この記事は、2012年3月16~18日の記事からの
連綿とした繋がりのあるものです。
詳しくは、そちらで前提をご確認の上
読んでいただければと思います。
■2012年3月16日号
http://ameblo.jp/nabechalin/entry-11191487525.html
■2012年3月17日号
http://ameblo.jp/nabechalin/entry-11191490439.html
■2012年3月18日号
http://ameblo.jp/nabechalin/entry-11191491473.html
◆特に本号は前日の記事の続編です。
_______本編_______
結論から考えて、合理的にすすめて生きる兄と
その都度感じて、情に流されながら生きる母親。
では、なぜ二人がそうなってしまったか?
私はまず、母親の内面について大きい要因は…
【父性の喪失】
これではないか? と思っている。
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度々出てくる、先の大戦で戦死した祖父様。
祖父様を亡くしたのは戦時中で、母親は3歳。
以後、伯父が早稲田に受かったことで、
京都を引き払い、祖母と3人で東京に出て来る。
東京でのご縁で就職し、20代後半で父と結婚。
しかし、父は母親が42の時、
私が9歳の時、肺癌で亡くします。
【父性の喪失】
という点では、私たち兄弟も母親も
共通項ではありますが…、
夫という 【伴侶の喪失】
これはかなり大きかったと思います。
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祖母が存命の時は、祖母のお願いで
『外へ出てまで働かんでええよ。』
ということで、収入は祖母の小さくない年金や
恩給のほか、伯父からの生活費や下宿を2部屋
増やすことで賄われていました。
私も兄も団塊ジュニア世代で、大学受験には
苦労しましたが、無事借金することもなく
2人とも4年制に入って卒業もさせてもらえました。
普通に 『お母さん』 としては十分役割を果たした
と言えます。
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しかし、ここまでは
【父性の喪失】 も 【伴侶の喪失】 も
さほど影は落としていなかったと思います。
2つの 【喪失】 を祖母が老いていくに従い
補えなくなっていったこと。
【最大の理解者】 であり、話し相手であった
祖母が段々と認知症になっていったことは
非常に大きかったと思います。
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兄は前号から、非常に “ドライ” な性格に
生まれ付いていて、存命だった父親にも
『お前は生意気だ!!!』
とよく怒鳴られていましたし、
『大人になったら覚えていろよ!!!』
と兄もよく言い返していました。
小学校高学年の子供が…です。
何が原因かは、私は幼すぎて覚えてません…。
大学を卒業し日本を代表する電機メーカーに
勤め始めた兄は、丁度バブルが弾けた時…。
入れ替わるように私が大学生になります。
私は能天気で好きを得手に生きる 【独り善がり】
な人生を謳歌していました。
シャカリキに単位を稼いで就活して何になる?
という考え方で、好きなことに没頭し手に職を
自然と身につけて、それが何かになると信じて
生きていました…。
この時期に満室だった下宿に空き部屋が出来る
ことがありました。
母親は、立地条件から沿線の大学などにしか
情報を公開していませんし、
【賃貸借契約】 も結んではいなかったようで…
要するに全てが 『他力本願』。
他にも、飛び込みで来る金融業や保険会社なども
断りきれずについ玄関先で話を聞いてしまい、
ついには契約に持ち込まれたりしていたようで…
兄は、
それらの事後処理相談にのっていた過去があった
と、最近知りました。
『下宿については、生業にするなら営業努力しろ。
金融や保険関係は自己責任だと、よく話したけど
あの人(母親)は基本的に【父性や伴侶の喪失】
というより、【お嬢様】 だから、仕方ないね。』
兄に言わせたら、バッサリ…。
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母親は、友人知人の間では縄張りを超えて
いろんな人と仲良く出来ることを自負して
いますが、私は最近分析してみて、それは
『常に敵を作るより、その場その場で
誰かに評価されていたい』
という性格に起因しているだろう
と、結論付けている。
元々、京都でタバコ事業を創業した家系に
源流を持っていて、戦時中でも『何不自由なく』
生きてこれたこと。
そして、女性であることから、おっとりと
はんなりと育てられたのかもしれない。
加えて、【父性の欠落】…。
それが、
『嫌われたくない』
『断れない』
『誰かに評価されたい』
となっていったのではないか?
…続く