トルストイ『戦争と平和』人物事典5(25人目)

 

 ☆☆☆・アンドレイ・ボルコンスキー(1-1-3)

 

 

 ボルコンスキー若公爵。27歳。背の低いすこぶる美男の青年で、目鼻立ちのはっきりした冷ややかな顔。抽象的な会話には興味がなく、意志力と呼ぶのが一番似つかわしいような資質のすべてを高度に総合した形で備えている。アウステルリッツとボロジノの会戦でそれぞれ致命的な負傷をした。完全なる理想が実現することを期待し、そのたびに失望して傷つく。完全を求めるからこそ、どんな希望も愛も、アンドレイの不信を打ち破ることができない。不信ゆえに、死をだれよりも恐れていた。

 

 アンドレイ・ボルコンスキー(戦争)…小柄・知・不自由・不運・真面目・皮肉が武器・神経質・傲慢・屈折・現実家・薄笑い・不信・決闘未遂・実行力あり・ナターシャの婚姻破棄・他者への期待と幻滅・憎・虚無・後悔・死・「ニコライ・ロストフ」とともに秩序を守る存在

 ピエール・ベズーホフ(平和)…巨体・無知・自由・幸運・堕落・肉体が武器・無神経・謙虚・素朴・夢想家・にこにこ・信用・決闘遂行・意志薄弱・ナターシャと結婚・自己への期待と幻滅・愛・充実・無反省・生・「ニコライ・ボルコンスキー」とともに秩序を壊す存在

  

冒頭

 

社交界という不自由

 1805年、第1回のアンナ・パーヴロブナ夜会に遅れて登場。活気に満ちた妻リーザと正反対で、退屈そうな様子をしている。フランス語で話す妻に対して、ロシア語で話すアンドレイ。規則正しい歩き方には、父の影響がみられる。不機嫌な様子だったが、ピエールの姿を見つけて、思いがけないほど優しい笑顔になった。その後、アンドレイは、薄笑いを浮かべながら、アンナ(親露)とピエール(親仏)のナポレオン談義を聞きつつ、過激な発言で場の空気を悪くしたピエールをかばっている。アンドレイは、こういう社交の場が嫌いなので、フランスからの亡命者であるモルトマール子爵のことも気に入らない。妻のリーザにちょっかいをかけるイッポリートにも、うんざりしている。

 

 

ピエールという自由

 帰り際に、アンドレイはピエールを優しい口調で家に誘っている。アンドレイがピエールを好きなのは、「われわれの社会で君一人だけが生きた人間だから」である。「生きた人間」という言葉は、アンドレイが致命傷を負うことになる最後の戦いを前に、総司令官クトゥーゾフがアンドレイにかけた言葉でもあった。ピエールには、アンドレイがあこがれる自由だけがあり、アンドレイには、ピエールがあこがれるすべてがある。

 

戦争観

 「もしもみんながめいめいの信念に従って戦うとすれば、戦争なんて成り立たないだろうね」というアンドレイの言葉は、トルストイの思想の表明でもあった。「信念」「意志」のコントロールできないところで、歴史は動いていると、トルストイは考えていた。

 

アンドレイという不自由

 「自分の内にある良きもの、気高きものが、すっかり潰えている」「自分にとってすべては終わり、すべては閉ざされている。開かれているのは、ただサロンばかりで、そこで自分は宮廷の下僕や阿呆と同列に並んでいるのだと……。あきれるばかりさ!」

 アンドレイは、ここ(ペテルブルグ社交界)での暮らしが性に合わないから戦争に行くと言う。「こんなことを打ち明ける相手は君だけで、君が初めてだ。僕は君が好きだからね」というアンドレイの率直な若さは、アウステルリッツ後に燃え尽きて失われ、ナターシャとの出会いで一瞬よみがえるものの、その後、再び現れることはなかった。

 

ピエールへの忠告

 アンドレイは、ピエールに「絶対に、絶対に結婚なんてしちゃいけないよ、君」と忠告する。また、アナトールのところに顔を出すのをやめるようにとも、忠告している。しかし、どちらの忠告も聞き流されてしまい、ピエールは熊事件を起こしてペテルブルグを追放され、エレーヌとの不幸な結婚をお膳立てされ、受け入れてしまう。

 

女性観

「ああ、君にも教えてやりたいよ、あのお上品な女性たちが、総じて女性というものが、どんな代物なのかを! 僕の父の言うとおりだ、どこからどこまでエゴイズム、虚栄、愚鈍、愚劣――それが女のありのままの姿なんだよ」。この鬱屈した考えは、ロストフ家との出会いによって変化していく。

 

父と

 禿山の父に身重の妻を預けて出征する。出発を告げると、元軍人の父は、「ありがとう、ありがとうよ!」「お前が出発を引き延ばしたりせず、女のスカートにしがみついたりしなかったからだ。勤めが第一だからな」と言った。そして、クトゥーゾフ将軍への手紙を渡し、妻のことは任せておけと言った。「ニコライ・アンドレーヴィチ・ボルコンスキーの息子たるもの、だれのもとにせよお情けで仕えさせてもらうような真似をするな」。

 アンドレイが、戦死したら、妻のもとではなく、父のもとで自分の子どもの面倒を見てほしいと頼むと、老公爵は「別れは済んだ……行け!」と不機嫌になる。大切な息子が死ぬことなど考えたくない、しかし、息子への愛を言葉にすることなどできない、そんな古い世代の父親である。

 

 

 

アウステルリッツ

 

ブルノ行き

 総司令官クトゥーゾフの副官となる。ヴォーロフ将軍以降の露仏軍事衝突を前にして、胸が湧き立っている。

 敗走したマック将軍に対するジェルコーフの悪ふざけに、怒りを爆発させている。

 デュレンシュタインの戦いでは、オーストリアのシュミット将軍に随行し、片手に軽い弾傷を負った。その後、勝利の報をたずさえて、ブルノのオーストリア宮廷に派遣される。

 

 

 すぐさまオーストリア皇帝に謁見できると思っていたが、軍事大臣にさんざん待たされ、拍子抜けする。勝利の幸福が、遠い記憶のように思われた。外交官ビリービンの家に滞在し、そこには、妻との仲をアンドレイが嫉妬したイッポリートがいた。皇帝との謁見は、ビリービンの予想と違って、とてもうまくいったが、直後に、フランス軍にウィーンの重要な防衛拠点を無抵抗で明け渡してしまったことを聞かされる。逃げようと誘うビリービンに対して、アンドレイは「ぼくは軍を救いに行くのだ」と言って、クトゥーゾフの司令部に戻ろうとする。ビリービンは、「なるほど、君はヒーローなんだね」と言った。

 

 

 

シェーングラーベン

 司令部に戻ったあと、ツナイムへのバグラチオン先行部隊に志願する。視察中に出会ったトゥーシン大尉の素朴さに好印象を持つ。また、バグラチオン公爵の表情に好奇心をそそられる。バグラチオンは、伝えられた部下の報告に、もっともらしく同意を与えているだけだった。バグラチオンは、覚悟を決めて戦場に立っているが、彼の思惑通りに戦争が遂行されているわけではない。『戦争と平和』の中で、最も将軍らしい将軍であるバグラチオンのふるまいは、戦争を動かしているのは、一握りの将ではないというトルストイの歴史観の現れとも言える。

 左翼が立て直したあと、いつまでも撤退しない中央砲隊(トゥーシン隊)への伝令となり、トゥーシンと心を通わせた。トゥーシンは、「あんたはいい人だ! じゃあな、若い衆」と涙を流している。

 

 

ボリスとニコライとの出会い

 アウステルリッツ会戦の直前、口添えを頼まれたボリスのもとをおとずれる。ニコライ(普通師団の軽騎兵というのは、アンドレイにとって我慢のならない人種だった)がいたので、顔をしかめた。ニコライは、アンドレイの態度に腹を立て、決闘を申し込もうとしたが、一方で、自分が知っているすべての人間の中で、アンドレイほど自分の友としたい人間はいないとも感じた。

 

 

クトゥーゾフの悲嘆

 その後、クトゥーゾフが大本営で疎んじられていることを知る。明日の戦いについてクトゥーゾフに問うと、「私が思うに、わが軍は戦いに負ける」と言った。作戦会議では、ワイローター(机上の空論/典型的なドイツ人戦略家)の作戦に疑問を持ったが、反論の機会は与えられなかった。そもそも、ドルゴルーコフとワイローター(積極派)が正しいのか、クトゥーゾフとランジェロン(消極派)が正しいのかさえ、アンドレイにはわからなかった。「はたして廷臣たちの、それも個人的な考えによって、何万もの人名が、そしてこの俺の、俺の命が、危機にさらされねばならないのだろうか?」「そうだ、明日戦死することは十分にありうる」。「彼は父親とそして妻との最後の別れを思い出した。妻を愛した最初のころを思い出し、妻が妊娠していることを思い出した。すると妻のことも自分のことも哀れに思え、切なく泣きたいような気持ちになった」。そして、「俺の愛するものが栄光と人々の愛の他にない以上、いったいどうしようがあるだろうか!」。

 

 

アウステルリッツ会戦

 クトゥーゾフの命令を受けて、先行する第三軍団を停止させる伝令を務める。第三軍団は、クトゥーゾフが危惧したように散兵線を張っていなかった。アレクサンドル皇帝に直接命令され、クトゥーゾフ隊が動き出したが、すでに敵が五百歩のところに迫っていた(ロシア側は10キロ先にいると思っていた)。アンドレイが、「アプシェロン連隊を止めなくてはなりません。総司令官閣下!」と叫んだが、「ひゃあ、おしまいだ!」と他愛ない驚きの叫びが上がり、兵は逃げ出した。クトゥーゾフは同じ場所に立ちつくし、頬からは血が滴っていた。すでに随員は四名しか残っておらず、敵はクトゥーゾフに一斉射撃を仕掛ける。アンドレイに、「ボルコンスキー、あれはどうしたことだ?」と言うので、アンドレイは、「みんな前へ!」と号令をかけ、重い軍旗を両手で支え、敵の砲から二十歩の距離にまで来たところで、すぐ近くの兵士の一人に固い棒で思い切り頭を殴られたような感覚に見舞われ、「これは何だ? 俺は倒れるのか? 足が立たないぞ」

 ただ空があるだけだった。「どうして俺はこれまでこの高い空を見たことがなかったんだろう? でも、何という幸せだろう、ようやくこの空を知ることができたのは。そうだとも!」。そして、気を失った。

 

 

 

ナポレオンの捕虜に

 目が覚めて割れるような痛みに苦しみ、「この苦しみもまた俺は知らなかった」「そうだ、俺は今まで何も、何も知らなかったんだ」。ナポレオンが近づいてきて、アンドレイを見て「ほう、立派な最期だ」と言った。そんなナポレオンさえ、無窮の空と自分の心に起こりつつあることに比べればちっぽけだ。「彼はただ人々がここに立ってくれたことだけをよろこび、その人々が自分を助け、生き返らせてくれることを願った。生きることがそんなにもすばらしく思えたのは、彼が今や命というものをまったく別様に理解していたからであった」。

 フランス軍の捕虜になる。ナポレオンじきじきに、彼を見た。アンドレイの目には、ナポレオンが虚栄や勝利の喜びにとらわれているちっぽけな存在に思えた。侍医ラレイは、アンドレイのことを「この男は神経質の上に胆汁質だ」「回復の見込みはないね」と言う。第一部が終わった。

 

中盤

 

アンドレイの帰還と妻の死

 1806年、社交界では、帰らぬ人となったアンドレイのことは、話題に上がらなかった。身近な者たちだけが、彼が身重の妻を、変わり者の老公爵のもとに残して夭逝したことを惜しんだ。

 3月、死んだと思われていたのアンドレイは、妻の出産直前に、タイミングよく禿山に帰って来た。妻は「私はあなたたちみんなを愛しているし、だれにも悪いことはしていない。どうして私が苦しい目に遭うの? 私を助けて」という目で、みんなを見ていた。アンドレイが「僕のかわいい妻!」「大丈夫、神さまは慈悲深いから」と言うと、妻は「私はあなたが助けてくれると期待したのに、何も、何もしてくれないのね、あなたも同じだわ!」という表情をした。

 アンドレイが部屋を出ていると、すさまじい絶叫が響いて、つづいて、赤ん坊の泣き声が聞こえた。アンドレイが部屋に入ると、「妻は死んで横たわっていた」。子どもはニコライと名付けられた。

 アンドレイがナターシャと婚約するためには、リーザが不在でなければならず、ナターシャがピエールに傾倒していくには、アンドレイが不在でなければならない。そんな作者の都合があからさまに見えてしまう話の展開でなければ、『戦争と平和』はもっと普遍的な名作になったと思う。

 

隠居生活

 アンドレイは、ボグチャロヴォ村に居を構えて、大半の時間をそこで過ごすようになった。アウステルリッツでだれよりも真剣に戦ったからこそ、失望もしたし、燃え尽きもした。そして、妻の死のショックも相まって、「二度と軍務には就かないと固く決意していた」。

 赤ちゃんが熱を出したり、ビリービンから手紙が来たり、ピエールが来訪したりする。ピエールの付け焼刃のフリーメイソン思想に感化され、「内面世界では彼の新しい生活が始まった」とあるが、トルストイは、そのとき登場人物が感じたことを、そのまま事実として記述するので、登場人物の内的な独白に、読者は何度も騙されることになる。

 アンドレイは、「自分は何も新たに始める必要はない、このまま悪いことをせず、心安らかに何も望まずに生涯をまっとうすればよい」と、再び殻に籠ってしまう。感動が長続きせず、すぐさま父譲りの「冷笑癖」という呪われた性格に呑まれてしまう。

 

 

先進的な領主

 村にこもったまま、2年が経過。ピエールが自分の領地で失敗したあらゆる企画を、アンドレイは簡単に実現した。農奴を解放し、自由耕作制へ移行したロシアで最も早い例のひとつとなった。

 しかし、ボグチャーロヴォは長らく地主不在の土地で、「広野の民」と呼ばれていた。アンドレイが制度を変えたものの、その粗野な気風まで変えることはできない。アンドレイの成功もピエールの失敗も、どちらも何の変化ももたらさなかったという皮肉。農民たちはしたたかだった。

 

転機

 リャザンの領地の後見に関する件で、郡貴族会長のロストフ伯爵のところ(オトラードノエ)へ行く。そこでナターシャの声を聞いて、「何をあの子はこんなにうれしがっているんだろう」と思う。寝付けずにいると、また彼女の声が聞こえてきて、胸の内に「これまでの生き方とおよそ矛盾した、青年のような思いや希望が湧きおこった」。さらに、自分自身を重ね合わせていた「楡の老木」が、鮮やかな若葉をまとっているのを見て、アンドレイも、春らしい歓喜と生まれ変わりの感覚に襲われる。「人生は三十一歳で終わったわけではない」「俺の人生がみんなに反映し、みんなが俺と共に生きるようになるべきなんだ!」と、ようやく行動へと移ることができた。

 

 

 

アラクチェーエフ

 一念発起して、1809年にペテルブルグにやって来る。侍従(名ばかりの肩書)として参内したが、自分が皇帝に嫌われているのを感じる(1805年以降、国家勤務についていないのが、ご不満だった)。覚書を作って剛腕アラクチェーエフのところに持っていくと、「法律はたくさんあって、古い法律さえ誰も守り切れないほどなのですがね。今どきは誰もが法律を作る方に回りたがります。なにせ、作る方が実行するより楽ですからね」と、皮肉を言われてしまった。

 アンドレイは、自分の知的能力に大きな期待を持っている。自分の能力によって、人から愛される存在になりたいと考えている。ボルコンスキー家には、理性も秩序も信仰も財産もあるが、愛の直接的な表現が欠けている。一方、ロストフ家には、理性も秩序も信仰も財産もないが、愛の直接的な表現だけがある。

 

 

スペランスキーに傾倒

 軍操典委員となり、戦闘前夜に味わったような「不安な好奇心に胸がうずき、何百万の人々の運命を左右する未来が作られようとしている最上層の者たちの世界に、しきりに心が惹かれる」。スペランスキーに心惹かれるあまり、軍操典はどうでもよくなってきた。「スペランスキーこそがまさにその十全なる理性と徳を備えた人間の理想像であると、すんなり信じ込んでしまった」。その一方で、スペランスキーの「あまりに過剰な人間蔑視」と「自分の意見の正しさを証明する際の、その手法の多様性」に「不快な衝撃」を受けている。

 

 

運命の舞踏会

 1809年末、モスクワで高官の舞踏会に参加する。アンドレイはすっかり若返り、快活になっている(この親子は、すぐに老けたり若返ったりする)。「あの方には虫唾が走るわ。いまや飛ぶ鳥を落とす勢いでね、傲慢ぶりといったら、それはもう果てしがないくらい! お父様そっくりになってきたわ」と、奥様方の評判は悪い。本人は生き生きとしているつもりが、他人には傲慢と映ってしまう。人と人との関係で成り立っている物事に夢中になるとき、ボルコンスキー親子は、人ではなく物事の方に夢中になってしまう。

 

いつも踊るらしい

 政治の話をしているアンドレイにピエールが近づいてきて、「あなたはいつも踊りますよね。あそこに僕のお気に入りのお嬢さんが、ロストフ家の下の娘さんがいるのですけど、どうか誘ってやってくださいよ」と言う。ここでアンドレイに、「舞踏会で踊る人という設定」が唐突に追加された。アンドレイは、「舞踏会では踊らなくてはね」と言って、オトラードノエの月夜の娘と運命的な再会を果たした。このあたりの気負った描き方は、講談に似ている。

 アンドレイはいきなりナターシャに歩み寄り、丁寧なお辞儀をして腰を抱く。アンドレイは「社交界人の共通の刻印を帯びてないものに出会うことをよろこびとしていた」ので、「初めて人前で肌をさらした少女のよう」なナターシャに魅了される。光源氏。「もしも彼女がまず自分の従姉のところへ行って、次に別の女性のところに行くようなら、彼女は僕の妻になるだろう」。

 

 

スペランスキーに失望

 この恋のおかげで、政治改革に対して、「果たしてこうしたすべてのことが、この俺をもっと幸せな、良い人間にしてくれるのだろうか?」と、関心を失った。アンドレイは自由に価値を置いているので、熱しやすく冷めやすい。何か夢中になれるものがあれば、人は生きていけるのだ。

 スペランスキーの身内の会に誘われていたが、出かけるのがおっくうになった。彼の内輪の会は、重苦しくて楽しみがたい感じがして、冗談に加わることもできなかった。スペランスキーが娘を愛撫し、キスするしぐささえ、不自然なものに思われた。鏡のように人を撥ねつけるスペランスキーの目が気に入らないし、笑い声もいやだ。この4か月の出来事を思い出して、よくこんなことに長く携わることができたのか、むしろ驚きだった。「自分がどんなに夢中になってローマ法典やフランス法典の条文をロシア語に訳したかを思い出して、恥ずかしくなった」。

 

ロストフはいいぞ

 かつては厳しく批判していたロストフ一家について、今は全員が気取りのない良い人ぞろいに思われた。晩餐に誘われ、ナターシャの内に「自分とは無縁の特別な世界、何か自分の知らぬもろもろの歓びに満ちた世界が存在するのを感じ取った」。自分の全人生が新しい光を浴びて見えて来た。「なんで俺はこんな狭い、閉ざされた枠の中でもがき、あくせくしているのだろう、さまざまな歓びを備えた大きな人生が目の前に開けているというのに」「俺は自分の自由を謳歌すべきだ、たっぷりとした力と若さを身中に感じるうちに」。

 

ナターシャへの恋

 ヴェーラ(ナターシャの姉)から、ナターシャとボリスの幼いころの恋の話を聞かされる。アンドレイは顔を赤らめ、そして妙に目を輝かせていた。翌日もロストフ家を訪ねて、ナターシャのもとを離れない。その後、ピエールに「僕は恋をしているんだよ、君」と言って、「いつもの憂鬱は、人生を見下した態度は、幻滅ぶりは、果たしてどこへ消えたのか?」とびっくりされている。

 

アンドレイの不審な行動

 ナターシャにプロポーズしたいと、禿山の父に報告しに行くと、大反対される。相手の家の格が劣る、若すぎる、何より一人息子を小娘にゆだねるのは不憫……。結婚を1年のばすように言われた。アンドレイは、老公爵と同じく、自分の計画に夢中になることで、周囲の雑音から距離を置き、自分自身を守って来た。ナターシャとの結婚という一大事においても、相手を思いやることができず、自分の考えに固執してしまう。また、愛そのものを信じきることもできず、裏切られるはずだという前提で行動してしまう。

 ナターシャに何も告げずに父のもとに出かけてしまったため、3週間もほったらかしにされたナターシャは苦しみ、「私、全然お嫁になんか行きたくない。あの方が怖いの」と泣き出す始末だった。展開が落語みたいだ。3週間たって、アンドレイはロストフ家を訪れ、いきなり事情をまくしたてる。母は二つ返事でプロポーズを了承した。しかし、結婚は1年後だと伝えると、案の定、「そんなひどい!」ということになってしまった。

 ナターシャに「あなたは僕を愛してくれますか?」と問うと、「ええ、ええ」「ああ、私とても幸せ」と泣きながらにっこり笑って、ナターシャはアンドレイに口づけする(ナターシャが自分から口づけしたのは、ボリスにつづいて二度目)。ちなみに、「ああ、私とても幸せ」は、アンドレイの死の前にナターシャが口にする言葉でもある。

 アンドレイは、「外国から帰ってくるまで、半年間あなたを自由にする、気が変われば約束は破棄してかまわない」という自説にこだわった。

 アンドレイは生きたい。このような希望を持つのは、生きることが難しい人である。だから、破局したときのために予防線を張ることで、みずから破局を求めているかのようにふるまってしまう。空想しかできないピエールとはちがって、アンドレイには行動力があるので、自分が傷つく状況を自分でお膳立てして、わざわざ踏み込んでいく。キリストを試した悪魔の誘惑のように、相手を追い詰め、まるで裏切りをそそのかすようにふるまってしまう。

 

 

外国での不可解な行動

 外国へ旅立つとき、ナターシャとソーニャに、ピエールのことを「黄金の心の持ち主」だと紹介し、何かあったらあの男一人に相談し、助けてもらってくださいと、意味深なことを言った(しかし、ピエールには何もできなかった)。

 その後、医者がダメだと言うから帰れない、父がダメだと言うから帰れないなどと手紙を書き、不自然なふるまいをすることで、あえて自分を窮地に追い込んでいく。ナターシャの兄ニコライは、「そもそもナターシャを愛しているなら、あの頭のおかしなおやじの許可なんかなくても結婚できるはずだろう」と思っている。そして、とっくにロシアに向かっているはずの時期だが、陽気のため傷口が開いてしまい、出発を年明けまでのばすことになった。アンドレイは、ナターシャがアンドレイとの婚約を破棄した直後、まるでそれを待っていたかのように帰国した。前回の帰国と同じく不自然な場面だった。

 

狂ったアンドレイ

 ナターシャがヒ素を飲んで自殺をはかったあと、ピエールがアンドレイのもとを訪ねる。アンドレイは元気そうだ。大きな声で政治について熱く語っている。ピエールに気づいて、「やあ、元気かい? ますます肥えたね」などと軽口をたたく。スペランスキーのことを熱烈な口調で語り、「僕はロストフ家の令嬢から断り状をもらい、君の義兄(アナトール)が彼女に結婚を申し込んだとかいったうわさが耳に入って来た、本当のことかい」と問う。そして、父親と同じ「冷たい、意地悪な、不快な薄ら笑いを浮かべ」、「僕は言ったよ、堕落した女性は許してやるべきだとね。でも僕が許すことができるとは言わなかった」「僕には、あの紳士のお古をいただくような真似はできんな」と言った。

 きれいな若者として登場した主人公たちは、全員不快な穢れをまとっていく。アンドレイは父をナターシャよりも優先したことで、父に似た人物となってしまった。作中人物は、現実のふつうの人間と同じくぞんざいに扱われる。この作品は、小説ではないのだ。

 

終盤

 

アナトールと

 モスクワでピエールと会ったのち、アンドレイはアナトールと会うためにペテルブルグへ向かった。しかし、アナトールは、軍務でモルダヴィアへと去っていた。同じ時期、アンドレイもかつて世話になったクトゥーゾフに会い、クトゥーゾフが総司令に拝命されていたモルダヴィアへの同行を勧められた。モルダヴィアでアナトールと決闘するつもりだったが、到着したときには、アナトールはロシアへ戻っていた。1812年6月、ナポレオンとの開戦の報が届くと、アンドレイは西部軍への転属を頼んだ。クトゥーゾフはアンドレイの精勤ぶりによって、自分の無為が責められているように感じたので、すぐにバルクライへの委任状を書いてくれた。

 

父との対決

 5月、西部隊の陣へ赴く前に、禿山の実家に立ち寄った。家の中の者たちが、たがいに2つの陣営に分かれて争っているのを見た。老公爵は、マドモワアゼル・ブリエンヌをマリヤが憎んでいるせいで、自分の健康が悪化したと非難する。これに対して、アンドレイは、「ぼくが言いうるのはひとつだけ、もし誤解があるなら、その原因は、妹の親友になれるはずのない無価値な女だ、ということです」と、生まれて初めて父を非難した。「悪いのはあのフランス女です」。父は、「出ていけ、失せろ!」と激怒した。

 アンドレイはすぐに出発しようとしたが、アンナが止める。翌朝、息子を膝の上に抱いたが、彼に対する愛情が自分の中には見いだせなかった。父を怒らせた後悔も、父のもとを去る心残りも見出すことができなかった。そして、「ああ、情けない! なんということだ! 考えられるか、だれが何をしたというのだ、あんなクズみたいなやつが、人の不幸の原因になりうるとは!」と憎悪をこめて言い、マリヤをぎくりとさせた。

 これ以上長くここにいれば、不和が深まるばかりだと、アンドレイは出て行った。「かわいそうに、罪のない妹は、出ることもならず、理性を失った老父にいじめぬかれねばならない。老人は自分が悪いことを感じているが、自分を変えたりできない。おれの息子は成長して、人生を謳歌し、みんなと同じように、欺かれたり欺いたりするようになるだろう」。出発後すぐに、ていねいに父の赦しを請う手紙を送り、老公爵はアンドレイにやさしい返事を送り、ブリエンヌを身辺から遠ざけた。

 

出征と荒れた故郷

 6月末に総司令部に到着。バルクライのもとに配属される。またしてもアナトールはおらず、ペテルブルグにいることがわかった。この知らせにむしろほっとした(決闘せずにすむ)。陣地を視察する中で、「どんなに深い考察をもって練り上げられた計画でも、実践には何の意味も持ちえない」という信念を持つ(これはトルストイの信念である)。皇帝に拝謁する。

 8月1日の2度目の手紙では、軍の移動する線上にあたるので、禿山にとどまることが危険だと警告した。8月6日にスモーレンスクが放棄される。スモーレンスクの炎上と放棄は、敵への憎悪をアンドレイにもたらした。

 8月10日、アンドレイの指揮する連隊は、禿山の近くを通りかかる。自分の痛い所をわざと突いてうずかせたいという持ち前の気性から、禿山を訪れる決意をした。父と妹と息子は2日前にモスクワに発っていた(実際はアンドレイの建てたボグチャーロヴォの新しい館に移っただけだった)。禿山にはアルパートゥイチだけが留守に残っており、3師団が野営をしたため庭も荒れ放題になっていた。病気の父があれほど愛し、生涯をかけてつくりあげた禿山を略奪にゆだねてしまったことに、陰鬱な気持ちにとらわれた。アルパートゥイチには、リャザンかモスクワ近郊へ去るように伝えた。

 その一方で、アンドレイは部下を大切にして、兵士たちは「おらが公爵」と呼んでアンドレイを愛していた。兵士たちは汚い池で水浴びしていた。ティモーヒンに誘われ、連隊のみんなも「公爵が水を浴びられるぞ」「どこの? おらが公爵か?」と場所を開けようとしたので、何とか止めさせた。

 

デニーソフとの対面

 戦地に到着したとき、クトゥーゾフが最初の閲兵をしていた。クトゥーゾフとの面会を待っていると、デニーソフ中佐が通りかかった。面識はなかったが、ナターシャから昔の恋の話を聞いていたので、名前は知っていた。二人とも、ナターシャとの甘く苦い思い出に、苦痛を呼び覚まされたが、目の前の問題を邪魔するほどの力はなかった。

 

老公爵の死

 クトゥーゾフに父の死を報告すると、驚きで目を見張って、「わしはお父上を愛していたし、尊敬していたのだ」と目に涙をためて言った。そして、アンドレイに自分のそばにいてほしいと言ったが、アンドレイは連隊に戻ると答えた。「残念だな、きみはわしに必要な人間なのだが。だがきみが正しい、きみが正しいよ。われわれが人間を必要とするのは、ここではない。意見を述べる者はいつもわんさといるが、人間はいない。りっぱな意見を吐く連中がみな、きみのように連隊に勤めていたら、連隊はこんなざまにはならなかったろうよ。わしはアウステルリッツ以来きみをおぼえとる……おぼえとるよ、おぼえとるよ、軍旗を持った姿をな」とクトゥーゾフは言い、アンドレイもそのことをうれしく思った。

 

ボロジノ会戦前日

 ボロジノ会戦前日、7年前のアウステルリッツと同じ高ぶりと神経のいら立ちを感じた。死ぬかもしれないと思った。「死ぬのか、明日おれは殺されるのだ、おれはいなくなるのだ……これらはみな残るが、おれはいなくなってしまうのだ」。そして、輝かしいと思っていた名誉・社会の福祉・清らかな恋愛・祖国が、どれもこれも色あせた粗雑なものにすぎなかったことを、悲しく思った。そして、人生における三つの悲しみ、ナターシャへの愛、父の死、フランス軍の侵入をふりかえっている。

 

ピエールとの面会

    そこにピエールが現れた。モスクワの苦い思い出がよみがえった。「ぼくが来たのは……ただ……その……なんとなく……興味があったものですから」と言うので、いらだって、「なるほど、してフリーメーソンの同志たちは、戦争をどう言ってるのかね? 未然に防ぐ策はおありかな?」と、あざけるように返した。

 アンドレイは、ピエールと二人きりになりたくないので、士官たちを引き留めようとする。ピエールを揶揄しつつ、戦争談義を行う。アンドレイは、自分の考えを吐露したい気持ちを抑えることができなくなり、上層部が小さな利害にとらわれていることを批判した。また、ドイツ人たちも思考ばかりで役に立たず、役に立つのはティモーヒンのような勇気だと言う。物語の冒頭、アンナ・パーヴロブナ夜会では、ピエールが戦争談義に夢中になり、アンドレイはピエールだけを温かく迎えていた。最後の二人は、それとは対照的な対面となった。

 

アンドレイの戦争観

 勝つと思うかと問われ、「思う」と答えた。「戦いは、勝つとかたく決意したほうが勝つのだ。なぜわれわれがアウステルリッツで負けたか? わが軍の損失はフランス軍のそれとほとんど変わらなかった、ところがわれわれのほうが、われわれは負けたのだと、あまりにも早く自分に言いすぎた――だから負けたのだ。ではなぜわれわれはそれを言ったのか、それはわれわれにはあそこで戦う理由がなかったし、は戦場から去りたかったからだ」。そして、自分に権力があれば、捕虜をとらないと言う。「フランス軍はぼくの屋敷を破壊し、モスクワを破壊しようとしている、ぼくを侮辱し、たえず侮辱をつづけている。やつらはぼくの敵だ、ぼくの考えでは、やつらはみな犯罪者だ」。ピエールは同意した。

 

生きているのが

 アンドレイは、「ああ、きみ、このごろぼくは生きているのがつらくなった。人間は智慧の木から実を食べすぎると、よくないのだな」と言って、ピエールを抱きしめ接吻して、「さようなら、行きたまえ」と叫んだ。そして、険しい表情で納屋に消えた。ピエールは、「おれにはわかっている、これが彼との最後の対面になろう」と、観察者としての冷徹な目で断じている。

 

最後の戦い

 アンドレイの連隊は予備に回されるが、猛烈な砲火にさらされた。二百名以上を失った連隊は、なすこともないまま待機していた。午後1時すぎに前進を命じられ、一発の弾丸も打たないまま、数百門の大砲の集中砲火により、三分の一の兵を失った。一発落下するごとに、生きる僥倖は少なくなっていく。アンドレイは、連隊のすべての人と同じように、青ざめた険しい顔で、なすことも指示することも何もないまま、列間を歩きまわっていた。アンドレイから二歩のところに榴弾が落下した。伏せろ!と副官の声が飛んだが、「意を決しかねている」アンドレイのすぐそばで、煙をひきながらコマのようにくるくる回った。「これが死なのだろうか?」「おれは死ねない、死にたくない、おれは生命を愛する、この草を、大地を、空気を、愛する……」と思った。右わき腹からどくどく血が流れた。担架で運ばれるとき、ティモーヒンは、「連隊長殿か? あ? 公爵か?」と声をふるわせて叫んだ。

 

アナトールと

 包帯所に運ばれ、アンドレイは目を開けた。「どうしておれはこの生活と別れるのが惜しかったのか? この生活には、おれのわからなかったものが、いまもわかっていないものが、何かあった」。アンドレイは、天幕の中に運ばれた。「まわりに見えるものがすべて、裸にされた血まみれの人体というひとつの総合的な印象」に溶け合った。横の台ではタタール人が背中を切開しており、豚の唸るような声を立てていたが、不意に暴れて、胸をえぐるようなけものじみた叫び声をあげて死んだ。もう一つの台には、「大きな太った男があおむけに寝て、頭をのけぞらせていた」。白い大きな肉付きのよい片足が、たえずひくひくとふるえながら、はげしくもがいていた。アンドレイは、服を脱がされ、腹部の疼痛で失神した。意識を取り戻すと、軍医は黙って唇に接吻した。苦痛に耐え抜いたあと、アンドレイは久しく忘れていた幸福をおぼえた。

 太った男は足を切断し、「おお! おおお!」と叫ぶ。いま片足を切断されたばかりのアナトールだった。「この男は何かによって緊密に、不快におれと結び付けられているんだな」と思った。走馬灯のように過去を思い出していると、「この男に対する胸の底から突き上げてくるような憐れみと愛が、彼の幸福な心を満たした」。そして、隣人愛を理解した。「われわれを憎む者に対する愛、敵に対する愛――そうだ、これが地上に神が説いた間、妹のマリヤに教えられたが、理解できなかったあの愛だ。これがわからなかったから、おれは生命が惜しかったのだ。これこそ、おれが生きていられたら、まだおれの中に残されていたはずなのだが、いまはもうおそい」。

 

隣人愛

 意識をとりもどす。7日間たっていた。7日目に、彼はおいしそうに一きれのパンを食べ、お茶を飲んだ。しかし、傷口からは腐臭が漂っていた。激痛で意識を失った。福音書を手に入れてほしいと軍医に頼んだ。包帯所で、憎むべき男アナトールが苦しむのを見て、福音書に通じる新しい「幸福」の観念にとらわれた。「そうだ、愛だ」「おれが死に瀕しながら、憎むべき敵を見て、なおかつ愛したときに、はじめて経験したあの愛だ。」「隣人を愛し、敵を愛する。すべてを愛することは――あらゆる姿であらわれる神を愛することだ」

 

 ――人間の愛で愛していれば、愛から憎悪に移ることがある。だが、神の愛が変わることはありえない。何ものも、死も、ぜったいにそれを破ることはできぬ。これは魂の本質なのだ。だが、おれはこれまでの生涯にどれほど多くの人々を憎んできたことか。しかしおれが誰よりも強く愛し、だれよりも強く憎んだのは、彼女だった。

 

ナターシャと

 ナターシャを思い浮かべる。そして、「いまはじめて、彼は彼女の心を自分の心に思い浮かべたのである」。はじめて自分の拒絶の残酷さを理解し、「もう一度だけ彼女に会うことができたら」と思った。意識を失って、ふと目を覚ますと、ナターシャが本当に目の前にいた。「お赦しくださいませ!」とナターシャ。アンドレイは「あなたを愛しています」「ぼくはまえよりももっと強く、もっと純粋に、あなたを愛しています」と答えた。ナターシャの顔は醜いというより気味悪いほどだった。輝く目を見ていた(これはトルストイお決まりの描写)。その後、ずっとナターシャはアンドレイのそばを離れなかった。

 

マリヤと

 厳しかった人間が、やさしくおだやかになると、死は近い。妹マリヤには、ニコライと結婚してくれたらいいと思っていると伝えた。マリヤが、息子の話をするとアンドレイは微笑する。マリヤが人間の感情にひきもどす最後の方法を用いたことへの冷笑だった。マリヤが泣き出したのは、息子が孤児になってしまうことに対してだと悟った。「自分が死ぬことを知っていたばかりか、死にかけており、もう半分死んでいることを、感じていた」。以前は最期を恐れていたが、「永遠の、自由な愛の、この花が開いたとき、彼はもう死を恐れなかったし、死を考えもしなかった」。そんなとき、ナターシャが現れて、彼女への愛がアンドレイを生に結び付けた。「ナターシャぼくはあまりにもあなたを愛しすぎています、この世の何よりも」。ナターシャは幸福に胸を躍らせた。

 

愛とは生だ

 アンドレイは、「愛が死を妨げている。愛とは生だ。すべては、おれが理解しているすべては、おれが愛しているからのみ、理解できるのだ」と気づいたが、この考えは彼の心を休めず、知的遊戯にすぎなかった。夢の中では、扉の陰に死が立っており、逃げようとしても逃げられない。恐怖におびえながら扉をおさえようとしたが、恐ろしい力に押されて、扉が開いた。それが死だった。アンドレイ公爵は死んだ。死んだとたんに、これは夢だと気づいた。死んだとたんに目をさましたということは、死は目覚めなのだとひらめいた。最後の数日は、彼はもう遠くへ去ってしまっており、マリヤとナターシャは彼の身体の世話をしていただけだった。二人は、彼があちらへ沈んでいくのを「よいこと」であると知っていた。霊魂が肉体を離れる臨終の痙攣が来て、二人は敬虔な感動で泣いた。

 

エピローグ

 

 アンドレイの死について、マリヤがピエールに説明する。ピエールは、「では安らかな心になったのですね?」「彼は常々心のすべての力をあげて、完全にりっぱな人間になろうという、ただそれだけを求めていたのですから、死を恐れるわけがありませんよ。」「彼のもっていた欠点は、彼の本来のものじゃなかったのですね。だから、おだやかになったのでしょう」と言った。ナターシャは、再会が幸せなものだったと言った。ナターシャは、一行の中にアンドレイがいるとソーニャから言われたとき、そばにいてあげなければならないと、それだけを思ってかけつけたのだった。ナターシャは、二人に対して、アンドレイの思い出を、はじめて語り始めた。