そのきっかけを与えられた決定的な出来事
長文、お許し下さい。...
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私は大学受験が日本史選択でありました。
有名なYゼミの模試で特に江戸期以降の
範囲の時は全国でも100~200位を
キープした経験がある程に好きであった。
父親代わりの兄の薫陶が大きい。高3の時に
「暗記一辺倒では頭に入りにくいから
合間に司馬遼太郎の歴史小説でも読んで
入ってきやすくしときな。違ってくる。」
という、「鶴の一声」ならぬ「兄の一声」があった。
「竜馬がゆく」
「花神」
「世に棲む日々」
そして「翔ぶが如く」
「坂の上の雲」…
明治維新のこじれた解りにくいところ、
維新以降の国際的一等国への道筋
への理解はこれらを読み活写の如く理解した。
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しかし、「坂の上の雲」以降が気になっていた…
謎であった。
「どうしてその後、大陸へ侵略したのか?」
司馬さんこと、福田定一氏自身が学徒動員兵で
戦争体験が生々しく、ノモンハン事件を書けなかった
といったエピソードを何かの雑誌で読んだり、
NHKのドキュメンタリーで、司馬さんご自身が
「明治維新以後の英国からのイデオロギーを選んだ
日本は旧薩摩藩閥と皇国への狂信的な旧長州藩閥
とが権力闘争の末に後者が破れていくことになった
結果、それらが日本を戦争の火中に引き込んでいく
ことで太平洋戦争になった…」
と仰っていることを、信じきってしまっていた。。。
その程度の認識で、「自虐史観」の歴史小説好き。
なので、私は坂本龍馬、西郷隆盛などは好きでも
東條英機には誤解を持っていた、という典型的な
日教組の考え方の術中にハマっているタイプだった…
でも、心の何処かが疑問であった。
こんなに秩序や礼節のある国が、そう簡単に
人様の国を荒らすようなことが出来るのか?
白人の真似をしたのだろうか?…
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そして、母親の鬱治療を本格化せざるを得なくなり、
泣く泣く折角取得した資格を活かした仕事を諦めて
私は在宅で建築作図支援をするようになった時に、
母親の面倒を見ながら空いた時間で何をしようか?
「自虐史観」への疑問を持っていたので、
1人で出来ることの一つが「日本史」…特に
「近現代史」を勉強しようと思い至ったのである。
時代はネットである。便利なものだ。
在宅で仕事も介護も家事もしながら、
思い至れば勉強は出来るものだ。
まず、気になったのが「自虐史観」という言葉。
「日本は世界にずっと謝り続けている。」
この事実を私もマスコミに洗脳されていたし、
自分でも教育を受けて疑っていなかったし、
好きな小説家の見解をもって分かったつもりでいた。
でも、所詮小説なのである。
司馬遼太郎さんがノモンハン事件以降を書かなかった
その意味は、「書かなかった」のではなく、
もしかしたら「書けなかった」のではないか?
そう気付き始めた。
そもそも戦争、= 国際紛争とは国同士の「喧嘩」で
日本には「喧嘩両成敗」という言葉がある。
戦争に負けたが、日本だけが悪かったのか?
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そういうことを調べる時間を持てた時期に…
「ご先祖供養もしなければ母親へも災いするな」
と、フト想いお仏壇の清掃をしていて見つけた物…
それが、先の大戦で亡くなった祖父様の遺品…
ご本人の遺品というより、「我が家の遺産」であり、
日本の「遺産」である。
「位記 内閣」
「&¥@…:/&¥
@…旭日章」
なんじゃ?
こら?
開けて見て、言葉を失った。
「正七位 贈位」
確か坂本龍馬が従四位だったっけ?
祖父様も贈位されていたとは…
昭和45年10月29日…
自分が生まれる丁度1年前…
身体が震えた。
母親の療養を託されているように想えた。
そして、この人の妻であった祖母を、母親と介護し
黄泉へと送ったことのお礼を言われていると感じた。
私自身についてもこの祖父様へお礼を述べたい
と感じた。それは少尉軍人の戦没者恩給を受けて
祖母も母親も父を失う不幸があろうとも助けられ、
私も大学を出られたし、また受け継がれた
祖母の遺産で私は建築の夜学をも出られたのである。
今、家で仕事ができる全ての資格の取得費用に出来た。
何より、その資産を食い潰さないで運用してきて
現在も取り潰さないで運用を継続している身入りで
そんなに頑張らなくても自分が1人ぼっちでも、
母親の面倒を看られるのかもしれないのである…。
すぐに思った。
今後、母親とどんなことがあろうとも今の家族である
私と母親、この最後に残った「家」で棲もう。
本人が望まない限り施設に入れずに面倒を看よう。
事情が整っている限りはそうしてあげよう。
この祖父様が出来なかった「父性」を発揮し
自分も成長させる掛け替え無い機会にしよう。
そして何よりも、日本を勉強しよう。
祖父様の無念を全ての面で晴らそう。
私の見えない魂が、祖父様の生まれ変わりとして
今後の人生を生きていこう。
祖父様は死んでしまった。でも死んでいない。
自分がいる限り。そして、自分が勉強することで
自分も「死んでも死なない」生き方をしよう。
そういう全ての決意をさせてくれた出来事だった。
確か、前安倍政権であった頃のことである…
「続」