
堀研(ほり・けん)先生は湯玉在住の画家、堀晃(ほり・ひかる)先生のお兄さんでもあり、作品の中には文化庁買い上げとなった作品もあります。
堀研先生が20代から近年に至る海外でのスケッチ約50点が展示され、夢ヶ丘中学校の生徒や地元の方たちに堀先生自ら解説をしながらスケッチを見て回るという贅沢な企画でした。
まず驚いたのは、それぞれのスケッチの下に先生直筆の解説が書いてあったのですが、絵を描いた時の情景がとても鮮明に書かれていました。
中には30年近く前のスケッチもあったのですが、その時差し込んできた日差しの印象なんかも非常に鮮明に説明されていました。
どうしてこんなに鮮明に覚えているのだろう?と疑問に思いましたが、講演のなかで、スケッチはその時に感じたもの、描きたいものをその場で五感を使って描いているので、絵を見ると匂いや音までその時のことを思い出すことができるそうです。
スケッチはもしかしたら写真よりも鮮明に真実を記録・記憶することができるのかもしれません。
五感で感じた物の結晶が絵になっているというか。。

自然などに触れて五感で感じ、その時に感じたものを絵であり、音であり、文章であり、何だかの形にして表現すること。それが芸術なのでしょうが、今の世の中はそもそも自然に触れたり、物がなくて困ったなどの「経験」が足りないのかもしれません。
経験し、感じ、表現する。
それは受験や仕事には直接は関係のないものかもしれませんが、人間としてはとても大切なことで、感じる力はきっと仕事なんかにも役に立つはずだと。
むしろ感じる力が役に立たない職業などないようにも思います。
堀先生は近年、一本の桜の樹を色んな季節に何度も描き続けているそうで、誰も描きに来ないような冬になると花も葉も枯れ落ちて樹の骨格、骨が見えるようになる。そうするとその桜の樹が一人の人間のようにみえてくるようになった。
ずっと描き続けることで、違った見方ができるようになる。
年を取って目が悪くなっても年を取って見えてくる物もある。
人物が描かれたスケッチでは、目や鼻などは緻密に描かれていませんが、その時に感じたことを描くのに目や鼻を緻密に描く必要はなく、細かい事を描きすぎると全体を見失うこともある。というお話もされていました。
また、水彩画、油絵などに分類するのは解るが、日本画と洋画という風に分類する必要はない。
日本画の平面的な表現はそれはそれで素晴らしく、それは日本の文化が平面的な美で造られているものが多いから。例えば西洋の建築物はドアが立体的に開閉するけど、日本のドアは平面のドアが平面的に移動するし、西洋ではベッドに寝るが日本では平面の床に直に布団を敷いて寝る。こういった文化の違いが絵画の中にも表れている。というお話はとても印象的でした。
描きたいものを描く、だから良い絵・悪い絵というのはなく、どんな絵でもいい。
評価される為に描くのではなく、描きたいものを描くことが大事。
忙しさに追われるような心に余裕のない日々を過ごしていたり、過度なストレスにみまわれたりすると、自分が何をしたいのか、どんな人になりたいのか、どんな人でいたいのか、見失うこともあるかもしれません。
自分がやりたいこと、なりたい自分、それを見失わないことって何よりも大事なのかもしれません。
そんなことを考えさせていただいたような。
画家にとって大切なことというよりは、人間として大切な、忘れかけていたことを思い出させてもらったような気がしました。
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