Facebook友達の方より、介護人としては
心して読まさせて頂いた記事のご紹介。
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私は不思議な体験を持っている。
母は四年前に亡くなった。
亡くなる前の三年間は寝たきりだった。
私の身体は朝から晩までの看病で
きりきり舞をしていた。
時々、頭の具合の良くない時には
実の娘である私に向かって
「どなたか存じませんが、ご苦労様です。
良くしてくださって・・・。」
と消え入るような細い声で言った。
そんな時は悲しくて、母が哀れで、お風呂に入って
ひとりでそっと涙を流したものである。
しかし調子の良い時には、
「おやすみ。お前も風邪を引かないように
気をつけて寝るんだよ。」
と夏の暑い日でさえそう言って
幼い子供に話すように気遣ってくれた。
私は、
「ありがとう。わかった。」
と言って汗とも涙ともわからぬ汗を
タオルで拭って母におやすみの挨拶をした。
医者からすぐに入院を言い渡され、
母の面倒を見る人が他に誰もいない私は
とほうに暮れた。
痛む身体をひきずって一日中歩き回り、
母を預かってくれる病院を
やっと探し出すことができた。
病院の婦長さんは、私の様子を見て
「こんなに身体を悪くして。奥さんも大変でしたね。
安心してしっかり養生なさって下さいね。」
と労ってくださった。
その言葉を聞いて私はなぜだかとても嬉しかった。
年老いた母を他人様に預けることへの
後ろめたさがあったのだ。
しかしこの言葉を聞いてほっとした安らぎを感じた。
早速、母を病院に入院させ、その後の二日の間、
私は食事もとらずに眠り続けた。
二日目の夜中、母の訃報が病院から舞い込んだ。
私は涙を流すことさえできなかった。
私が側にいてあげれば、
あと二年くらいは生きていられたのではないか。
そう思うと親不孝な自分を悔いても悔いても辛かった。
病気のせいもショックのせいもあって、
一歩も歩けない状態で緊急入院し、
母の葬儀も初七日もつとめることができなかった。
白血球の値が異常に高い数値を示しており、
私は自分の死を覚悟した。
入院してからある日、母の夢を見た。
母の身体にはたくさん湿布が貼られていて
その湿布の場所は私の身体の痛む場所だった。
そして私と全く同じ格好で右足を引きずって
歩きながら夢に現れた。
私がいくら声をかけても何の応答もせずに、
くるりと向きを変え背中を見せて右足を引きずりながら、
ゆっくりと消えていった。
夢はそこで終わった。
私は不思議な気持ちで朝を迎え、目を覚ました。
「あっ、!痛くない!」
あれほど全身を覆っていた痛みが全くなかった。
私はベッドから恐る恐る立ち上がった。
一歩足を踏み出した。
【痛くない・・・】
歩いてみる。
【全く痛くない・・・。】
走ってみる。
【元どおりだ・・・。】
私は死なないのだ!
夢に出てきた母は、
まさに昨日までの私の姿であった。
母は私の痛みや病を持って
あの世へ逝ってくれたのだ。
「おかあさん、ありがとう。本当にありがとう。」
私はいっぱいいっぱい母にお礼を言った。
こんな事が本当にあるのだろうか?
担当の医師や看護婦さんも、
私のあまりにもすごい回復力に
みな一様に驚いていた。
一ヵ月後、すっかり元気な身体になった私は退院した。
それから4年。元気で幸せな毎日を送っている。
親というものは肉体を亡くしても
自分の子供のことを心配してくれているのだろうか・・・。
母ひとり、娘ひとりの私たち親子は、
いつもお互いだけが頼りだった。
母の深い大きな愛情、母のやさしさその証が
私自身を今も元気に生きていることだと思えるのだ。
合掌
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祖母に続いて、私は今出来る限りだが
母の介護をしながら生きている。
年老いて弱くなった母の面倒を見ることで
毎日大変ではあるが、シャカリキに外に出ずとも
普通では気付くことが無いであろうことを
勉強させて貰いながら精一杯やってます。
何のためでも無い。
自分がそうしたくて手を差し伸べている。
「ありがとう」
その一言があれば出来ることを増やして
何でもしてあげようと思う。
なべちゃりん