"元"東京人の北海道「とかち」移住日記Vol.2.1
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【定例記録】2度目の移住から2025年11月20日で14年7ヶ月を迎えました。

【定例記録】2度目の移住から2025年11月20日で14年7ヶ月を迎えました。

~障害を抱えながら生きる苦しみ、ただ今心身不調11ヶ月経過して。今年も冬がやってきた。

 

冒頭に、前回に引き続き今回もBlog更新が心身の体調不良により、遅れましたこと、お詫びいたします。年初よりひどくなりましたこの状態未だに続いており。

このまま2025年が終わるような気がしてとても悲しく感じますが、希望を持たなければ!という思いはあれど、現実は甘くないぞ!と教えられているように思えまして。

1年前の10月まではまだ、バイトもできるくらいの状態でしたが、まさかこんなになるとはね。今は無期限就労禁止の障がいの状態ですが。

来年の今頃はそれなりに改善してできることが増えていることを願いながらここまでの1年同様に願いつつ、日々を過ごしていきたいと思います。

 

さて、様々な土地で災害に被災された、被災されているすべての皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

復興が進んでいるところもあれば、なかなか思うように進まない土地もあることと思います。最近あまり情報が出回ることも減り、心配はありますが。

情報も乏しくなり、風化していくとか、世の中の関心事でなくなることはとても由々しきことと思います。

日本に暮らしている以上はいつ被災者の立場になってもおかしくない。

それを甘くみてはいけないと感じます。

自分自身も2016年8月に台風災害で被災した経験がありますから、住む土地の復興と自身の暮らしの復興はまったく別物であることは経験して、身をもって理解しましたし、とても道のりは大変かと思います。

心身の傷は癒える日はないと思います。未だに自分も雨足の音が強いと当時のことがフラッシュバックして恐怖心が蘇り、安堵できる状態ではありません。

でも、一歩ずつ前に進まなければならないことも現実ですね。

希望を捨てず、元には戻れなくても、少しでも安心できる日が訪れますように。

 

2025年が始まったと思っていたら、あっという間に10月を過ぎて11月を迎えてしまい、冬の到来を感じる季節に今年もなってきました。

明日から師走の12月。今年もあとわずか。自分にはとても悔しくて、納得のいかない1年も終わりに向かっております。年末も段々近づいてきていることを実感しますね。

心身の不調により、今月もほぼ外に出られず、寝込むか、家で大人しくするしかない日々の中、通院すらままならず。10月は、検査通院がありましたが、体調不良により、行くことができず、11月に何とか無理やり通院してきました。

結果は私の2型糖尿病の検査は特に異常もなく、正常値でしたから気を緩めずに日々を過ごしてまいります。

心身の不調から寝込む生活を11ヶ月以上していたら、良い兆しに向かうことなく、時だけが過ぎておりました。今年も11月、既にとうとう11ヶ月目に突入し、まもなく12ヶ月目。切ない限りであります。

猛暑の後に急に季節が進み、冬の寒さの朝晩になり。昼間も例年並みの感じで上着が必要な季節。冬靴も古くなり、危ない感じなので、今年は何とか買わないとな、とは思うけど、厳しいかな?

雪への備えもまだできてないし、冬を迎えるためにさて、どうするかな?と悩んでいることも事実ですね。

 

さて、早いもので、ほぼ月次のこのBlogのタイトルにここ十勝に出戻りしてからの月日を記載してますが、2011年4月20日からなので、11月20日で14年7ヶ月を迎えました。

そして、2017年8月31日の台風災害で被災し、今の家に住み始めてからも2017年4月(住民票の異動は4月17日)ですので8年7ヶ月になりました。

思えば様々なことがありました。喜怒哀楽や暮らしがジェットコースターのように変化したり、精神障がいとの戦いも一進一退の攻防の中に今もありますが。

負けたくない、障がいは治らないものですので、その中で自分がこの社会の為にできることをしてきたのに、元の鞘に収まってしまった。仕方のないことですが、悔し涙を流しながら、前に進まなきゃ、と努力しつつも、また元の通りに戻ってしまいました。悲しいことではありますが、これが現実なのでしょうね。

努力と裏腹に状況は改善しないままの状態が続いております。主治医と模索しながら闘いの日々ですね。

 

心身の状態のその後のことをまず。

年始よりここまでほぼ寝たきりに近い日々を過ごすという最悪な年のスタートとなってしまいました。

未だに心身ともに調子がよろしくなく。むしろ、精神状態は更に悪くなりつつなってきて。今回はかなりの療養への時間を要する覚悟は必要なようです。

また、原因の特定はできてはいませんが、可能性として、2024年の年末の通院にて、薬が1つ後発薬に変更になり、それを飲み始めてから1週間弱で体調に異変を感じるようになりました。

だるさ、部分的な異常な発汗、ほてり、動悸、めまいと頭痛などなど、多数の不定愁訴な症状に襲われておりました。

薬の情報をネットで調べたら、副作用にかなり当てはまるものがあり、そのせいかな?とも思えるし、2024年12月から心身の不調もあるので、断定はかなり難しいところです。

今は、薬を飲みながら、心身の様子を見て、できることを無理せずにする、しっかりと休養もして気力と体力をあげていくしかないかな?しかし、なかなか心身共に休まらなくてとても悩んでますね。

また、自分は小さな頃より「自律神経失調症」の傾向があるとの診断をされており、それとも症状が似ている為に、原因の特定がかなり主治医も悩んでおられるみたいです。

医師とも相談しつつも、原因の特定と対処方法も決め手に欠くので、今の様子を見つつ、進むしかないという心という見えないところのものでありますから、医療の力でもとても難しいところになりますね。

この療養のきっかけは突然でしたが、次の冬には少しでも働ける心身に改善させたいと思いながらの日々でありましたが、願いは叶わず、今も心身の体調の波が結構大きくて、とても困難なことが多く、日常生活すらまともにできずに病床に伏す暮らし。

春から初夏、夏に移り変わりをして、今また夏から秋、今は秋から冬へと季節は移ろいでおりますが、心身がやはり季節の変わり目が弱い私。ついていくことができず、ほぼ寝たきりな日々で何もできませんでしたし、今も動くのもかなりツラくて、必要な用事すらきちんとこなせない、薬切れまでやってはいけないのに、してしまい、通院をキャンセル→再予約を何回も心身の不調で繰り返したら間に合わなくなり。しかも、これはマズい!と無理矢理通院しようとした日も予約時間には調子悪くて行けず、病院に連絡して夕方の診察時間外に主治医の空き時間に何とか診察してもらうような有り様であります。もはや、きちんと通院すら困難な状況にありますことが目下の悩みですね。

 

自分の為に、と言うよりも自分を気遣ってくださる皆さまの為に。無理をしたら繰り返す。

理解しながら工夫してはおりましたが、何分自分の精神障がいが「反復性」のものなので、どうにもならないところもあることも否めません。

人間、ことココロの病や障がいってホントわからんものです。

それを引きずっていたらいつまでも前には進めません。こんな私を気持ちで支えてくれるたくさんの方がおります。気にかけてくれる方もたくさんおります。

プレッシャーにせずに、チカラに変えていかねばなりません。それが今の私の責務。

負ける訳にはいかない闘い。

新たな挑戦と希望を持って生きていくこと、自分を大切にしながら世の中に寄与するように努力すること、今歩んでいる私の目標かな?

 

暮らしていく為にはもちろんバイト探しはこれからも継続して行いたいですが、心身が先ずは一番なのでそこを改善させて行くことに注力しないといけません。なので、経済的に追い詰められて来ましたから、公的な福祉の支援も準備を進めたのは正解でした。

年内に何とかまた元の鞘にはなりましたが、心身の調子とバイトとの巡り合わせまでは泣く泣く最低限の生活を保障する福祉のお世話になるしか道がありませんので、その道を手続きをして何とか年の瀬から今にいたりますが。

希望を捨てずに、とリスク回避の両方の選択肢の中で動くしか今はありませんから。

何とか何かご縁があれば理想ですが、世の中そんなに甘い世界ではないことももちろん、理解しておりますので。

バイト探しもしているうちに気持ちも段々と落ち込み、ココロも身体的にもキツくなり、寝込む日が増えてしまい、「こんなはずではないのに!」という悔しさの中。

でも希望を捨てずに明るい光を探したいな、とは感じて過ごしております。

障がいの影響でフルタイムではバイトでもダメというか無理ですねと主治医より言われているし、もちろんそれだけの耐性もないことは自分でも認識しておりますので。

障がい者雇用でさえ書類選考の段階で落とされるから、次を見つけるのもかなり困難なのだろうと覚悟をしつつ、体調を整えながら気が熟すのを慌てずに待ちたいと思います。

当面は上向く気配もないから、夢物語なのでしょうね。公共交通機関にすら、まともに乗れる状態ではないので。買い物も役場にも用事を済ませることすらまともにできないので。

 

いつもありがとうございます。

十勝も気が付けば、例年のように短い夏でしたが、猛暑な夏の日でした。

お盆を過ぎたら、例年通りのような気候になってきたように思います。

例年のように秋が訪れたかな?と思いましたが、例年より短い秋だったかな?と感じます。そして今は冬がとうとうやってきた日々であります。

時の経過の早さをとても感じますね。

 

ここからは毎度の内容を少し編集したものではありますが。

うちは複雑な家庭環境にあります。一般的な家庭、家族関係とは幼い頃よりかなり異なる中で生きてきました。身体障害者の家族、大病を患い死の淵を体験した家族がおり、それでも日々必死に生きて努力している尊敬すべき家族です。

健康が取り柄でした父親も腰を悪くしてしまい、思うように動けずになり、これから先が心配なところ。好きなお酒も飲みたくなくなったそうで、今はお酒は飲みたいという気持ちがなくなったそうで、飲まない人になりましたし、タバコも半減したらしいですし、そんなこと今までどんなことがあってもありませんでしたので、これは普通なことではないな、と危機感を募らせてます、私は。

父親は「自分からお酒とタバコは死ぬまで取るな!」が口癖の人でしたから。腰は少しずつ快方に向かっているみたいですけど。

母親は末期癌から奇跡の生還をした人なので、無理はもうできないですし、身体の調子も大きな病院で検査とかしたものなら、即日入院になるくらいな悪さで出てくる時には生きてはないのは、ほぼ見えてきていることがとても悲しくなります。でも、母親自身が余計な苦しむ治療はしたくない、最期は自然の成り行きで命尽きることを望んでいるので、それは家族としての立場ではどっちもツラいこと。でも、母親の気持ちを私の気持ちとしては尊重してあげたく思ってます。

うちの家族はこれで壊滅的な被害になりましたね。

まともに動ける家族が誰もいなくなりました。先ずは父親が元気になって腰を痛める前みたいな状態に戻ればと願っております。

でも、血縁の家族とは元々喧嘩の連続なので、関わりは持ちたくないし、それが精神的におかしくなる要因にもなるので、そう言う意味では孤独な人生しかないのかな?と思うし、こいつらとは上手くやれることはありえないな、とは昔から実感してます。

障がい者になる前はそれでも家族には迷惑かけた人生だ!と感じてたから懸命にできることはしたのに、自分を犠牲にしてまでしていたことも多々ありましたが、気にもかけてないのがおかしい家族。自分が潰れてまでも救いの手を差し伸べた家族にも裏切られ、もう関係は一生関わりたくないな、と。凄く傷付きましたし、精神的にもよろしくないので。

 

そして、この6月から最悪な事態になりました。

東京にいる母が昨年秋から体調が更に悪くなり、寝たきりの暮らしで、特に母が40代の頃の大病した影響で心身がボロボロで30年を過ぎて頑張ったのは奇跡で、それでも腎臓がもはや最悪なステージまでなってしまい、耐え忍んでいましたが、とうとう6月初めに救急搬送されて、ICUに搬送されてしまい、1週間くらいで一般病棟に移れましたが、今は透析をしないと快方に向かう手はなくて、嫌だと言っていたが、努力してますね。

親兄弟に医師から言われている内容を問わないと状況はわからないから聞いたら、教えてもくれず、むしろ私が聞いたところで何もできないのだから、余計な首を突っ込むな、と突き放され。連絡も何もなし。とうとうほぼ絶縁状態になりましたね。

このまま、親族とは縁を切ることを真剣に考えて、そうしようかな?と悲しくも思っているところ。

7月20日に一応退院はしましたが、自宅での腹膜透析をする生活となりました。

透析には血液透析と腹膜透析がありますが、母親は40歳代からの闘病生活で血管がボロボロで血液透析はかなりのリスクがあり、腹膜透析をしております。

母親もこれで障がい者となり、うちは5人のうち4人が障がい者になりました。私、弟、甥っ子、そして母親と。父親も75歳になりますから、まともに稼げる人間のいない家になりましたね。入院費用もこれからかかる莫大な透析費用も目処も立たない中、やるしかないので、公的な支えをどの程度のものがあるのか?を役所と相談しつつ対応しているようです。

うちには未来なんて明るいものは全くなくなりましたね。

でも、それがこの結果ではありません。己に全ての責任があるのです。

親兄弟、別れた家族みんな誰も悪くはありません。一人一人日々を懸命に助け合いながら生きてます。その姿を目で見ている訳ではありませんが、必死に生きて暮らしていることがその証ですよね。

 

その中で励みになるのは、不幸にも別れてしまった家族。みな努力家で子供達は大学生として、学業やバイトに励んでます。

そして、次男が20歳になり、今長男は一つ上なので、就活をして内定もいくつか幸いもらっている中、7月に自分の道を決断して、行き先を決めて就活を終えました。エンジニアとして、これから先の自分の生業を築いていくようです。納得いくまで続けての結果なので、とても嬉しくは思いますが。今は卒論を仕上げていくのに勤しんでいるそうです。理系だから、何かと大変でしょうね。

自分は社会科学、というか応用心理学の分野で友人と調査して、コンピュータで解析して体裁は論文ですが、私は親の病気で4年次は非ゼミコースに変更したので、それを卒業試験として提出しました。

次男も負けずにこれからの就活を頑張って、来年の夏頃までには納得いく結果で終えられたらと思うだけです。

子供達の母親の元妻ももうすぐ子育てから卒業を迎えます、彼女にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。そして、子供達の行く末を共に見守りながら彼女自身の歩みたい道を歩んで幸せに元気に暮らしてくれたらと願うばかりです。

しかし、最近メールをいただきましたが、彼女もどうも年齢的にも仕方ないとは思うも、身体的に問題も出てきたみたいで、身内の家族より心配です。

また、彼女の親御さんも入院したり、リハビリして何とか少しずつ生活しているみたいですが、無理なく日々を送ってもらいたいものですね。

色々と考えると、私は今まで何してきたんだろ?と罪深くしか感じません。

子供達はきっと母親や祖父母の背中を見て頑張っているんだと思いますね。遠くから応援をいつもしてます。

長くなりましたね。

 

コロナも5類移行により、あたかも闇に葬られた形ですし、感染者の公表の仕方も変わり、それにより世の中の状況が有耶無耶なのも事実です。今でも罹患されたりしている方もかなりいるかと思います、それを含めた感染症対策は一人一人でするしかありませんので、共に気をつけたいものですね。

確かに私達の暮らしにプラスなこととマイナスなことの両方をこの国は強いていることもこれまた事実。世界の流れに合わせてるとはいえね。

まだ、安心、安全な世の中には戻れてないし、更に生活を次々と圧迫する経済状況。裕福な方以外はすべての国民が今の暮らしが苦しくなっていくのみ。

物価高問題にしても、年金問題にしても経済的に国民生活もまともに把握もできないような人達が選挙で選ばれて国民のことも見ずに国民の代弁者を語るのは怒りしかありません。

特に社会的弱者とそうでない方の差がますます開いておるのが今の世の中の状況ですから。

物価高による暮らしの苦しさや賃金格差や年金問題などがそうですね。

また、障害年金の審査に関する問題も今年になり浮き彫りになり、確かに不支給判定が異常に増えてること、裏で操作していることがあることなど、不信感しかありません。

確かに申請が増えている中で、主治医の診断書の内容と日常生活のレベルからこれでは認定基準には該当しない、というケースもあるでしょうけど、明らかに該当でしょう、というケースが非該当になるのは、明らかにおかちい判定基準になりつつあることは明白ですね。きちんと公式サイトなどで、判定基準は公開されてますが、それでも?みたいなおかしさはあります。どこからか圧力はあるのでしょうけど、判定はそれに屈することなく基準に合わせて正しい判定をきちんとしてもらいたいものです。

物価上昇率より低いですので、実質的には生活は苦しくなるのは言うまでもありません。

自分にしても年金を障がい者なので頂いておりますが、6月からの改定でも物価上昇率に対しては低い改定率なので、生活をかなり抑制しないといけないですね。最低金額なので、より厳しさがあります。

 

国のやることすら信用できないし、現実も理解してない。特に物価に関してはコロナ前のレベルに戻さないと暮らせなくなる、商売をされている方も成り立たなくなる、そんな社会に間違いなく進みます。政治の決定者達はお金に困らない層だから、我々末端の国民の暮らしの現実見えてないですよね?

政治の世界の世間離れした暗黙のルールや国民生活の現実の把握がきちんとできていないなど、政治不信に繋がる最大の要因で、このようなことが起きない金をかけない政治システムへの転換をすることを国民は望んでます!そこをしっかりと理解して変革してほしいと願いますが、過去の歴史を見ても上辺の変革で抜け道やバックドアのあるものでは困りますね。政治家の驕りなんだと思います。

この国の国民生活に政治に対しては期待より不安しかありませんが。

そして、国民の暮らしをしっかりと数字では見えない現実を目で見て、私たちが政治を信用して安心して暮らせる国にしないといけないとは思いますがね。

気付いても変える気も無いように見えてしまいますが、危機的状況と認識してもらいたいものです。

末恐ろしい世の中になること、どうかそれだけは回避されてほしいと切に願っております。

世の中が穏やかに、一人一人が笑顔で生きていける世の中になりますように。

 

お身体に気をつけながら季節が移ろいつつある中、皆さま元気に笑顔でいられますようにお過ごしください。

人のことは言えませんが冬場の体調管理など健康に過ごせますようにご自愛くださいませ。

前回の内容をちょこっといじっただけの内容になってしまいましたが、今できる定例記録としては限界なことをご容赦くださいませ。

年末も少しずつ近づいてきております。気をつけてお過ごしください。

残り少ない今年が皆様に幸あるものとなりますように。

冬で苦しい中ではありますが、自分が少しでも良い方向に向かう兆しが見えてきますように。

 

2025.11.30

遅れましたが、【定例記録】2度目の移住から2025年10月20日で14年6ヶ月を迎えました。

【定例記録】2度目の移住から2025年10月20日で14年6ヶ月を迎えました。

~障害を抱えながら生きる苦しみ、ただ今心身不調10ヶ月目。冬がやってきた季節。

 

冒頭に、前回に引き続き今回もBlog更新が心身の体調不良により、かなり遅れましたこと、お詫びいたします。年初よりひどくなりましたこの状態未だに続いており。

このまま2025年が終わるような気がしてとても悲しく感じますが、希望を持たなければ!という思いはあれど、現実は甘くないぞ!と教えられているように思えまして。

1年前の10月まではまだ、バイトもできるくらいの状態でしたが、まさかこんなになるとはね。今は無期限就労禁止の障がいの状態ですが。

来年の今頃はそれなりに改善してできることが増えていることを願いながら日々を過ごしていきたいと思います。

 

さて、様々な土地で災害に被災された、被災されているすべての皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

復興が進んでいるところもあれば、なかなか思うように進まない土地もあることと思います。最近あまり情報が出回ることも減り、心配はありますが。

情報も乏しくなり、風化していくとか、世の中の関心事でなくなることはとても由々しきことと思います。

日本に暮らしている以上はいつ被災者の立場になってもおかしくない。

それを甘くみてはいけないと感じます。

自分自身も2016年8月に台風災害で被災した経験がありますから、住む土地の復興と自身の暮らしの復興はまったく別物であることは経験して、身をもって理解しましたし、とても道のりは大変かと思います。

心身の傷は癒える日はないと思います。未だに自分も雨足の音が強いと当時のことがフラッシュバックして恐怖心が蘇り、安堵できる状態ではありません。

でも、一歩ずつ前に進まなければならないことも現実ですね。

希望を捨てず、元には戻れなくても、少しでも安心できる日が訪れますように。

 

2025年が始まったと思っていたら、あっという間に10月を過ぎて11月を迎えてしまい、秋より冬の到来の気配を感じる季節に今年もなってきました。

年末も段々と近づいてきていることを実感しますね。

心身の不調により、今月もほぼ外に出られず、寝込むか、家で大人しくするしかない日々の中、通院すらままならず。10月は、検査通院がありましたが、体調不良により、行くことができず、今月に何とか行きたいな、とは思っているところではあります。

心身の不調から寝込む生活を10ヶ月以上していたら、良い兆しに向かうことなく、時だけが過ぎておりました。今年も11月、既にとうとう11ヶ月目に突入してしまいますね。

猛暑の後に急に季節が進み、秋になり、冬を感じる寒さの朝晩になり。昼間も例年並みの感じで上着が必要な季節。冬靴も古くなり、危ない感じなので、今年は何とか買わないとな、とは思うけど、厳しいかな?

雪への備えもまだできてないし、冬を迎えるためにさて、どうするかな?と悩んでいることも事実ですね。

 

さて、早いもので、ほぼ月次のこのBlogのタイトルにここ十勝に出戻りしてからの月日を記載してますが、2011年4月20日からなので、10月20日で14年6ヶ月を迎えました。

そして、2017年8月31日の台風災害で被災し、今の家に住み始めてからも2017年4月(住民票の異動は4月17日)ですので8年6ヶ月になりました。

思えば様々なことがありました。喜怒哀楽や暮らしがジェットコースターのように変化したり、精神障がいとの戦いも一進一退の攻防の中に今もありますが。

負けたくない、障がいは治らないものですので、その中で自分がこの社会の為にできることをしてきたのに、元の鞘に収まってしまった。仕方のないことですが、悔し涙を流しながら、前に進まなきゃ、と努力しつつも、また元の通りに戻ってしまいました。悲しいことではありますが、これが現実なのでしょうね。

努力と裏腹に状況は改善しないままの状態が続いております。主治医と模索しながら闘いの日々ですね。

 

心身の状態のその後のことをまず。

年始よりここまでほぼ寝たきりに近い日々を過ごすという最悪な年のスタートとなってしまいました。

未だに心身ともに調子がよろしくなく。むしろ、精神状態は更に悪くなりつつなってきて。今回はかなりの療養への時間を要する覚悟は必要なようです。

また、原因の特定はできてはいませんが、可能性として、年末の通院にて、薬が1つ後発薬に変更になり、それを飲み始めてから1週間弱で体調に異変を感じるようになりました。

だるさ、部分的な異常な発汗、ほてり、動悸、めまいと頭痛などなど、多数の不定愁訴な症状に襲われておりました。

薬の情報をネットで調べたら、副作用にかなり当てはまるものがあり、そのせいかな?とも思えるし、12月から心身の不調もあるので、断定はかなり難しいところです。

今は、薬を飲みながら、心身の様子を見て、できることを無理せずにする、しっかりと休養もして気力と体力をあげていくしかないかな?しかし、なかなか心身共に休まらなくてとても悩んでますね。

また、自分は小さな頃より「自律神経失調症」の傾向があるとの診断をされており、それとも症状が似ている為に、原因の特定がかなり主治医も悩んでおられるみたいです。

医師とも相談しつつも、原因の特定と対処方法も決め手に欠くので、今の様子を見つつ、進むしかないという心という見えないところのものでありますから、医療の力でもとても難しいところになりますね。

この療養のきっかけは突然でしたが、冬には少しでも働ける心身に改善させたいと思いながらの日々でありましたが、願いは叶わず、今も心身の体調の波が結構大きくて、とても困難なことが多く、日常生活すらまともにできずに病床に伏す暮らし。

春から初夏、夏に移り変わりをして、今また夏から秋、今は秋から冬へと季節は移ろいでおりますが、心身がやはり季節の変わり目が弱い私。ついていくことができず、ほぼ寝たきりな日々で何もできませんでしたし、今も動くのもかなりツラくて、必要な用事すらきちんとこなせない、薬切れまでやってはいけないのに、してしまい、通院をキャンセル→再予約を何回も心身の不調で繰り返したら間に合わなくなり。しかも、これはマズい!と無理矢理通院しようとした日も予約時間には調子悪くて行けず、病院に連絡して夕方の診察時間外に主治医の空き時間に何とか診察してもらうような有り様であります。もはや、きちんと通院すら困難な状況にありますことが目下の悩みですね。

 

自分の為に、と言うよりも自分を気遣ってくださる皆さまの為に。無理をしたら繰り返す。

理解しながら工夫してはおりましたが、何分自分の精神障がいが「反復性」のものなので、どうにもならないところもあることも否めません。

人間、ことココロの病や障がいってホントわからんものです。

それを引きずっていたらいつまでも前には進めません。こんな私を気持ちで支えてくれるたくさんの方がおります。気にかけてくれる方もたくさんおります。

プレッシャーにせずに、チカラに変えていかねばなりません。それが今の私の責務。

負ける訳にはいかない闘い。

新たな挑戦と希望を持って生きていくこと、自分を大切にしながら世の中に寄与するように努力すること、今歩んでいる私の目標かな?

 

暮らしていく為にはもちろんバイト探しはこれからも継続して行いたいですが、心身が先ずは一番なのでそこを改善させて行くことに注力しないといけません。なので、経済的に追い詰められて来ましたから、公的な福祉の支援も準備を進めたのは正解でした。

年内に何とかまた元の鞘にはなりましたが、心身の調子とバイトとの巡り合わせまでは泣く泣く最低限の生活を保障する福祉のお世話になるしか道がありませんので、その道を手続きをして何とか年の瀬から今にいたりますが。

希望を捨てずに、とリスク回避の両方の選択肢の中で動くしか今はありませんから。

何とか何かご縁があれば理想ですが、世の中そんなに甘い世界ではないことももちろん、理解しておりますので。

バイト探しもしているうちに気持ちも段々と落ち込み、ココロも身体的にもキツくなり、寝込む日が増えてしまい、「こんなはずではないのに!」という悔しさの中。

でも希望を捨てずに明るい光を探したいな、とは感じて過ごしております。

障がいの影響でフルタイムではバイトでもダメと主治医より言われているし、もちろんそれだけの耐性もないことは自分でも認識しておりますので。

障がい者雇用でさえ書類選考の段階で落とされるから、次を見つけるのもかなり困難なのだろうと覚悟をしつつ、体調を整えながら気が熟すのを慌てずに待ちたいと思います。

当面は上向く気配もないから、夢物語なのでしょうね。公共交通機関にすら、まともに乗れる状態ではないので。買い物も役場にも用事を済ませることすらまともにできないので。

 

いつもありがとうございます。

十勝も気が付けば、例年のように短い夏でしたが、猛暑な夏の日でした。

お盆を過ぎたら、例年通りのような気候になってきたように思います。

例年のように秋が訪れたかな?と思いましたが、例年より短い秋だったかな?と感じます。そして今は冬がとうとうやってきたような日々であります。

 

ここからは毎度の内容を少し編集したものではありますが。

うちは複雑な家庭環境にあります。一般的な家庭、家族関係とは幼い頃よりかなり異なる中で生きてきました。身体障害者の家族、大病を患い死の淵を体験した家族がおり、それでも日々必死に生きて努力している尊敬すべき家族です。

健康が取り柄でした父親も腰を悪くしてしまい、思うように動けずになり、これから先が心配なところ。好きなお酒も飲みたくなくなったそうで、今はお酒は飲みたいという気持ちがなくなったそうで、飲まない人になりましたし、タバコも半減したらしいですし、そんなこと今までどんなことがあってもありませんでしたので、これは普通なことではないな、と危機感を募らせてます、私は。

父親は「自分からお酒とタバコは死ぬまで取るな!」が口癖の人でしたから。腰は少しずつ快方に向かっているみたいですけど。

母親は末期癌から奇跡の生還をした人なので、無理はもうできないですし、身体の調子も大きな病院で検査とかしたものなら、即日入院になるくらいな悪さで出てくる時には生きてはないのは、ほぼ見えてきていることがとても悲しくなります。でも、母親自身が余計な苦しむ治療はしたくない、最期は自然の成り行きで命尽きることを望んでいるので、それは家族としての立場ではどっちもツラいこと。でも、母親の気持ちを私の気持ちとしては尊重してあげたく思ってます。

うちの家族はこれで壊滅的な被害になりましたね。

まともに動ける家族が誰もいなくなりました。先ずは父親が元気になって腰を痛める前みたいな状態に戻ればと願っております。

でも、血縁の家族とは元々喧嘩の連続なので、関わりは持ちたくないし、それが精神的におかしくなる要因にもなるので、そう言う意味では孤独な人生しかないのかな?と思うし、こいつらとは上手くやれることはありえないな、とは昔から実感してます。

障がい者になる前はそれでも家族には迷惑かけた人生だ!と感じてたから懸命にできることはしたのに、自分を犠牲にしてまでしていたことも多々ありましたが、気にもかけてないのがおかしい家族。自分が潰れてまでも救いの手を差し伸べた家族にも裏切られ、もう関係は一生関わりたくないな、と。凄く傷付きましたし、精神的にもよろしくないので。

 

そして、この6月から最悪な事態になりました。

東京にいる母が昨年秋から体調が更に悪くなり、寝たきりの暮らしで、特に母が40代の頃の大病した影響で心身がボロボロで30年を過ぎて頑張ったのは奇跡で、それでも腎臓がもはや最悪なステージまでなってしまい、耐え忍んでいましたが、とうとう6月初めに救急搬送されて、ICUに搬送されてしまい、1週間くらいで一般病棟に移れましたが、今は透析をしないと快方に向かう手はなくて、嫌だと言っていたが、努力してますね。

親兄弟に医師から言われている内容を問わないと状況はわからないから聞いたら、教えてもくれず、むしろ私が聞いたところで何もできないのだから、余計な首を突っ込むな、と突き放され。連絡も何もなし。とうとうほぼ絶縁状態になりましたね。

このまま、親族とは縁を切ることを真剣に考えて、そうしようかな?と悲しくも思っているところ。

7月20日に一応退院はしましたが、自宅での腹膜透析をする生活となりました。

透析には血液透析と腹膜透析がありますが、母親は40歳代からの闘病生活で血管がボロボロで血液透析はかなりのリスクがあり、腹膜透析をしております。

母親もこれで障がい者となり、うちは5人のうち4人が障がい者になりました。私、弟、甥っ子、そして母親と。父親も75歳になりますから、まともに稼げる人間のいない家になりましたね。入院費用もこれからかかる莫大な透析費用も目処も立たない中、やるしかないので、公的な支えをどの程度のものがあるのか?を役所と相談しつつ対応しているようです。

うちには未来なんて明るいものは全くなくなりましたね。

でも、それがこの結果ではありません。己に全ての責任があるのです。

親兄弟、別れた家族みんな誰も悪くはありません。一人一人日々を懸命に助け合いながら生きてます。その姿を目で見ている訳ではありませんが、必死に生きて暮らしていることがその証ですよね。

 

その中で励みになるのは、不幸にも別れてしまった家族。みな努力家で子供達は大学生として、学業やバイトに励んでます。

そして、次男が20歳になり、今長男は一つ上なので、就活中で、内定もいくつか幸いもらっている中、7月に自分の道を決断して、行き先を決めて就活を終えました。エンジニアとして、これから先の自分の生業を築いていくようです。納得いくまで続けての結果なので、とても嬉しくは思いますが。今は卒論を仕上げていくのに勤しんでいるそうです。理系だから、何かと大変でしょうね。

自分は社会科学、というか応用心理学の分野で友人と調査して、コンピュータで解析して体裁は論文ですが、私は親の病気で4年次は非ゼミコースに変更したので、それを卒業試験として提出しました。

次男も負けずにこれからの就活を頑張って、来年の夏頃までには納得いく結果で終えられたらと思うだけです。

子供達の母親の元妻ももうすぐ子育てから卒業を迎えます、彼女にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。そして、子供達の行く末を共に見守りながら彼女自身の歩みたい道を歩んで幸せに元気に暮らしてくれたらと願うばかりです。

しかし、最近メールをいただきましたが、彼女もどうも年齢的にも仕方ないとは思うも、身体的に問題も出てきたみたいで、身内の家族より心配です。

また、彼女の親御さんも入院したり、リハビリして何とか少しずつ生活しているみたいですが、無理なく日々を送ってもらいたいものですね。

色々と考えると、私は今まで何してきたんだろ?と罪深くしか感じません。

母親や祖父母の背中を見て頑張っているんだと思いますね。遠くから応援をいつもしてます。

長くなりましたね。

 

コロナも5類移行により、あたかも闇に葬られた形ですし、感染者の公表の仕方も変わり、それにより世の中の状況が有耶無耶なのも事実です。今でも罹患されたりしている方もかなりいるかと思います、それを含めた感染症対策は一人一人でするしかありませんので、共に気をつけたいものですね。

確かに私達の暮らしにプラスなこととマイナスなことの両方をこの国は強いていることもこれまた事実。世界の流れに合わせてるとはいえね。

まだ、安心、安全な世の中には戻れてないし、更に生活を次々と圧迫する経済状況。裕福な方以外はすべての国民が今の暮らしが苦しくなっていくのみ。

コメ問題にしても、年金問題にしても経済的に国民生活もまともに把握もできないような人達が選挙で選ばれて国民のことも見ずに国民の代弁者を語るのは怒りしかありません。

特に社会的弱者とそうでない方の差がますます開いておるのが今の世の中の状況ですから。

物価高による暮らしの苦しさや賃金格差や年金問題などがそうですね。

また、障害年金の審査に関する問題も今年になり浮き彫りになり、確かに不支給判定が異常に増えてること、裏で操作していることがあることなど、不信感しかありません。

確かに申請が増えている中で、主治医の診断書の内容と日常生活のレベルからこれでは認定基準には該当しない、というケースもあるでしょうけど、明らかに該当でしょう、というケースが非該当になるのは、明らかにおかちい判定基準になりつつあることは明白ですね。きちんと公式サイトなどで、判定基準は公開されてますが、それでも?みたいなおかしさはあります。どこからか圧力はあるのでしょうけど、判定はそれに屈することなく基準に合わせて正しい判定をきちんとしてもらいたいものです。

物価上昇率より低いですので、実質的には生活は苦しくなるのは言うまでもありません。

自分にしても年金を障がい者なので頂いておりますが、6月からの改定でも物価上昇率に対しては低い改定率なので、生活をかなり抑制しないといけないですね。最低金額なので、より厳しさがあります。

 

国のやることすら信用できないし、現実も理解してない。特に物価に関してはコロナ前のレベルに戻さないと暮らせなくなる、商売をされている方も成り立たなくなる、そんな社会に間違いなく進みます。政治の決定者達はお金に困らない層だから、我々末端の国民の暮らしの現実見えてないですよね?

政治の世界の世間離れした暗黙のルールや国民生活の現実の把握がきちんとできていないなど、政治不信に繋がる最大の要因で、このようなことが起きない金をかけない政治システムへの転換をすることを国民は望んでます!そこをしっかりと理解して変革してほしいと願いますが、過去の歴史を見ても上辺の変革で抜け道やバックドアのあるものでは困りますね。政治家の驕りなんだと思います。

この国の国民生活に政治に対しては期待より不安しかありませんが。

そして、国民の暮らしをしっかりと数字では見えない現実を目で見て、私たちが政治を信用して安心して暮らせる国にしないといけないとは思いますがね。

気付いても変える気も無いように見えてしまいますが、危機的状況と認識してもらいたいものです。

末恐ろしい世の中になること、どうかそれだけは回避されてほしいと切に願っております。

世の中が穏やかに、一人一人が笑顔で生きていける世の中になりますように。

 

お身体に気をつけながら季節が移ろいつつある中、皆さま元気に笑顔でいられますようにお過ごしください。

人のことは言えませんが冬場の体調管理など健康に過ごせますようにご自愛くださいませ。

前回の内容をちょこっといじっただけの内容になってしまいましたが、今できる定例記録としては限界なことをご容赦くださいませ。

年末も少しずつ近づいてきております。気をつけてお過ごしください。

また、大幅に遅れてしまい、申し訳ありません。

冬で苦しい中ではありますが、自分が少しでも良い方向に向かう兆しが見えてきますように。

 

2025.11.06

【定例記録】遅れましたが、2度目の移住から2025年9月20日で14年5ヶ月を迎えました。

【定例記録】2度目の移住から2025年9月20日で14年5ヶ月を迎えました。

~障害を抱えながら生きる苦しみ、ただ今心身不調9ヶ月目。秋が進んできた季節。

 

冒頭に、今回のBlog更新が心身の体調不良により、かなり遅れましたこと、お詫びいたします。年初よりひどくなりましたこの状態未だに続いており。

このまま2025年が終わるような気がしてとても悲しく感じますが、希望を持たなければ!という思いはあれど、現実は甘くないぞ!と教えられているように思えまして。

1年前はまだ、バイトもできるくらいの状態でしたが、まさかこんなになるとはね。

来年の今頃はそれなりに改善してできることが増えていることを願いながら日々を過ごしていきたいと思います。

 

さて、様々な土地で災害に被災された、被災されているすべての皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

復興が進んでいるところもあれば、なかなか思うように進まない土地もあることと思います。最近あまり情報が出回ることも減り、心配はありますが。

情報も乏しくなり、風化していくとか、世の中の関心事でなくなることはとても由々しきことと思います。

日本に暮らしている以上はいつ被災者の立場になってもおかしくない。

それを甘くみてはいけないと感じます。

自分自身も2016年8月に台風災害で被災した経験がありますから、住む土地の復興と自身の暮らしの復興はまったく別物であることは経験して、身をもって理解しましたし、とても道のりは大変かと思います。

心身の傷は癒える日はないと思います。未だに自分も雨足の音が強いと当時のことがフラッシュバックして恐怖心が蘇り、安堵できる状態ではありません。

でも、一歩ずつ前に進まなければならないことも現実ですね。

希望を捨てず、元には戻れなくても、少しでも安心できる日が訪れますように。

 

2025年が始まったと思っていたら、あっという間に10月を迎えてしまい、秋の気配を感じる季節に今年もなってきました。

心身の不調により、今月もほぼ外に出られず、寝込むか、家で大人しくするしかない日々の中、通院すらままならず。

心身の不調から寝込む生活を9ヶ月以上していたら、良い兆しに向かうことなく、時だけが過ぎておりました。今年も10月、既にとうとう10ヶ月目に突入してしまいますね。

猛暑の後に急に季節が進み、秋になり、冬に向かうような涼しさの朝晩になり。昼間も例年並みの暑さ程度になり、短い夏の終わりを感じましたね。

 

さて、早いもので、ほぼ月次のこのBlogのタイトルにここ十勝に出戻りしてからの月日を記載してますが、2011年4月20日からなので、9月20日で14年5ヶ月を迎えました。

そして、2017年8月31日の台風災害で被災し、今の家に住み始めてからも2017年4月(住民票の異動は4月17日)ですので8年5ヶ月になりました。

思えば様々なことがありました。喜怒哀楽や暮らしがジェットコースターのように変化したり、精神障がいとの戦いも一進一退の攻防の中に今もありますが。

負けたくない、障がいは治らないものですので、その中で自分がこの社会の為にできることをしてきたのに、元の鞘に収まってしまった。仕方のないことですが、悔し涙を流しながら、前に進まなきゃ、と努力しつつも、また元の通りに戻ってしまいました。悲しいことではありますが、これが現実なのでしょうね。

努力と裏腹に状況は改善しないままの状態が続いております。主治医と模索しながら闘いの日々ですね。

 

心身の状態のその後のことをまず。

年始よりここまでほぼ寝たきりに近い日々を過ごすという最悪な年のスタートとなってしまいました。

未だに心身ともに調子がよろしくなく。むしろ、精神状態は更に悪くなりつつなってきて。今回はかなりの療養への時間を要する覚悟は必要なようです。

また、原因の特定はできてはいませんが、可能性として、年末の通院にて、薬が1つ後発薬に変更になり、それを飲み始めてから1週間弱で体調に異変を感じるようになりました。

だるさ、部分的な異常な発汗、ほてり、動悸、めまいと頭痛などなど、多数の不定愁訴な症状に襲われておりました。

薬の情報をネットで調べたら、副作用にかなり当てはまるものがあり、そのせいかな?とも思えるし、12月から心身の不調もあるので、断定はかなり難しいところです。

今は、薬を飲みながら、心身の様子を見て、できることを無理せずにする、しっかりと休養もして気力と体力をあげていくしかないかな?しかし、なかなか心身共に休まらなくてとても悩んでますね。

また、自分は小さな頃より「自律神経失調症」の傾向があるとの診断をされており、それとも症状が似ている為に、原因の特定がかなり主治医も悩んでおられるみたいです。

医師とも相談しつつも、原因の特定と対処方法も決め手に欠くので、今の様子を見つつ、進むしかないという心という見えないところのものでありますから、医療の力でもとても難しいところになりますね。

この療養のきっかけは突然でしたが、冬には少しでも働ける心身に改善させたいと思いながらの日々でありましたが、願いは叶わず、今も心身の体調の波が結構大きくて、とても困難なことが多く、日常生活すらまともにできずに病床に伏す暮らし。

春から初夏、夏に移り変わりをして、今また夏から秋に移ろいでおりますが、心身がやはり季節の変わり目が弱い私。ついていくことができず、ほぼ寝たきりな日々で何もできませんでしたし、今も動くのもかなりツラくて、必要な用事すらきちんとこなせない、薬切れまでやってはいけないのに、してしまい、通院をキャンセル→再予約を何回も心身の不調で繰り返したら間に合わなくなり。しかも、これはマズい!と無理矢理通院しようとした日も予約時間には調子悪くて行けず、病院に連絡して夕方の診察時間外に主治医の空き時間に何とか診察してもらうような有り様であります。もはや、きちんと通院すら困難な状況にありますことが目下の悩みですね。

 

自分の為に、と言うよりも自分を気遣ってくださる皆さまの為に。無理をしたら繰り返す。

理解しながら工夫してはおりましたが、何分自分の精神障がいが「反復性」のものなので、どうにもならないところもあることも否めません。

人間、ことココロの病や障がいってホントわからんものです。

それを引きずっていたらいつまでも前には進めません。こんな私を気持ちで支えてくれるたくさんの方がおります。気にかけてくれる方もたくさんおります。

プレッシャーにせずに、チカラに変えていかねばなりません。それが今の私の責務。

負ける訳にはいかない闘い。

新たな挑戦と希望を持って生きていくこと、自分を大切にしながら世の中に寄与するように努力すること、今歩んでいる私の目標かな?

 

暮らしていく為にはもちろんバイト探しはこれからも継続して行いたいですが、心身が先ずは一番なのでそこを改善させて行くことに注力しないといけません。なので、経済的に追い詰められて来ましたから、公的な福祉の支援も準備を進めたのは正解でした。

年内に何とかまた元の鞘にはなりましたが、心身の調子とバイトとの巡り合わせまでは泣く泣く最低限の生活を保障する福祉のお世話になるしか道がありませんので、その道を手続きをして何とか年の瀬から今にいたりますが。

希望を捨てずに、とリスク回避の両方の選択肢の中で動くしか今はありませんから。

何とか何かご縁があれば理想ですが、世の中そんなに甘い世界ではないことももちろん、理解しておりますので。

バイト探しもしているうちに気持ちも段々と落ち込み、ココロも身体的にもキツくなり、寝込む日が増えてしまい、「こんなはずではないのに!」という悔しさの中。

でも希望を捨てずに明るい光を探したいな、とは感じて過ごしております。

障がいの影響でフルタイムではバイトでもダメと主治医より言われているし、もちろんそれだけの耐性もないことは自分でも認識しておりますので。

障がい者雇用でさえ書類選考の段階で落とされるから、次を見つけるのもかなり困難なのだろうと覚悟をしつつ、体調を整えながら気が熟すのを慌てずに待ちたいと思います。

当面は上向く気配もないから、夢物語なのでしょうね。公共交通機関にすら、まともに乗れる状態ではないので。買い物も役場にも用事を済ませることすらまともにできないので。

 

いつもありがとうございます。

十勝も気が付けば、例年のように短い夏でしたが、猛暑な夏の日でした。

お盆を過ぎたら、例年通りのような気候になってきたように思います。

例年のように秋が訪れ、そして一歩ずつ冬に今は向かっているように感じます。

 

ここからは毎度の内容を少し編集したものではありますが。

うちは複雑な家庭環境にあります。一般的な家庭、家族関係とは幼い頃よりかなり異なる中で生きてきました。身体障害者の家族、大病を患い死の淵を体験した家族がおり、それでも日々必死に生きて努力している尊敬すべき家族です。

健康が取り柄でした父親も腰を悪くしてしまい、思うように動けずになり、これから先が心配なところ。好きなお酒も飲みたくなくなったそうで、今はお酒は飲みたいという気持ちがなくなったそうで、飲まない人になりましたし、タバコも半減したらしいですし、そんなこと今までどんなことがあってもありませんでしたので、これは普通なことではないな、と危機感を募らせてます、私は。

父親は「自分からお酒とタバコは死ぬまで取るな!」が口癖の人でしたから。腰は少しずつ快方に向かっているみたいですけど。

母親は末期癌から奇跡の生還をした人なので、無理はもうできないですし、身体の調子も大きな病院で検査とかしたものなら、即日入院になるくらいな悪さで出てくる時には生きてはないのは、ほぼ見えてきていることがとても悲しくなります。でも、母親自身が余計な苦しむ治療はしたくない、最期は自然の成り行きで命尽きることを望んでいるので、それは家族としての立場ではどっちもツラいこと。でも、母親の気持ちを私の気持ちとしては尊重してあげたく思ってます。

うちの家族はこれで壊滅的な被害になりましたね。

まともに動ける家族が誰もいなくなりました。先ずは父親が元気になって腰を痛める前みたいな状態に戻ればと願っております。

でも、血縁の家族とは元々喧嘩の連続なので、関わりは持ちたくないし、それが精神的におかしくなる要因にもなるので、そう言う意味では孤独な人生しかないのかな?と思うし、こいつらとは上手くやれることはありえないな、とは昔から実感してます。

障がい者になる前はそれでも家族には迷惑かけた人生だ!と感じてたから懸命にできることはしたのに、自分を犠牲にしてまでしていたことも多々ありましたが、気にもかけてないのがおかしい家族。自分が潰れてまでも救いの手を差し伸べた家族にも裏切られ、もう関係は一生関わりたくないな、と。凄く傷付きましたし、精神的にもよろしくないので。

 

そして、この6月から最悪な事態になりました。

東京にいる母が昨年秋から体調が更に悪くなり、寝たきりの暮らしで、特に母が40代の頃の大病した影響で心身がボロボロで30年を過ぎて頑張ったのは奇跡で、それでも腎臓がもはや最悪なステージまでなってしまい、耐え忍んでいましたが、とうとう6月初めに救急搬送されて、ICUに搬送されてしまい、1週間くらいで一般病棟に移れましたが、今は透析をしないと快方に向かう手はなくて、嫌だと言っていたが、努力してますね。

親兄弟に医師から言われている内容を問わないと状況はわからないから聞いたら、教えてもくれず、むしろ私が聞いたところで何もできないのだから、余計な首を突っ込むな、と突き放され。連絡も何もなし。とうとうほぼ絶縁状態になりましたね。

このまま、親族とは縁を切ることを真剣に考えて、そうしようかな?と悲しくも思っているところ。

7月20日に一応退院はしましたが、自宅での腹膜透析をする生活となりました。

母親もこれで障がい者となり、うちは5人のうち4人が障がい者になりました。私、弟、甥っ子、そして母親と。父親も75歳になりますから、まともに稼げる人間のいない家になりましたね。入院費用もこれからかかる莫大な透析費用も目処も立たない中、やるしかないので、公的な支えをどの程度のものがあるのか?を役所と相談しつつ対応しているようです。

うちには未来なんて明るいものは全くなくなりましたね。

でも、それがこの結果ではありません。己に全ての責任があるのです。

親兄弟、別れた家族みんな誰も悪くはありません。一人一人日々を懸命に助け合いながら生きてます。その姿を目で見ている訳ではありませんが、必死に生きて暮らしていることがその証ですよね。

 

その中で励みになるのは、不幸にも別れてしまった家族。みな努力家で子供達は大学生として、学業やバイトに励んでます。

そして、次男が20歳になり、今長男は一つ上なので、就活中で、内定もいくつか幸いもらっている中、7月に自分の道を決断して、行き先を決めて就活を終えました。エンジニアとして、これから先の自分の生業を築いていくようです。納得いくまで続けての結果なので、とても嬉しくは思いますが。

次男も負けずにこれからの就活を頑張って、来年の夏頃までには納得いく結果で終えられたらと思うだけです。

子供達の母親の元妻ももうすぐ子育てから卒業を迎えます、彼女にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。そして、子供達の行く末を共に見守りながら彼女自身の歩みたい道を歩んで幸せに元気に暮らしてくれたらと願うばかりです。

しかし、最近メールをいただきましたが、彼女もどうも年齢的にも仕方ないとは思うも、身体的に問題も出てきたみたいで、身内の家族より心配です。

また、彼女の親御さんも入院したり、リハビリして何とか少しずつ生活しているみたいですが、無理なく日々を送ってもらいたいものですね。

色々と考えると、私は今まで何してきたんだろ?と罪深くしか感じません。

母親や祖父母の背中を見て頑張っているんだと思いますね。遠くから応援をいつもしてます。

長くなりましたね。

 

コロナも5類移行により、あたかも闇に葬られた形ですし、感染者の公表の仕方も変わり、それにより世の中の状況が有耶無耶なのも事実です。今でも罹患されたりしている方もかなりいるかと思います、それを含めた感染症対策は一人一人でするしかありませんので、共に気をつけたいものですね。

確かに私達の暮らしにプラスなこととマイナスなことの両方をこの国は強いていることもこれまた事実。世界の流れに合わせてるとはいえね。

まだ、安心、安全な世の中には戻れてないし、更に生活を次々と圧迫する経済状況。裕福な方以外はすべての国民が今の暮らしが苦しくなっていくのみ。

コメ問題にしても、年金問題にしても経済的に国民生活もまともに把握もできないような人達が選挙で選ばれて国民のことも見ずに国民の代弁者を語るのは怒りしかありません。

特に社会的弱者とそうでない方の差がますます開いておるのが今の世の中の状況ですから。

賃金格差や年金問題がそうですね。

また、障害年金の審査に関する問題も今年になり浮き彫りになり、確かに不支給判定が異常に増えてること、裏で操作していることがあることなど、不信感しかありません。

確かに申請が増えている中で、主治医の診断書の内容と日常生活のレベルからこれでは認定基準には該当しない、というケースもあるでしょうけど、明らかに該当でしょう、というケースが非該当になるのは、明らかにおかちい判定基準になりつつあることは明白ですね。きちんと公式サイトなどで、判定基準は公開されてますが、それでも?みたいなおかしさはあります。どこからか圧力はあるのでしょうけど、判定はそれに屈することなく基準に合わせて正しい判定をきちんとしてもらいたいものです。

物価上昇率より低いですので、実質的には生活は苦しくなるのは言うまでもありません。

自分にしても年金を障がい者なので頂いておりますが、6月からの改定でも物価上昇率に対しては低い改定率なので、生活をかなり抑制しないといけないですね。最低金額なので、より厳しさがあります。

 

国のやることすら信用できないし、現実も理解してない。特に物価に関してはコロナ前のレベルに戻さないと暮らせなくなる、商売をされている方も成り立たなくなる、そんな社会に間違いなく進みます。政治の決定者達はお金に困らない層だから、我々末端の国民の暮らしの現実見えてないですよね?

政治の世界の世間離れした暗黙のルールや国民生活の現実の把握がきちんとできていないなど、政治不信に繋がる最大の要因で、このようなことが起きない金をかけない政治システムへの転換をすることを国民は望んでます!そこをしっかりと理解して変革してほしいと願いますが、過去の歴史を見ても上辺の変革で抜け道やバックドアのあるものでは困りますね。政治家の驕りなんだと思います。

この国の国民生活に政治に対しては期待より不安しかありませんが。

そして、国民の暮らしをしっかりと数字では見えない現実を目で見て、私たちが政治を信用して安心して暮らせる国にしないといけないとは思いますがね。

気付いても変える気も無いように見えてしまいますが、危機的状況と認識してもらいたいものです。

末恐ろしい世の中になること、どうかそれだけは回避されてほしいと切に願っております。

世の中が穏やかに、一人一人が笑顔で生きていける世の中になりますように。

 

お身体に気をつけながら季節が移ろいつつある中、皆さま元気に笑顔でいられますようにお過ごしください。

季節の変わり目ですから、人のことは言えませんが体調管理など健康に過ごせますようにご自愛くださいませ。

前回の内容をちょこっといじっただけの内容になってしまいましたが、今できる定例記録としては限界なことをご容赦くださいませ。

また、大幅に遅れてしまい、申し訳ありません。

秋から冬にかけて自分が少しでも良い方向に向かう兆しが見えてきますように。

 

2025.10.08

【定例記録】2度目の移住から2025年8月20日で14年4ヶ月を迎えました。

【定例記録】2度目の移住から2025年8月20日で14年4ヶ月を迎えました。

~障害を抱えながら生きる苦しみ、ただ今心身不調8ヶ月目。秋に向かう季節。

 

まず、様々な土地で災害に被災された、被災されているすべての皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

復興が進んでいるところもあれば、なかなか思うように進まない土地もあることと思います。最近あまり情報が出回ることも減り、心配はありますが。

情報も乏しくなり、風化していくとか、世の中の関心事でなくなることはとても由々しきことと思います。

日本に暮らしている以上はいつ被災者の立場になってもおかしくない。

それを甘くみてはいけないと感じます。

自分自身も2016年8月に台風災害で被災した経験がありますから、住む土地の復興と自身の暮らしの復興はまったく別物であることは経験して、身をもって理解しましたし、とても道のりは大変かと思います。

心身の傷は癒える日はないと思います。未だに自分も雨足の音が強いと当時のことがフラッシュバックして恐怖心が蘇り、安堵できる状態ではありません。

でも、一歩ずつ前に進まなければならないことも現実ですね。

希望を捨てず、元には戻れなくても、少しでも安心できる日が訪れますように。

 

2025年が始まったと思っていたら、あっという間に8月ももう終わりで、秋の気配を感じる季節に今年もなってきました。

心身の不調により、5月も今月もほぼ外に出られず、寝込む日々の中、通院すらままならず。

心身の不調から寝込む生活を8ヶ月以上していたら、良い兆しに向かうことなく、時だけが過ぎておりました。明日でとうとう9ヶ月目に突入してしまいますね。

今年は異常な気候な年のようですね。

猛暑の後に急に季節が進み、秋に向かう涼しさの朝晩になり。昼間も例年並みの暑さ程度になり、短い夏の終わりを感じましたね。

 

さて、早いもので、ほぼ月次のこのBlogのタイトルにここ十勝に出戻りしてからの月日を記載してますが、2011年4月20日からなので、8月20日で14年4ヶ月を迎えました。

そして、2017年8月31日の台風災害で被災し、今の家に住み始めてからも2017年4月(住民票の異動は4月17日)ですので8年4ヶ月になりました。

思えば様々なことがありました。喜怒哀楽や暮らしがジェットコースターのように変化したり、精神障がいとの戦いも一進一退の攻防の中に今もありますが。

負けたくない、障がいは治らないものですので、その中で自分がこの社会の為にできることをしてきたのに、元の鞘に収まってしまった。仕方のないことですが、悔し涙を流しながら、前に進まなきゃ、と努力しつつも、また元の通りに戻ってしまいました。悲しいことではありますが、これが現実なのでしょうね。

努力と裏腹に状況は改善しないままの状態が続いております。主治医と模索しながら闘いの日々ですね。

 

心身の状態のその後のことをまず。

年始よりここまでほぼ寝たきりに近い日々を過ごすという最悪な年のスタートとなってしまいました。

未だに心身ともに調子がよろしくなく。むしろ、精神状態は更に悪くなりつつなってきて。今回はかなりの療養への時間を要する覚悟は必要なようです。

また、原因の特定はできてはいませんが、可能性として、年末の通院にて、薬が1つ後発薬に変更になり、それを飲み始めてから1週間弱で体調に異変を感じるようになりました。

だるさ、部分的な異常な発汗、ほてり、動悸、めまいと頭痛などなど、多数の不定愁訴な症状に襲われておりました。

薬の情報をネットで調べたら、副作用にかなり当てはまるものがあり、そのせいかな?とも思えるし、12月から心身の不調もあるので、断定はかなり難しいところです。

今は、薬を飲みながら、心身の様子を見て、できることを無理せずにする、しっかりと休養もして気力と体力をあげていくしかないかな?しかし、なかなか心身共に休まらなくてとても悩んでますね。

また、自分は小さな頃より「自律神経失調症」の傾向があるとの診断をされており、それとも症状が似ている為に、原因の特定がかなり主治医も悩んでおられるみたいです。

医師とも相談しつつも、原因の特定と対処方法も決め手に欠くので、今の様子を見つつ、進むしかないという心という見えないところのものでありますから、医療の力でもとても難しいところになりますね。

この療養のきっかけは突然でしたが、冬には少しでも働ける心身に改善させたいと思いながらの日々でありましたが、願いは叶わず、今も心身の体調の波が結構大きくて、とても困難なことが多く、日常生活すらまともにできずに病床に伏す暮らし。

春から初夏、夏に移り変わりをして、今また夏から秋に移ろいでおりますが、心身がやはり季節の変わり目が弱い私。ついていくことができず、ほぼ寝たきりな日々で何もできませんでしたし、今も動くのもかなりツラくて、必要な用事すらきちんとこなせない、薬切れまでやってはいけないのに、してしまい、通院をキャンセル→再予約を何回も心身の不調で繰り返したら間に合わなくなり。しかも、これはマズい!と無理矢理通院しようとした日も予約時間には調子悪くて行けず、病院に連絡して夕方の診察時間外に主治医の空き時間に何とか診察してもらうような有り様であります。もはや、きちんと通院すら困難な状況にありますことが目下の悩みですね。

 

自分の為に、と言うよりも自分を気遣ってくださる皆さまの為に。無理をしたら繰り返す。

理解しながら工夫してはおりましたが、何分自分の精神障がいが「反復性」のものなので、どうにもならないところもあることも否めません。

人間、ことココロの病や障がいってホントわからんものです。

それを引きずっていたらいつまでも前には進めません。こんな私を気持ちで支えてくれるたくさんの方がおります。気にかけてくれる方もたくさんおります。

プレッシャーにせずに、チカラに変えていかねばなりません。それが今の私の責務。

負ける訳にはいかない闘い。

新たな挑戦と希望を持って生きていくこと、自分を大切にしながら世の中に寄与するように努力すること、今歩んでいる私の目標かな?

 

暮らしていく為にはもちろんバイト探しはこれからも継続して行いたいですが、心身が先ずは一番なのでそこを改善させて行くことに注力しないといけません。なので、経済的に追い詰められて来ましたから、公的な福祉の支援も準備を進めたのは正解でした。

年内に何とかまた元の鞘にはなりましたが、心身の調子とバイトとの巡り合わせまでは泣く泣く最低限の生活を保障する福祉のお世話になるしか道がありませんので、その道を手続きをして何とか年の瀬を迎えました。

希望を捨てずに、とリスク回避の両方の選択肢の中で動くしか今はありませんから。

何とか何かご縁があれば理想ですが、世の中そんなに甘い世界ではないことももちろん、理解しておりますので。

バイト探しもしているうちに気持ちも段々と落ち込み、身体的にもキツくなり、寝込む日が増えてしまい、「こんなはずではないのに!」という悔しさの中。

でも希望を捨てずに明るい光を探したいな、とは感じて過ごしております。

障がいの影響でフルタイムではバイトでもダメと主治医より言われているし、もちろんそれだけの耐性もないことは自分でも認識しておりますので。

障がい者雇用でさえ書類選考の段階で落とされるから、次を見つけるのもかなり困難なのだろうと覚悟をしつつ、体調を整えながら気が熟すのを慌てずに待ちたいと思います。

当面は上向く気配もないから、夢物語なのでしょうね。公共交通機関にすら、まともに乗れる状態ではないので。買い物も役場にも用事を済ませることすらまともにできないので。

 

いつもありがとうございます。

十勝も気が付けば、例年のように短い夏になりましたね。

気が付けば例年にない猛暑に襲われる日もありましたが、お盆を過ぎたら、例年通りのような気候になってきたように思います。

 

ここからは毎度の内容を少し編集したものではありますが。

うちは複雑な家庭環境にあります。一般的な家庭、家族関係とは幼い頃よりかなり異なる中で生きてきました。身体障害者の家族、大病を患い死の淵を体験した家族がおり、それでも日々必死に生きて努力している尊敬すべき家族です。

健康が取り柄でした父親も腰を悪くしてしまい、思うように動けずになり、これから先が心配なところ。好きなお酒も飲みたくなくなったそうで、今はお酒は飲みたいという気持ちがなくなったそうで、飲まない人になりましたし、タバコも半減したらしいですし、そんなこと今までどんなことがあってもありませんでしたので、これは普通なことではないな、と危機感を募らせてます、私は。

父親は「自分からお酒とタバコは死ぬまで取るな!」が口癖の人でしたから。腰は少しずつ快方に向かっているみたいですけど。

母親は末期癌から奇跡の生還をした人なので、無理はもうできないですし、身体の調子も大きな病院で検査とかしたものなら、即日入院になるくらいな悪さで出てくる時には生きてはないのは、ほぼ見えてきていることがとても悲しくなります。でも、母親自身が余計な苦しむ治療はしたくない、最期は自然の成り行きで命尽きることを望んでいるので、それは家族としての立場ではどっちもツラいこと。でも、母親の気持ちを私の気持ちとしては尊重してあげたく思ってます。

うちの家族はこれで壊滅的な被害になりましたね。

まともに動ける家族が誰もいなくなりました。先ずは父親が元気になって腰を痛める前みたいな状態に戻ればと願っております。

でも、血縁の家族とは元々喧嘩の連続なので、関わりは持ちたくないし、それが精神的におかしくなる要因にもなるので、そう言う意味では孤独な人生しかないのかな?と思うし、こいつらとは上手くやれることはありえないな、とは昔から実感してます。

障がい者になる前はそれでも家族には迷惑かけた人生だ!と感じてたから懸命にできることはしたのに、自分を犠牲にしてまでしていたことも多々ありましたが、気にもかけてないのがおかしい家族。自分が潰れてまでも救いの手を差し伸べた家族にも裏切られ、もう関係は一生関わりたくないな、と。凄く傷付きましたし、精神的にもよろしくないので。

 

そして、この6月から最悪な事態になりました。

東京にいる母が昨年秋から体調が更に悪くなり、寝たきりの暮らしで、特に母が40代の頃の大病した影響で心身がボロボロで30年を過ぎて頑張ったのは奇跡で、それでも腎臓がもはや最悪なステージまでなってしまい、耐え忍んでいましたが、とうとう6月初めに救急搬送されて、ICUに搬送されてしまい、1週間くらいで一般病棟に移れましたが、今は透析をしないと快方に向かう手はなくて、嫌だと言っていたが、努力してますね。

親兄弟に医師から言われている内容を問わないと状況はわからないから聞いたら、教えてもくれず、むしろ私が聞いたところで何もできないのだから、余計な首を突っ込むな、と突き放され。連絡も何もなし。とうとうほぼ絶縁状態になりましたね。

このまま、親族とは縁を切ることを真剣に考えて、そうしようかな?と悲しくも思っているところ。

7月20日に一応退院はしましたが、自宅での腹膜透析をする生活となりました。

母親もこれで障がい者となり、うちは5人のうち4人が障がい者になりました。私、弟、甥っ子、そして母親と。父親も75歳になりますから、まともに稼げる人間のいない家になりましたね。入院費用もこれからかかる莫大な透析費用も目処も立たない中、やるしかないので、公的な支えをどの程度のものがあるのか?を役所と相談しつつ対応しているようです。

うちには未来なんて明るいものは全くなくなりましたね。

 

でも、それがこの結果ではありません。己に全ての責任があるのです。

親兄弟、別れた家族みんな誰も悪くはありません。一人一人日々を懸命に助け合いながら生きてます。その姿を目で見ている訳ではありませんが、必死に生きて暮らしていることがその証ですよね。

私にも努力を積み上げればできるはず。障害を負う前はそうやって生きてきてましたしね。

ただ違うのは、反復性うつ病性障害という精神障がいと向き合いながらバランスを上手く取れるように生きなければならないということだけ。

改めて、自分と向き合い、障がいとも向き合いながら、日々模索して、考えて行動する。どうしたら良い方向に線路を敷くことができるかをね。引き続き挑戦をひたすらしているのが、最近の私の目指す方向でありますね。

 

その中で励みになるのは、不幸にも別れてしまった家族。みな努力家で子供達は大学生として、学業やバイトに励んでます。

そして、今年の1月に次男が20歳になり、今長男は一つ上なので、就活中で、内定もいくつか幸いもらっている中、7月に自分の道を決断して、行き先を決めて就活を終えました。エンジニアとして、これから先の自分の生業を築いていくようです。納得いくまで続けての結果なので、とても嬉しくは思いますが。

次男も負けずにこれからの就活を頑張って、来年の今頃には納得いく結果で終えられたらと思うだけです。

子供達の母親の元妻ももうすぐ子育てから卒業を迎えます、彼女にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。そして、子供達の行く末を共に見守りながら彼女自身の歩みたい道を歩んで幸せに元気に暮らしてくれたらと願うばかりです。

しかし、最近メールをいただきましたが、彼女もどうも年齢的にも仕方ないとは思うも、身体的に問題も出てきたみたいで、身内の家族より心配です。

また、彼女の親御さんも入院したり、リハビリして何とか少しずつ生活しているみたいですが、無理なく日々を送ってもらいたいものですね。

色々と考えると、私は今まで何してきたんだろ?と罪深くしか感じません。

母親や祖父母の背中を見て頑張っているんだと思いますね。遠くから応援をいつもしてます。

長くなりましたね。

 

コロナも5類移行により、あたかも闇に葬られた形ですし、感染者の公表の仕方も変わり、それにより世の中の状況が有耶無耶なのも事実です。今でも罹患されたりしている方もかなりいるかと思います、それを含めた感染症対策は一人一人でするしかありませんので、共に気をつけたいものですね。

確かに私達の暮らしにプラスなこととマイナスなことの両方をこの国は強いていることもこれまた事実。世界の流れに合わせてるとはいえね。

まだ、安心、安全な世の中には戻れてないし、更に生活を次々と圧迫する経済状況。裕福な方以外はすべての国民が今の暮らしが苦しくなっていくのみ。

コメ問題にしても、年金問題にしても経済的に国民生活もまともに把握もできないような人達が選挙で選ばれて国民のことも見ずに国民の代弁者を語るのは怒りしかありません。

特に社会的弱者とそうでない方の差がますます開いておるのが今の世の中の状況ですから。

賃金格差や年金問題がそうですね。

また、障害年金の審査に関する問題も今年になり浮き彫りになり、確かに不支給判定が異常に増えてること、裏で操作していることがあることなど、不信感しかありません。

確かに申請が増えている中で、主治医の診断書の内容と日常生活のレベルからこれでは認定基準には該当しない、というケースもあるでしょうけど、明らかに該当でしょう、というケースが非該当になるのは、明らかにおかちい判定基準になりつつあることは明白ですね。きちんと公式サイトなどで、判定基準は公開されてますが、それでも?みたいなおかしさはあります。どこからか圧力はあるのでしょうけど、判定はそれに屈することなく基準に合わせて正しい判定をきちんとしてもらいたいものです。

物価上昇率より低いですので、実質的には生活は苦しくなるのは言うまでもありません。

自分にしても年金を障がい者なので頂いておりますが、6月からの改定でも物価上昇率に対しては低い改定率なので、生活をかなり抑制しないといけないですね。最低金額なので、より厳しさがあります。

 

国のやることすら信用できないし、現実も理解してない。特に物価に関してはコロナ前のレベルに戻さないと暮らせなくなる、商売をされている方も成り立たなくなる、そんな社会に間違いなく進みます。政治の決定者達はお金に困らない層だから、我々末端の国民の暮らしの現実見えてないですよね?

政治の世界の世間離れした暗黙のルールや国民生活の現実の把握がきちんとできていないなど、政治不信に繋がる最大の要因で、このようなことが起きない金をかけない政治システムへの転換をすることを国民は望んでます!そこをしっかりと理解して変革してほしいと願いますが、過去の歴史を見ても上辺の変革で抜け道やバックドアのあるものでは困りますね。政治家の驕りなんだと思います。

この国の国民生活に政治に対しては期待より不安しかありませんが。

そして、国民の暮らしをしっかりと数字では見えない現実を目で見て、私たちが政治を信用して安心して暮らせる国にしないといけないとは思いますがね。

気付いても変える気も無いように見えてしまいますが、危機的状況と認識してもらいたいものです。

末恐ろしい世の中になること、どうかそれだけは回避されてほしいと切に願っております。

世の中が穏やかに、一人一人が笑顔で生きていける世の中になりますように。

不思議でならないのは、自分の経歴、どこの学校を卒業したか?すら把握できない人間が政治家や行政の長として平気でいられるということ。

卒業、除籍、中退なんてすぐわかることなのに、勘違いとかなんてありえないと思うけど、それを平気で言う。卒業は卒業証書もしくは学位記がきちんとあるはずだし、卒業証明書を母校に取るだけではっきりわかるのに、平気で偽りの発言をする。

一般的に考えたら、虚偽で職務剥奪とか公職選挙法にも違反しているのでは?と思えてなりません。

それが罪にならず許される世の中、おかしいとしか思えませんね。

どうか、真実をきちんと伝えて正々堂々と選挙戦をして職責に選ばれてほしいものです。

そうでないと公平なこととは言えないですよね。

 

お身体に気をつけながら厳しい残暑の地域の方、そして季節の変わり目を迎えている地域の方も元気に笑顔でいられますようにお過ごしください。

季節の変わり目ですから、人のことは言えませんが体調管理など健康に過ごせますようにご自愛くださいませ。

前回の内容をちょこっといじっただけの内容になってしまいましたが、今できる定例記録としては限界なことをご容赦くださいませ。

また、大幅に遅れてしまい、申し訳ありません。

秋には少しでも良い方向に向かう兆しが見えてきますように。

 

2025.08.31

【定例記録】2度目の移住から2025年7月20日で14年3ヶ月を迎えました。

【定例記録】2度目の移住から2025年7月20日で14年3ヶ月を迎えました。

~障害を抱えながら生きる苦しみ、ただ今心身不調8ヶ月目と突発事態により。

 

まず、様々な土地で災害に被災された、被災されているすべての皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

復興が進んでいるところもあれば、なかなか思うように進まない土地もあることと思います。最近あまり情報が出回ることも減り、心配はありますが。

情報も乏しくなり、風化していくとか、世の中の関心事でなくなることはとても由々しきことと思います。

日本に暮らしている以上はいつ被災者の立場になってもおかしくない。

それを甘くみてはいけないと感じます。

自分自身も2016年8月に台風災害で被災した経験がありますから、住む土地の復興と自身の暮らしの復興はまったく別物であることは経験して、身をもって理解しましたし、とても道のりは大変かと思います。

心身の傷は癒える日はないと思います。未だに自分も雨足の音が強いと当時のことがフラッシュバックして恐怖心が蘇り、安堵できる状態ではありません。

でも、一歩ずつ前に進まなければならないことも現実ですね。

希望を捨てず、元には戻れなくても、少しでも安心できる日が訪れますように。

 

2025年が始まったと思っていたら、あっという間に8月、季節も夏の季節になりました。と書いてますが、心身の不調により、5月も今月もほぼ外に出られず、寝込む日々の中、通院すらままならず。

心身の不調から寝込む生活を8ヶ月以上していたら、良い兆しに向かうことなく、時だけが過ぎておりました。とうとう8ヶ月目に突入してしまいますね。

今年は異常な気候な年のようですね。

特に7月。猛暑日が続いて、40℃近い日があったりしましたし、それが終わりを告げるように涼しくなり、また暑さはやってくるとは思いますが。猛暑のトドメに最後の日の晩に気をつけていたのに、熱中症になり、助けを求める前に記憶と意識が飛んでしまい。次の日から涼しくなったおかげで命取りにはなりませんでしたが、体調が更に悪くなり気がつけば今日から8月。

今年の夏はこのまま終わりそうな気がしてなりません。

まだまだ油断せずに気をつけないと、ですね。

 

さて、早いもので、ほぼ月次のこのBlogのタイトルにここ十勝に出戻りしてからの月日を記載してますが、2011年4月20日からなので、7月20日で14年3ヶ月を迎えました。

そして、2017年8月31日の台風災害で被災し、今の家に住み始めてからも2017年4月(住民票の異動は4月17日)ですので8年3ヶ月になりました。

思えば様々なことがありました。喜怒哀楽や暮らしがジェットコースターのように変化したり、精神障がいとの戦いも一進一退の攻防の中に今もありますが。

負けたくない、障がいは治らないものですので、その中で自分がこの社会の為にできることをしてきたのに、元の鞘に収まってしまった。仕方のないことですが、悔し涙を流しながら、前に進まなきゃ、と努力しつつも、また元の通りに戻ってしまいました。悲しいことではありますが、これが現実なのでしょうね。

努力と裏腹に状況は改善しないままの状態が続いております。主治医と模索しながら闘いの日々ですね。

 

心身の状態のその後のことをまず。

年始よりここまでほぼ寝たきりに近い日々を過ごすという最悪な年のスタートとなってしまいました。

未だに心身ともに調子がよろしくなく。むしろ、精神状態は更に悪くなりつつなってきて。今回はかなりの療養への時間を要する覚悟は必要なようです。

また、原因の特定はできてはいませんが、可能性として、年末の通院にて、薬が1つ後発薬に変更になり、それを飲み始めてから1週間弱で体調に異変を感じるようになりました。

だるさ、部分的な異常な発汗、ほてり、動悸、めまいと頭痛などなど、多数の不定愁訴な症状に襲われておりました。

薬の情報をネットで調べたら、副作用にかなり当てはまるものがあり、そのせいかな?とも思えるし、12月から心身の不調もあるので、断定はかなり難しいところです。

今は、薬を飲みながら、心身の様子を見て、できることを無理せずにする、しっかりと休養もして気力と体力をあげていくしかないかな?しかし、なかなか心身共に休まらなくてとても悩んでますね。

また、自分は小さな頃より「自律神経失調症」の傾向があるとの診断をされており、それとも症状が似ている為に、原因の特定がかなり主治医も悩んでおられるみたいです。

医師とも相談しつつも、原因の特定と対処方法も決め手に欠くので、今の様子を見つつ、進むしかないという心という見えないところのものでありますから、医療の力でもとても難しいところになりますね。

この療養のきっかけは突然でしたが、冬には少しでも働ける心身に改善させたいと思いながらの日々でありましたが、願いは叶わず、今も心身の体調の波が結構大きくて、とても困難なことが多く、日常生活すらまともにできずに病床に伏す暮らし。

春から初夏、夏みたいな季節に移り変わりをしておりますが、心身がやはり季節の変わり目が弱い私。ついていくことができず、ほぼ寝たきりな日々で何もできませんでしたし、今も動くのもかなりツラくて、必要な用事すらきちんとこなせない、薬切れまでやってはいけないのに、してしまい、通院をキャンセル→再予約を何回も心身の不調で繰り返したら間に合わなくなり。しかも、これはマズい!と無理矢理通院しようとした日も予約時間には調子悪くて行けず、病院に連絡して夕方の診察時間外に主治医の空き時間に何とか診察してもらうような有り様であります。もはや、きちんと通院すら困難な状況にありますことが目下の悩みですね。

 

自分の為に、と言うよりも自分を気遣ってくださる皆さまの為に。無理をしたら繰り返す。

理解しながら工夫してはおりましたが、何分自分の精神障がいが「反復性」のものなので、どうにもならないところもあることも否めません。

人間、ことココロの病や障がいってホントわからんものです。

それを引きずっていたらいつまでも前には進めません。こんな私を気持ちで支えてくれるたくさんの方がおります。気にかけてくれる方もたくさんおります。

プレッシャーにせずに、チカラに変えていかねばなりません。それが今の私の責務。

負ける訳にはいかない闘い。

新たな挑戦と希望を持って生きていくこと、自分を大切にしながら世の中に寄与するように努力すること、今歩んでいる私の目標かな?

 

暮らしていく為にはもちろんバイト探しはこれからも継続して行いたいですが、心身が先ずは一番なのでそこを改善させて行くことに注力しないといけません。なので、経済的に追い詰められて来ましたから、公的な福祉の支援も準備を進めたのは正解でした。

年内に何とかまた元の鞘にはなりましたが、心身の調子とバイトとの巡り合わせまでは泣く泣く最低限の生活を保障する福祉のお世話になるしか道がありませんので、その道を手続きをして何とか年の瀬を迎えました。

希望を捨てずに、とリスク回避の両方の選択肢の中で動くしか今はありませんから。

何とか何かご縁があれば理想ですが、世の中そんなに甘い世界ではないことももちろん、理解しておりますので。

バイト探しもしているうちに気持ちも段々と落ち込み、身体的にもキツくなり、寝込む日が増えてしまい、「こんなはずではないのに!」という悔しさの中。

でも希望を捨てずに明るい光を探したいな、とは感じて過ごしております。

障がいの影響でフルタイムではバイトでもダメと主治医より言われているし、もちろんそれだけの耐性もないことは自分でも認識しておりますので。

障がい者雇用でさえ書類選考の段階で落とされるから、次を見つけるのもかなり困難なのだろうと覚悟をしつつ、体調を整えながら気が熟すのを慌てずに待ちたいと思います。

当面は上向く気配もないから、夢物語なのでしょうね。公共交通機関にすら、まともに乗れる状態ではないので。買い物も役場にも用事を済ませることすらまともにできないので。

 

いつもありがとうございます。

十勝も気が付けば、例年のように短い夏になりましたね。

気が付けば例年にない猛暑に襲われる日もとうとう出てきましたね。

 

ここからは毎度の内容を少し編集したものではありますが。

うちは複雑な家庭環境にあります。一般的な家庭、家族関係とは幼い頃よりかなり異なる中で生きてきました。身体障害者の家族、大病を患い死の淵を体験した家族がおり、それでも日々必死に生きて努力している尊敬すべき家族です。

健康が取り柄でした父親も腰を悪くしてしまい、思うように動けずになり、これから先が心配なところ。好きなお酒も飲みたくなくなったそうで、今はお酒は飲みたいという気持ちがなくなったそうで、飲まない人になりましたし、タバコも半減したらしいですし、そんなこと今までどんなことがあってもありませんでしたので、これは普通なことではないな、と危機感を募らせてます、私は。

父親は「自分からお酒とタバコは死ぬまで取るな!」が口癖の人でしたから。腰は少しずつ快方に向かっているみたいですけど。

母親は末期癌から奇跡の生還をした人なので、無理はもうできないですし、身体の調子も大きな病院で検査とかしたものなら、即日入院になるくらいな悪さで出てくる時には生きてはないのは、ほぼ見えてきていることがとても悲しくなります。でも、母親自身が余計な苦しむ治療はしたくない、最期は自然の成り行きで命尽きることを望んでいるので、それは家族としての立場ではどっちもツラいこと。でも、母親の気持ちを私の気持ちとしては尊重してあげたく思ってます。

うちの家族はこれで壊滅的な被害になりましたね。

まともに動ける家族が誰もいなくなりました。先ずは父親が元気になって腰を痛める前みたいな状態に戻ればと願っております。

でも、血縁の家族とは元々喧嘩の連続なので、関わりは持ちたくないし、それが精神的におかしくなる要因にもなるので、そう言う意味では孤独な人生しかないのかな?と思うし、こいつらとは上手くやれることはありえないな、とは昔から実感してます。

障がい者になる前はそれでも家族には迷惑かけた人生だ!と感じてたから懸命にできることはしたのに、自分を犠牲にしてまでしていたことも多々ありましたが、気にもかけてないのがおかしい家族。自分が潰れてまでも救いの手を差し伸べた家族にも裏切られ、もう関係は一生関わりたくないな、と。凄く傷付きましたし、精神的にもよろしくないので。

 

そして、このひと月で最悪な事態になりました。

東京にいる母が昨年秋から体調が更に悪くなり、寝たきりの暮らしで、特に母が40代の頃の大病した影響で心身がボロボロで30年を過ぎて頑張ったのは奇跡で、それでも腎臓がもはや最悪なステージまでなってしまい、耐え忍んでいましたが、とうとう6月初めに救急搬送されて、ICUに搬送されてしまい、1週間くらいで一般病棟に移れましたが、今は透析をしないと快方に向かう手はなくて、嫌だと言っていたが、努力してますね。

親兄弟に医師から言われている内容を問わないと状況はわからないから聞いたら、教えてもくれず、むしろ私が聞いたところで何もできないのだから、余計な首を突っ込むな、と突き放され。連絡も何もなし。とうとうほぼ絶縁状態になりましたね。

このまま、親族とは縁を切ることを真剣に考えて、そうしようかな?と悲しくも思っているところ。

7月20日に一応退院はしましたが、自宅での腹膜透析をする生活となりました。

母親もこれで障がい者となり、うちは5人のうち4人が障がい者になりました。私、弟、甥っ子、そして母親と。父親も75歳になりますから、まともに稼げる人間のいない家になりましたね。入院費用もこれからかかる莫大な透析費用も目処も立たない中、やるしかないので、公的な支えをどの程度のものがあるのか?を役所と相談しつつ対応しているようです。

うちには未来なんて明るいものは全くなくなりましたね。

 

でも、それがこの結果ではありません。己に全ての責任があるのです。

親兄弟、別れた家族みんな誰も悪くはありません。一人一人日々を懸命に助け合いながら生きてます。その姿を目で見ている訳ではありませんが、必死に生きて暮らしていることがその証ですよね。

私にも努力を積み上げればできるはず。障害を負う前はそうやって生きてきてましたしね。

ただ違うのは、反復性うつ病性障害という精神障がいと向き合いながらバランスを上手く取れるように生きなければならないということだけ。

改めて、自分と向き合い、障がいとも向き合いながら、日々模索して、考えて行動する。どうしたら良い方向に線路を敷くことができるかをね。引き続き挑戦をひたすらしているのが、最近の私の目指す方向でありますね。

 

その中で励みになるのは、不幸にも別れてしまった家族。みな努力家で子供達は大学生として、学業やバイトに励んでます。

そして、今年の1月に次男が20歳になり、今長男は一つ上なので、就活中で、内定もいくつか幸いもらっている中、7月に自分の道を決断して、行き先を決めて就活を終えました。エンジニアとして、これから先の自分の生業を築いていくようです。納得いくまで続けての結果なので、とても嬉しくは思いますが。

次男も負けずにこれからの就活を頑張って、来年の今頃には納得いく結果で終えられたらと思うだけです。

子供達の母親の元妻ももうすぐ子育てから卒業を迎えます、彼女にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。そして、子供達の行く末を共に見守りながら彼女自身の歩みたい道を歩んで幸せに元気に暮らしてくれたらと願うばかりです。

しかし、最近メールをいただきましたが、彼女もどうも年齢的にも仕方ないとは思うも、身体的に問題も出てきたみたいで、身内の家族より心配です。

また、彼女の親御さんも入院したり、リハビリして何とか少しずつ生活しているみたいですが、無理なく日々を送ってもらいたいものですね。

色々と考えると、私は今まで何してきたんだろ?と罪深くしか感じません。

母親や祖父母の背中を見て頑張っているんだと思いますね。遠くから応援をいつもしてます。

長くなりましたね。

 

コロナも5類移行により、あたかも闇に葬られた形ですし、感染者の公表の仕方も変わり、それにより世の中の状況が有耶無耶なのも事実です。今でも罹患されたりしている方もかなりいるかと思います、それを含めた感染症対策は一人一人でするしかありませんので、共に気をつけたいものですね。

確かに私達の暮らしにプラスなこととマイナスなことの両方をこの国は強いていることもこれまた事実。世界の流れに合わせてるとはいえね。

まだ、安心、安全な世の中には戻れてないし、更に生活を次々と圧迫する経済状況。裕福な方以外はすべての国民が今の暮らしが苦しくなっていくのみ。

コメ問題にしても、年金問題にしても経済的に国民生活もまともに把握もできないような人達が選挙で選ばれて国民のことも見ずに国民の代弁者を語るのは怒りしかありません。

特に社会的弱者とそうでない方の差がますます開いておるのが今の世の中の状況ですから。

賃金格差や年金問題がそうですね。

また、障害年金の審査に関する問題も今年になり浮き彫りになり、確かに不支給判定が異常に増えてること、裏で操作していることがあることなど、不信感しかありません。

確かに申請が増えている中で、主治医の診断書の内容と日常生活のレベルからこれでは認定基準には該当しない、というケースもあるでしょうけど、明らかに該当でしょう、というケースが非該当になるのは、明らかにおかちい判定基準になりつつあることは明白ですね。きちんと公式サイトなどで、判定基準は公開されてますが、それでも?みたいなおかしさはあります。どこからか圧力はあるのでしょうけど、判定はそれに屈することなく基準に合わせて正しい判定をきちんとしてもらいたいものです。

物価上昇率より低いですので、実質的には生活は苦しくなるのは言うまでもありません。

自分にしても年金を障がい者なので頂いておりますが、6月からの改定でも物価上昇率に対しては低い改定率なので、生活をかなり抑制しないといけないですね。最低金額なので、より厳しさがあります。

 

国のやることすら信用できないし、現実も理解してない。特に物価に関してはコロナ前のレベルに戻さないと暮らせなくなる、商売をされている方も成り立たなくなる、そんな社会に間違いなく進みます。政治の決定者達はお金に困らない層だから、我々末端の国民の暮らしの現実見えてないですよね?

政治の世界の世間離れした暗黙のルールや国民生活の現実の把握がきちんとできていないなど、政治不信に繋がる最大の要因で、このようなことが起きない金をかけない政治システムへの転換をすることを国民は望んでます!そこをしっかりと理解して変革してほしいと願いますが、過去の歴史を見ても上辺の変革で抜け道やバックドアのあるものでは困りますね。政治家の驕りなんだと思います。

この国の国民生活に政治に対しては期待より不安しかありませんが。

そして、国民の暮らしをしっかりと数字では見えない現実を目で見て、私たちが政治を信用して安心して暮らせる国にしないといけないとは思いますがね。

気付いても変える気も無いように見えてしまいますが、危機的状況と認識してもらいたいものです。

末恐ろしい世の中になること、どうかそれだけは回避されてほしいと切に願っております。

世の中が穏やかに、一人一人が笑顔で生きていける世の中になりますように。

不思議でならないのは、自分の経歴、どこの学校を卒業したか?すら把握できない人間が政治家や行政の長として平気でいられるということ。

卒業、除籍、中退なんてすぐわかることなのに、勘違いとかなんてありえないと思うけど、それを平気で言う。卒業は卒業証書もしくは学位記がきちんとあるはずだし、卒業証明書を母校に取るだけではっきりわかるのに、平気で偽りの発言をする。

一般的に考えたら、虚偽で職務剥奪とか公職選挙法にも違反しているのでは?と思えてなりません。

それが罪にならず許される世の中、おかしいとしか思えませんね。

どうか、真実をきちんと伝えて正々堂々と選挙戦をして職責に選ばれてほしいものです。

そうでないと公平なこととは言えないですよね。

 

お身体に気をつけながら厳しい夏の到来を元気に笑顔でいられますようにお過ごしください。

季節の変わり目ですから、人のことは言えませんが体調管理など健康に過ごせますようにご自愛くださいませ。

前回の内容をちょこっといじっただけの内容になってしまいましたが、今できる定例記録としては限界なことをご容赦くださいませ。

また、大幅に遅れてしまい、申し訳ありません。

夏が過ぎて秋に向かう頃には少しでも良い方向に向かいますように。

 

2025.08.01

【定例記録】2度目の移住から2025年6月20日で14年2ヶ月を迎えました。

【定例記録】2度目の移住から2025年6月20日で14年2ヶ月を迎えました。

~障害を抱えながら生きる苦しみ、ただ今心身不調6ヶ月目と突発事態により。

 

まず、様々な土地で災害に被災された、被災されているすべての皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

復興が進んでいるところもあれば、なかなか思うように進まない土地もあることと思います。最近あまり情報が出回ることも減り、心配はありますが。

情報も乏しくなり、風化していくとか、世の中の関心事でなくなることはとても由々しきことと思います。

日本に暮らしている以上はいつ被災者の立場になってもおかしくない。

それを甘くみてはいけないと感じます。

自分自身も2016年8月に台風災害で被災した経験がありますから、住む土地の復興と自身の暮らしの復興はまったく別物であることは経験して、身をもって理解しましたし、とても道のりは大変かと思います。

心身の傷は癒える日はないと思います。未だに自分も雨足の音が強いと当時のことがフラッシュバックして恐怖心が蘇り、安堵できる状態ではありません。

でも、一歩ずつ前に進まなければならないことも現実ですね。

希望を捨てず、元には戻れなくても、少しでも安心できる日が訪れますように。

 

2025年が始まったと思っていたら、あっという間に4月、季節も冬から春、そして初夏か?夏を感じさせるような季節に変わりつつあります。と書いてますが、心身の不調により、5月も今月もほぼ外に出られず、寝込む日々の中、通院すらままならず。

あっという間に半年をまもなく迎えようとしてます。

心身の不調から寝込む生活を6ヶ月以上していたら、良い兆しに向かうことなく、時だけが過ぎておりました。とうとう6ヶ月目後半に突入してしまいますね。

 

さて、早いもので、ほぼ月次のこのBlogのタイトルにここ十勝に出戻りしてからの月日を記載してますが、2011年4月20日からなので、6月20日で14年2ヶ月を迎えました。

そして、2017年8月31日の台風災害で被災し、今の家に住み始めてからも2017年4月(住民票の異動は4月17日)ですので8年2ヶ月になりました。

思えば様々なことがありました。喜怒哀楽や暮らしがジェットコースターのように変化したり、精神障がいとの戦いも一進一退の攻防の中に今もありますが。

負けたくない、障がいは治らないものですので、その中で自分がこの社会の為にできることをしてきたのに、元の鞘に収まってしまった。仕方のないことですが、悔し涙を流しながら、前に進まなきゃ、と努力しつつも、また元の通りに戻ってしまいました。悲しいことではありますが、これが現実なのでしょうね。

 

心身の状態のその後のことをまず。

年始よりここまでほぼ寝たきりに近い日々を過ごすという最悪な年のスタートとなってしまいました。

未だに心身ともに調子がよろしくなく。むしろ、精神状態は更に悪くなりつつなってきて。今回はかなりの療養への時間を要する覚悟は必要なようです。

また、原因の特定はできてはいませんが、可能性として、年末の通院にて、薬が1つ後発薬に変更になり、それを飲み始めてから1週間弱で体調に異変を感じるようになりました。

だるさ、部分的な異常な発汗、ほてり、動悸、めまいと頭痛などなど、多数の不定愁訴な症状に襲われておりました。

薬の情報をネットで調べたら、副作用にかなり当てはまるものがあり、そのせいかな?とも思えるし、12月から心身の不調もあるので、断定はかなり難しいところです。

今は、薬を飲みながら、心身の様子を見て、できることを無理せずにする、しっかりと休養もして気力と体力をあげていくしかないかな?しかし、なかなか心身共に休まらなくてとても悩んでますね。

また、自分は小さな頃より「自律神経失調症」の傾向があるとの診断をされており、それとも症状が似ている為に、原因の特定がかなり主治医も悩んでおられるみたいです。

医師とも相談しつつも、原因の特定と対処方法も決め手に欠くので、今の様子を見つつ、進むしかないという心という見えないところのものでありますから、医療の力でもとても難しいところになりますね。

この療養のきっかけは突然でしたが、冬には少しでも働ける心身に改善させたいと思いながらの日々でありましたが、願いは叶わず、今も心身の体調の波が結構大きくて、とても困難なことが多く、日常生活すらまともにできずに病床に伏す暮らし。

春から初夏、夏みたいな季節に移り変わりをしておりますが、心身がやはり季節の変わり目が弱い私。ついていくことができず、ほぼ寝たきりな日々で何もできませんでしたし、今も動くのもかなりツラくて、必要な用事すらきちんとこなせない、薬切れまでやってはいけないのに、してしまい、通院をキャンセル→再予約を何回も心身の不調で繰り返したら間に合わなくなり。しかも、これはマズい!と無理矢理通院しようとした日も予約時間には調子悪くて行けず、病院に連絡して夕方の診察時間外に主治医の空き時間に何とか診察してもらうような有り様であります。もはや、きちんと通院すら困難な状況にありますことが目下の悩みですね。

 

自分の為に、と言うよりも自分を気遣ってくださる皆さまの為に。無理をしたら繰り返す。

理解しながら工夫してはおりましたが、何分自分の精神障がいが「反復性」のものなので、どうにもならないところもあることも否めません。

人間、ことココロの病や障がいってホントわからんものです。

それを引きずっていたらいつまでも前には進めません。こんな私を気持ちで支えてくれるたくさんの方がおります。気にかけてくれる方もたくさんおります。

プレッシャーにせずに、チカラに変えていかねばなりません。それが今の私の責務。

負ける訳にはいかない闘い。

新たな挑戦と希望を持って生きていくこと、自分を大切にしながら世の中に寄与するように努力すること、今歩んでいる私の目標かな?

 

暮らしていく為にはもちろんバイト探しはこれからも継続して行いたいですが、心身が先ずは一番なのでそこを改善させて行くことに注力しないといけません。なので、経済的に追い詰められて来ましたから、公的な福祉の支援も準備を進めたのは正解でした。

年内に何とかまた元の鞘にはなりましたが、心身の調子とバイトとの巡り合わせまでは泣く泣く最低限の生活を保障する福祉のお世話になるしか道がありませんので、その道を手続きをして何とか年の瀬を迎えました。

希望を捨てずに、とリスク回避の両方の選択肢の中で動くしか今はありませんから。

何とか何かご縁があれば理想ですが、世の中そんなに甘い世界ではないことももちろん、理解しておりますので。

バイト探しもしているうちに気持ちも段々と落ち込み、身体的にもキツくなり、寝込む日が増えてしまい、「こんなはずではないのに!」という悔しさの中。

でも希望を捨てずに明るい光を探したいな、とは感じて過ごしております。

障がいの影響でフルタイムではバイトでもダメと主治医より言われているし、もちろんそれだけの耐性もないことは自分でも認識しておりますので。

障がい者雇用でさえ書類選考の段階で落とされるから、次を見つけるのもかなり困難なのだろうと覚悟をしつつ、体調を整えながら気が熟すのを慌てずに待ちたいと思います。

当面は上向く気配もないから、夢物語なのでしょうね。公共交通機関にすら、まともに乗れる状態ではないので。買い物も役場にも用事を済ませることすらまともにできないので。

 

いつもありがとうございます。

十勝も気が付けば、例年のように春から初夏や夏へと変化の兆しが日々進んでおりますが。

気が付けば暑さに襲われる日もとうとう出てきましたね。

 

ここからは毎度の内容を少し編集したものではありますが。

うちは複雑な家庭環境にあります。一般的な家庭、家族関係とは幼い頃よりかなり異なる中で生きてきました。身体障害者の家族、大病を患い死の淵を体験した家族がおり、それでも日々必死に生きて努力している尊敬すべき家族です。

健康が取り柄でした父親も腰を悪くしてしまい、思うように動けずになり、これから先が心配なところ。好きなお酒も飲みたくなくなったそうで、今はお酒は飲みたいという気持ちがなくなったそうで、飲まない人になりましたし、タバコも半減したらしいですし、そんなこと今までどんなことがあってもありませんでしたので、これは普通なことではないな、と危機感を募らせてます、私は。

父親は「自分からお酒とタバコは死ぬまで取るな!」が口癖の人でしたから。腰は少しずつ快方に向かっているみたいですけど。

母親もほぼ寝たきりな暮らしをしているらしいです。末期癌から奇跡の生還をしたひとなので、無理はもうできないですし、身体の調子も大きな病院で検査とかしたものなら、即日入院になるくらいな悪さで出てくる時には生きてはないのは、ほぼ見えてきていることがとても悲しくなります。でも、母親自身が余計な苦しむ治療はしたくない、最期は自然の成り行きで命尽きることを望んでいるので、それは家族としての立場ではどっちもツラいこと。でも、母親の気持ちを私の気持ちとしては尊重してあげたく思ってます。

うちの家族はこれで壊滅的な被害になりましたね。

まともに動ける家族が誰もいなくなりました。先ずは父親が元気になって腰を痛める前みたいな状態に戻ればと願っております。

でも、血縁の家族とは元々喧嘩の連続なので、関わりは持ちたくないし、それが精神的におかしくなる要因にもなるので、そう言う意味では孤独な人生しかないのかな?と思うし、こいつらとは上手くやれることはありえないな、とは昔から実感してます。

障がい者になる前はそれでも家族には迷惑かけた人生だ!と感じてたから懸命にできることはしたのに、自分を犠牲にしてまでしていたことも多々ありましたが、気にもかけてないのがおかしい家族。自分が潰れてまでも救いの手を差し伸べた家族にも裏切られ、もう関係は一生関わりたくないな、と。凄く傷付きましたし、精神的にもよろしくないので。

 

そして、このひと月で最悪な事態になりました。

東京にいる母が昨年秋から体調が更に悪くなり、寝たきりの暮らしで、特に母が40代の頃の大病した影響で心身がボロボロで30年を過ぎて頑張ったのは奇跡で、それでも腎臓がもはや最悪なステージまでなってしまい、耐え忍んでいましたが、とうとう6月初めに救急搬送されて、ICUに搬送されてしまい、1週間くらいで一般病棟に移れましたが、今は透析をしないと快方に向かう手はなくて、嫌だと言っていたが、努力してますね。

親兄弟に医師から言われている内容を問わないと状況はわからないから聞いたら、教えてもくれず、むしろ私が聞いたところで何もできないのだから、余計な首を突っ込むな、と突き放され。連絡も何もなし。とうとうほぼ絶縁状態になりましたね。

このまま、親族とは縁を切ることを真剣に考えて、そうしようかな?と悲しくも思っているところ。

 

でも、それがこの結果ではありません。己に全ての責任があるのです。

親兄弟、別れた家族みんな誰も悪くはありません。一人一人日々を懸命に助け合いながら生きてます。その姿を目で見ている訳ではありませんが、必死に生きて暮らしていることがその証ですよね。

私にも努力を積み上げればできるはず。障害を負う前はそうやって生きてきてましたしね。

ただ違うのは、反復性うつ病性障害という精神障がいと向き合いながらバランスを上手く取れるように生きなければならないということだけ。

改めて、自分と向き合い、障がいとも向き合いながら、日々模索して、考えて行動する。どうしたら良い方向に線路を敷くことができるかをね。引き続き挑戦をひたすらしているのが、最近の私の目指す方向でありますね。

 

その中で励みになるのは、不幸にも別れてしまった家族。みな努力家で子供達は大学生として、学業やバイトに励んでます。

そして、今年の1月に次男が20歳になり、今長男は一つ上なので、就活中で、内定もいくつか幸い頂いているとのことを聞いてます。子供達の母親の元妻ももうすぐ子育てから卒業を迎えます、彼女にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。そして、子供達の行く末を共に見守りながら彼女自身の歩みたい道を歩んで幸せに元気に暮らしてくれたらと願うばかりです。

しかし、最近メールをいただきましたが、彼女もどうも年齢的にも仕方ないとは思うも、身体的に問題も出てきたみたいで、身内の家族より心配です。

また、彼女の親御さんも入院したり、リハビリして何とか少しずつ生活しているみたいですが、無理なく日々を送ってもらいたいものですね。

色々と考えると、私は今まで何してきたんだろ?と罪深くしか感じません。

母親や祖父母の背中を見て頑張っているんだと思いますね。遠くから応援をいつもしてます。

長くなりましたね。

 

コロナも5類移行により、あたかも闇に葬られた形ですし、感染者の公表の仕方も変わり、それにより世の中の状況が有耶無耶なのも事実です。今でも罹患されたりしている方もかなりいるかと思います、それを含めた感染症対策は一人一人でするしかありませんので、共に気をつけたいものですね。

確かに私達の暮らしにプラスなこととマイナスなことの両方をこの国は強いていることもこれまた事実。世界の流れに合わせてるとはいえね。

まだ、安心、安全な世の中には戻れてないし、更に生活を次々と圧迫する経済状況。裕福な方以外はすべての国民が今の暮らしが苦しくなっていくのみ。

コメ問題にしても、年金問題にしても経済的に国民生活もまともに把握もできないような人達が選挙で選ばれて国民のことも見ずに国民の代弁者を語るのは怒りしかありません。

特に社会的弱者とそうでない方の差がますます開いておるのが今の世の中の状況ですから。

賃金格差や年金問題がそうですね。

また、障害年金の審査に関する問題も今年になり浮き彫りになり、確かに不支給判定が異常に増えてること、裏で操作していることがあることなど、不信感しかありません。

確かに申請が増えている中で、主治医の診断書の内容と日常生活のレベルからこれでは認定基準には該当しない、というケースもあるでしょうけど、明らかに該当でしょう、というケースが非該当になるのは、明らかにおかちい判定基準になりつつあることは明白ですね。きちんと公式サイトなどで、判定基準は公開されてますが、それでも?みたいなおかしさはあります。どこからか圧力はあるのでしょうけど、判定はそれに屈することなく基準に合わせて正しい判定をきちんとしてもらいたいものです。

物価上昇率より低いですので、実質的には生活は苦しくなるのは言うまでもありません。

自分にしても年金を障がい者なので頂いておりますが、6月からの改定でも物価上昇率に対しては低い改定率なので、生活をかなり抑制しないといけないですね。最低金額なので、より厳しさがあります。

 

国のやることすら信用できないし、現実も理解してない。特に物価に関してはコロナ前のレベルに戻さないと暮らせなくなる、商売をされている方も成り立たなくなる、そんな社会に間違いなく進みます。政治の決定者達はお金に困らない層だから、我々末端の国民の暮らしの現実見えてないですよね?

政治の世界の世間離れした暗黙のルールや国民生活の現実の把握がきちんとできていないなど、政治不信に繋がる最大の要因で、このようなことが起きない金をかけない政治システムへの転換をすることを国民は望んでます!そこをしっかりと理解して変革してほしいと願いますが、過去の歴史を見ても上辺の変革で抜け道やバックドアのあるものでは困りますね。政治家の驕りなんだと思います。

この国の国民生活に政治に対しては期待より不安しかありませんが。

そして、国民の暮らしをしっかりと数字では見えない現実を目で見て、私たちが政治を信用して安心して暮らせる国にしないといけないとは思いますがね。

気付いても変える気も無いように見えてしまいますが、危機的状況と認識してもらいたいものです。

末恐ろしい世の中になること、どうかそれだけは回避されてほしいと切に願っております。

世の中が穏やかに、一人一人が笑顔で生きていける世の中になりますように。

 

お身体に気をつけながら春の到来を元気に笑顔でいられますようにお過ごしください。

季節の変わり目ですから、人のことは言えませんが体調管理など健康に過ごせますようにご自愛くださいませ。

前回の内容をちょこっといじっただけの内容になってしまいましたが、今できる定例記録としては限界なことをご容赦くださいませ。

また、大幅に遅れてしまい、申し訳ありません。

春から初夏や夏に向かいつつ、少しでも良い方向に向かいますように。

 

2025.06.21

【定例記録】2度目の移住から2025年5月20日で14年1ヶ月を迎えました。

【定例記録】2度目の移住から2025年5月20日で14年1ヶ月を迎えました。

~障害を抱えながら生きる苦しみ、ただ今心身不調6ヶ月目になりました。

 

まず、様々な土地で災害に被災された、被災されているすべての皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

復興が進んでいるところもあれば、なかなか思うように進まない土地もあることと思います。最近あまり情報が出回ることも減り、心配はありますが。

情報も乏しくなり、風化していくとか、世の中の関心事でなくなることはとても由々しきことと思います。

日本に暮らしている以上はいつ被災者の立場になってもおかしくない。

それを甘くみてはいけないと感じます。

自分自身も2016年8月に台風災害で被災した経験がありますから、住む土地の復興と自身の暮らしの復興はまったく別物であることは経験して、身をもって理解しましたし、とても道のりは大変かと思います。

心身の傷は癒える日はないと思います。未だに自分も雨足の音が強いと当時のことがフラッシュバックして恐怖心が蘇り、安堵できる状態ではありません。

でも、一歩ずつ前に進まなければならないことも現実ですね。

希望を捨てず、元には戻れなくても、少しでも安心できる日が訪れますように。

 

2025年が始まったと思っていたら、あっという間に4月、季節も冬から少しずつ春へと変わりつつあります。と書いてますが、心身の不調により、5月もほぼ外に出られず、寝込む日々の中、通院すらままならず。

あっという間に半年をまもなく迎えようとしてます。

心身の不調から寝込む生活を5ヶ月以上していたら、良い兆しに向かうことなく、時だけが過ぎておりました。とうとう6ヶ月目に突入してしまいますね。

 

さて、早いもので、ほぼ月次のこのBlogのタイトルにここ十勝に出戻りしてからの月日を記載してますが、2011年4月20日からなので、5月20日で14年1ヶ月を迎えました。

そして、2017年8月31日の台風災害で被災し、今の家に住み始めてからも2017年4月(住民票の異動は4月17日)ですので8年1ヶ月になりました。

思えば様々なことがありました。喜怒哀楽や暮らしがジェットコースターのように変化したり、精神障がいとの戦いも一進一退の攻防の中に今もありますが。

負けたくない、障がいは治らないものですので、その中で自分がこの社会の為にできることをしてきたのに、元の鞘に収まってしまった。仕方のないことですが、悔し涙を流しながら、前に進まなきゃ、と努力しつつも、また元の通りに戻ってしまいました。悲しいことではありますが、これが現実なのでしょうね。

 

心身の状態のその後のことをまず。

年始よりここまでほぼ寝たきりに近い日々を過ごすという最悪な年のスタートとなってしまいました。

心身ともに調子がよろしくなく。

また、原因の特定はできてはいませんが、可能性として、年末の通院にて、薬が1つ後発薬に変更になり、それを飲み始めてから1週間弱で体調に異変を感じるようになりました。

だるさ、部分的な異常な発汗、ほてり、動悸、めまいと頭痛などなど、多数の不定愁訴な症状に襲われておりました。

薬の情報をネットで調べたら、副作用にかなり当てはまるものがあり、そのせいかな?とも思えるし、12月から心身の不調もあるので、断定はかなり難しいところです。

今は、薬を飲みながら、心身の様子を見て、できることを無理せずにする、しっかりと休養もして気力と体力をあげていくしかないかな?

また、自分は小さな頃より「自律神経失調症」の傾向があるとの診断をされており、それとも症状が似ている為に、原因の特定がかなり主治医も悩んでおられるみたいです。

医師とも相談しつつも、原因の特定と対処方法も決め手に欠くので、今の様子を見つつ、進むしかないという心という見えないところのものでありますから、医療の力でもとても難しいところになりますね。

この療養のきっかけは突然でしたが、冬には少しでも働ける心身に改善させたいと思いながらの日々でありましたが、願いは叶わず、今も心身の体調の波が結構大きくて、とても困難なことが多く、日常生活すらまともにできずに病床に伏す暮らし。

ようやく春になろうかと季節は移り変わりをしておりますが、心身がやはり季節の変わり目が弱い私。ついていくことができず、GWもほぼ寝たきりな日々で何もできませんでしたし、今も動くのもかなりツラくて、必要な用事すらきちんとこなせない、薬切れまでやってはいけないのに、してしまい、通院をキャンセル→再予約を何回も心身の不調で繰り返したら間に合わなくなり。しかも、これはマズい!と無理矢理通院しようとした日も予約時間には調子悪くて行けず、病院に連絡して夕方の診察時間外に主治医の空き時間に何とか診察してもらうような有り様であります。

 

自分の為に、と言うよりも自分を気遣ってくださる皆さまの為に。無理をしたら繰り返す。

理解しながら工夫してはおりましたが、何分自分の精神障がいが「反復性」のものなので、どうにもならないところもあることも否めません。

人間、ことココロの病や障がいってホントわからんものです。

それを引きずっていたらいつまでも前には進めません。こんな私を気持ちで支えてくれるたくさんの方がおります。気にかけてくれる方もたくさんおります。

プレッシャーにせずに、チカラに変えていかねばなりません。それが今の私の責務。

負ける訳にはいかない闘い。

新たな挑戦と希望を持って生きていくこと、自分を大切にしながら世の中に寄与するように努力すること、今歩んでいる私の目標かな?

 

暮らしていく為にはもちろんバイト探しはこれからも継続して行いたいですが、心身が先ずは一番なのでそこを改善させて行くことに注力しないといけません。なので、経済的に追い詰められて来ましたから、公的な福祉の支援も準備を進めたのは正解でした。

年内に何とかまた元の鞘にはなりましたが、心身の調子とバイトとの巡り合わせまでは泣く泣く最低限の生活を保障する福祉のお世話になるしか道がありませんので、その道を手続きをして何とか年の瀬を迎えました。

希望を捨てずに、とリスク回避の両方の選択肢の中で動くしか今はありませんから。

何とか何かご縁があれば理想ですが、世の中そんなに甘い世界ではないことももちろん、理解しておりますので。

バイト探しもしているうちに気持ちも段々と落ち込み、身体的にもキツくなり、寝込む日が増えてしまい、「こんなはずではないのに!」という悔しさの中。

でも希望を捨てずに明るい光を探したいな、とは感じて過ごしております。

障がいの影響でフルタイムではバイトでもダメと主治医より言われているし、もちろんそれだけの耐性もないことは自分でも認識しておりますので。

障がい者雇用でさえ書類選考の段階で落とされるから、次を見つけるのもかなり困難なのだろうと覚悟をしつつ、体調を整えながら気が熟すのを慌てずに待ちたいと思います。

当面は上向く気配もないから、夢物語なのでしょうね。公共交通機関にすら、まともに乗れる状態ではないので。買い物も役場にも用事を済ませることすらまともにできないので。

 

いつもありがとうございます。

十勝も気が付けば、例年のように春から初夏や夏へと変化の兆しが日々進んでおりますが。

GWの間に例年恒例の積雪がありました。気温が高いおかげで除雪することなく溶けていきましたが。

気が付けば暑さに襲われる日もとうとう出てきましたね。

 

ここからは毎度の内容を少し編集したものではありますが。

うちは複雑な家庭環境にあります。一般的な家庭、家族関係とは幼い頃よりかなり異なる中で生きてきました。身体障害者の家族、大病を患い死の淵を体験した家族がおり、それでも日々必死に生きて努力している尊敬すべき家族です。

健康が取り柄でした父親も腰を悪くしてしまい、思うように動けずになり、これから先が心配なところ。好きなお酒も飲みたくなくなったそうで、今はお酒は飲みたいという気持ちがなくなったそうで、飲まない人になりましたし、タバコも半減したらしいですし、そんなこと今までどんなことがあってもありませんでしたので、これは普通なことではないな、と危機感を募らせてます、私は。

父親は「自分からお酒とタバコは死ぬまで取るな!」が口癖の人でしたから。腰は少しずつ快方に向かっているみたいですけど。

母親もほぼ寝たきりな暮らしをしているらしいです。末期癌から奇跡の生還をしたひとなので、無理はもうできないですし、身体の調子も大きな病院で検査とかしたものなら、即日入院になるくらいな悪さで出てくる時には生きてはないのは、ほぼ見えてきていることがとても悲しくなります。でも、母親自身が余計な苦しむ治療はしたくない、最期は自然の成り行きで命尽きることを望んでいるので、それは家族としての立場ではどっちもツラいこと。でも、母親の気持ちを私の気持ちとしては尊重してあげたく思ってます。

うちの家族はこれで壊滅的な被害になりましたね。

まともに動ける家族が誰もいなくなりました。先ずは父親が元気になって腰を痛める前みたいな状態に戻ればと願っております。

でも、血縁の家族とは元々喧嘩の連続なので、関わりは持ちたくないし、それが精神的におかしくなる要因にもなるので、そう言う意味では孤独な人生しかないのかな?と思うし、こいつらとは上手くやれることはありえないな、とは昔から実感してます。

障がい者になる前はそれでも家族には迷惑かけた人生だ!と感じてたから懸命にできることはしたのに、自分を犠牲にしてまでしていたことも多々ありましたが、気にもかけてないのがおかしい家族。自分が潰れてまでも救いの手を差し伸べた家族にも裏切られ、もう関係は一生関わりたくないな、と。凄く傷付きましたし、精神的にもよろしくないので。

 

でも、それがこの結果ではありません。己に全ての責任があるのです。

親兄弟、別れた家族みんな誰も悪くはありません。一人一人日々を懸命に助け合いながら生きてます。その姿を目で見ている訳ではありませんが、必死に生きて暮らしていることがその証ですよね。

私にも努力を積み上げればできるはず。障害を負う前はそうやって生きてきてましたしね。

ただ違うのは、反復性うつ病性障害という精神障がいと向き合いながらバランスを上手く取れるように生きなければならないということだけ。

改めて、自分と向き合い、障がいとも向き合いながら、日々模索して、考えて行動する。どうしたら良い方向に線路を敷くことができるかをね。引き続き挑戦をひたすらしているのが、最近の私の目指す方向でありますね。

 

その中で励みになるのは、不幸にも別れてしまった家族。みな努力家で子供達は大学生として、学業やバイトに励んでます。

そして、今年の1月に次男が20歳になり、今長男は一つ上なので、就活中で、内定もいくつか幸い頂いているとのことを聞いてます。子供達の母親の元妻ももうすぐ子育てから卒業を迎えます、彼女にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。そして、子供達の行く末を共に見守りながら彼女自身の歩みたい道を歩んで幸せに元気に暮らしてくれたらと願うばかりです。

しかし、最近メールをいただきましたが、彼女もどうも年齢的にも仕方ないとは思うも、身体的に問題も出てきたみたいで、身内の家族より心配です。

また、彼女の親御さんも入院したり、リハビリして何とか少しずつ生活しているみたいですが、無理なく日々を送ってもらいたいものですね。

色々と考えると、私は今まで何してきたんだろ?と罪深くしか感じません。

母親や祖父母の背中を見て頑張っているんだと思いますね。遠くから応援をいつもしてます。

長くなりましたね。

 

コロナも5類移行により、あたかも闇に葬られた形ですし、感染者の公表の仕方も変わり、それにより世の中の状況が有耶無耶なのも事実です。今でも罹患されたりしている方もかなりいるかと思います、それを含めた感染症対策は一人一人でするしかありませんので、共に気をつけたいものですね。

確かに私達の暮らしにプラスなこととマイナスなことの両方をこの国は強いていることもこれまた事実。世界の流れに合わせてるとはいえね。

まだ、安心、安全な世の中には戻れてないし、更に生活を次々と圧迫する経済状況。裕福な方以外はすべての国民が今の暮らしが苦しくなっていくのみ。

コメ問題にしても、年金問題にしても経済的に国民生活もまともに把握もできないような人達が選挙で選ばれて国民のことも見ずに国民の代弁者を語るのは怒りしかありません。

特に社会的弱者とそうでない方の差がますます開いておるのが今の世の中の状況ですから。

賃金格差や年金問題がそうですね。

また、障害年金の審査に関する問題も今年になり浮き彫りになり、確かに不支給判定が異常に増えてること、裏で操作していることがあることなど、不信感しかありません。

確かに申請が増えている中で、主治医の診断書の内容と日常生活のレベルからこれでは認定基準には該当しない、というケースもあるでしょうけど、明らかに該当でしょう、というケースが非該当になるのは、明らかにおかちい判定基準になりつつあることは明白ですね。きちんと公式サイトなどで、判定基準は公開されてますが、それでも?みたいなおかしさはあります。どこからか圧力はあるのでしょうけど、判定はそれに屈することなく基準に合わせて正しい判定をきちんとしてもらいたいものです。

物価上昇率より低いですので、実質的には生活は苦しくなるのは言うまでもありません。

自分にしても年金を障がい者なので頂いておりますが、6月からの改定でも物価上昇率に対しては低い改定率なので、生活をかなり抑制しないといけないですね。最低金額なので、より厳しさがあります。

 

国のやることすら信用できないし、現実も理解してない。特に物価に関してはコロナ前のレベルに戻さないと暮らせなくなる、商売をされている方も成り立たなくなる、そんな社会に間違いなく進みます。政治の決定者達はお金に困らない層だから、我々末端の国民の暮らしの現実見えてないですよね?

政治の世界の世間離れした暗黙のルールや国民生活の現実の把握がきちんとできていないなど、政治不信に繋がる最大の要因で、このようなことが起きない金をかけない政治システムへの転換をすることを国民は望んでます!そこをしっかりと理解して変革してほしいと願いますが、過去の歴史を見ても上辺の変革で抜け道やバックドアのあるものでは困りますね。政治家の驕りなんだと思います。

この国の国民生活に政治に対しては期待より不安しかありませんが。

そして、国民の暮らしをしっかりと数字では見えない現実を目で見て、私たちが政治を信用して安心して暮らせる国にしないといけないとは思いますがね。

気付いても変える気も無いように見えてしまいますが、危機的状況と認識してもらいたいものです。

末恐ろしい世の中になること、どうかそれだけは回避されてほしいと切に願っております。

世の中が穏やかに、一人一人が笑顔で生きていける世の中になりますように。

 

お身体に気をつけながら春の到来を元気に笑顔でいられますようにお過ごしください。

季節の変わり目ですから、人のことは言えませんが体調管理など健康に過ごせますようにご自愛くださいませ。

前回の内容をちょこっといじっただけの内容になってしまいましたが、今できる定例記録としては限界なことをご容赦くださいませ。

また、大幅に遅れてしまい、申し訳ありません。

春から初夏や夏に向かいつつ、少しでも良い方向に向かいますように。

 

2025.05.31

【定例記録】2度目の移住から2025年4月20日で14年を迎えました。

【定例記録】2度目の移住から2025年4月20日で14年を迎えました。

~障害を抱えながら生きる苦しみ、ただ今心身不調5ヶ月目につき、遅くなりました。

 

まず、様々な土地で災害に被災された、被災されているすべての皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

復興が進んでいるところもあれば、なかなか思うように進まない土地もあることと思います。最近あまり情報が出回ることも減り、心配はありますが。

情報も乏しくなり、風化していくとか、世の中の関心事でなくなることはとても由々しきことと思います。

日本に暮らしている以上はいつ被災者の立場になってもおかしくない。

それを甘くみてはいけないと感じます。

自分自身も過去に台風災害で被災した経験がありますから、住む土地の復興と自身の暮らしの復興はまったく別物であることは経験して、身をもって理解しましたし、とても道のりは大変かと思います。

心身の傷は癒える日はないと思います。未だに自分も雨足の音が強いと当時のことがフラッシュバックして恐怖心が蘇り、安堵できる状態ではありません。

でも、一歩ずつ前に進まなければならないことも現実ですね。

希望を捨てず、元には戻れなくても、少しでも安心できる日が訪れますように。

 

2025年が始まったと思っていたら、あっという間に4月、季節も冬から少しずつ春へと変わりつつあります。と書いてますが、心身の不調により、5月のGW明けに書いてますが。

あっという間に半年になってしまうのでしょうね。

心身の不調から寝込む生活を4ヶ月以上していたら、良い兆しに向かうことなく、時だけが過ぎておりました。ただいま5ヶ月目に突入してしまってます。

 

さて、早いもので、ほぼ月次のこのBlogのタイトルにここ十勝に出戻りしてからの月日を記載してますが、2011年4月20日からなので、4月20日で14年を迎えました。

そして、2017年8月31日の台風災害で被災し、今の家に住み始めてからも2017年4月(住民票の異動は4月17日)ですので8年になりました。

思えば様々なことがありました。喜怒哀楽や暮らしがジェットコースターのように変化したり、精神障がいとの戦いも一進一退の攻防の中に今もありますが。

負けたくない、障がいは治らないものですので、その中で自分がこの社会の為にできることをしてきたのに、元の鞘に収まってしまった。仕方のないことですが、悔し涙を流しながら、前に進まなきゃ、と努力しつつも、また元の通りに戻ってしまいました。悲しいことではありますが、これが現実なのでしょうね。

 

心身の状態のその後のことをまず。

年始よりここまでほぼ寝たきりに近い日々を過ごすという最悪な年のスタートとなってしまいました。

心身ともに調子がよろしくなく。

また、原因の特定はできてはいませんが、可能性として、年末の通院にて、薬が1つ後発薬に変更になり、それを飲み始めてから1週間弱で体調に異変を感じるようになりました。

だるさ、部分的な異常な発汗、ほてり、動悸、めまいと頭痛などなど、多数の不定愁訴な症状に襲われておりました。

薬の情報をネットで調べたら、副作用にかなり当てはまるものがあり、そのせいかな?とも思えるし、12月から心身の不調もあるので、断定はかなり難しいところです。

今は、薬を飲みながら、心身の様子を見て、できることを無理せずにする、しっかりと休養もして気力と体力をあげていくしかないかな?

また、自分は小さな頃より「自律神経失調症」の傾向があるとの診断をされており、それとも症状が似ている為に、原因の特定がかなり主治医も悩んでおられるみたいです。

医師とも相談しつつも、原因の特定と対処方法も決め手に欠くので、今の様子を見つつ、進むしかないという心という見えないところのものでありますから、医療の力でもとても難しいところになりますね。

この療養のきっかけは突然でしたが、冬には少しでも働ける心身に改善させたいと思いながらの日々でありましたが、願いは叶わず、今も心身の体調の波が結構大きくて、とても困難なことが多く、日常生活すらまともにできずに病床に伏す暮らし。

ようやく春になろうかと季節は移り変わりをしておりますが、心身がやはり季節の変わり目が弱い私。ついていくことができず、GWもほぼ寝たきりな日々で何もできませんでした。

 

自分の為に、と言うよりも自分を気遣ってくださる皆さまの為に。無理をしたら繰り返す。

理解しながら工夫してはおりましたが、何分自分の精神障がいが「反復性」のものなので、どうにもならないところもあることも否めません。

人間、ことココロの病や障がいってホントわからんものです。

それを引きずっていたらいつまでも前には進めません。こんな私を気持ちで支えてくれるたくさんの方がおります。気にかけてくれる方もたくさんおります。

プレッシャーにせずに、チカラに変えていかねばなりません。それが今の私の責務。

負ける訳にはいかない闘い。

新たな挑戦と希望を持って生きていくこと、自分を大切にしながら世の中に寄与するように努力すること、今歩んでいる私の目標かな?

 

暮らしていく為にはもちろんバイト探しはこれからも継続して行いたいですが、心身が先ずは一番なのでそこを改善させて行くことに注力しないといけません。なので、経済的に追い詰められて来ましたから、公的な福祉の支援も準備を進めたのは正解でした。

年内に何とかまた元の鞘にはなりましたが、心身の調子とバイトとの巡り合わせまでは泣く泣く最低限の生活を保障する福祉のお世話になるしか道がありませんので、その道を手続きをして何とか年の瀬を迎えました。

希望を捨てずに、とリスク回避の両方の選択肢の中で動くしか今はありませんから。

何とか何かご縁があれば理想ですが、世の中そんなに甘い世界ではないことももちろん、理解しておりますので。

バイト探しもしているうちに気持ちも段々と落ち込み、身体的にもキツくなり、寝込む日が増えてしまい、「こんなはずではないのに!」という悔しさの中。

でも希望を捨てずに明るい光を探したいな、とは感じて過ごしております。

障がいの影響でフルタイムではバイトでもダメと主治医より言われているし、もちろんそれだけの耐性もないことは自分でも認識しておりますので。

障がい者雇用でさえ書類選考の段階で落とされるから、次を見つけるのもかなり困難なのだろうと覚悟をしつつ、体調を整えながら気が熟すのを慌てずに待ちたいと思います。

 

いつもありがとうございます。

十勝も気が付けば、例年のように春へと変化の兆しが日々進んでおりますが。

GWの間に例年恒例の積雪がありました。気温が高いおかげで除雪することなく溶けていきましたが。

これから車のある方は冬タイヤから夏タイヤへの履き替えをする方が一番多い頃を迎えますね。

 

ここからは毎度の内容を少し編集したものではありますが。

うちは複雑な家庭環境にあります。一般的な家庭、家族関係とは幼い頃よりかなり異なる中で生きてきました。身体障害者の家族、大病を患い死の淵を体験した家族がおり、それでも日々必死に生きて努力している尊敬すべき家族です。

健康が取り柄でした父親も腰を悪くしてしまい、思うように動けずになり、これから先が心配なところ。好きなお酒も飲みたくなくなったそうで、今はお酒は飲みたいという気持ちがなくなったそうで、飲まない人になりましたし、タバコも半減したらしいですし、そんなこと今までどんなことがあってもありませんでしたので、これは普通なことではないな、と危機感を募らせてます、私は。

父親は「自分からお酒とタバコは死ぬまで取るな!」が口癖の人でしたから。腰は少しずつ快方に向かっているみたいですけど。

母親もほぼ寝たきりな暮らしをしているらしいです。末期癌から奇跡の生還をしたひとなので、無理はもうできないですし、身体の調子も大きな病院で検査とかしたものなら、即日入院になるくらいな悪さで出てくる時には生きてはないのは、ほぼ見えてきていることがとても悲しくなります。でも、母親自身が余計な苦しむ治療はしたくない、最期は自然の成り行きで命尽きることを望んでいるので、それは家族としての立場ではどっちもツラいこと。でも、母親の気持ちを私の気持ちとしては尊重してあげたく思ってます。

うちの家族はこれで壊滅的な被害になりましたね。

まともに動ける家族が誰もいなくなりました。先ずは父親が元気になって腰を痛める前みたいな状態に戻ればと願っております。

でも、それがこの結果ではありません。己に全ての責任があるのです。

親兄弟、別れた家族みんな誰も悪くはありません。一人一人日々を懸命に助け合いながら生きてます。その姿を目で見ている訳ではありませんが、必死に生きて暮らしていることがその証ですよね。

私にも努力を積み上げればできるはず。障害を負う前はそうやって生きてきてましたしね。

ただ違うのは、反復性うつ病性障害という精神障がいと向き合いながらバランスを上手く取れるように生きなければならないということだけ。

改めて、自分と向き合い、障がいとも向き合いながら、日々模索して、考えて行動する。どうしたら良い方向に線路を敷くことができるかをね。引き続き挑戦をひたすらしているのが、最近の私の目指す方向でありますね。

 

その中で励みになるのは、不幸にも別れてしまった家族。みな努力家で子供達は大学生として、学業やバイトに励んでます。

そして、今年の1月に次男が20歳になり、今長男は一つ上なので、就活中で、内定もいくつか幸い頂いているとのことを聞いてます。子供達の母親の元妻ももうすぐ子育てから卒業を迎えます、彼女にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。そして、子供達の行く末を共に見守りながら彼女自身の歩みたい道を歩んで幸せに元気に暮らしてくれたらと願うばかりです。

私は今まで何してきたんだろ?と罪深くしか感じません。

母親や祖父母の背中を見て頑張っているんだと思いますね。遠くから応援をいつもしてます。

長くなりましたね。

 

コロナも5類移行により、あたかも闇に葬られた形ですし、感染者の公表の仕方も変わり、それにより世の中の状況が有耶無耶なのも事実です。今でも罹患されたりしている方もかなりいるかと思います、それを含めた感染症対策は一人一人でするしかありませんので、共に気をつけたいものですね。

確かに私達の暮らしにプラスなこととマイナスなことの両方をこの国は強いていることもこれまた事実。世界の流れに合わせてるとはいえね。

まだ、安心、安全な世の中には戻れてないし、更に生活を次々と圧迫する経済状況。裕福な方以外はすべての国民が今の暮らしが苦しくなっていくのみ。

特に社会的弱者とそうでない方の差がますます開いておるのが今の世の中の状況ですから。

賃金格差や年金問題がそうですね。

物価上昇率より低いですので、実質的には生活は苦しくなるのは言うまでもありません。

自分にしても年金を障がい者なので頂いておりますが、6月からの改定でも物価上昇率に対しては低い改定率なので、生活をかなり抑制しないといけないですね。最低金額なので、より厳しさがあります。

 

国のやることすら信用できないし、現実も理解してない。特に物価に関してはコロナ前のレベルに戻さないと暮らせなくなる、商売をされている方も成り立たなくなる、そんな社会に間違いなく進みます。政治の決定者達はお金に困らない層だから、我々末端の国民の暮らしの現実見えてないですよね?

政治の世界の世間離れした暗黙のルールや国民生活の現実の把握がきちんとできていないなど、政治不信に繋がる最大の要因で、このようなことが起きない金をかけない政治システムへの転換をすることを国民は望んでます!そこをしっかりと理解して変革してほしいと願いますが、過去の歴史を見ても上辺の変革で抜け道やバックドアのあるものでは困りますね。政治家の驕りなんだと思います。

この国の国民生活に政治に対しては期待より不安しかありませんが。

そして、国民の暮らしをしっかりと数字では見えない現実を目で見て、私たちが政治を信用して安心して暮らせる国にしないといけないとは思いますがね。

気付いても変える気も無いように見えてしまいますが、危機的状況と認識してもらいたいものです。

末恐ろしい世の中になること、どうかそれだけは回避されてほしいと切に願っております。

世の中が穏やかに、一人一人が笑顔で生きていける世の中になりますように。

 

お身体に気をつけながら春の到来を元気に笑顔でいられますようにお過ごしください。

季節の変わり目ですから、人のことは言えませんが体調管理など健康に過ごせますようにご自愛くださいませ。

前回の内容をちょこっといじっただけの内容になってしまいましたが、今できる定例記録としては限界なことをご容赦くださいませ。

また、大幅に遅れてしまい、申し訳ありません。

春に向かいつつ、少しでも良い方向に向かいますように。

 

2025.05.07

【定例記録】2度目の移住から2025年3月20日で13年11ヶ月を迎えました。遅くなりました!

【定例記録】2度目の移住から2025年3月20日で13年11ヶ月を迎えました。

~障害を抱えながら生きる苦しみ、ただ今心身不調3ヶ月目につき、遅くなりました。

 

まず、様々な土地で災害に被災された、被災されているすべての皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

復興が進んでいるところもあれば、なかなか思うように進まない土地もあることと思います。最近あまり情報が出回ることも減り、心配はありますが。

自分自身も過去に台風災害で被災した経験がありますから、住む土地の復興と自身の暮らしの復興はまったく別物であることは経験して、身をもって理解しましたし、とても道のりは大変かと思います。

心身の傷は癒える日はないと思います。未だに自分も雨足の音が強いと当時のことがフラッシュバックして恐怖心が蘇り、安堵できる状態ではありません。

でも、一歩ずつ前に進まなければならないことも現実ですね。

希望を捨てず、元には戻れなくても、少しでも安心できる日が訪れますように。

 

2025年が始まったと思っていたら、あっという間に4月、季節も冬から少しずつ春へと変わりつつあります。

心身の不調から寝込む生活を3ヶ月以上していたら、良い兆しに向かうことなく、時だけが過ぎておりました。

 

さて、早いもので、ほぼ月次のこのBlogのタイトルにここ十勝に出戻りしてからの月日を記載してますが、2011年4月20日からなので、3月20日で13年11ヶ月を迎えました。

そして、2017年8月31日の台風災害で被災し、今の家に住み始めてからも2017年4月(住民票の異動は4月17日)ですので7年10ヶ月経過しました。

思えば様々なことがありました。喜怒哀楽や暮らしがジェットコースターのように変化したり、精神障がいとの戦いも一進一退の攻防の中に今もありますが。

負けたくない、障がいは治らないものですので、その中で自分がこの社会の為にできることをしてきたのに、元の鞘に収まってしまって1年、悔し涙を流しながら、前に進まなきゃ、と努力しつつも、また元の通りに戻ってしまいました。悲しいことではありますが、これが現実なのでしょうね。

 

心身の状態のその後のことをまず。

年始よりここまでほぼ寝たきりに近い日々を過ごすという最悪な年のスタートとなってしまいました。

心身ともに調子がよろしくなく。

また、原因の特定はできてはいませんが、可能性として、年末の通院にて、薬が1つ後発薬に変更になり、それを飲み始めてから1週間弱で体調に異変を感じるようになりました。

だるさ、部分的な異常な発汗、ほてり、動悸、めまいと頭痛などなど、多数の不定愁訴な症状に襲われておりました。

薬の情報をネットで調べたら、副作用にかなり当てはまるものがあり、そのせいかな?とも思えるし、12月から心身の不調もあるので、断定はかなり難しいところです。

今は、薬を飲みながら、心身の様子を見て、できることを無理せずにする、しっかりと休養もして気力と体力をあげていくしかないかな?

また、自分は小さな頃より「自律神経失調症」の傾向があるとの診断をされており、それとも症状が似ている為に、原因の特定がかなり主治医も悩んでおられるみたいです。

医師とも相談しつつも、原因の特定と対処方法も決め手に欠くので、今の様子を見つつ、進むしかないという心という見えないところのものでありますから、医療の力でもとても難しいところになりますね。

この療養のきっかけは突然でしたが、冬には少しでも働ける心身に改善させたいと思いながらの日々でありましたが、願いは叶わず、今も心身の体調の波が結構大きくて、とても困難なことが多く、日常生活すらまともにできずに病床に伏す暮らし。

しかしながら、この土地ですから、雪の季節。降れば、当然除雪はしないと周りへ大変なご迷惑をおかけしますから、必死になっておこなってました。ようやくそれもほぼなくなる時期になり、少し安堵しつつ、症状の改善に力をいれなければ!という気持ちもしますね。

 

自分の為に、と言うよりも自分を気遣ってくださる皆さまの為に。無理をしたら繰り返す。

理解しながら工夫してはおりましたが、何分自分の精神障がいが「反復性」のものなので、どうにもならないところもあることも否めません。

人間、ことココロの病や障がいってホントわからんものです。

それを引きずっていたらいつまでも前には進めません。こんな私を気持ちで支えてくれるたくさんの方がおります。気にかけてくれる方もたくさんおります。

プレッシャーにせずに、チカラに変えていかねばなりません。それが今の私の責務。

負ける訳にはいかない闘い。

新たな挑戦と希望を持って生きていくこと、自分を大切にしながら世の中に寄与するように努力すること、今歩んでいる私の目標かな?

 

暮らしていく為にはもちろんバイト探しはこれからも継続して行いたいですが、心身が先ずは一番なのでそこを改善させて行くことに注力しないといけません。なので、経済的に追い詰められて来ましたから、公的な福祉の支援も準備を進めたのは正解でした。

年内に何とかまた元の鞘にはなりましたが、心身の調子とバイトとの巡り合わせまでは泣く泣く最低限の生活を保障する福祉のお世話になるしか道がありませんので、その道を手続きをして何とか年の瀬を迎えました。

希望を捨てずに、とリスク回避の両方の選択肢の中で動くしか今はありませんから。

何とか何かご縁があれば理想ですが、世の中そんなに甘い世界ではないことももちろん、理解しておりますので。

バイト探しもしているうちに気持ちも段々と落ち込み、身体的にもキツくなり、寝込む日が増えてしまい、「こんなはずではないのに!」という悔しさの中。

でも希望を捨てずに明るい光を探したいな、とは感じて過ごしております。

 

いつもありがとうございます。

十勝も気が付けば、例年のように冬から春へと変化の兆しが日々進んでおりますが。

今年はドカ雪か?少しずつの降雪か?みたいな極端なシーズンのように感じますし、最低気温も例年よりは暖かく感じましたね。うちの周辺で今季はほとんどマイナス20℃以下の日ということもないように感じました。

 

ここからは毎度の内容を少し編集したものではありますが。

うちは複雑な家庭環境にあります。一般的な家庭、家族関係とは幼い頃よりかなり異なる中で生きてきました。身体障害者の家族、大病を患い死の淵を体験した家族がおり、それでも日々必死に生きて努力している尊敬すべき家族です。

健康が取り柄でした父親も腰を悪くしてしまい、思うように動けずになり、これから先が心配なところ。好きなお酒も飲みたくなくなったそうで、今はお酒は飲まない人になりましたし、タバコも半減したらしいですし、そんなこと今までどんなことがあってもありませんでしたので、これは普通なことではないな、と危機感を募らせてます、私は。

父親は「自分からお酒とタバコは死ぬまで取るな!」が口癖の人でしたから。腰は少しずつ快方に向かっているみたいですけど。

うちの家族はこれで壊滅的な被害になりましたね。

まともに動ける家族が誰もいなくなりました。先ずは父親が元気になって腰を痛める前みたいな状態に戻ればと願っております。

でも、それがこの結果ではありません。己に全ての責任があるのです。

親兄弟、別れた家族みんな誰も悪くはありません。一人一人日々を懸命に助け合いながら生きてます。その姿を目で見ている訳ではありませんが、必死に生きて暮らしていることがその証ですよね。

私にも努力を積み上げればできるはず。障害を負う前はそうやって生きてきてましたしね。

ただ違うのは、反復性うつ病性障害という精神障がいと向き合いながらバランスを上手く取れるように生きなければならないということだけ。

改めて、自分と向き合い、障がいとも向き合いながら、日々模索して、考えて行動する。どうしたら良い方向に線路を敷くことができるかをね。引き続き挑戦をひたすらしているのが、最近の私の目指す方向でありますね。

 

その中で励みになるのは、不幸にも別れてしまった家族。みな努力家で子供達は大学生として、学業やバイトに励んでます。

そして、1月に次男が20歳になり、今長男は一つ上なので、就活中で、内定もいくつか幸い頂いているとのことを聞いてます。子供達の母親の元妻ももうすぐ子育てから卒業を迎えます、彼女にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。そして、子供達の行く末を共に見守りながら彼女自身の歩みたい道を歩んで幸せに元気に暮らしてくれたらと願うばかりです。

私は今まで何してきたんだろ?と罪深くしか感じません。

母親や祖父母の背中を見て頑張っているんだと思いますね。遠くから応援をいつもしてます。

長くなりましたね。

 

コロナも5類移行により、あたかも闇に葬られた形ですし、感染者の公表の仕方も変わり、それにより世の中の状況が有耶無耶なのも事実です。今でも罹患されたりしている方もかなりいるかと思います、それを含めた感染症対策は一人一人でするしかありませんので、共に気をつけたいものですね。

確かに私達の暮らしにプラスなこととマイナスなことの両方をこの国は強いていることもこれまた事実。世界の流れに合わせてるとはいえね。

まだ、安心、安全な世の中には戻れてないし、更に生活を次々と圧迫する経済状況。裕福な方以外はすべての国民が今の暮らしが苦しくなっていくのみ。

特に社会的弱者とそうでない方の差がますます開いておるのが今の世の中の状況ですから。

賃金格差や年金問題がそうですね。

物価上昇率より低いですので、実質的には生活は苦しくなるのは言うまでもありません。

自分にしても年金を障がい者なので頂いておりますが、6月からの改定でも物価上昇率に対しては低い改定率なので、生活をかなり抑制しないといけないですね。最低金額なので、より厳しさがあります。

 

国のやることすら信用できないし、現実も理解してない。特に物価に関してはコロナ前のレベルに戻さないと暮らせなくなる、商売をされている方も成り立たなくなる、そんな社会に間違いなく進みます。政治の決定者達はお金に困らない層だから、我々末端の国民の暮らしの現実見えてないですよね?

政治の世界の世間離れした暗黙のルールや国民生活の現実の把握がきちんとできていないなど、政治不信に繋がる最大の要因で、このようなことが起きない金をかけない政治システムへの転換をすることを国民は望んでます!そこをしっかりと理解して変革してほしいと願いますが、過去の歴史を見ても上辺の変革で抜け道やバックドアのあるものでは困りますね。政治家の驕りなんだと思います。

この国の国民生活に政治に対しては期待より不安しかありませんが。

そして、国民の暮らしをしっかりと数字では見えない現実を目で見て、私たちが政治を信用して安心して暮らせる国にしないといけないとは思いますがね。

気付いても変える気も無いように見えてしまいますが、危機的状況と認識してもらいたいものです。

末恐ろしい世の中になること、どうかそれだけは回避されてほしいと切に願っております。

世の中が穏やかに、一人一人が笑顔で生きていける世の中になりますように。

 

お身体に気をつけながら春の到来を笑顔でいられますようにお過ごしください。

季節の変わり目ですから、人のことは言えませんが体調管理など健康に過ごせますようにご自愛くださいませ。

前回の内容をちょこっといじっただけの内容になってしまいましたが、今できる定例記録としては限界なことをご容赦くださいませ。

また、大幅に遅れてしまい、申し訳ありません。

春に向かいつつ、少しでも良い方向に向かいますように。

 

2025.04.07

【定例記録】2度目の移住から2025年2月20日で13年10ヶ月を迎えました。

【定例記録】2度目の移住から2025年2月20日で13年10ヶ月を迎えました。

~障害を抱えながら生きる苦しみ、たた今心身不調につき静養中!につき、遅くなりました。

 

まず、様々な土地で災害に被災された、被災されているすべての皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

復興が進んでいるところもあれば、なかなか思うように進まない土地もあることと思います。

自分自身も過去に台風災害で被災した経験がありますから、住む土地の復興と自身の暮らしの復興はまったく別物であることは経験して、身をもって理解しましたし、とても道のりは大変かと思います。

心身の傷は癒える日はないと思います。未だに自分も雨足の音が強いと当時のことがフラッシュバックして恐怖心が蘇り、安堵できる状態ではありません。

でも、一歩ずつ前に進まなければならないことも現実ですね。

希望を捨てず、元には戻れなくても、少しでも安心できる日が訪れますように。

 

2025年が始まったと思っていたら、あっという間に3月になっていました。

心身の不調から寝込む生活を2ヶ月以上していたら、良い兆しに向かうことなく、時だけが過ぎておりました。

 

さて、早いもので、ほぼ月次のこのBlogのタイトルにここ十勝に出戻りしてからの月日を記載してますが、2011年4月20日からなので、2月20日で13年10ヶ月を迎えました。

そして、2017年8月31日の台風災害で被災し、今の家に住み始めてからも2017年4月(住民票の異動は4月17日)ですので7年10ヶ月経過しました。

思えば様々なことがありました。喜怒哀楽や暮らしがジェットコースターのように変化したり、精神障がいとの戦いも一進一退の攻防の中に今もありますが。

負けたくない、障がいは治らないものですので、その中で自分がこの社会の為にできることをしてきたのに、元の鞘に収まってしまって1年、悔し涙を流しながら、前に進まなきゃ、と努力しつつも、また元の通りに戻ってしまいました。悲しいことではありますが、これが現実なのでしょうね。

 

心身の状態のその後のことをまず。

年始よりここまでほぼ寝たきりに近い日々を過ごすという最悪な年のスタートとなってしまいました。

心身ともに調子がよろしくなく。

また、原因の特定はできてはいませんが、可能性として、年末の通院にて、薬が1つ後発薬に変更になり、それを飲み始めてから1週間弱で体調に異変を感じるようになりました。

だるさ、部分的な異常な発汗、ほてり、動悸、めまいと頭痛などなど、多数の不定愁訴な症状に襲われておりました。

薬の情報をネットで調べたら、副作用にかなり当てはまるものがあり、そのせいかな?とも思えるし、12月から心身の不調もあるので、断定はかなり難しいところです。

今は、薬を飲みながら、心身の様子を見て、できることを無理せずにする、しっかりと休養もして気力と体力をあげていくしかないかな?

医師とも相談しつつも、原因の特定が難しく、対処方法も決め手に欠くので、今の様子を見つつ、進むしかないという心という見えないところのものでありますから、医療の力でもとても難しいところになりますね。

この療養のきっかけは突然でしたが、冬には少しでも働ける心身に改善させたいと思いながらの日々でありましたが、願いは叶わず、今も心身の体調の波が結構大きくて、とても困難なことが多く、日常生活すらまともにできずに病床に伏す暮らし。

しかしながら、この土地ですから、雪の季節。降れば、当然除雪はしないと周りへ大変なご迷惑をおかけしますから、必死になっておりますね。

 

自分の為に、と言うよりも自分を気遣ってくださる皆さまの為に。無理をしたら繰り返す。もちろん、2023年5月のこうなったのは無理をしたから、ということではないのですが、運悪く突然襲われたものでしたから。

日々生活と働く為の状態の為に努力は必死にしておりました。

しかし、精神障がいを抱えた私にはコントロールを必死にしてもその通りに心身が付いてこない局面が幾多もあったことも事実であります。

そのトドメと言わんがばかりに2023年5月の精神科の通院翌日に突然歯車は狂うというより、崩壊してしまいました。前日まで何の兆候もなく、翌日に備えてきちんと対応もしてたのにね。

人間ってホントわからんものです。

それを引きずっていたらいつまでも前には進めません。こんな私を気持ちで支えてくれるたくさんの方がおります。気にかけてくれる方もたくさんおります。

プレッシャーにせずに、チカラに変えていかねばなりません。それが今の私の責務。

負ける訳にはいかない闘い。

新たな挑戦と希望を持って生きていくこと、自分を大切にしながら世の中に寄与するように努力すること、今歩んでいる私の目標かな?

 

暮らしていく為にはもちろんバイト探しはこれからも継続して行いたいですが、心身が先ずは一番なのでそこを改善させて行くことに注力しないといけません。なので、経済的に追い詰められて来ましたから、公的な福祉の支援も準備を進めたのは正解でした。

年内に何とかまた元の鞘にはなりましたが、心身の調子とバイトとの巡り合わせまでは泣く泣く最低限の生活を保障する福祉のお世話になるしか道がありませんので、その道を手続きをして何とか年の瀬を迎えました。

希望を捨てずに、とリスク回避の両方の選択肢の中で動くしか今はありませんから。

何とか何かご縁があれば理想ですが、世の中そんなに甘い世界ではないことももちろん、理解しておりますので。

バイト探しもしているうちに気持ちも段々と落ち込み、身体的にもキツくなり、寝込む日が増えてしまい、「こんなはずではないのに!」という悔しさの中。

でも希望を捨てずに明るい光を探したいな、とは感じて過ごしております。

 

いつもありがとうございます。

十勝も気が付けば、例年のように冬も後半にはなってきた時期ですが。

今年は雪も寒さも今のところは例年ほどは厳しくなく、この先が本格的になりますが、こんな年は本番を迎える頃にはたくさんの積雪や厳しく冷え込むよなぁ、と思っていたら、案の定、2月の4日~5日にかけての大雪でエライ目に会いましたね。

うちの辺りは半日で85cm近く積もりました。

鉄道は4日間運休、バスはうちはあまり影響はありませんが、帯広市内では約1週間影響が出てました。そりゃね、帯広は半日で120cm以上という過去にない積雪でしたし、その後の除雪も予算切れにより遅れましたしね。ありえないような降り方でしたから、そこで、それまでの少ないなぁ、雪が今季はというのが帳尻合わせされてしまいましたね。

そして、季節の変わり目や不安定の時は心身が不調になる危険性がありますから、要注意ですね。

長い冬は闘いの日々になります。寒さと雪とのね。

自分ももっと強くならねば、という気持ちもあります。

諦めはしないです。あと、決めつけもしないです。きっとこうだから自分には無理と固定観念のようになれば、当然できる可能性のあることも挑戦もしないで、逃げるのと同じですから。

 

ここからは毎度の内容ではありますが。

うちは複雑な家庭環境にあります。一般的な家庭、家族関係とは幼い頃よりかなり異なる中で生きてきました。身体障害者の家族、大病を患い死の淵を体験した家族がおり、それでも日々必死に生きて努力している尊敬すべき家族です。

健康が取り柄でした父親も腰を悪くしてしまい、思うように動けずになり、これから先が心配なところ。好きなお酒もタバコも半減したらしいですし、そんなこと今までどんなことがあってもありませんでしたので、これは普通なことではないな、と危機感を募らせてます、私は。

うちの家族はこれで壊滅的な被害になりましたね。

まともに動ける家族が誰もいなくなりました。先ずは父親が元気になって腰を痛める前みたいな状態に戻ればと願っております。

でも、それがこの結果ではありません。己に全ての責任があるのです。

親兄弟、別れた家族みんな誰も悪くはありません。一人一人日々を懸命に助け合いながら生きてます。その姿を目で見ている訳ではありませんが、必死に生きて暮らしていることがその証ですよね。

私にも努力を積み上げればできるはず。障害を負う前はそうやって生きてきてましたしね。

ただ違うのは、反復性うつ病性障害という精神障がいと向き合いながらバランスを上手く取れるように生きなければならないということだけ。

改めて、自分と向き合い、障がいとも向き合いながら、日々模索して、考えて行動する。どうしたら良い方向に線路を敷くことができるかをね。引き続き挑戦をひたすらしているのが、最近の私の目指す方向でありますね。

その中で励みになるのは、不幸にも別れてしまった家族。みな努力家で子供達は大学生として、学業やバイトに励んでます。

そして、1月に次男が20歳になり、子供達の巣立ちの日も段々と近くなりつつあるな、と感じはじめてきましたね。子供達の母親ももうすぐ子育てから卒業を迎えます、彼女にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。私は今まで何してきたんだろ?と罪深くしか感じません。

母親や祖父母の背中を見て頑張っているんだと思いますね。遠くから応援をいつもしてます。

長くなりましたね。

 

コロナも5類移行により、あたかも闇に葬られた形ですし、感染者の公表の仕方も変わり、それにより世の中の状況が有耶無耶なのも事実です。

確かに私達の暮らしにプラスなこととマイナスなことの両方をこの国は強いていることもこれまた事実。世界の流れに合わせてるとはいえね。

まだ、安心、安全な世の中には戻れてないし、更に生活を次々と圧迫する経済状況。裕福な方以外はすべての国民が今の暮らしが苦しくなっていくのみ。

国のやることすら信用できないし、現実も理解してない。特に物価に関してはコロナ前のレベルに戻さないと暮らせなくなる、商売をされている方も成り立たなくなる、そんな社会に間違いなく進みます。政治の決定者達はお金に困らない層だから、我々末端の国民の暮らしの現実見えてないですよね?

政治の世界の世間離れした暗黙のルールや国民生活の現実の把握がきちんとできていないなど、政治不信に繋がる最大の要因で、このようなことが起きない金をかけない政治システムへの転換をすることを国民は望んでます!そこをしっかりと理解して変革してほしいと願いますが、過去の歴史を見ても上辺の変革で抜け道やバックドアのあるものでは困りますね。政治家の驕りなんだと思います。

この国の国民生活に政治に対しては期待より不安しかありませんが。

そして、国民の暮らしをしっかりと数字では見えない現実を目で見て、私たちが政治を信用して安心して暮らせる国にしないといけないとは思いますがね。

気付いても変える気も無いように見えてしまいますが、危機的状況と認識してもらいたいものです。

末恐ろしい世の中になること、どうかそれだけは回避されてほしいと切に願っております。

世の中が穏やかに、一人一人が笑顔で生きていける世の中になりますように。

 

お身体に気をつけながら厳しい冬の中でも笑顔でいられますようにお過ごしください。

また、感染症の流行の季節を迎えましたね。対策は予防措置はしっかりと行いましょう。

冬の様々な意味での安全確保や体調管理など健康に過ごせますようにご自愛くださいませ。

前回の内容をちょこっといじっただけの内容になってしまいましたが、今できる定例記録としては限界なことをご容赦くださいませ。

また、大幅に遅れてしまい、申し訳ありません。

春に向かいつつ、少しでも良い方向に向かいますように。

 

2025.03.08

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