飯盛山のを降りてから向かったのは…

というかバスの待ち時間が長すぎて

外観だけ観光になりましたが

鶴ヶ城にやってきました。


戊辰戦争の折、構造物配置に

死角がなく難攻不落と言われた若松城も

近代戦争の新式の大砲などを装備した

官軍にだんだんと劣勢になって

城内に5000人が立てこもって抵抗しました。


なんと一日2500発もの砲弾を浴びながらも

若松城は崩落しなかったのですが

城内の様は阿鼻叫喚で

とうとう開場せざるを得なかったわけですね。

松平容保がこの城を受け継ぐ前

蒲生氏郷が構えていた城は現在の

5層構造よりも大きい7層構造で愛媛城にも

匹敵する大きさだったといいます。


氏郷の出生地近江にいる穴太衆という

石垣施工の物凄い技術者達が

組んだ石垣と、砲撃を見通して作った

幅40メートルにも及ぶ堀、城下は総構えで

さぞ素晴らしかった事でしょうね。


さて、今回こちらも閉まっていたのですが

氏郷は線の利休が秀吉の命で切腹した後

離宮の娘婿である千少庵を匿って居ました。

その際に使ったとされるのがこの

麟閣という茶室です。

今でもお天茶をいただけるので

観光の際は行ってみたらいいですね。



少し高い塀をよじのぼり

幅40メートルのお堀を写真に収めました。


さぁ、もう時刻は17時過ぎです。

なんとなんとなんと‼️

18時台と19時台のバスがあるはずなのに

来ないじゃないですか‼️


という事で七日町まで歩くことにしました。

2キロ強ありますね。

気温は夕方ですごまだ35度くらい。

死ぬかと思いましたキョロキョロキョロキョロキョロキョロ


七日町は大正ロマンのような雰囲気の街並みで

昨今はおしゃれなカフェなんかもあります。


野口英世博士が青春時代を過ごした街や

手を手術をされて医師の修行をした

医院跡などもありまして

暑くなければお散歩には最高にたのしい

場所じゃないかと思います。


こちらは清水や旅館跡地で

土方歳三が滞在した場所です。

宇都宮城の攻防で足を負傷した

土方歳三は会津藩の秋月登之助が手配した

当時最高級旅館だったとされる

清水屋で手当をしたそうです。

吉田松陰が東北紀行の際にも宿泊したのだとか。


街並み、西日で真っ黒ですねー。


渋川問屋さんが目的地です。

120年以上の歴史を持つ海産物問屋で

今は郷土料理のお店になって居ます。

建物の中もすごく素敵ですが

写真枚数の関係で後は動画をお楽しみに

してくださいね。


中にはいつの頃のかわからないくらい

古い看板なども掲げてありました。


メニューはこんな感じで

会津料理と会津牛のステーキのコースを

いただくことにしました。


前菜は棒鱈や身欠き鰊、昆布巻きなど

山間の町独特の前菜ですね。

いかにんじんも会津名物です。

右上に写っているのは

こづゆという会津料理で

武家料理、またはハレの日のメニューとして

根付いている郷土料理ですね。

わたしはこのこづゆが大好きで

大叔母のお家に遊びにいくと

使ってくれたのを懐かしくいただきました。


ステーキは80グラムなんですが

さしがめちゃめちゃめちゃ入っていて

脂がすごいので80グラムで

むしろ良かったと思うくらい重かった泣き笑い


水菓子とアイスコーヒーでコース終わり。

美味しかったです。

お店の中が暗いから写真が

あまり綺麗に撮れてなくて残念。


七日町の駅はカフェにもなっていて

レトロで素敵な駅舎です。



只見線に乗って会津若松まで戻って

駅前のスーパーでスイカを買いました。

糖度が12度くらいあるそうで

食べたら砂糖をかけたみたいに甘かった飛び出すハート

暑い中をずっと外にいたので

スイカの水分が体に染み渡るようでした。