トルストイ『戦争と平和』人物事典6(26~29人目)

 

・アンドレイチ⇒アラクチェーエフ

・アントン(2-2-11)…アンドレイの老僕。ピエールがキエフ視察を終えて禿山に立ち寄ったとき、ピエールを馬車から助け下ろした。

・アンナ・イグナーチエヴナ・マリヴェンツィワ⇒マリヴェンツィワ

・アンナ・セミョーノヴナ(2-5-7)…モスクワで、ロストフ伯爵がナターシャを連れて、ボルコンスキー老公爵のところへあいさつに行ったとき、マリヤとナターシャが二人きりで話せるように、伯爵は「ちょっとアンナ・セミョーノヴナ宅に顔を出す」と言って、しばらく席をはずした。この人物が何者なのかは不明。

 

 ☆・アンナ・パーヴロヴナ・シェーレル

 

 夜会の女王。40歳独身。皇太后の側近で、反ナポレオン派。「生気と活気に満ちあふれた情熱家」。1805年の物語開始から1813年のクライマックスまで、変わらずペテルブルグのサロンの中心人物であり続けた。

冒頭

 

第一回夜会

 1805年7月夜会(1-1-1):【参加者:ワシーリー公爵・エレーヌ・リーザ・叔母さま・イッポリート・ピエール・アンドレイ・ドルベツコイ夫人・ご馳走:モントマール子爵・モリオ神父】

 ペテルブルグの貴族階級は、フランス語で話し、フランス語で書く。アンナ・パーヴロブナは、新しい客人を、「あたかも熱い皿に盛って青みを散らしたローストビーフのように」、魅力的な話題として客人に提供する。そして、テーブルごとの会話のはずみ具合を見極めて、適切なメンバーチェンジを行う有能な司令官でもある。この夜会が社交界デビューであるピエールに手を焼いている。

 ワシーリー公爵に対して、「あんなに素晴らしいお子さまたちを二人(エレーヌ・イッポリート)も授けた」「次男のアナトールさんは別、私、あの方は気に入りませんわ」と言っている。アナトールは物語随一の悪党、エレーヌはアンナと勢力を二分するサロンの主催者となり、イッポリートは無害な道化。

 

 

 

第二回夜会

 1805~06年冬夜会:【参加者:ピエール・エレーヌ・ワシーリー公爵・将軍たち・叔母さま・ご馳走:外交官】

 アンナ・パーヴロブナは、計画通り、エレーヌとピエールをひっつけることに成功した。

 

 ピエールがドーロホフと決闘して社交界での評判を落とすと、「私、とっくにそういったじゃないですか。あの時だってすぐに言いましたわ、だれよりも先にね――これは今どきの堕落した思想の犠牲になった狂った若者だって」と、本音をぶちまけた。

 

 

第三回夜会

 1806年末夜会:【参加者:エレーヌ・モルトマール子爵・イッポリート公爵・クルーク・叔母さま・シートフ・新任女官とその母親・より目立たない何人かの者たち・ご馳走:ボリス】

 ボリスが登場するが、ボリスはエレーヌのサロンに鞍替えした。

 

第四回夜会

 物語冒頭から7年が経過したが、7年前と何も変わらないサロンを開いている。親ロシア派のアン

ナ・パーヴロブナのサロンと、親フランス派のエレーヌのサロンは、ペテルブルグサロンの二大巨頭である。ワシーリー公爵は、両サロンを結ぶ鎖となっていた。アンナのサロンでは、ナポレオンの成功が疑惑をもって語られていた。

  1812年8月26日夜会:【ワシーリー伯爵・うかつな青年・ビリービン・イッポリート公爵】

 ボロジノ会戦の当日も、相変わらず夜会を開いている。ワシーリー公爵が朗読を担当した。エレーヌの病気が話題にあがる。ビリービンは、ヴィトゲンシュタインが軍旗を返した際の外交文書の警句を披露した。イッポリートは、前回の「プロイセン王ネタ」に引き続き、「そいつはワルシャワへの道ですな」を披露したが、受けなかった。

 

・アンフェーロフ(3-3-34)…ピエールが救った子供の家族だとだれかが言ったが、どうやらちがうようだ。

・アンナ・ミハイロヴナ⇒ドルベツコイ公爵夫人