なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪ -30ページ目

なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

何かの?誰かの?お役にたつ話題や
考え方もあると信じて続けたいと思います。
ご感想・ご意見・いやいや!
それは違いますよ!!でも勉強になるので、
何でも言っちゃって下さい!!
おもしろ楽しく、でも真剣に
なべちゃりんブログは、ここにあります♪


まずは以下のリンクから、俳優渡辺謙さんの御発言を読んでいただきたい。


渡辺謙さん、政府答弁を批判 自衛隊は「未来のない戦いを強いられた栗林中将と変わりがない」【安保法案】


《以下書きだし》

参院で安保法案の議論が続いているなか、俳優の渡辺謙さんが8月28日、ツイッターに政府の国会答弁を批判するコメントを投稿した。政府はしっかりした考えを持たないまま、自衛隊を海外などに派遣しようとしているのではないかと懸念している。

{A6C8B373-01EE-4554-BD48-9D78F9735414:01}

栗林中将とは、太平洋戦争の激戦地・硫黄島の戦いで日本軍守備隊の最高指揮官を務めた栗林忠道陸軍大将のこと。渡辺さんは、2006年公開のクリント・イーストウッド監督作品『硫黄島からの手紙』で栗林中将の役を演じていた。

{CE20A765-4235-424A-8289-D5F66744164C:01}


栗林中将は2万余の兵力で4倍近いアメリカ軍との死闘を36日間も続けたあと戦死した。補給も退路もない孤島で繰り広げられた戦いで、栗林中将は玉砕の前「矢弾尽き果て散るぞ悲しき」と大本営に最後の電文を打った


なお、渡辺さんは8月1日には、戦争についての自身の考えを、次のようにツイートしている。

{3701176D-F58A-477B-8EE9-16FCCBA86242:01}

…………………………



ツッコミどころ満載です、謙さん。


まず、「未来のない戦いを強いられた栗林中将」という考え方は、栗林中将の御身になった謙さん御自身の現代人目線の主観ですね。

あの島をどうしても死守しようとした兵士たちの気持ちは、愛する家族、愛する国に向けて爆弾を落とし、罪のない民間人を大虐殺する米国軍に対して、その日を1日でも遅らせるために、1人でも多くの民を救うために必死の決意であったはずです。


そもそも大東亜戦争が共産主義者の陰謀によって米国をして日本へと嗾けさせた避けられない戦争であった史実を思えば、「未来のない戦いを強いられた」のは栗林中将だけでなく日本人全員です。


だからこそ、先人達は侮りや辱めを受けず戦って未来の活路を見出そうとしたんです。そこをわかっていないと随分感じ方は違ってきますからね?



それから、「1人の兵士も死なないで戦後70年を過ごせて誇りに思う」という2個目のツイートですが、兵士は死ななかったかもしれませんが、平和憲法のせいで民間人は結構多く犠牲者を出してますよ。


自衛隊発足前に竹島は占拠され漁民は拿捕され殺された人もいたし、拉致被害者は大勢出て未だに帰ってきません。親御さんにとってはもう亡くなっているのか、それとも生きているのかも分からないこの状態は、拉致された日から何十年も止まっている、解決の目処が立たないこの現状は、もう死んでいるのと同じような感情を被ってます。


記憶に新しいところでは、アルジェリアで邦人人質事件が起こり海外ですが国民から死人は出てますし、他にもテロ組織に殺された例は結構あるわけです。これらの事態に平和憲法を掲げる日本人が狙われているであろうことは否めませんからね。


市民が警官より死ぬ確率が高い社会生活なんてありえないのと同じように考えたら、兵士が死ぬ可能性より罪のない民間人が死ぬ確率の方が高い国って、異常じゃないですか?


兵士を死なせないための個別的或いは組織的鍛錬を充実させて、法整備もきっちりして、その上で軍事上同盟国と連携することで、罪のない民間人が殺されるような事態を未然に防ぐことを目指すべきじゃないんですか? 


そういうことを考えて欲しいですね、謙さんには。

{F33E6D85-1000-4B3E-8847-9652E9D2D677:01}

私は日本史受験対策で暗記尽くめから少しでも意義ある勉強にしたくて、司馬遼太郎の歴史小説を読んで楽しみながら活かしていきましたが、創作がもとであっては細部の微妙な偏向的解釈が歴史科学的な時代全体の把握に悪影響を及ぼす怖さを知り、特に近現代史をもとにした創作は見ないようにしています。


それでも作品の監督や演出家を軽蔑しても、役者は仕事に忠実な点で許してきました。


しかし、栗林中将を引き合いに出した謙さんのツイートを拝察すると、世間並みにフィクションを演じる役者として評価しても、軽々な史実に対する認識で先人を穢すような近視眼的な発言をしてしまった点で、人間渡辺謙への評価はガタ落ちになりました。


『監督や演出を憎んで、役者は憎まず』

という私のスタンスは、このように最近の【安保法案】に対する世間の沸騰ぶりの中でガタガタと音を立てて崩れてきてしまっています。





「武」とは、「戈(矛)」を「止める」という字から成り立っています。



「戈」は生命を絶つものとしての「凶器」であり、生命を殺戮するために用いられるもので、それが行われる一番凄惨な事態が戦争であると思います。それを「止める」と書いて「武」という字は成り立っている。これをどう考えるべきなのか?



すなわち結論から言えば、人間を虐げるところの「邪悪を止めるための努力」、これが「武」の本質なのであろうと考えられると思います。



「武」は時には「暴力」となりますが、適応する場面と対象によっては「正義」となり得る一方、使い方によっては大変な過ちのもととなり「汚名」を着せられることにも作用します。



「武」は自分の身や大切な存在を護るためには必要不可欠であるに決まっていることは、日本が平和憲法を掲げ国際紛争の解決手段として「武」を用いないと誓った(誓わされた)としても、「武」が無ければ「平和」そのものを護ってこれなかったであろうということは、自衛隊の存在と日米安全保障条約のもとに駐留する米軍の存在で証明されています。



すなわち「武」を擁して居ながらにして、それを様々な努力によって「抑止する力や思考」に傾けること、または有事に備えて使いこなすために鍛錬することで得られる「精神力」や「技術向上のための胆力」、人間同士真剣に対峙する「交渉能力」など、それら諸々を養い、それによって人間の中にある不誠実な行動や争いを掻き立てる闘争心を「止める(諌める)」ことを身につけることに意味があると思います。「戈を止める」ために「武」を磨く道が「武道」であり、ゆえに強い身体と心が養われていくのだということでしょう。



「武」を磨けば磨くほど、「武」を用いるに当たっての胆力は磨かれ、怖れも増し、誠実であろうとし、身体と心が養われて、そして遂には実際には用いないように互いに努力することを考えるようになる。「武」とは究極用いないようにするための鍛錬でしかないのですよ。



ゆえに「武」は知っておく必要があるわけです。


これは人間として生きていく上では避けられないことだと思います。




戦後、日本はGHQの政策によって教育の場面での改悪を様々やられてしまい今に至りますが、「武」を積極的に教育現場で取り扱うことが無くなってからというもの、凶悪犯罪が増え、更には前述したような「武」の心得が浸透していないことによって相手への思い遣りが欠如し、悪戯に知識や個別性ばかりを重視してしまって、「自由」という聞こえの良い価値観を単なる「自分勝手」「他人事」という独り善がりな考え方に持ち込み、「見て見ぬ振り」「我関せず」といった無責任な風潮を蔓延させてしまったと思いますね。


まさに、国際社会がどうであっても、日本は日本で「見て見ぬ振り」。それが今の無責任で自分勝手な日本の姿ですよ。「武」を理解し、真剣に考え、身につけ、そして実践すること。それ無しには真の世界平和は有り得ない気がしますけどね。


《2015/8/22(土) 富士総合火力演習より》





昭和20年(1945年)8月20日、ソ連軍が南樺太の真岡に上陸し、自動小銃、手榴弾で民間人を攻撃しました。



こうした中、真岡郵便局電話交換手が職場を守り、女性交換手が自決する事件が起こりました。この事件は映画にもなりました。『氷雪の門』という映画です。


{D39D1108-55F3-4B0E-A385-2714428F64C8:01}

 北海道稚内市の稚内公園には「殉職九人の乙女の碑(九人の乙女の像)」があり、事件を慰霊するものですが、この碑文には当初、次のように記されていました。



「昭和二十年八月二十日、日本軍の厳命を受けた真岡電話局に勤務する九人の乙女は、青酸カリを渡され最後の交換台に向かった。ソ連軍上陸と同時に、日本軍の命ずるまま青酸カリをのみ、…」



 日本軍の命令などないのですが、典型的なGHQ製戦後イデオロギーの例でしょう。



 碑が建立されたのは昭和38年(1963年)で、それにちなみ「氷雪の門」という歌が発表されました。


歌は畠山みどりさんで、畠山さんが曲が作られた経緯や殉職交換手のことを語ったことが雑誌に発表されました。


「当時樺太の電話局はすべて軍の管轄下にありまして、交換の方々も毒薬を携帯し、特攻隊として任務についていらっしゃったようです。ですから軍から職場を死守せよと命じられれば、それはその通り守らなければならなかったようでした



…………………


 嘘が一人歩きし始めていたのですが、幸い事件当時の真岡郵便局長であった上田豊蔵氏が


「当時樺太の電話は総て軍管轄下であったと云うが、これは真っ赤な嘘である」

と言下に否定し、


「彼女たちは純粋な気持ちで職場を守り通そうとした。それを軍の命令でというのは、この人たちを冒涜するのも甚だしい


「あらゆる者たちが慌てふためき、泣き叫び逃げまどっている中で彼女らは、キリリとして活動を続けていたのである。このようなことが、他人の命令でできるかどうか、その一点を考えてもわかることだ。崇高な使命感以外にない

と憤りました。



現在では碑文は次のように訂正されています。



「…その中で交換台に向った九人の乙女らは、死を以って己の職場を守った。…静かに青酸カリをのみ、夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた…」



 九人の殉職交換手は「北のひめゆり」とも言われており、今のところ沖縄のように怪しいイデオロギー集団が巣食っていないようです。



………………………



しかし、平成20年(2008年)8月に日本テレビが『霧の火 樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち』というドラマを放映しましたが、この中では殉職交換手は局長命令で局に留まったとし、青酸カリの包みがやたら強調されていたといいます。


そして主人公の養父が終戦の報を聞くなり「俺は朴○○だ」と朝鮮人であることを明かし、「お前ら日本人はアジアで300万人を虐殺してきた」という台詞があったといいます。



今度は別の形で利用されてしまいました…。


(『かつて日本は美しかった』より)




{D0DCF061-BC3F-4BCE-848A-D8B60DA8D2F5:01}

真岡郵便局で亡くなられた9人の女性

高石ミキ          24歳

可香谷シゲ      23歳

伊藤千枝          22歳

志賀晴代          22歳

吉田八重子      21歳

高城淑子         19歳

沢田きみ         18歳

渡辺照            17歳

松崎みどり     17歳




彼女達の死を間違った自虐史観で冒涜することは、許されないことだと思います。