着物と子育てを楽しんでいます

connamiです

 

前記事の歌舞伎演目

「将軍江戸を去る」について

最後の将軍・慶喜は江戸に

執着したのか!?ということについて

俄か歴女としては気になって気になって

考察してゆきたいと思います

 

ご興味の無い方は回れ右星

 

史実では大政奉還後の

鳥羽伏見の戦いに敗れ

命からがら江戸へ逃げ帰って来た

慶喜ですがこの時点でご本人は

もう戦意消失で

徳川家の権力存続への思いが強い

まだまだ戦えるぞ!という家臣たちに

それに振り回されちゃってた感が

あったりなかったり

 

最終的には西郷隆盛の江戸総攻撃を目前に

勝海舟&山本鉄太郎が交渉して

無事に江戸無血開城が行われました

 

歌舞伎の中では鉄太郎が慶喜を涙ながらに

説得するシーンがあります

 

もし江戸総攻撃がなされていたら

江戸は火の海でした

江戸に暮らす人々も不安だったでしょうね

 

歌舞伎では最後まで抵抗して

なんだったら江戸を火の海にしてでも

最後まで戦ってやる!という思いで

上野寛永寺にいる慶喜を

山本鉄太郎が訪ねて説得するんですが

史実でも慶喜ってこんなだったのかな?

 

江戸無血開城が無事に行われ

慶喜は水戸へ発つことになり

千住大橋(江戸の境になる橋)で

見送りに来た家臣たちと涙涙の別れをして

終わります

300年続いた江戸幕府がついに

幕を下ろす瞬間の印象的なシーン

史実でも慶喜が水戸へ発ってから

15日後に明治という元号になっています

 

慶喜の決断次第では江戸が火の海に

なっていたのですがから

最後の将軍が苦悩してからの

江戸を守った英断が見所なのかと

 

でも未だに慶喜が本当にそんな人物だったかは謎

 

悠々自適に余生を送った反面

訪ねて来た旧家臣には会おうとしなかったり

最後まで自分に付いてきた家臣が

明治の世になり生活に困窮しても

無関心で薄情だと言われたり

そもそも将軍になる時既に幕末の乱世で

「責任が重いから嫌」と手紙に書いていたり

将軍になって1年程で大政奉還だったり

迫り来る新しい世の流れに

身をゆだねるしかなかった

複雑な将軍という側面もあります

 

結果、慶喜のことをもっと知りたくなりました