わたしの癖として
「〜しようとする」
というのがあります。



社会生活ではよく活きる癖で
学校でも会社でも
とても助けられました。



わからないことはわかろうとするし
やった方がいいことはやろうとするし
出来ないことは出来るようにする。



ただ、「〜しようとしない」
言い換えると、「放して」「待つ」
これがまあまあ苦手です。



わからないことをわかろうとしない
やった方がいいことをやろうとしない
出来ないことを出来るようにしない



この状況を自覚すると
ソワソワザワザワします。



迷うくらいならやる
こっちの方が楽で
迷うくらいならやらない
こっちは勇気がいる



やらずに後悔するより
やって後悔する方がいい



こういう言葉は
わたしにとって
大きな説得力を持ちます



でも今のわたしには
「〜しようとする」とき
一旦待って観察してみよう
そんな一時が必要だなと感じています。



「〜しようとする」とき
「〜しないと〇〇なってしまう」
と信じ込んでいることが
たくさん混ざっているんだなー
ということを実感しています。



で同時に
「〜しようとする」ことで
“いちばん痛くてめんどくさいことを避ける自分”
を、避ける自分 がいることも感じてます滝汗



内がわがやりたいことと
外がわからのやった方がいいという情報
混同してないかな?
それは自分から出てきたものなのかな?



内がわも外がわも
全部まちがってない
だけどわたしは
そんなに沢山の人生を歩めないから 
わたしの人生を知り歩むことに熱中したい



やってもやらなくてもいいし
後悔してもしなくてもいい



自分の内がわのものに
「〜しようとする」
動力を使いたいなーと
思っていますおねがい


その辺は自分にお任せして
じっくり観察してみてますウインク