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出雲歴史博物館のほか、風土記の丘など、古代の歴史資料が展示されている場所を回っていました。

出雲風土記のことを知りたかったのです。

ひょっこりと出てきた前世の人、直純は大王によると出雲風土記を作る役人だったそうなので。

この風土記を書く仕事で、直純は自殺したそうなので。

 

「書いてくれ」と、ようやく直純から許可は出たけど、背中側から後ろへ吸われるような感覚が苦しい。息が急に浅くなり、空気が肺に入ってこなくなる。彼が苦しんでいるのがわかる。

直純、直純と名前を呼んで、今じゃなくていい、明かさなくてもいいと声をかけるけど、書いてほしいと繰り返しているみたいに思う。

私の体を引っ張るのは誰だろうか。最初は直純なのかと思ったけど、違うのかもしれない。

今は背もたれと背中の間に磁力みたいな力が働いたまま、それに抗っています。何から書けばいいのか、最初の言葉を探しながら。

 

たぶん、が取れないけど、直純は下級の貴族か役人の家に生まれました。

何もしないままでは落ちぶれるままだったから、努力して役人の職に就いたのだと思います。それでも中央の役人になれるほどではなかったのか、やりたい仕事だったからか、近畿地方から出雲国へ赴き、出雲国府の役人になりました。

真面目で素直で、賑やかではないけど明るい性格で、そんなにクセのない男みたいなイメージがあります。

 

直純が仲間と作ろうとしていた出雲風土記は、中央の支配層が支配地の産物や土地の特徴などを把握し、管理や課税の基とするために作成を命じた記録書です。

国司や郡司の指示の下、出雲国の山、平地、海や港をくまなく歩きまわり、土地の者から話を聞き集め、それらをまとめるのが直純のお仕事。

だから、彼について最初に見えた印象も、大股で力強く地面を踏む両足だったのかもしれません。どこまでも歩いていっては、土地の様子を観察したり、長老から歴史を聞き出したりするのが日常だったんだろうな。一度出れば、三、四日帰らないこともざらにあって、戻ってきたらひたすら机に向かって書記に打ち込むことを繰り返していたんだと思います。

 

これもたぶん、ですが、直純には見えないものを感受する部分が強くて、その土地自体に刻まれた時の記憶のようなものを読んだり、土地を守る霊や神からも教えてもらったりしていた、きっと。

それで、山代日子神とも交流を持ったか、その姿の記憶を見て尊敬の念を強く抱いたみたいです。同時に、当時の優れた治世や豊かさを知り、魅了されたんでしょう。

当時の姿を正確に記録し蘇らせたいと願い、それに関わる仕事に誇りを持ったに違いないと思います。もしかしたら、そうします! 

とか誓ったのかも。

 

でも、それはできなかった。

中央に匹敵する、もしくは凌駕するかもしれない高度な政が支配地に実現していたとか、またはその仕組みが今の中央政権が目指している体制とは根本的に違うとか、とにかく不都合な事実だったゆえに。

歪められたのか、抹消されたのか。おそらく、直純自身の手でもそれは行われ、出雲風土記は出来たのです。

 

己の手で見出し、愛した土地の姿を歪め、心から尊敬し慕った存在を裏切った。

自身のすべてを注ぎ込んだ仕事への誇りも失った。

上役に何度訴えようと取り合ってもらえるはずもなく、周囲に理解を得られることもなく、やがて直純は自分の殻に閉じこもってしまい、表面上は普段通りに戻ったように振舞っていた、のかな。

殻の中で直純の精神はゆっくり力を失っていって、周りからすれば唐突に自害に至ったようです。