今回は長文の記事になります。
テーマは・・
野田聖子議員の出産について。
あくまで、私個人の感想です。
報道を見ていて、個人的に
「これってどうなんだろう?」と疑問に思っています。
◆倫理の観点から
単純に考えて、婚外子、さらに遺伝子的には
一切の繋がりの無い子、一般にはありえない年齢での出産、
事象だけ見てもちょっと不気味です。
またお子さんが自身について考えるようになった時、
そのアイデンティティはどんな風に確立するのでしょうか?
野田さんは中絶には反対されているそうですが、
野田さんのケースでの妊娠・出産については
私には同じくらい、もしくはそれ以上に
自然の摂理・倫理に反しているように見えます。
◆議員・仕事の観点から
国の代表であり、任期もある・わかっている。
年齢的なリミットがあるとはいえ、国を背負う方が
任期中に法を飛び越えての妊娠・産休・育休となると、
ちょっと仕事に対する責任感も無いように見えます。
辞職なさった上でのことなら、
ここまで疑問に思わないのかも知れませんが。
◆経済的観点・治療の観点から
50歳でも普通に出産出来るだけの高度な不妊治療
(多分、普通ならそろそろ閉経の時期ですよね?)、
および卵子の提供をアメリカで受けるだけの
金銭的余裕があるからこそ、出来たということ。
ただでさえ、保険適用がされず
高額と言われ途中で諦める人も多い不妊治療。
50歳でも出産できる希望を人々に与える一方で、
自分達には手が届かないと絶望する人が沢山いるのも事実。
◆法や科学の観点から
向井亜紀さんのケースでは、自分で出産していないので
遺伝子的には高田さんと向井さんの子供であっても
養子という形にしか出来ないものが、
遺伝子的になんの繋がりもない野田さんの場合は
ご自身が出産しているので実子となる。
これもなんだか合点がいきません。
科学の観点で言えば、
遺伝子が両親のものである高田さん向井さんご夫妻の方が
よっぽど親子・血縁といえると思います。
お子さんが生まれるということは非常におめでたいことですが、
今回の件はなんだか素直に祝福できない感じです。
実は向井さんの時にも思っていましたが、
自然の摂理に逆らってまで、
そこまでしても欲しいものなのか?
不自然な形で命を生み出すのは正と言えるのか?
人間の領域を超えてしまってはいないか?
私だったらそれだけの金銭的余裕があるのなら
少しでも恵まれない子供達の為に使うとか、
養子縁組するとか、別の方法を考えるかな、と。
それって間接的ではあるけれども、
本来とは別の形ではあるけれども、
「子供を育てる」という行為になりはしないでしょうか?
私の周りにも、お子さんに恵まれなかったご夫婦が
沢山いらっしゃいます。
その方達は、違った形で子育てに参加していました。
私達兄妹に愛情を注いでくれたり。
私は自分の親と同じように、そういった周囲の皆さんに
育てて頂いた実感と感謝があります。
幸せのかたちは人それぞれですが、
血縁だけが全てでは無いし、
それだけで家族や絆が成り立つ訳でも無いと思います。
幸せのかたちは人それぞれ。
否定はしません。
ただ色々なことを、色々な側面から考えられる
“ある意味”良い事例だと思います。
授業とかで「命」を取り上げる際にも、
ひとつの例として挙げる価値はあるんじゃないかと思います。
皆さんはどう感じましたか?