勉強会に出て、自分にかかっている呪いを見つけた。それはそれは大きな収穫だったと思っている。


 呪いには対抗策がある。許可を与えることだ。

 「強くあれ」なら「頼ってもいいよ」と。「完璧であれ」には「できなくてもいいよ」と。


 うん……。前は無理だったね。今はその許可に抵抗感はないし、だいぶ受け入れられている。

 でも、心から他人を信じるところまで、いかないな~。


 まだ、他に見つかってない何かがあるみたいだ。



 とりあえず、呪いについてだが、呪いは幼少期に受けた親からの命令が影響しているということだった。

 私の場合、「親は何をしても良い。お前はダメだ」だと思った。

 それに対し、私は「何も求めてはいけない。何も求めない」と決断した。らしい。

 だから、自分を強く鍛える方向へ走り出したのかもしれない。


 講義の終わりに、どうしたら解放されるかなと学んだことを振返っていると、ふと思いついた。


 あ、●親を●そう。


 思わず微笑みが浮かんだ。そうだ、そうだ。諦めるとか中途半端なことをせずに、実行したらよかった。


 憎しみに関しては、諦めてしまうという対応で断ち切ったが、もっともっと突き放してしまえば楽になる。きっと。

 上機嫌で帰り道、すこし褪せた五月晴れの空を見上げた。誰にではないが、「それでいいよね」と投げ上げた。

 透明で優しい青い空。


 

 ゆるす、と聞こえた気がした。


 その空と同じ色の声。耳をふさげば、簡単に聞こえなくなるような儚さだった。


 その思いつきを許可するという意味ではない。

 ●すのではなく、赦す道に目を向けるように促されたんだと受け取った。


 ……ゆるす……。


 ゆるす?



 その世界は、あかるくて平らで、広やか場所のような予感がしたけれど、まだ●す道も消していない。