こんにちはニコちゃん①
♡元エステティシャン♡同棲*婚約*遂に30歳!!
こっちのBLOGから来てくれた方
ありがとうございますごめんなさい
ここでは、、、電球
お母さんの病気のこと書いていきます。
私がそうだったように、
誰かの為になればと思います。

 

ノートとペンを買って数日後・・。

病室にあるノートを見ると、お母さんいろいろ書いてました。

 

昔から、日記を書いたりしていたお母さん。多分、そんな感じで今の気持ちを書いたのだと思います。

 

読まれたら、きっと嫌がるだろうと思いつつもコッソリと何が書いてあるのかを見させてもらいました。そもそも字が書けるのかな?とか思っていましたが、字体は書けていたし昔からのクセのあるお母さんの字でした。

 

何となく読み取れるのは【ねむれない】【つまらない】そんなような言葉でした。なんでここにいるの!みたいな感じのことを書きたかったのかなーと勝手に解釈しています。

 

あとは、ひたすら日付と曜日を書いてあって、多分月日がどのくらい経ったのか確認したかったのかもな・・・と思います。

 

でも、これで字体を忘れてしまったわけじゃないけど、読んだり書いたりができないんだな~てことがわかりました。懐かしいお母さんの字を見て安心と感動でした。

 

この頃は、倒れてから1ヶ月経たないくらいの時。

 

先生からも、お母さんはよく動くし、話もできるし(意味わからないこと言うけど)かなりの回復力だといわれていました。

 

ただ、とにかく脳の出血した部分が関係して自分の気持ちをコントロールすることができなかったりするようです。

 

あとは、病院食はあんまり食べたりしないのですがコンビニで自分の好きな物を買って少し食べるようになりました。

 

お母さんが、よく買っていたのは、蒙古タンメン・・・。笑 それと、ロールケーキのような甘いものをよく選んでいました。

 

看護士さんに、こんな物を食べていいのか確認すると『あまり病院食を食べないので、何も食べないよりは本人が食べたいと思うものを食べさせてください』といわれていて、OKでした。

 

元気な私達でも、辛くて食べられないのに・・・お母さんは、辛い辛いといいながらも嬉しそうにカップラ-メンを食べていました。笑

 

 

仕事中に、お父さんから送られてくるLINE画像がお母さんが蒙古タンメン食べてる姿だと、ほっとして笑えました。

 

それでも、夕方にはまた同じように興奮して泣き叫ぶので・・・お母さんも、私達家族もゲッソリです。

 

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毎日、興奮し泣き叫び、『帰りたい!!』というお母さんの症状は相変わらずでした。

 

家族間では、『帰りたい病が出た!』と知らせるようになっていました。大体、毎日夕方になると必ずそうなります・・。酷いときはお昼頃面会に行くとすぐにその症状がでることがありました。

 

看護士さん達がお母さんの気を紛らわそうと、病院の廊下を何十周も付き添って歩いてくれたり、病院内にあるコンビニに入ったりしてくれていました。

 

ある日、病室には私だけになり。

お母さんも興奮は落ち着きベッドに横になり眠っていると、彼が来てくれました。お母さんは、私の彼が来ると一応”外向きの顔”になります。

 

『こんなところまで、ごめんね~。ここは、何も無くってつまらないところなのに、ごめんね~。』と優しい、お母さんになります。

この姿を見て少し安心していました。

 

彼が来て、少しお話しをしてると突然。

『買いに行かなきゃいけないんだった!』と、何かを買いたいと言い出すお母さん。何が欲しいのか聞いても言葉がうまく出てこないので、私達もよくわかりません。

 

コンビニに行くようになり、 【買い物】ってことを思い出し欲しい物があると買いたいと言うようになりました。

 

とりあえず、彼とお母さんとコンビニに行ってみることにしました。病室から出るときは、まだまだフラ付くので手を繋いで歩きます。片方は私が、もう片方は彼が一緒に繋いで歩いてお母さんは、嬉しそうでした。

 

コンビニに着くと、お母さんはノートとペンを選び『これが欲しい!』と・・・。何かを書きたいんだそう。文字も読めないし、、、何をしたいのかな?と思ったけど、自分からしたいと言ったことは全部やらせてあげたかったので、ノートとペンを買ってあげました。

 

まだまだ数字も読めないので、レジでのお会計の時も金額は読めず、とてもおかしなことを言ってたけど、自分で金額は確認し『あとで返すからね(^_^)』って言ってたのを思い出します。

 

この日は、コンビニに行き欲しい物を買ったお母さんは、私達が帰る時もいつものように興奮はせず、穏やかにベッドで横になってバイバイしてくれました。

 

帰りにお母さんが興奮しない日は、すごく嬉しい。

 

だけど、その分かわいそうに・・・って気持ちが強くなりました。なんでお母さんがこんな目に合わなきゃいけないんだろうって思っちゃうんです。。

 

『バイバイ』っていうお母さんが淋しいそうで、やっぱり違う辛さがでました。

 

そんな日は、彼に励ましてもらいながら帰りました。

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一般病棟に、移動してきてから点滴の数も減ったので体も動かしやすくなった為、ちょっと自由になる分興奮すると大変でした。

 

やっぱり、何度言っても現状が理解できないようでした。お母さんが少し落ち着いてる時に、私と二人になってゆっくりと話をして伝えていました。

 

お母さんは、お風呂場で倒れて、【くも膜下出血】っていう病気になったこと。今、ここは病院でお母さんの体を元気にしてもらってること。体が元気にならないと、家には帰れないこと。家族は、お母さんがいない間もみんなで協力して頑張ってるから心配いらないこと。おばあちゃんも、何度も電話して元気か確認してること。

 

などなど、お母さんが不安に思うことから、現状からわからなくってもいいから、説明は何度も何度もしました。

 

多分、この時期は頭が痛かったり、すぐ疲れたり、ご飯があんまり食べられないことから、自分がなんか体の調子が悪いってことはわかっていたようでした。

 

それでも、夕方になると『家に帰りたい!!銀行にいきたい!!買い物に行ってご飯作りたい!!』と興奮して、帰ろうとしました。

 

紙袋に、携帯やめがねなどを入れて『実家に帰ります。』と言い、毎日のように帰ろうとしていました。そのたびに、看護士さんが止めにきてくれるのですが、お母さんはその看護士さん達に『触らないで!!あなたのこと大嫌い!近寄らないで!!』などと、大声で叫び、今までに聞いた事の無い暴言を吐くようになりました。

 

私たち家族が止めても同じで、『なっちゃん触らないで!お願いだから、帰して!なんで、そうやって皆で意地悪するの!』と、しまいには泣き出します。

 

病気だとわかっていても、とても見るのが辛い姿でした。泣き叫ぶお母さんなんて見たことないよ。。お父さんも辛そうだったし、妹なんかは、その姿を見るのが嫌で面会にくるのも凄く嫌だと言っていました。あの姿はかなりショックを受けますね。

 

お母さんが帰りたい気持ちもわかるし、現状を理解できないのも辛いし。とにかく、この時期はそんなやりとりがとにかく辛かった。。

 

面会終了時間になって私が帰ろうとすると、『お母さんも一緒に帰る!』と言ってついてこようとします。。

 

看護士さんにお願いして止めてもらうのですが、何人かでおさえないとダメなくらいお母さんも力が強くて・・・。何人かに止められながら『待って!!なっちゃん、行かないで!!!』って泣き叫ぶお母さんを置いて帰るのが本当に辛くて、辛くて。

 

帰り自転車に乗りながら、泣いたことを思い出します。

 

家に帰っても私のテンションはかなり低く、こんな状態の私と接するのは彼も本当に大変だっただろうなって思います。

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また、少し日が空いてしまいました汗

変わらず、忘れないように書いていきたいと思います。

 

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食事も少しずつ摂るようになって来た頃。

 

お母さんは、家族に電話をするってことを覚えました。お母さんに携帯を渡して、自分のだと理解することができるようになりました。

 

それまでは、お母さんになんとか何か思い出してもらいたいと写真を見せたり音楽を聴かせたりして面会が終ると同時に持ち帰っていましたが、『持って帰らないで』と言うようになり、病院に置いていくようになりました。

 

お母さんは、時間の感覚が無く・・。今何時なのか?時計も読めないし、全然把握していません。なので、びっくりするような時間に電話がかかってきます。

 

文字も読めないお母さんが、なぜ人を選んで電話を掛けることができたのか?それは、お母さんが以前電話帳登録の際に、それぞれの写真を登録していたからだと思います。

 

名前と共に、家族の写真があるのでわかったのかな?

お父さん、私、妹、弟・・・。時間も不規則に電話がかかってきてました。特に夜中、明け方は眠れていないのか、よく電話がなりました。

 

私に初めて電話をかけてきたのは、午前1時過ぎ。

心臓が止まるかと思いました。

 

着信、お母さん。

 

『もしもし?ごめんね。こんな時間に~。最近、全然電話できてなくってごめんね~。明日、病院来れるみたいだけど、大丈夫?ごめんねー。』って電話でした。

毎日、病院に行ってたけど、こんな電話がかかってくるのは初めてでした。ごめんね、ごめんね。って何回も言ってて、涙がでました。

 

病院に行くと、興奮してるお母さんだけど、電話では落ち着いていていつものお母さんのようでした。ごめんねって何度も言ってて、、『ゆっくり寝てね』って伝えると、『うん、わかった。』って言ってた。

 

電話を覚えてからは、何時に来るのー?まだ来ないのー?って電話が多かったです。明け方に電話してきてるのに『ごめんね、お昼寝してたー?』って言ってたり・・。

 

でも、いつでもお母さんの電話に出られるように肌身離さず、例え夜中であっても出るようにしていました。

 

この頃から、携帯を触ってLINEや今まで使ってたアプリを開いてみたりしていました。時々、お母さんからLINEが届きスタンプだったり、解読不可能なひらがなが送られてきたりしました。

きっと、お母さんは何かを言ってるんだろうなって。私達も文字をうったところでお母さんは読めないので、スタンプを送ったり、自分の顔を撮って送ってみたり、ボイスメッセージを送ったりしていました。何かしてお母さんを喜ばせたり、思い出したり、安心させたいなっていう一心からです。

 

相変わらず、文字や数字は読めず。言葉も上手く喋れない。だけど、本当にありがたいことに、運動機能的な部分はわりと自由がきき、ゆっくりだけど歩けたり、お箸を使ったり、手や足には特には問題が見られませんでした。

 

 

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一般病棟に移動してから、点滴が少しずつ少なくなり栄養も自分の口からとるようにしましょうと言われて病院食をとるようになりました。

 

最初は、飲み物もトロトロした物で、食べ物もお粥に消化しやすいものでした。お母さんは、全然お腹すいてないから食べたくないって言っていました。

 

だけど、そのトロトロなお茶を自分でスプーンですくって飲んでる姿を見てまず感動。自分の手で口に持っていくことができるんだって嬉しかった。飲み物を飲むときも『なっちゃんもいる?』って必ず聞いてくれるんです。優しいお母さんに戻ってきてるって、嬉しくて嬉しくて。いちいち泣きそうになってました。

 

朝ごはんと、昼ごはんは私達の面会の時間内ではないので、食べてる様子やどのくらい食べたのかは口頭でしか確認できなかったけど、夜ご飯だけは私達がいる時間内だったので、なるべく遅くまで付き添い夜ご飯は家族が付き添ってたくさん食べてもらえるように頑張りました。

 

『お母さん、ご飯少しでも食べよう!』『フタとってみて、何が入ってるかだけでも、確認しよう!』とか、なんとか気を引き付けてご飯を食べてもらえるように頑張りました。

 

全然食べてくれないけど、唯一フルーツとかは食べてくれるので、それだけでも食べるだけでも違うかなと見守っていました。私が自分で食べて『美味しいよ!』って言うと、少し食べてくれたりしたので、一緒に頑張りました。

 

時には、ヨタヨタ歩きなのに机に向かって椅子を二つ用意してくれて、ここでなっちゃんも食べようって言ってくれて・・・・。

 

あー、こんな興奮してわけわからなくなっちゃったり、泣き叫んだりするけど、こうやってお母さんの一面も出るんだなって感じれて、病室に2人しかいないけど泣きそうで泣きそうで。お母さんにどうしたの?って心配されちゃうから我慢したけど、今でも覚えてるくらい感動しました。あ~、やっぱりお母さんだなって、自分のことだけじゃなくいっつも私達のこと心配してくれてたよなって。

やっぱり変わってないのかもしれないって少し安心しました。

 

この頃は、お母さん抜きのLINEグループをつくり毎日お母さんの写真を撮って、こうだったよ、こんなことができたよ、こんなにおかしかったよってたくさん情報共有していました。

面会にこれなかった家族にも安心してもらえるように。。。

 

お父さんが、本当に毎日心配してたのでお父さんを励ますという意味でもお母さんも頑張ってるよって毎日送りました。