ビクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』読書メモ⑤
ビクトル・ユーゴー Victor Hugo 豊島与志雄訳 レ・ミゼラブル LES MISERABLES 第一部 ファンティーヌ (aozora.gr.jp)
※ ―― …引用部分。
※ 緑文字 …映画と関連した描写。
第五編 下降
1818年になった。
一 黒飾玉の製法改良の話
テナルディエに子どもを預けたあとのファンティーヌの話。そして、マドレーヌさん(ジャン・ヴァルジャン)が、黒ガラス装飾品の製法改良に成功して、金持ちになった話。そして、マドレーヌさんがこの町にやって来た時、火事の中から二人の子供を助け出した話。
二 マドレーヌ
マドレーヌさんのおかげで、モントルイュ・スュール・メールは産業の中心地となった。1820年時点でのマドレーヌさんの評判。信仰心の厚さ。そして、彼は市長になった。ユーゴー、良き工場のあり方を説く。
――マドレーヌさんはいかなる人をも使った。彼はただ一つのことをしか要求しなかった、すなわち正直な人たれ! 正直な娘たれ!
三 ラフィット銀行への預金額
マドレーヌさん(ジャン・ヴァルジャン)は、上品で優しくなっていった。ユーゴー、農業の心得をひとくさり。銀行にはたくさんのお金が預金されている。
――書物は冷ややかではあるが完全な友である。
――もはや若いとは言われない年齢だったが、彼は非常な大力をそなえてるということだった。
――彼女らの目に止まったものとしてはただ、暖炉の上にある古い型の燭台二つだけで、「調べてみると」銀でできているらしかった。
四 喪服のマドレーヌ氏
1821年、ディーニュ司教ミリエル氏(82歳)が亡くなった。数年来盲目だった。ユーゴー、盲目についての持論。ユーゴーは、憑かれたように、とにかく全身全霊で、盲目を賛美する。
――人生最上の幸福は、愛せられているという確信にある。直接自分自身が愛せられる、いや、むしろ自分自身の如何いかんにかかわらず愛せられるという確信にある。
五 地平にほのめく閃光
みんなマドレーヌ氏を認めたが、一人例外がいた。ジャベール。ユーゴー、動物についての持論を開陳。
――「いったいあの男は何者だろう?……確かにどこかで見たようだが。……いずれにしても俺はあんな奴に瞞だまされはしないぞ。」
その男はほとんど人を脅威するほどの重々しい様子をしていて、ちょっと見ただけでも人の心をひくような者の一人だった。
彼はジャヴェルといって、警察に出てる男であった。
――ジャヴェルはカルタ占いの女から牢獄の中で生まれた。女の夫は徒刑場にはいっていた。ジャヴェルは大きくなるに従って、自分が社会の外にいることを考え、社会のうちに帰ってゆくことを絶望した。社会は二種類の人間をその外に厳重に追い出していることを彼は認めた、すなわち社会を攻撃する人々と、社会を護る人々とを。彼はその二つのいずれかを選ぶのほかはなかった。同時にまた彼は、厳格、規律、清廉などの一種の根が自分のうちにあることを感じ、それとともに自分の属している浮浪階級に対する言い難い憎悪を感じた。彼は警察にはいった。
――この男は、きわめて単純で比較的善良ではあるが誇張せられるためにほとんど悪くなっている二つの感情でできていた。すなわち、主権に対する尊敬と、反逆に対する憎悪と。
――彼は絶対的であって、いっさいの例外を認めなかった。一方では彼は言った、「職務を帯びてるものは誤ることはない、役人は決して不正なことをしないものだ。」他方ではまた彼は言った、「こいつらはもう救済の途はない、何らの善もなし得ない者だ。」
――ジャヴェルは絶えずマドレーヌ氏の上に据えられてる目のごときものだった。疑念と憶測とに満ちた目だった。マドレーヌ氏もついにそれを気づくようになった。しかし彼は別に何とも思っていないらしかった。ジャヴェルに一言の問いをもかけず、またジャヴェルの姿をさがすでもなく避けるでもなく、その気味悪い圧迫するような目付きをじっと受けながら別に気に留めてもいないらしかった。彼はジャヴェルをも他のすべての人と同じく平気で温和に取り扱っていた。
六 フォーシュルヴァンじいさん
フォーシュルヴァンじいさんが、馬車の下敷きになり、マドレーヌ氏がそれを助ける。ジャベールはそれを見ていた。「その男は囚人だったのです。」「ツーロンの徒刑場の。」。実は、このフォーシュルヴァンじいさんは、とても重要な登場人物。
――馬は両脚を折ったので、もう立つことができなかった。老人は車輪の間にはさまれていた。車からの落ち方が非常に悪かったので、車全体が胸の上に押しかかるようになっていた。
――マドレーヌ氏はふり返った、そしてジャヴェルがそこにいるのを知った。彼はきた時にジャヴェルのいるのに気がつかなかったのである。
ジャヴェルは続けて言った。
「皆にないのは力だ。そんな車を背中で持ち上げるようなことをやるのは、恐ろしい奴でなくてはだめだ。」
それから彼は、マドレーヌ氏をじっと見つめながら、一語一語に力を入れて言った。
「マドレーヌさん、あなたがおっしゃるようなことのできる人間は、私はただ一人きりまだ知りません。」
マドレーヌはぞっとした。
ジャヴェルは無とんちゃくなようなふうで、しかしやはりマドレーヌから目を離さずにつけ加えた。
「その男は囚人だったのです。」
「え!」とマドレーヌは言った。
「ツーロンの徒刑場の。」
マドレーヌは青くなった。
七 パリにてフォーシュルヴァン庭番となる
フォーシュルヴァンは、マドレーヌ氏の建てた慈恵院で全快した。足は不自由なままだったので、マドレーヌ氏が女修道院の庭番に世話した。その後、マドレーヌ氏は市長になった。ということで、ようやく話はフォンティーヌが戻って来て、マドレーヌ氏の工場で働き始めたというところに、話が戻る。
――マドレーヌ氏は修道女たちと司祭との推薦を得て、パリーのサン・タントアーヌ街区の女修道院の庭番にその老人を世話してやった。
八 ヴィクチュルニヤン夫人三十五フランをもって貞操を探る
ファンティーヌのことを、周りの女工たちは悪く言い始めた。ユーゴー、ヴィルチュルニヤン夫人を悪罵。ファンティーヌは工場から立ち去るようにと、仕事場の監督から、市長の名で告げられた。
――彼女はたびたび手紙を出した。それが人目をひいた。ファンティーヌは「よく手紙を書いてる」とか「気取ってる」とかいう低い噂が女工の部屋に立ちはじめた。
――ヴィクチュルニヤンという恐ろしい女で、すべての人の徳操の番人で門番だった。ヴィクチュルニヤン夫人は五十六歳で、顔が醜いうえに年を取っていた。震え声で移り気だった。こんな婆さんにも不思議と一度は若い時があったのである。
――彼女は冷酷で、ひねくれて、頑固で、理屈っぽく、気むずかしく、ほとんど毒薬のような女だった。
――ファンティーヌは工場にきてもう一年以上になっていた。ところがある日の朝、仕事場の監督が市長殿からと言って彼女に五十フランを渡して、もう彼女は仕事場の者ではないと言いそえ、この地方から立ち去るようにと市長殿の名をもって言い渡した。
九 ヴィクチュルニヤン夫人の成功
ファンティーヌはどこにも雇ってもらえない。テナルディエへの送金もふくめて、借金はふくらむばかり。ヴィクチュルニヤン夫人は、ほくそえんだ。
――マドレーヌ氏はそれらのことについては何も知っていなかった。人生においてはたいてい事件はそういうふうに結ばれてゆくものである。マドレーヌ氏は女の仕事場にはほとんどはいらないことにしていた。その仕事場の頭として彼は、司祭から紹介された一人の独身の老女を据えて置いた、そしてその監督にすべてを任した。
――その監督が、訴えを聞き、裁き、ファンティーヌの罪を認めて処罰したのも、まったく自分の握っている権力をもってしたのであって、また善をなすという確信をもってしたのであった。
――小都市においては、一人の不幸な女がいる時、その女はすべての人のあざけりと好奇心との下に裸にせられずんばやまないようである。
――貧乏になれたように、彼女はまた軽蔑にもなれざるを得なかった。しだいに彼女はそれをあきらめていった。二、三カ月後には、恥ずかしさなどは振りすててしまって、何事もなかったかのように外出しはじめた。「どうだってかまうものか」と彼女は言った。彼女は頭を上げ、にがい微笑を浮かべながら往来した、そして自らだいぶ厚顔になったように感じた。
――過度の労働はファンティーヌを疲らした。そして平素からの軽いかわいた咳が増してきた。
十 成功の続き
美しい金髪を売る。そして、手あたり次第、情夫をこしらえた。自分の娘だけは大事に思っていた。テナルディエのもとから、コゼットがはしかにかかったから、金をよこせと手紙が来た(実際はコゼットは病気ではなかった)。ファンティーヌは歯医者に前歯を売った。そして、娼婦となった。
――その晩彼女は通りの片すみにある理髪店にはいって、櫛をぬき取った。美しい金髪は腰の所までたれ下がった。
「みごとな髪ですね。」と理髪師は叫んだ。
「いかほどなら買えますか。」と彼女は言った。
「十フランなら。」
「では切って下さい。」
彼女はその金で毛糸編みの裾着を買って、それをテナルディエの所へ送った。
――ファンティーヌの心のうちにはある暗い変化が起こっていた。もはや髪を束ねることもできないのを知った時に、周囲の者すべてを憎みはじめた。彼女は長い間皆の人とともにマドレーヌさんを尊敬していた。けれども、自分を追い払ったのは彼であり、自分の不幸の原因は彼であると、幾度もくり返して考えてるうちに、彼をもまた、そして特に彼を、憎むようになった。
――ファンティーヌは情夫をこしらえた。手当たり次第にとらえた男で、愛するからではなく、ただ傲慢と内心の憤激とからこしらえたのだった。
――彼女が堕落してゆけばゆくほど、彼女の周囲が暗黒になればなるほど、そのやさしい小さな天使はいっそう彼女の魂の奥に光り輝いてきた。
――「手にはいったのよ。」とファンティーヌは答えた。
と同時に彼女はほほえんだ。蝋燭の光は彼女の顔を照らしていた。それは血まみれの微笑だった。赤い唾液が脣のはじに付いていて、口の中には暗い穴があいていた。
二枚の歯は抜かれていた。
彼女はその四十フランをモンフェルメイュに送った。
――「百フラン」とファンティーヌは考えた、「だが、日に百スーでももうけられる仕事がどこにあろう?」
「いいわ!」と彼女は言った、「身に残ってる一つのものを売ることにしよう。」
不幸な彼女は売笑婦となった。
十一 キリストわれらを救いたもう
どん底に落ちたファンティーヌ。ユーゴー、ファンティーヌの悲惨な物語の意味を説く。
――イエス・キリストの聖なる法則はわが文明を支配する。しかしながらなおそれは文明の底まで徹してはいない。奴隷制度は欧州文明から消滅したと人は言う。しかしそれは誤りである。なおやはりそれは存在している。
――彼女の顔は屈辱と冷酷とのそれである。人生と社会の秩序とは、彼女に最後の別れを告げた。きたるべきすべてのものは彼女にきた。彼女はすべてを感じ、すべてを受け、すべてを経験し、すべてを悩み、すべてを失い、すべてを泣いた。あたかも死が眠りに似ているように、無関心に似たあきらめを彼女はあきらめた。
十二 バマタボア氏の遊情
ユーゴー、「田舎のしゃれ者」について論じる。そのひとりであるバルタボア氏が、ファンティーヌをからかって、顔に爪を突き立てられた。二人は取っ組み合いをする。ファンティーヌの服をつかんで、「ちょっとこい!」と言った背の高い男は、ジャベール。しゃれ者は逃げ出した。
――「やあまずい顔だね!……いい加減に身を隠したがいいね!……歯がないんだね!……云々。」その男の名はバマタボア氏といった。女は雪の上を行ききしてるただ化粧をしたというばかりの陰気な幽霊のような姿で、彼に返事もしなければふり向きもしなかった。
――身をかがめて舗石の上から一握りの雪を取り、不意にそれを女のあらわな両肩の間の背中に押し込んだ。女は叫び声を立て、向き返って、豹のようにおどり上がり、男に飛びつき、あらん限りの卑しい恐ろしい悪態とともに男の顔に爪を突き立てた。
――女は頭を上げた。その狂気のようなわめき声は急に止まった。目はどんよりとし、青白かった顔色は真っ青になり、恐怖にぶるぶる身を震わした。彼女はジャヴェルを見て取ったのだった。
十三 市内警察の若干問題の解決
ユーゴー、「警察」について論じる。ジャベール、六か月の入牢を告げる。ファンティーヌは、コゼットのために必死で慈悲を請う。「言うだけは聞いてやった。もうすんだのか。それではさあ行け。六カ月だぞ。父なる神でさえもはやどうにもできないことなんだ。」。十一で、ユーゴーが、「神あり」と言ったのと、対照的な態度。そこへ、マドレーヌ氏がやって来る。ファンティーヌは、マドレーヌ氏に唾をはきかける。自分が解雇されたのは、市長の指示だったと思っている。「ジャヴェル君、この女を放免しておやりなさい。」 自分が放免されたのは、ジャベールのおかげだと思っているファンティーヌは、饒舌に語る。その後、マドレーヌ氏とジャベールの対決。正義か良心か。マドレーヌ氏はジャベールを退け、マドレーヌとコゼットを救うことを約束する。ファンティーヌは、気を失った。
――ジャヴェルは見物人をおしのけ、群集の輪を破り、後ろにその惨めな女を従えて、広場の一端にある警察署の方へ大股またに歩き出した。
――「ジャヴェルの旦那、」と彼女は言った、「どうぞお許し下さい。決して私わたしが悪かったんじゃありませんから、初めから御覧なすっていたら、きっとおわかりになったはずです。私が悪かったのでないことは神様に誓います。知りもしないあの男の人が私の背中に雪を押し込んだんです。
――しばらく前からそこに一人の男がはいってきていた。だれもそれに気づいていなかった。彼は戸をしめて、それによりかかって、ファンティーヌの絶望的な訴えをきいていたのだった。
――男は一歩進んで、物陰から出てきて言った。
「どうか、しばらく!」
ジャヴェルは目をあげて、そしてマドレーヌ氏を認めた。彼は帽子をぬいで、不満な様子であいさつをした。
「失礼しました、市長どの……」
――この市長殿という言葉は、ファンティーヌに不思議な刺激を与えた。彼女は地面から飛び出した幽霊のように突然すっくと立ち上がった。そして両手で兵士らを払いのけ、人々が引き留める間もなくもう、マドレーヌ氏の方へまっすぐに進んでゆき、我を忘れたようにじっと彼を見つめ、そして叫んだ。
「おお、市長というのはお前さんのことですか。」
それから彼女は突然笑い出して、彼の顔に唾をはきかけた。
マドレーヌ氏は顔をふいてそして言った。
「ジャヴェル君、この女を放免しておやりなさい。」
――彼は、にわかに茫然としてしまった。何の考えも言葉も出てこなかった。驚駭の度が彼にはあまり大きかった。彼は口をきき得ないでぼんやり立ちつくしていた。
――警視ジャヴェルは市長の方へ向き直り、青くなり、冷たくなり、くちびるを紫色にし、憤激の目付きをし、全身をこまかく震わし、そして目を伏せながらしかも確乎たる声で、あえて市長に言った。
「市長どの、それはなりませぬ。」
――ジャヴェルは答えた。
「この女は市長殿を侮辱したのです。」
「それは私一個のことです。」とマドレーヌ氏は言った。「私の受けた侮辱はおそらく私一個人だけに関することでしょう。それは私が自分でどうにでもすればいいのです。」
――ジャヴェルはつっ立ちながら真っ正面に、ロシア兵士のように胸のまん中にその打撃を受けた。彼は市長の前に地面まで頭を下げ、そして出ていった。
――二人が巨人のように思われた。一人は悪魔の巨人のように口をきき、一人は善良な天使の巨人のように語った。天使は悪魔に打ち勝った。そして彼女を頭の頂から爪先まで戦慄せしめたことは、その天使、その救い主は、だれあろう、自分がのろっていたその男、自分のすべての不幸の元であると長い間考えていたあの市長、あのマドレーヌその人であろうとは! しかも激しく侮辱してやったその瞬間に自分を救ってくれようとは!
――私はあなたの言うところを聞きました。あなたが言ったようなことを私は何も知らなかった。が、私はあなたの言ったことが事実であると信ずる、また事実であると感ずる。私はあなたが工場を去ったことさえ知らなかった。なぜあなたは私に訴えなかったのです。しかしそれはそれとして、私はあなたの負債を払ってあげよう。子供を呼んであげよう。