【定例記録】2度目の移住から2024年6月20日で13年2ヶ月を迎えました。 | "元"東京人の北海道「とかち」移住日記Vol.2.1

【定例記録】2度目の移住から2024年6月20日で13年2ヶ月を迎えました。

【定例記録】2度目の移住から2024年6月20日で13年2ヶ月を迎えました。

~皆様にはご心配をおかけしましたが、6月よりバイトを再び始めました!

 

まず、能登半島地震で被災された皆さま、残念ながら犠牲になられました皆さまへ心よりお見舞いとお悔やみを申し上げます。

日時は経過してきましたが、地域の復興への道筋は厳しさがあるかな?とも感じております。未だ避難所におられる方、仮設住宅はどうはっているか?などのことも気になりますが。生活の再建も大変かと存じます。

最近は情報も少なくなりつつあり、風化させるには早すぎる!と心配でなりません。

未だ苦しんでいる被災者の皆さまもたくさんいるかと思いますし、生活も不安定な状況のなかでされている方も多いかと思います。

北陸地方は中学生の時の修学旅行で訪問した土地で、素晴らしい土地でありますし、風光明媚で海の幸にも恵まれた土地でもあります。

影響を受けた地域も広く、かつ能登半島は半島ですので、救助活動や支援、復興には苦労する地理的な場所でもあると思います。

少しでも安全、安心して復興への希望が持てる日が来ますことを心よりお祈り申し上げます。

 

そして、これを掲載する今日は沖縄の「慰霊の日」。戦後79年の。来年で80年を迎えます。戦争の激戦地で犠牲になり、今なお、傷跡や米軍基地問題など戦争の残した課題が山積している沖縄。

本土並み復帰という言葉と現実の違いは明らかではありますね。

そして、沖縄戦で尊い命を失ってしまったすべての方、ご遺族の方への哀悼と追悼の意を。

また、未来へ平和な日本と世界を作り、守ることが私達の使命でもありますね。

人が血を流し合うことのない世界を作り、お互いを思いやれる世界になりますように。

 

さて、早いもので、ほぼ月次のこのBlogのタイトルにここ十勝に出戻りしてからの月日を記載してますが、2011年4月20日からなので、6月20日で13年2ヶ月を迎えました。

そして、2017年8月31日の台風災害で被災し、今の家に住み始めてからも2017年4月(住民票の異動は4月17日)ですので7年2ヶ月経過しました。

思えば様々なことがありました。喜怒哀楽や暮らしがジェットコースターのように変化したり、精神障害との戦いも一進一退の攻防の中に今もありますが。

負けたくない、障害は治らないものですので、その中で自分がこの社会の為にできることをしてきたのに、元の鞘に収まってしまってもうすぐ1年、悔し涙を流しながら、前に進まなきゃ、と努力しつつも足踏みしてる今。できることをしつつ、乗り越えていかないといけない試練なことは承知しております。支えてくださっている、応援してくれている方に報いるよう精進して前を向き合いながら引き続き進みたく思います。

 

最近は少し気力的にも全体的にも少しずつバイトを探して、無理なく働けるようになりたい!という思いが強くなって、本気で探して、運良く帯広までの通勤はありますが、バイトを6月初旬よりまた始めました。

主治医からも無理しない程度でバイトしてみたら?というお言葉と私の気持ちが一致したし、働き始めた職場にも面接の時にきちんと事情もご説明した上で、採用してもらえたので、無理せずに公的な支援から直ぐには稼ぎの内容から抜け出せないにしても、自立への階段をまた昇り始めております。

今はまだトレーニング期間なので、仕事を覚えて何とか続けられるようにしていくこと、それが今の目標ですね。

 

いつもありがとうございます。

十勝もすっかり春!時として夏のような暑さの日のあることが出てきました。

初夏な時期かな?ただ、お天気は周期的に変化してますが。晴れて暑い!後にシトシトと雨が続いたりとね。

 

心身の状態のその後のことをまず。

朝苦手なのに、朝、起きれる日が増えてきました。夜寝る時間は変わらないのにね。

起きている時間も家事をしたり、片付けをしたり、動いたり、時に休憩を挟みながら無理せずに。

久しぶりにパン焼きやお菓子作りをしたりもたまにしてます。

やはり、好きなことをするのはたのしくいですね、気分も楽しくなります。

そして、バイトも始めたので新たな生活リズムを作りつつ、今はできることを精一杯しておりますね。

 

この療養のきっかけは突然でしたが、冬には少しでも働ける心身に改善させたいと思いながらの日々でありましたが、願いは叶わず、今も心身の体調の波が結構大きくて、とても困難な状況でしたが、少しずつ改善してきたかな?と思えることが増えてきました。

まだ悔しいですが、完璧ではないですので、耐え忍びながら一歩一歩心身の健康の改善に努めること、バイトと生活のバランスの両立と体調管理をしっかりすることが大切なことであります。

 

自分の為に、と言うよりも自分を気遣ってくださる皆さまの為に。無理をしたら繰り返す。もちろん、2023年5月のこうなったのは無理をしたから、ということではないのですが、運悪く突然襲われたものでしたから。

日々生活と働く為の状態の為に努力は必死にしておりました。

しかし、精神障害を抱えた私にはコントロールを必死にしてもその通りに心身が付いてこない局面が幾多もあったことも事実であります。

そのトドメと言わんがばかりに5月の精神科の通院翌日に突然歯車は狂うというより、崩壊してしまいました。前日まで何の兆候もなく、翌日に備えてきちんと対応もしてたのにね。

人間ってホントわからんものです。

それを引きずっていたらいつまでも前には進めません。こんな私を気持ちで支えてくれるたくさんの方がおります。気にかけてくれる方もたくさんおります。

プレッシャーにせずに、チカラに変えていかねばなりません。それが今の私の責務。

負ける訳にはいかない闘いなんです。

気持ちというか精神面の波はもちろん障害の影響であります。でも、根幹まで壊れる様にはなりたくないから、そのケアをどうするか?もしっかりとしつつ日々を過ごすようにします。気をつけながら日々を充実したものにして、過ごせるように努力するしかないですね。

 

うちは複雑な家庭環境にあります。一般的な家庭、家族関係とは幼い頃よりかなり異なる中で生きてきました。身体障害者の家族、大病を患い死の淵を体験した家族がおり、それでも日々必死に生きて努力している尊敬すべき家族です。

でも、それがこの結果ではありません。己に全ての責任があるのです。

親兄弟、別れた家族みんな誰も悪くはありません。一人一人日々を懸命に助け合いながら生きてます。その姿を目で見ている訳ではありませんが、必死に生きて暮らしていることがその証ですよね。

私にも努力を積み上げればできるはず。障害を負う前はそうやって生きてきてましたしね。

ただ違うのは、反復性うつ病性障害という精神障害と向き合いながらバランスを上手く取れるように生きなければならないということだけ。

改めて、自分と向き合い、障害とも向き合いながら、日々模索して、考えて行動する。どうしたら良い方向に線路を敷くことができるかをね。引き続き挑戦をひたすらちているのが、最近の私かもしれません。

不幸にも別れてしまった家族も、みな努力家で子供達は大学生として、学業やバイトに励んでます。母親や祖父母の背中を見て頑張っているんだと思いますね。遠くから応援をいつもしてます。

長くなりましたね。

 

毎度変わらずですが。

コロナも5類移行により、あたかも闇に葬られた形ですし、感染者の公表の仕方も変わり、それにより世の中の状況が有耶無耶なのも事実です。

確かに私達の暮らしにプラスなこととマイナスなことの両方をこの国は強いていることもこれまた事実。世界の流れに合わせてるとはいえね。

まだ、安心、安全な世の中には戻れてないし、更に生活を次々と圧迫する経済状況。裕福な方以外はすべての国民が今の暮らしが苦しくなっていくのみ。

国のやることすら信用できないし、現実も理解してない。特に物価に関してはコロナ前のレベルに戻さないと暮らせなくなる、商売をされている方も成り立たなくなる、そんな社会に間違いなく進みます。政治の決定者達はお金に困らない層だから、我々末端の国民の暮らしの現実見えてないですよね?

年初から騒いでいる問題も有耶無耶にしてきてますし、それが政治不信に繋がる最大の要因で、このようなことが起きない金をかけない政治システムへの転換をすることを国民は望んでます!そこをしっかりと理解して変革してほしいと願いますが、過去の歴史を見ても上辺の変革で抜け道やバックドアのあるものでは困りますね。政治家の驕りなんだと思います。

気付いても変える気も無いように見えてしまいますが、危機的状況と認識してもらいたいものです。

末恐ろしい世の中になること、どうかそれだけは回避されてほしいと切に願っております。

世の中が穏やかに、一人一人が笑顔で生きていける世の中になりますように。

 

お身体に気をつけながら今の季節のお天気の良い日の陽気のように笑顔でいられますようにお過ごしください。

 

2024.6.23