忘れたくても忘れられない日。 

伝えていかなければならない。

風化させてはいけない。


12年後の今日の天気 快晴。
当時の天気 雪。


あの日から12年。


まず、震災が起きる2日前

3月9日に三陸沖地震がありました。

それは震災が起きる前兆だったと
言われています。

私はよく分かりませんでした。
その日 学校にいて 
6年生を送る会をしていたのですが
その間に津波注意報が発表され
津波が到達したところもあったと
あとから知りました。
私は何事もなかったのですが
その時から
なにかが様子おかしかったんだな。って
今振り返るとそう思います。

その2日後
3月11日 あの地震が起きました。
それは小さい地震かと思いきや
大きい揺れで当時は何が起こったのか
分からない状態でした。

私は当時、小学5年生。

休み時間で もうすぐ
5、6時間目 算数の授業が始まるという時に
起きました。

私は算数は苦手でした。
だけど、教えてくれる先生が
優しかったし楽しかったので
算数の勉強を学んでいたかった。
その気持ちが今でも強いです。 

普通に過ごせていた日々が
普通ではなくなった。

揺れは下から来る感じで
だんだんと強くなり
机の下に隠れていたけど
すぐ止まる気配がなくて怖かったです。

異常なのを感じました。

当時の教頭先生が何かを叫んでるのは
わかったけど、聞き取りづらかった。

校内放送が入らずだったので
地声で
校内は危ないから、逃げろー って
先生たちが言ってるのを 確信し、

教科書やノート、筆記用具をそのまま
置いたまま

3月11日 金曜日
天気は雪で寒かった。

そんな中、校庭に避難し、
親御さんたちが迎えに来るのを
待っておりました。

一旦避難し帰宅していたなか
津波警報が発表されていたのを知り
遠くから見たら
黒い波が勢いよく流れてるのを
見てしまいました。それが津波でした。
家や車や木などが流れていて
黒く濁っていました。
私がいた方向へも流れてきていて
目の前の土地が低かったため
そこで波は止まったのですが
私の方向へ流れてきていたら と思うと
ゾッとするし もしかしたら
生きていなかったかもしれません。

今を生きていられることに感謝しています。


約1ヶ月くらい避難生活していました。

余震は尋常じゃないくらいでした。

避難生活してる間にも
屋上へ逃げろ。と言われて
屋上へ逃げたこともありました。

電気 水道 ガスも通らない生活。
ライフラインが通らず止まっている生活

食はあまりなかったので
分け合いながら食べて過ごしました。

飲み物も分け合ってました。

水道も通らなかったので
給水きてたら行ったりしていました。

テレビは停電して見れなかったため
ラジオを聴いて過ごしていました。

ラジオを聴いていると
他県で大きい地震があったのを
知ったりして怖かったです。

〇〇が壊れたらしいよ!!
〇〇だってよ!って
変な噂が流れてきたりしていましたが
それはデマ情報だと知り
そういうのは信じてはいけないということも
学びました。


暗い時に起きる地震って怖いな。と
思いました。
緊急地震速報の音、サイレンの音もです。


今普通に過ごせている日々に
感謝しています。


国内や海外から
たくさんの支援していただいたこと
支援物資を送ってくださったこと

避難生活してて一緒にいた人たちと
助け合い、協力し合い、励まし合ったこと
絆や優しさ、温かさも忘れません。

時が経った今でも、そういうことも
大切にしていきたいです。

本当にありがとうございます。


避難生活から普通の生活に戻り
地元の景色を見たら港にあるはずの船が
陸にあって民家の土地にあったり
家屋の瓦礫の山などを見て言葉を失い
涙が出ました。

改めて
地震と津波の威力、恐ろしさを
実感しました。

命の尊さ 命の大切さも
知りました。

避難生活をしていたので
当時の状況とかわからなかったのですが
あとから震災特番などを見て
3.11の日から
普通の生活、日常に戻るまでの間には
東北は地元の景色は
こんな感じだったんだ。と知り
やっぱり悲しくなったし言葉を失い
涙が出ました。

復旧 復興が進み
綺麗な街に年々戻りつつあります。

震災があったことを忘れないようにと
遺構もあったりします。

いつ災害起きた時には
東日本大震災のようなのが起きた時には
エコノミー症候群
(エコノミークラス症候群)や粉塵とかも
気をつけなければならないです。

わたしは
直接被災したわけではないけれど
自分で見たことや経験したこと 
伝えられることを些細なことでも
これからも後世へ伝えていきたいです。


いつ起きるか分からない災害ですが
自分のところは大丈夫だとは思わずに

今のうちから防災意識を高め
避難場所などハザードマップの確認
食や水などの備蓄
非常用持ち出し袋
電池🔋 懐中電灯 スリッパ 
頭を守るもの、身を守るもの

防災グッズ
防災セット。

これからも日頃から
備えていきたいと思っています。


震災や
人生でこれ以上はもういい。って
感じるくらい数え切れないほどの余震 などを
経験し、学んだことです。


1つ、高校生の時にお世話になった
先生から30秒以上揺れたら
気をつけなさい。と教えてもらったこと。

心に留めたいと思います。


それから

阪神・淡路大震災から
歌い継がれている

「 しあわせ運べるように 」

私の母校でCDを作ると
みんなで歌い合唱した曲


東日本大震災復興支援ソング

「 あすという日が 」

卒業式で歌った曲
思い出に残っています。


たくさんの方が歌われている
「 花は咲く 」

花は咲く も 大好きです。
元気が出ます。


ここまで読んでいただき
ありがとうございました。



誤字脱字があったり
文章力 語彙力ないですが
伝えたいことが伝わっていたら
嬉しいです。


では。








津 波 て ん で ん こ 。




悲しい出来事が起きない
みんなが笑顔でいられる
平和な世の中になりますように . 




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