トルストイ『戦争と平和』人物事典68(508人目)

 

 ★★・ロストフ伯爵夫人(1-1-7)

 

 

 

 ロストフ家の恋の番人。ドルベツコイ夫人の幼馴染。45歳見当。東洋風の細面の女性。12人も子供を産んでいると書かれているが、物語には4人しか登場しない(8人は亡くなったということだろうか)。長女ヴェーラを嫌っている一方で、20歳になったニコライに対して、母親らしい真情を吐露している。「私はずっと子供の親友で、あの子たちから全幅の信頼を得ています」と言って、「子供たちが自分に隠し事をしていないと思い込む世の多くの親たちの過ちを繰り返していた」。

 「家族がすべて」の愚かな母であり、本能的にずるい女でもあった。子どもたちの奔放な恋に振り回されたが、浪費をやめられず、子どもたち(特に息子のニコライ)を振り回した人生でもあった。結婚後のナターシャは、そんな母に似ていく。

 

 

序盤

 

 自分自身とナターシャの聖名日のお祝いで、来客の対応に追われている。 

 金に困っている幼馴染のドルベツコイ夫人に700ルーブルを渡して、息子ボリスの軍服の仕立て代にするように言った。「二人が泣いているのは、二人が仲良しだからであり、二人が善良だからであり、若いころの親友である二人が金などという卑しいもののために苦労しているからであり、そして二人の青春がもはや過ぎ去ってしまったからであった……。だが二人の涙はともに心地よい涙だった」。このように、すぐに作者が答え合わせをしてしまう。

 ちなみに、700ルーブルの件で、夫が微妙な雰囲気を醸し出たのは、家計が非常に厳しかったからだと、あとで明かされた。夫人も「分かっているのよ、こんな暮らしをしていたら、うちの資産だって長くはもたないってことはね」と、夫の金づかいの荒さを嘆いているが、自分もまた「名だたる浪費家」である。ドルベツコイの手形は、あとでニコライが面倒になって破り捨てた。

 

中盤

 

 戦地での息子の活躍をうれしく思う。「自分の息子の成長は、その一つ一つの段階がすべて彼女にとっては非凡な過程であって、まったく同じように成長してきた何百万何千万の人間など、そもそも存在しなかったかのようであった」。戦地から帰って来たニコライが、母に駆け寄ると、母はおいおい泣きながら彼の胸に顔をうずめた。

 

  娘のナターシャがデニーソフにプロポーズされたと聞いて、「この頃のあなたたちときたら、そろいもそろって恋愛中なのね。愛してるんだったら、結婚すればいいでしょう」とぷりぷりして鼻で笑いながら、「お幸せに!」と言った。ナターシャが、自分は愛してないが、デニーソフに申し訳ないと言うので、「こんなにも幼いナターシャを、あつかましくも大人の女性のように扱おうとした相手に腹を立てて」いる。デニーソフにきっぱりと母親らしく断りを言うと、申し訳なさそうにするデニーソフを見て、ナターシャは泣き出した。

 

 

 つづいてナターシャは、ボリスを誘惑し始めた。「伯爵夫人がボリスを呼びつけて話をすると、その日からボリスがロストフ家を訪れることはなくなった」。ナターシャについては、「あまりに過剰なものがあって、そのために幸せにはなれないのではないか」と思ったりもしている。

 

 

 ニコライが、ソーニャとの結婚を決意したことを宣言すると、自分は祝福できないと言い、怒りの涙に掻き暮れて部屋を出て行った。そして、ソーニャを自室に呼びつけ、本人も相手も思いがけないほど残忍な口調で、この姪が息子を誘惑して、恩をあだで返したと叱りつけた。息子にも「私は決してあの腹黒女を自分の娘とは認めません」と言い切った。ニコライは、母の言葉に憤慨し、事ここに及んだら自分も思い切って言わせてもらうが……と、決定的な一言を口にしようとしたが、「兄さん、バカなことを言っちゃダメ、黙って、黙って!」とナターシャが飛び込んできて止めた。ナターシャのおかげで、親子決裂を避けることができた。ニコライが部隊へ戻ると、伯爵夫人は、精神の変調で病気になった。

 

 

終盤

 

 モスクワ退去の際に、負傷者を全員を置いていき、家財だけを持ち出そうとする。「せめて子どもたちだけでも憐れんであげてくださいな」。この件で、夫の伯爵は、負傷者に荷馬車を提供しようとしていたのだが、夫人が勝利したのだった。しかし、ナターシャが愚かな母を非難したため、ナターシャの意見が勝つことになった。

 

 

 ペーチャの出征際して、伯爵夫人は、「こんな人々になんの用もないわ、わたしに必要なのは、ペーチャだけだわ!」と思う。そして、伯爵に頼んで配置換えをしてもらう。母の病的な熱っぽい優しさが、16歳の士官には気に入らなかった。「もう今度は自分の翼の下から手放すまいという決意を、母は彼にかくしていたが、それでもペーチャは母のその意図を見抜いた。そして、母に甘やかされて、女みたいにされはしないかと、本能的におそれて、母にそっけない態度をとり、なるべく避けるようにして、モスクワにいる間じゅうもっぱらナターシャといっしょにいるようにつとめた」。

 母も、自分が止めれば逆効果だとわかっているので、「今夜のうちにでも立ち退かせてほしいと涙ながらに訴え」、「女の本能的な愛のずるさをもって、恐ろしさのあまり死んでしまう」などと言った。

 

 ニコライを裕福な令嬢と結婚させるため、邪魔なソーニャにつらくあたり、侮辱的で残酷なあてつけを言うが、モスクワ出発の数日前、「自分の身を犠牲にして、これまでのすべての恩に、ニコライとの関係を絶つことで報いてもらいたい」と頼んだ。ドルベツコイ夫人と同じく、わが子のためになら、なんでもできる母だった。

 

 ペーチャの死を知らされて、発狂した。ナターシャが辛抱強く愛情で包み込むことで、3日目にようやくペーチャの死を受け入れた。ペーチャの死が、母の生命の半分を切り取った。元気な50歳の婦人だった母が、老婆になってしまった。

 

エピローグ

 

 夫の死後、最後の生きる望みとしてニコライにしがみついたので、ニコライは連隊に戻ることもできず、役所勤めをすることになった。1200ルーブルの俸給で、母とソーニャを支えたが、母親はぜいたくなしには生活できない人だったので、息子の苦しみを理解できず、気前よく知人の婦人を迎えたり、食卓にワインを要求したりした。60をすぎると、「彼女は食べたり、飲んだり、眠ったり、目をさましたりしていたが、生活はしていなかった。生活が彼女の心に何の印象もあたえなかった。彼女には、安らぎのほかは何もいらなかったが、安らぎは死の中にしか見出すことができなかった。しかし、死はまだしばらく訪れそうにないので、彼女は生きるほかなかった」。

 

 若い者たちの視線は、「みないずれはあのようになるのであり、このかつては大切な人で、かつてはわれわれと同じように生命力に満ちあふれていたが、いまはみじめに老衰していた存在のために、自分を抑え、喜んで服従しなければならぬことを語っていた。〈死を忘れてはならぬ〉とそれらの視線が語っていたのである」。時代からすっかり取り残されてしまった。「自分たちが人生に蒔いたものの落ち穂をひろいながら、しずかに余生を送っていた」。どうせその場かぎりで忘れてしまうような、だれにも興味のない会話をつづけている。子どもたちが母の保護を必要としなくなったとき、彼女も生きることをやめてしまった。そんな愚かで悲しい母の一生だった。