今年になって徐々に母親が
料理することを復活させている。
私自身の負担が減ってきた点は
非常に助かり善い点ではあるが…
最初は朝ごはんから始まった。
これは現在進行形の習慣になっていて
食パンにピザソースをぬりチーズをひいて
トースターでカリカリに焼いている。
それにヨーグルトをかけたフルーツ。
それが今も定番の朝ごはんになっている。
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夕ご飯は2年前以来、お弁当をとり
私が味噌汁やサラダ、お惣菜として
副菜を作り足していたが
春先になってから母親が段々と
お惣菜を作り始めた。
そして、往年の得意メニューを作りたい
という意欲が増してきて、少しずつ
レパートリーを思い出しながら
リハビリしていった。
しかし、あるきっかけから
私の悩みが出てき始めて
最近、精神的症状に絡み始めて
どうコントロールすべきか困っている。
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きっかけとは、通所介護施設でのこと。
同じ曜日時間帯に出席する数人の
いわゆる妻に先立たれた
“やもめ状態” のおじいちゃま
との会話の中で、
どうやら食生活に纏わる話になって
その粗末さに母親の持ち前の
“世話焼き気質”
に火がついてしまったらしい。
先日、『買出しに行きたいから車を
出してほしい』 との要請を受けて
スーパーに行ったら、夕食の弁当の
副菜を用意するには異常に分量が多い
買出しになった。
そして、ある朝、早くから台所は
“弁当屋さん状態” であった。
7時ころから通所で午後出かける準備に
入る12時半まで、料理づくしになった。
●しめじと鶏肉のかやくごはん
●白菜と豚ばら肉のスープ
●酒かす汁
●ぶりの照り焼き
●高野豆腐
●出汁まき卵
●インゲンの胡麻和え
●里芋とごぼうの煮付け
下ごしらえから調理味付けまで
ひたすら5~6時間ぶっ通しでやり遂げ
結局、“作り散らかして” 施設のお迎えに
何とか間に合って出て行った。
当然、後片付けは私がやらざるを得ない…。
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料理が出来る喜びの奪還
これ自体は非常に良い事のように思う。
他者への好意も。
しかし、1品2品ではなく、
朝も早くから “弁当屋さん” 状態で
山海の馳走を仕出しして介護施設に出掛ける
というのは、作業量も好意の表し方も過剰で
へとへとになってやり遂げて振舞っていく
という行動は、傍目からは異常に映る…。
やはり、“そう状態” と言って良いだろう。
私は施設からの迎えに間に合うか微妙だった
作業量と時間配分の自己制御不能な状態から
少しやり過ぎだと注意・忠告をしたのだが
頑として意地を張って元気を装っていた。
しかし、かなり疲れきっている様子だった。
そして、後日、施設の担当者から
私に連絡が入る。
『施設には高血圧や糖尿の方もいらっしゃるので
今後はああいった差し入れは控えて頂くよう
お話してほしいのですが…』
やっぱり。そうだよな。普通に考えて。
しかし、どう伝えようか…
と思っていたら、その電話の次の日
ケアマネさんが介護計画書の確認に
我が家へ訪れた際、母親本人にその旨を
伝えてくださった。
今後は差し入れは控えてくださいね。と…
同じことを私がいっても聞かないだろうが
いい子ちゃんで評価されたい母親の気質から
身内以外の方に公然と正式に注意されると
途端に見るも無残な悲壮的な表情になって
ごめんなさい ごめんなさい
の連呼となる。
『施設の人に嫌われたりしてないだろうか…』
今度は “うつ状態” である。
まったく忙しい気質の人だ。
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これも困ったことだったが、
もっと、今後のことを考えて気になったのが
料理は、いろんな作業を同時進行しながら
積み上げていく手順が重要な作業なので
“フッと忘れる”
ことによって事件が発生するのでは
という危惧である。
ひとつ作業が終わって、それをそのまま
にしたり、次の作業に夢中になって
何をしていたか忘れたりということが
たびたび起こっている。
火が絡むと非常に困ったことになる。
先日はフライパンを熱している間に
裏へ食材を探しに行き、そこで食材を
吟味しながら違うことを始めてしまって
フライパンを焦がし、もうもうと煙を
充満させてしまって、家中ガラスの鍵をあけ
網戸にして、料理が終わった時網戸のまま
戸締りせずにその料理をどなたかに進呈しに
出掛けてしまった。
私が注意・忠告しても、“そう状態” の時は
意地になって謝らず、言い訳でとりつくろい
“うつ気味” の時はひたすら謝りたおし
怒られないかという焦りからなのか
表情は “塩漬け” のようで口調は
しどろもどろで呂律がまわらなくなる…。
私自身もあまりに母親に関わって
気にし続けていると、自分の行動の制約が
増えたり、精神的にもよくない。
かといって、放任しておくことも難しく
それこそ喜びを奪還しているのに
料理自体を取り上げることも不本意だ。
主治医に報告相談するが、
結局は一番近い位置にいる私が
判断せねばならないのだろう…。
本人が自覚して、仕事量や時間配分、
そして老いと対面して少しずつ制御しようと
思ってくれたら良いのだが…。
認めたくない
という気持ちは強いでしょうね。
誰もがさけられない老いとの闘い。
自分のこととして関わっていこうとは思う。