私たちボランティアベース和(なごみ)にて、九州で水害に遭われた方々に対して災害ボランティア活動をしようと計画しました。
同じ水害に遭われた地同士で、私たちが何ができるか考えたとき、人がその地に入って少しでも復旧のお手伝いをする。これしかないと考えました。
しかし私たちメンバーの殆どは去年の台風12号災害にて、初動から入ったわけではありません。少し間をおいてボラセンからボランティア活動を始めました。
水害からまだ(もう)二週間、今回は初動のことが解るでしょうか。
今回も初動から入っておられる団体「OPEN JAPAN」さんがいらっしゃいます。
私たち和とつながりが非常に深いので、今回そのベースにお邪魔して活動のお手伝いをさせて頂きました。
まずは人集め、貴重な時間を割いて同行して頂ける方を募集しました。
同じ和でボランティア活動をしている、大阪のT井さん、有田川町のO西さん、新宮市のO野さん、
と私(なんで)、それから去年から和でボランティア活動をしていた中学生(現在は高校生)のみゅうちゃんも急遽同行してくれました。
日程は非常にタイトなもの、木曜那智出発、金曜朝現地到着、金曜日・土曜日作業、土曜現地出発、日曜那智到着。移動時間が片道15時間です、ま、誰だって陸路は時間がかかります。
実作業日数は2日、、、
金曜日の朝、いこいの村と呼ばれるところに居を構えるベースに着きました。雨が降ってましたが、徐々に晴れ間が見えてきて、阿蘇の雄大な景色が見られました。
<<金曜日>>
さて、初日は高梨地区のお宅(床下・外回り)の泥出しを、ボラセンの一般ボランティアとともに作業しました。
床下という床下、外回りという外回りが泥(黒色の火山灰質)で埋まってます。
家財道具の運び出し班、床下班、外回り班に分かれての作業です。
しかし盛夏です。蒸し暑いのでこまめに休憩をとりながら、水分を採りながらの作業です。
この火山灰質の泥は粘っこいので、取るにしても道具にひっついて離れません。
しんどい作業ですがみんなの想い、それは一つ、一刻もはやくお宅の方々が住めるようにと、、、
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ここで私たち和チームは別行動に、、、
まだ一般ボラが入ってない地区、古城地区に拠点をつくる作業です。
中国テントと呼ばれるテントを建てました。
ここをベースのサテライトとして、古城地区の初動の拠点とします。
明日以降、一般ボラが入る予定です。なにはともあれ、必要な道具・物資を搬入しました。
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午後から、私はみゅうちゃんとともに、その古城地区のお宅に伺いました。
倉庫にまだ家財道具があるのでその運び出す作業です。
お宅の方の手ではなかなか作業は進まない、ですから今日は二人ですが人手が増えることで作業は進みました。
災害に遭ったとは思えないほど気さくな方で、休憩時間中も話しがつきません。和歌山から来たとの事で気遣ってくれますが、去年の台風の災害の事はあまり知らなかったみたいです。
ここも山からの土石流(火山灰質の泥が主体)に見舞われました。
この一週間で大分かたづきましたが、まだまだボランティアの数は必要との事。
これから一般ボラが入る予定、一気に片付いていくことと思います。
昼過ぎから雲行きが怪しくなり、雷鳴も聞こえてきました。ここ数日間は毎日こんな調子で夕立がくるそうです。その度に避難の情報がでます。
天候との戦いも続いていきます。
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そんなこんなで一日目は終了、ベースに戻りました。
どこかの避難所で余った大量のお好み焼きを夕食として頂きました。
夕焼けがきれいでした、明日も暑くなるでしょう。
私たちはベースのテントをありがたくお借りして、爆睡します。
その2へ、、、
by なんで