トルストイ『戦争と平和』人物事典55(416人目)

 

 ★★・マドモワゼル・ブリエンヌ(1-1-22)

 

 

 

 禿山で暮らすマリヤの侍女。マリヤの癇に障ることばかりする。ボルコンスキー老公爵家のコケットリー。マリヤの縁談を破談にするために用意された登場人物。「軽薄で朗らかで自分の満足した世界」を生きている。「rの音を喉にこもらせて発音し、満足そうに自分の言葉に聞き入っている」。ちなみに、デニーソフはrの発音が苦手である。

 マリヤがジュリーの手紙に返事を書いたとき、「私も自分の手紙を送ったところですわ。かわいそうな母に書きましたの」と言っているが、家族について、掘り下げられることはない。

 アンドレイは、「僕はあの女性が大嫌いだよ、お前の言うそのブリエンヌが」と言って、すれ違う時に、「厳しい目つきで相手をにらみつけた。その顔には突然憎しみの色が浮かんだ」。マリヤは、「ひどいわ! 彼女はとても素敵な良い人よ、何よりも、かわいそうな娘さんよ。だってあの人には誰一人、誰一人身寄りがないのよ!」と言っている。

 マリヤも、「私にとってはあの人は必要ないばかりか、煩わしい感じがするわ」と言っている。

 

 

冒頭

 

破談のきっかけに

 アナトールが、マリヤの婚約のためにやって来る日、老公爵の機嫌は極めて悪かった。しかし、ブリエンヌは、「私は何も知りませんし、いつもと同じです」といった風情の晴れ晴れした顔をしていた。アナトールがやって来ると、「見たことがないほど生き生きとした目つきで彼を見つめていた」。「いつかロシアの公爵が現れて、自分がその辺の器量も悪くてファッションセンスもない、不器用なロシア人の公爵令嬢(=マリヤ)などよりも優れていることを瞬時に見抜いて評価し、好きになって連れ去ってくれるのを、久しく待ちかねていた」のだった。

 

 

 アナトールはブリエンヌに獣のような欲情を覚え、二人で抱き合っていたのだが、マリヤに見られてしまい、マリヤが婚約を断るきっかけを作ってしまう。

 その後、泣きじゃくるマドモワゼル・ブリエンヌは、自室のソファでマリヤに抱かれながら、「いいえお嬢様、私は永遠にあなたさまのご好意を失ってしまいました」と言った。マリヤは「どうして? 私は前よりももっとあなたのことが好きになったわ。あなたの幸せのために、できる限りのことをさせてもらうつもりよ」と答える(もちろん何もしなかった)。「お嬢様は私を軽蔑してらっしゃるでしょう。お嬢様はそんなにも純真な方ですから、こんな恋の過ちなんておわかりにならないでしょう。ああ、かわいそうなお母さまがいてくれたら……」と言っている。マリヤは「わかるわ」と言って、行ってしまった。

 

 1806年の春に生まれたアンドレイの赤ん坊がかわいくて仕方がないようあった。    

 

 

中盤

 

イジメの道具に

 アンドレイがナターシャと婚約したことに腹を立てた老公爵は、腹いせにマリヤをいじめるため、「俺があの女と結婚して何が悪い」などと言いながら、ますますブリエンヌをそばに近づけるようになった」。モスクワに出てきてからは、ストレスがたまるのか、もっとマリヤを辱めようとして、マドモワゼル・ブリエンヌを格別にちやほやしてみせるようになったのだった。

 ナターシャが来た時には、マリヤとナターシャの会話を邪魔して、老公爵に媚態を作っている。ブリエンヌも、老公爵が変になっていくのに合わせて、どんどん気持ち悪い人になっていった。実際、老公爵のモデルであるトルストイの祖父が、こういう女性を侍らせていたのだろう。

 

親子喧嘩の火種に

 アンドレイは、ブリエンヌを「自分の人生の一瞬一瞬を享楽し、このうえなく喜ばしい希望に満たされ、自分に満足しきっている、コケティッシュな娘」と見た。アンドレイに非難されたあと、老公爵はブリエンヌを自室に寄せつけなくなった(が、彼女の立場は相変わらずである)。

 

終盤

 

裏切り

 老公爵の死後、フランス軍にすっかり取り囲まれているボグチャーロヴォで、「あなたのお立場は、わたしなどの倍も恐ろしゅうございます、お嬢さま。いままではご自分のことなどお考えになれなかったでしょうし、いまもまだお考えになれないのは、わたしはよくわかりますわ、でもお嬢さまへの愛から、これだけはどうしても申し上げなければ……」と言う。

 しかし、マリヤは亡くなった老公爵と同じく、まったく状況を理解する力も、判断する力も持ち合わせていない。

 アルパートゥイチは、ボグチャーロヴォからの脱出を急ごうとしているが、ブルエンヌは、ここにとどまる方が安全だと言って、ラモー将軍の布告を取り出して、マリヤに見せた。そこには住民の安全を守ると書かれていた。「誰を通してこんなものをもらいましたの?」と問うマリヤに、自分がフランス人であることがわかったのでしょうねと、赤くなりながら言った。

 マリヤは、フランス将軍がうやうやしくブリエンヌをむかえて、自分はお情けで小さな部屋を与えられるさまを思い浮かべて、「アマーリヤ・カルローヴナに、わたしの部屋に来ないように言いなさい」と叫び、すぐさま立ち退く決意をした。

 最後に本名を呼んだのは、マリヤの嫉妬深い本性と憎しみ、決別の意志が見て取れる。

 が、またしてもマドモワゼル・ブリエンヌは、ずるずるとマリヤたちについていくのだった。