昨日ふと、気づいたことがある。



それは自分が、



理由もなく旦那に意地悪しようとしている日がある事。(しかも無意識)


         不安不安不安

 

​ひどすぎ…



特に何された訳でもないのに、ちょっと冷たくしていたり、目を合わせないでみたり、無視してみたり、逆に胡散臭い笑顔を向けてみたり。



そんな自分に気づいた時、純粋になんでだろうと考えてみた。



       真顔真顔真顔

 

​…???



そして気づいたことは


君(私)、かまってちゃんなんだ!指差し


寂しいわけではない。構って欲しいとか自分では思ってない。



でも人は人に冷たくされると、どうしても相手が気になってしまう。(いい意味では無く。)



何か悪いことしたかな?と考え、相手を観察し、機嫌を取ろうとしないまでも近づかないようにしたり、どうしても意識は相手に向いていく。



すると意地悪している側も、それを肌で感じる。



自分を意識していること、相手からの電磁波みたいなものを、ビリビリと。



(たまに相手は全く気にして無く勘違いのこともあるが、いじめている側は意図的にやっているので確実にいじめている方を意識している。私の旦那はまれにみる鋼のメンタルなので私が意地悪してることにも気づいてない。)





いじめっこは心が病んでいる



ここからが本題。



私はいじめをする人は心が病んでいると思っている。



常に誰か下の人間を作り、その人を攻撃し続けないと自分の存在価値が保てない。



それは言い換えれば他人の中に自分の存在価値を見出しているのと一緒で、いつまでも安心感が得られない。



そんな精神状態が健康なはずがない。



そして比較的、いじめをしている子の家庭環境は良いことが少ない。



もちろん100パーセントではないが、いじめっこが実は寂しさを抱えていたとか、家庭環境が恵まれていなかったなんてことはよく聞く話ではないだろうか。



そんなん知るかいっ!


と思っていたけど、なるほど今回自分の新たな一面に気づいて、この誰かに常に意識されている状態、視線や空気が、彼らがやめられない理由なのかもと思ったり。



全く無視をしていたらいじめのターゲットが他に向くなんて話もありますもんね。





いじめはなくならない



私は



「いじめてるやつらあたおかじゃね?」



と言いたいわけではない。



人は人を傷つける。好きでも嫌いでも。そしていじめはなくならない。



人を傷つけたい、という気持ちに気づいて、向き合って、少しでも人に付けた傷では無く自分の中にある価値に気づけたなら、自分も人も、もっと大事に出来るのではないだろうか。




       ちょっと不満ちょっと不満ちょっと不満

 

​と思った次第です…。いつもごめん旦那。







近いものを感じた本