眠ってる女と子供とを描いたもので、子供は女の膝の上に眠っていて、一羽の鷲がくちばしに王冠をくわえて雲の中を舞っており、女はなお眠ったまま子供の頭にその王冠のかぶさらないようにと払いのけていた。遠景には、栄光に包まれたナポレオンが、黄色い柱頭のついてる青い大きな円柱によりかかっていたが、その円柱には次の文字が刻まれていた、「マレンゴー、アウステルリッツ、イエナ、ワグラム、エロット。」

 

 ――死んだからって平等ということはねえんだ! ペール・ラシェーズの墓地を見てみろ。

 ――「ええ、世界中を食ってもやりてえ!」

 ――その男は長い半白のひげをはやしていた。女のシャツを着ていたが、そのために毛むくじゃらの胸と灰色の毛が逆立ってる裸の腕とが見えていた。そのシャツの下には、泥まみれのズボンが見え、また足指のはみ出た長靴も見えていた

 ――亭主と比ぶれば大女だった。白髪交じりの赤茶けたきたない金髪を持っていたが、爪の平たい艶つやのある大きな手でそれを時々かき上げていた。

 ――彼らには幼年時代も少女時代もない。十五歳でまだ十二歳くらいに見え、十六歳では既に二十歳くらいにも見える。今日は小娘で、明日ははや一人前の女である。あたかも一生を早く終えんがために年をまたぐかのようである。

 ――悲惨のうちにあると、寒気のうちにいるように、人は互いに身体を近寄らせるが、心は互いに遠ざかるものである。

 

七 戦略と戦術

 ジョンドレッド氏の部屋にエポニーヌが戻って来て、もうすぐ慈善家がやって来ると告げた。ジョンドレッド氏は、慈善家に哀れみを抱かせようと、暖炉の火を消し、娘に窓を割らせるなど、さまざまな細工をおこなう。妹(アゼルマ)は拳を怪我した。「さあこれで慈善家を迎えることができる。」

 ――凍るような風が窓ガラスに音を立てて、部屋の中に吹き込んできた。外の靄も室にはいってきて、目に見えない指でぼーっとほごされるほの白い綿のようにひろがっていった。

 ――「静かにしろ!」と男は答え返した。「俺は言論の自由を禁ずるんだ。」

 

八 陋屋の中の光

 ジョンドレッド氏がぼやいていたところに入って来たのは、マリウスが恋する「彼女」だった。後に続いてルブラン氏が入って来た。

 ――この屋根はべらぼうに寒いじゃねえか。もしこなかったらどうするんだ。これはまた何て待たせやがるんだ。こうも思ってるんだろう、『なあに待たしておけ、それがあたりまえだ!』本当にいまいましい奴らだ。締め殺してでもやったら、どんなにいい気持ちでおもしろくて溜飲が下がるかわからねえ。あの金持ちの奴らをよ、みんな残らずさ。どいつもこいつも慈悲深そうな顔をしやがって、体裁ばかりつくりやがって、ミサには行くし、坊主には物を送ったりおべっかを使ったりしやがる。そのくせ俺たちより上の者だと思い込んで、恥をかかせにやってきやがる。着物を施すなんて言いながら、四スーも出せばつりがこようっていうぼろを持ってくるし、それにまたパンとくるんだ。そんなもの俺は欲しくもねえ。皆わからず屋ばかりだ。俺が欲しいなあ金だ。

 ――マリユスは突然眼前にひろがった光耀たる霧を通して、ほとんど彼女の姿を見分けることができないくらいだった。がそれはまさしく、姿を隠したあのやさしい娘だった、六カ月の間彼に輝いていたあの星だった

 

九 泣かぬばかりのジョンドレット

 ジョンドレッド氏は、ルブラン氏から、「では六時にやってきます、そして六十フラン持ってきましょう。」という約束を引き出すことに成功した。

 

十 官営馬車賃――一時間二フラン

 マリウスは、すぐさま後を追いかけたかったが、先ほどエポニーヌに五フランを渡してしまったので、持ち合わせがなかった。ジョンドレッド氏は、バリエール・デ・ゴブラン街の寂しい壁のところで、人相の悪い男(パンショー)とこそこそと話していた。

 ――マリユスは茫然として馬車が行ってしまうのをながめた。持ち合わせが二十四スー足りなかったために、喜悦と幸福と愛とを失ってしまい、再び暗夜のうちに陥ってしまった。

 

十一 惨めなる者悲しめる者に力を貸す

 マリウスが落胆して部屋に戻ろうとすると、ジョンドレッドの姉娘(エポニーヌ)の姿を目にした。

 

 ――何かあなたは心配してるわ、よく見えてよ。あたしあなたに心配させたくないのよ。どうしたらいいの。あたしでは役に立たなくて? あたしを使って下さいな。

 ――「お前はあの人たちの住所を知ってるのかい。」

「いいえ。」

「それを僕のためにさがし出してくれよ。」

 娘の陰鬱な目つきはうれしそうになっていたが、そこで急に曇ってきた。

「あなたが思っていたことはそんなことなの。」と彼女は尋ねた。

「ああ。」

「あの人たちを知ってるの。」

「いいや。」

「では、」と彼女は早口に言った、「あの娘さんを知っていないのね、そしてこれから知り合いになりたいと言うのね。」

 あの人たちというのがあの娘さんと変わったことのうちには、何かしら意味ありげなまた苦々しいものがあった。

「とにかくお前にできるかね。」とマリユスは言った。

「あの美しいお嬢さんの居所を聞き出してくることね?」

 あの美しいお嬢さんというその言葉のうちには、なお一種の影があって、それがマリユスをいらいらさした。彼は言った。

「まあ何でもいいから、あの親と娘との住所だ。なにふたりの住所だけだよ。」

 娘はじっと彼を見つめた。

「それであたしに何をくれるの。」

「何でも望みどおりのものを。」

「あたしの望みどおりのものを?」

「ああ。」

「ではきっとさがし出してくるわ。」