トルストイ『戦争と平和』人物事典51(394人目)

 

 ★★・ボリス(1-1-3)

 

 

 過保護なドルベツコイ公爵夫人のひとり息子。背の高い金髪の若者。落ち着いた美青年。ロストフ家との関係はふわっとしており、ニコライの幼馴染であり、ナターシャの恋人でもある。母の奔走のおかげで近衛隊のセミョーン連隊に配属され、母親に似て、出世だけがすべてというような人物へと成長した。いたるところに顔を出すが、ただ顔が出ているだけの人物。ベルグは自己宣伝で、ボリスはコネで、自分の幸せをつかみとっていった。その一方で、物語に登場するかつての若者たち、すべてに嫌われていく。

 

冒頭

 

 ナターシャの恋人。ロストフ家の聖名日に登場。ナターシャが隠れているのに気づかず、「鏡に歩み寄って自分のハンサムな顔を点検した」。ナターシャにキスをされたあと、4年経ったらプロポーズするとナターシャに約束する。

 母のドロベツコイ夫人に連れられて、ベズーホフ伯爵のところへ行き、ピエールと率直な言葉を交わし、親しくなる。このあたりでは、他の登場人物と同じく、溌溂とした若者として描かれている。

 

 

コネの力で

 アウステルリッツでは、少尉補に。近衛隊なので毎日が行楽のようなもの。ピエールの紹介状でアンドレイの知遇を得た。総司令部のポストを期待している。半年ぶりにニコライと再会。「お互いの内に大きな変化を認めた。それぞれが人生の最初の歩みを開始した社会が、新たな影響を及ぼしたためである」。ニコライから戦いの話を聞いていると、アンドレイ(若い人の後ろ盾になるのが好き)が入って来る。そして、彼の伝手で上層の世界に加わりたいという願望はさらに強まった。「俺には自分の頭しかないのだから、どうしても出世しなくちゃいけないし、チャンスがあったら逃さずに利用しなくちゃいけないぞ」。

 

 

権力の虜

 アンドレイとの面会のためにクトゥーゾフ総司令官の建物に入る。アンドレイが自分を見て明るい笑顔になったのを見て、階級の上下関係だけでない、「もっと本質的な上下関係」があることを理解し、自分は「裏の上下関係に従って勤務しようと覚悟を決めた」。自分はアンドレイに紹介してもらったというだけで、ここにいる将軍より上位に立ったのだ。アンドレイに、近衛隊にいると実戦に参加できないので、司令部に転属してほしいと言うが、本心では、コネさえ得られれば十分と考えている。アンドレイは、副官や伝令将校ばかりが多くて、一大隊を組めそうなほど多いと前置きして、ドルゴルーコフ公爵に引き合わせてくれた。「この瞬間ボリスは、最高権力に近いところにいるという感覚を身をもって味わい、興奮を覚えた」。

 結局、しばらくイズマイロフ連隊にとどまることに。そして、アウステルリッツでは、ついに前線に出たとうれしそうだが、実際には、いきなり中央をナポレオンに奇襲されたため、自分たちが最前線だと気づき、戦闘を開始する羽目になっている。

 

 

ニコライとの溝

 1807年、ティルジットで両皇帝が会見する少数の随員のひとりとなる。「この時を境に自分の地位がすっかり確立されたのを感じていた」。陛下も彼の顔をご存じ。和約の前日、ニコライが訪れて来たので、「厄介そうな表情」を浮かべた。ニコライはすぐにそれを察して、ボリスの目には「何か膜が張ったようで、集団生活の色眼鏡とでも呼ぶべきフィルター越しに見ているみたいだ」という印象を与えた。ナポレオンを見に来たのかと問うと、用事できたとニコライが言うので、不満に思う。ニコライも不機嫌になる。デニーソフの嘆願の話を聞くと、陛下に上申しない方がいいのではないかと伝えると、「つまり君は何も手をかすつもりはないんだね。でははっきりそう言いたまえ!」と怒った。で、結局、何もしなかった。

 

中盤

 

ピエールにも嫌われた

 「自分のセンスや持ち前の抑制のきいた性格」のおかげで出世街道まっしぐら。「例の裏の上下関係を完全に会得」。「軍務での成功の秘訣は精勤でも努力でも武勇でも忠誠でもなく、ひとえに論功行賞の権を握る相手と付き合う能力」だった。「ロストフ家とナターシャへの幼い恋の思い出は彼には不愉快なものと化しており」とあるように、母親と同じく、コネだけでのし上がっていくオトナになった。

 アンナ・パーヴロヴナの夜会で、すっかり男らしくなったボリスに、巨万の富を得たエレーヌが興味を示す。エレーヌに誘われて、彼女のサロンに呼ばれて、二人は親密な友となり、「私のお小姓さん」などと呼んでもらえる関係になった。3年前のドーロホフと同じく、ピエールの胸を騒がせる存在になったことで、かつての友人のニコライからもピエールからも嫌われてしまったのだった。

 

 

恋か金か

 ペテルブルグに出て来たロストフ家にさっそく出入りして、「かのボリス」などと呼ばれている。必然的にナターシャと向き合うことになる。「ナターシャの思い出は、ボリスにとって一番詩的な思い出だった」ので、ロストフ家に向かうのはときめきを覚える。ただし、「ペテルブルグで一番豊かな令嬢たちとの一人と結婚しようという計画」が頭をもたげていたので、ロストフなど自分には不釣り合いだと考えている。「まったく別人と化したナターシャ」にうろたえて、「なんときれいになられたことでしょう!」と感激するものの、「彼女のようなほとんど資産ゼロの娘と結婚するとすれば、自分の出世はそこで終わってしまう」。

 結婚のめどもないまま、昔の付き合いを復活させるのは、卑劣な振る舞いになるのでやめるべきだが、ずるずるロストフ家に入り浸る。エレーヌのもとから足が遠のいて、催促の手紙をもらうようにさえなる。が、最終的に、「伯爵夫人がボリスを呼びつけて話をすると、その日からボリスがロストフ家を訪れることはなくなった」。こうしてナターシャとの関係も終わった。

 

 

金持ちを探す

 1810年、ベルグの夜会に参加するが、「ボリスの態度には、なにか一段上の保護者気取りのようなものが見えた」。1811年、ペテルブルグで裕福な結婚相手を見つけられなかったので、モスクワにやって来た。ピエールとマリヤが、ボリスの話をしている。「あの青年の行動もご多分に漏れずで、裕福な適齢期のお嬢さんのいるお宅には必ず顔を出しています」。ボリスには、マリヤの方がジュリーより魅力的に思われたが、老侯爵には言葉が通じず、結婚の話をうまく運べない。ということで、ジュリーにした。ジュリーに会うと、「結婚の幸福を謳歌する準備ができていますと書いてあるようなその表情」を見て、しりごみしてしまう。母ドスコイは、ジュリーの財産を調べ上げた。ボリスも、「久しく空想の内では自分をペンザとニジェゴロドの領地の所有者とみなしており、それから上がる収益の使い道まで決められていたのである。」。さらに、金目当ての結婚をもくろむアナトールが送り込まれてきたので、あわてて結婚した。「苦労を無駄にしたことはこれまで何につけ一度もなかったのである」。

 

1812年

 6月13日夜会では、妻をモスクワに残し、「独身者」を自称していた。アナトールと同じである。同年輩の最高位の者たちと肩を並べるまでになっていた。夜会の最中、バラショフが緊急の要件を皇帝に伝えたのが気になり、その話を聞こうとして追いかけた。宣戦布告についての話だったので、ボリスに聞かれたことを皇帝は不満そうだった。ボリスは、このことを周りの高官に知らせることで、自分は特別なことを知らされていると思わせ、一目置かれるようになった。相変わらず、小ざかしい。

 

ボロジノ

 ボロジノ前日にピエールに会う。ニコニコ笑って、優美な軍装をしていた。ボリスは、余計な者をすべてクトゥーゾフが司令部から追放したあとも、クトゥーゾフと対立しているベニグセン伯爵にくっつくことで、ゴキブリのように、総司令部にとどまることに成功した。クトゥーゾフ派のカイサロフに対して、「自在な微笑を浮かべて」うまく応対し、クトゥーゾフに対する二枚舌で、うまく処世している。ピエールがベニグセンについて陣地視察できるようにしてやった。主人公のひとりとして見て来た彼が、どこにでもいる他の大人たちと見分けがつかなくなってしまったあたりで、彼は物語から消えた。