トルストイ『戦争と平和』人物事典36(290~307人目)

 

・ニコライ・アンドレーヴィチ・ボルコンスキー公爵⇒ボルコンスキー老公爵

・ニコライ・ニコラエヴィチ・ノヴォシリツォフ⇒ノヴォシリツォフ

・年長の男(1-1-6)……深夜にアナトールのところに集まった八人の若者の一人。ドーロホフの賭けをやめさせようとしたが、逆にドーロホフに怒られてしまった。

・ネイ将軍(3-2-27)…エリヒンゲン公。ボロジノでは、フランス中央軍である第三軍を指揮。ナポレオンから「モスクワ公」の称号を与えられる。森の中を移動させるのは危険であるとナポレオンに直言したが、聞き入れられなかった。ボロジノでは、前線から来た将軍が、旧近衛師団を戦闘に注ぎ込むことを進言したが、ナポレオンのそばにいたネイとベルチエは、せせら笑った。スモーレンスクの城壁爆破に夢中になっていたせいで退却が遅れ、クラースノエではしんがりをつとめることになった。おかげで一万の兵が一千に。しょんぼりします。

・ネヴェロフスキイ(3-2-1)…スモーレンスクで、フランス軍に急襲された師団。

 

 

 ☆・ネスヴィツキー(1-2-2)

 

 アウステルリッツでのアンドレイの同僚。長身の佐官。前半は頻繁に登場するが、後半は一切出て来ない。アウステルリッツでは、貴族の子弟が出世のために副官として従軍し、ぞろぞろと司令部に集まった。そんな無用な人物のひとりとして描かれている。

 

プラウナウ

 ジェルコーフがオーストリアの将軍をからかうのを見て、高笑いして喜んだが、アンドレイにひどく怒られた。なだめようとするが、「四万の兵が戦死し、わが国の同盟軍が壊滅したというのに、君たちはよく笑っていられるな」「君が友人扱いしているあの役立たずの小僧っ子なら許されるが、君はダメだ」と言われた。

 

 

アウステルリッツ

 

エンス

 10月23日、総司令官から後衛部隊に派遣された。将校たちにピロシキとドッペルキュンメルをふるまいながら偵察していたが、対岸にフランス軍が現れた。後衛部隊長の将軍は、「まずいぞ、わが軍は立ち遅れてしまった」と言い、ネスヴィツキーは、「軽騎兵隊に、しんがりで渡河して橋を焼き払え」と伝令するように命じた。しかし、橋の上がごったがえしており、ネスヴィツキーはうまく進めず、ひどく遅れてシューベルトの部隊(ニコライが所属する)にたどりついた。そして、ジェルコーフにつづいて命令を伝えた。その後、三人で遠くから戦況を見ている。「ああ、軽騎兵たちはやられるぞ!」「もしも俺が皇帝だったら、決して戦争なんかしないぞ」と顔をそむけて言った。

 

ツナイム

 オーストリアからのもどってきたアンドレイを呼び止め「実はね、君、あのマックを笑いものにして済まなかったと思っているんだ。自分たちの方がよっぽどみじめな状況になっているからね」と言った。

 

アウステルリッツ

 アウステルリッツでは、クトゥーゾフがいら立つのを見て、「ご老人、たいそうご機嫌斜めだね」とアンドレイ公爵に言った。フランス軍に奇襲されたとき、クトゥーゾフに向けて怒りの形相で、今すぐこの場を離れないと、確実に敵の捕虜になると警告した。

 

決闘

 イギリスクラブでのバグラチオン歓迎パーティーに出席。決闘することになったピエールの介添え人になった。あなたは間違っていたのです、ついかっとなったのです、後悔していると相手に伝えるのをお許しくださいなどとピエールに言って、火に油を注いだ。ピストルを持ったことのないピエールに引き金の引き方を教えた。

 

 

 

・ネズミ(1-2-4)…パヴログラード軽騎兵連隊所属。ネズミのところでカードをやって、デニーソフが一晩負け続けた。

・年少近習(2-2-19)…ナポレオンの年少近習。古いフランスの名門貴族の子息。ティルジットで、ボリスとジリンスキーの夜食会に加わった。ラザレフにレジオン・ドヌール勲章が受容されることになったとき、この近習が飛び出して、ナポレオンに勲章を渡した。

・年配の老婦人(1-2-19)…エレーヌの聖名日の席で、ピエールとエレーヌの結婚について、クラーギン夫人(エレーヌの母)が「もちろん、これはよい縁組ですよ、ただ幸福というものはねえ」と言うのを受けて、「結婚は、天国で成就するものですからね」と答えた。

・ノヴィーコフ(1744~1818年)…エカテリーナ2世時代の啓蒙家。フリーメイソン。

・ノヴォシリツェフ(1-3-15)…アウステルリッツでアレクサンドル1世の随員となっていた陽気な若者のひとり。「待機中であります、陛下」とクトゥーゾフが言ったとき、アレクサンドル1世が、ちらりと脇に立つノヴォシリツェフを振り返り、クトゥーゾフへの不満を訴えるような目つきをした。のちに外交官として英仏講和交渉に派遣された。

・ノヴォシリツォフ(1761~1836年) (1-1-1)…外交官として、英仏講和交渉に派遣されたが、ベルリンでジェノヴァ、ルッカの併合を知り、アレクサンドル1世に急報をおくった。

・ノスティツ伯爵(1-2-3)…前哨をつとめるオーストリア将軍。和平交渉が進んでいるというミュラーの言葉をうのみして、バグラチオンの部隊を敵前にさらしたまま、後方に退いた。

・パーヴェル1世(在位1796~1801年) (1-1-1)…クーデターで暗殺された。

・パーヴェル・クトゥーゾフ(1767~1829年) (2-1-3)…バグラチオン歓迎パーティーで彼のカンタータがうたわれた。

・パーヴェル・チモフェーイチ(2-5-20)…イギリスクラブのボーイは、ピエールに、パーヴェルはまだ来ていないと伝えた。

・バーソフ少佐(2-4-1)…帰郷することになったニコライの送別パーティーを開いたとき、ニコライはバーソフ少佐とトレパークを踊った。

・バーデン公(3-1-6)…ニーメン河対岸への退却を求めるバラショフに、ナポレオンは「その提案はバーデン公にならよかろうが、この余に言うべきことではない」と言い放った。

・ハートキング⇒連隊長

・パイーシー・セルゲーイチ⇒カイサロフ

・ハウクヴィッツ(1752~1832年) (1-1-1)…プロイセン宰相。ナポレオン戦争時の外相。

・パウルーチ(3-1-9)…サルディーニャ出身の侍従武官。アレクサンドル皇帝が従軍していたときに、その周りにいた決まった職務もない大勢の高官のひとり。大胆で、決定力のある意見を吐くために従軍していた。アンドレイが皇帝の前を通ったとき、「ドリッサの陣地を進言したような人物は、わたしに言わせれば、二つの道しかありません。精神病院か絞首台です」と、ブフールを批判している。御前会議では、アルムフェルトともプフールとも異なる作戦を立てたトーリの案に反対して、前進と攻撃の案を唱えた。