トルストイ『戦争と平和』人物事典22(224人目)

 

 ☆☆☆・ソーニャ(1-1-8)

 

 

 ロストフ伯爵の姪。15歳。孤児としてロストフ家で暮らしているが、くわしい事情は不明。小柄な黒髪の娘。三つ編み。作者のご都合に振り回された女性の一人。

 

 

冒頭

 

なぜ猫?

 初登場時、ジュリーが自分の恋人のニコライと話をしているので、嫉妬心をむき出しにして、ニコライをおろおろさせている。「彼を食い入るように見つめる子猫」「自分の子猫的本性を発揮する準備ができている」「いまはまだ体はできていないが、やがて魅力的な雌猫に変身するであろう、きれいな子猫を連想させた」というように、猫であることがやたらと強調されている。

 ソーニャは、軍隊に行こうとしている従兄ニコライを乙女らしい熱烈な憧れを込めて見つめていたが、ニコライが一週間後に出征することに決まったことにショックを受けて、部屋を飛び出してしまう。廊下の「長持」のところで泣いていたソーニャを、探しに来たナターシャが見つける。ソーニャの様子を見て「口がへの字に曲がってしまった」。そして、ただソーニャが泣いているという理由で、ナターシャは泣き出した。ニコライとは親戚同士なので、結婚には府主教の特別な許可がいる。ヴェーラにも嫌味を言われた。

 

中盤

 

ドーロホフの恋

 1806年、ピエールの決闘をきっかけに、ニコライがドーロホフと仲良くなり、家にも連れてくるようなる。ドーロホフはソーニャに恋をして、ソーニャもじっと見つめられては顔を赤らめるようになる。ドーロホフは、ソーニャにプロポーズする。「持参金のない孤児のソーニャにとっては、ドーロホフはれっきとした、ある意味では素晴らしい結婚相手だった」が、「それがどうでしょう! あの人断ったの、きっぱりと断ったのよ!」。

 ニコライは、プロポーズを受けたソーニャへの憎しみを感じたが、彼女が断ったと聞くと、「そうだ、僕のソーニャならそれ以外の返事はありえないはずだ」とうれしくなっている。もともと、自分が自由になりたくて、ソーニャへとの結婚の約束を先送りにしたために、今回のような出来事が起きたのだが、ニコライは至ってお気楽なものだ。主人公たちは、「若さ属性」だけを背負っているので、内面は非常に未熟に描かれている。

 ドーロホフは、ニコライに賭けでリベンジし、ニコライは4万3千ルーブル負けた(あのアナトールでさえ、1年で使う金は3万ルーブルなので、相当の金額だ)。ソーニャは、まるで賭け事に負けたことも一つの偉業であり、そのおかげでますます彼が好きになったというような態度を示した。恋は盲目。ロストフ一家は温かくて甘い。

 

オトラードノエの魔法

 クリスマスの晩、月光の下でニコライと抱き合い、キスをした。「ソーニャ!…‥」「ニコライさん!……」。当然のように、ロストフ伯爵夫人から猛反対を受けて、腹黒女呼ばわりされることになり、あわや親子断絶まで引き起こすところだった。若いソーニャには、ニコライ以外、この世界には存在しないので、それでも平然としていた。そんなソーニャもまた、次第に変化していく。

 

ナターシャ誘拐事件での活躍

 ここで初めて、ソーニャの内面にスポットライトが当たる。ナターシャの異変に最初に気づいたソーニャが、ナターシャを問いつめると、「私、もう百年もあの人(アナトール)を愛している。あの人に会うまでは誰のことも、一度も愛したことはなかったし、あの人ほど深く愛した相手は一人もいなかったって、そんな気がするの」「この人が私の支配者で、私はこの人の奴隷だ」と言う。ソーニャが「だからってこんなまねは許せないわ。私、言いつけるから」と言うと、「何を言うの、お願い。もし言いつけたりしたら、あなたは私の敵だわよ」。温かい一つの塊だったロストフ家に、個が生まれつつあった。それは、ロストフ家の破産と崩壊と表裏一体のものだった。

 ナターシャは、アンドレイに婚約破棄の手紙を送りつけ、アナトールとこっそり会話をかわしている。それを目撃したソーニャが、「ナターシャ、あなたのことが心配、あなたが自分を滅ぼすことよ」ときっぱり言い放った。「滅ぼして、滅ぼしてやるわ、一刻も早く自分をね」大嫌い、大嫌いよ!あんたなんかもう永遠の敵だわ!」。ソーニャは、「彼と駆け落ちするつもりだわ」と気づいたが、周りに相談できる人はいない(アフローシモフ夫人に伝えるのは、ためらわれた)。「今こそが私の正念場よ。私がロストフ一家のご恩を忘れていないことを、ニコライさんを愛していることを証明してみせなくちゃ。そうよ、たとえ三日三晩眠らなくたって、私、この廊下を離れない。そして力ずくでも彼女を通さない。ロストフ家の恥になるようなことは決してさせないわ」。

 結局は、ドアの前に立って泣いているところを、アフローシモフ夫人に見つけてもらい、あとは全部夫人がやってくれた。ナターシャは、だまされていたと理解し、「ヒ素をいくらか呑み込んだところで彼女はひどく動転し、ソーニャを起こして自分のしたことを打ち明けた」。

 

 ある夜、ソーニャが家の前を通り過ぎた馬車を見て、「あれどなたの馬車かしら?」とたずねると、小間使いがアンドレイの馬車だと言う。あわてて伯爵夫人に伝えに行くと、ぎくりとした様子で、「ナターシャは?」と聞く。知らせたらナターシャがどうなってしまうのか恐れる気持ちから、ナターシャに伝えないことにしたが、ナターシャは敏感に察知して、「あたしにとって、ひどく悪いことなのね?」と言った。

終盤

 

ニコライはマリヤのもとへ

 引っ越しに際しては、荷造りを担当するが、ふさぎこみがちだ。マリヤとの出会いに神の配慮を見たというニコライの手紙に、伯爵夫人が大喜びしているが、ソーニャとしては複雑だ。ただ、実際問題として、ロストフ家を建て直す唯一の道は、裕福な令嬢との結婚であることはソーニャも認めていた。

 

葛藤

 伯爵夫人から、これまでのすべての恩に、ニコライとの縁を絶つことで報いてもらいたいと言われた。ソーニャは、自分を殺すことでのみ自分の特性を表せると考えており、それによってニコライにふさわしいものになれると喜んできた。しかし、「今度の彼女の犠牲は、彼女にとって犠牲の報酬のすべて、人生の意義のすべてであったものを、拒否することでなければならなかった。そしてうまれてはじめて彼女は、よりひどい苦しみをあたえるために彼女に恩を施してきた人々に、苦い幻滅を感じた」。そして、他人を犠牲にして、しかもみんなに愛されているナターシャに嫉妬を感じた。そして、ニコライに対する情熱に支配され、伯爵夫人の言葉に反して、ニコライに永遠に自分を縛り付けてしまおうと決意した。

 しかし、モスクワ出発前のいそがしさは、この暗い考えを消してしまったそうだ。ただ、ナターシャとアンドレイが結婚すれば、二人の間に親戚関係が結ばれるので、マリヤとニコライは結婚できない(つまり、自分と同じ条件になる)。ナターシャに、アンドレイが助かるかどうか問われて、きっと助かりますわと答えた。

 

 ――ナターシャとアンドレイ公爵の関係が復活したら、ニコライが公爵令嬢マリヤと結婚できぬことを、彼女は知っていたので、その中に生きることを愛し、そして慣れて来たあの自己犠牲の気持ちがもどるのを、彼女はうれしく感じた。そして目に涙をため、心のひろいりっぱな行為をおこなうのだという喜びをもち、彼女は、ビロードのような黒い目を曇らせるために、何度かペンをとめながら、それを受け取ったニコライをあれだけ感動させた、あのいじらしい手紙を書いたのだった。

 

エピローグ

 

 ロストフ公爵の死後、ニコライとロストフ夫人とともにモスクワに出て来た。ソーニャが家計をやりくりした。ソーニャがあまりにも完全過ぎるため、ニコライにはソーニャを愛せるような要素がなかったという、取ってつけたような言い訳が語られている。

 結局、ニコライとマリヤは結婚し、ソーニャも一緒に暮らしている。マリヤは、口先だけでは体裁のいいことを言いながら、ソーニャを許すことができない。ナターシャが、マリヤに「あなたは福音書を何度もお読みになったことがあるでしょう。あの中にそのままソーニャにあてはまるところがあるわ」と諭した。ソーニャは猫のように、家についていた。「猫」は猫でも、冒頭の「雌猫」とは別物の猫になった。一見したところ、ソーニャはあだ花である自分の運命に忍従し、個人より家族全体を大切に思っているようだったが、ソーニャは嫉妬から二人のいさかいを願っている(残念ながら夫婦は仲良しだ)。しかし、マリヤがいら立つときは、ソーニャがいつも最初の口実となる。なんだかんだ、幸せそうだ。