思い出してみる【1回目の妊娠~続き~】 | こにゃにゃちは、赤ちゃん(○゚ε゚○)

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2009年2月から不妊専門クリニックデビューしました。                  
2009年8月、初AIHにて陽性!

だいぶ時間がたってしまいましたが、

前回の続きです。


流産の話ですので、気のすすまない方は

どうかスルーして下さいね。

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妊娠が分かってからは、

主人と本屋さんに行ってたまごクラブを買ったり、

どんなマタニティーウェアがあるのかな~なんて

ネットで調べてみたり。


今から産まれてくるであろう、新しい命に対して

不安な気持ちなど、全くありませんでした。


ある日、私の実家で夕食を食べていた時、

何となくオリモノが多めに出た気がして

トイレに行ってみると、下着に茶色い出血。


その後から少しお腹も痛くなってきて。

もう夜の10時を過ぎていましたが

主人が産婦人科に電話を入れて状況を説明してくれたら

「今からでも診ますので、いらして下さい」との事。


産婦人科に着き、さっそく先生が内診してくれたところ、

前回見えた胎嚢の中にチカチカ点滅するものが・・・。


「noccoさん、今日は一応心拍も見えてます。

心拍が見えると流産の可能性も下がりますかが、

あとは着替えてからお話しましょう」


着替えて診察室で先生に

「一番気になるのは大きさですね。

前回からほぼ成長していません。一応心拍は見えましたが・・・。

今日はお薬を出します。そして一週間後

もう一度診せて下さい。その時心拍がない、もしくは

成長してなければ・・・無理かも知れませんね」


”無理かも知れない”

その言葉を聞いた時、今となれば恥ずかしい事ですが、

診察してくださった先生の事を

「なんて冷たい人なんだろう!?

そんな一言で、赤ちゃんの命を判断するなんて」と

訳も分からず腹を立てた事を覚えています。


その一週間後の診察で稽留流産と診断され、

手術をうける事になりました。


前日から宿泊し、

痛いと言われるラミナリア(子宮口を開くためのもの)を入れる

処置をしましたが、拍子抜けするほど痛みはありませんでした。

一人でいるのが不安で、ずっと主人が傍にいてくれました。

その夜は手術前と言う事で、食事はありませんでした。


そして手術の日、着替えを済ませ

自分で診察台に上りました。

足に袋のような物をかけられ、急に動いてしまわないように

と言う事で手足を診察台に固定されました。

名前、年齢、手術の内容の確認があり

麻酔用の針が刺されました。

看護士さんが「麻酔を入れますね。

一緒に1から10まで数えましょう」と言いました。

”4”数えたまでしか、私の記憶はありませんでした。


目が覚めると手術は終わっていて、車椅子で

病室まで戻りました。病室までは待合室を通らなければならず、

そこで初めて涙が出て止まらなくなってしまいました。

主人も待合室にいたらしく、泣きながら車椅子で運ばれている

私を見つけて、すぐに病室まで来てくれました。

それから、幾つかの点滴を打って、

私は寝たり起きたりを繰り返しました。


夕食の時間、配膳のオバちゃんが部屋まで

食事を持ってきてくれました。

そのご飯がとっても美味しくて、とっても悲しいのに

こんな風に食事して”美味しい”と思えるなんて、

複雑な気持ちでまた涙が出ました。


手術後の痛みは、全くと言って良いほど

ありませんでした。

きっと先生が上手に対処してくださったんだと思います。

実際、その後もちゃんと妊娠出来ましたしね。

”冷たい人だ!”なんて思ったけど、先生も

そう言うしかなかったんですよね。

やはり悲しい診断を下すのは、幾らお医者様と言えども

きっと辛いものだと思います。


しばらくして、主人の会社の先輩に会いました。

私の妊娠が分かってから、産婦人科やらの

相談をしていた先輩だったので、主人は

私が流産した事も話していたようです。


先輩は

「あんなに落ち込んだ彼を見るのは初めてで、本当に心配だった。」

と言っていました。

私の前では明るく優しく、「大丈夫、大丈夫」と私を

元気づけてくれていた主人。

私は悲しくて泣けば良かったかも知れないけど、

自分はしっかりしなければ!と気丈に振舞ってくれていたんですね。


流産という結果で、悲しく辛い思いもありましたが、

その中にも、今まで気付かなかった周りの人の

優しさや温かさを沢山感じました。

何より、私にとっての主人の存在の大きさを知り、

主人に大切にしてもらっている事を、

本当に幸せだと思いました。


失ったものも大きかったですが、

きっとそれが、赤ちゃんが残してくれた

大切なメッセージかも知れませんね。


2006年7月の事でした

それから3年経ちます。


今の私、ちゃんとメッセージを大切に出来てるかな?

もう一度、心にそのメッセージをしっかりと感じ

過ごしていきたいと思います。