【謎の外人・エディソン(31)】:独り善がりな人々…。震災を越えて(10) | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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__________前号から、抜粋______

◆もし、愛読して下さっている方が
 いらっしゃいましたら、次の
◆まで、すっ飛ばして下さい…。




2009年9月1日。

近所の外国人妻の知り合いで勤続していた会社が
倒産し、ファミレスを渡り歩いていたエディソン
というチリ人が、当家下宿に流れ着いて来ます。


長年、そううつ病に苦しんでいた母親はこの時
『そう状態』にあり、この素性の分らない外人に
私の忠告を押し切って、大金まで都合してしまった…。



金額は、実に分かっているだけで限りなく
桁を超えそうな数百万円…。


彼の企ては、その借金を元本に飲食店を経営して
日系ハーフの奥さんと子供2人をチリから呼び寄せ
いずれは日本人として暮らしていきたいというもの。


2010年2月に数十万の返済はあったものの、予定して
いた開店計画は一向に進まず、借金だけは必ず第一に
我が家に返したいと言います。

その返済計画は、故郷であるチリの自分の土地を
売って金に換えて母親の口座に返済するという…



2010年8月…

約束の期日に振込みがなく
エディソン氏への真を失っていた頃、


事件が起こります。…


2010年8月28日。



エ:『ワタシ、な~んにも悪いことシテナイ』
  『なのに、警察署に送られるんです!!!』


は? は? は? は? は?



$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-2011_06_19 (11)

プライベートの出先で急行出来なかったため、
後日エディソン氏に確認して発覚した事件。


『エディソン氏、〇〇弁当つり銭詐欺疑惑事件』

である。



2010年8月18日に事件は起こっており、
10日後の8月28日、エディソン氏は
〇〇弁当最寄り駅の店長に交番へと
連行された上、





         覚

〇〇弁当と貴方との間に存在する民事上の争い
の一切を和解するものとする・…


という和解文書にサインしてしまった
のである!!!



※アルファベットで署名:A・Edison


$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-〇〇弁当

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エディソン氏は事実無根だとあとで私に主張するが、
日本語の読み書きも出来ずに自分の無実の罪を認め
そしてなし崩しに和解してしまった…。

彼への心象は失墜した。



私は警察にも〇〇弁当側の店長及びお客様相談室にも
事実関係を問合わせたが、警察は民事不介入を理由に、
また弁当チェーン側はマニュアル通りの対応であり
【法的措置】にでない限り証拠は示せないと言う。


証拠も示さず、人を疑い、交番に通報する?


全く意味不明です…


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お客様相談室のタカセ氏は


『私、及び、当社を脅すのですか?』
『あなたの発言は録音されていますよ』
『彼はつり銭詐欺を繰り返すと報告されています』


とまで言ってのけたが、後で私の携帯に


『先ほど申し上げました商店街で噂が出ている
 という件に関しましては状況証拠でして
 取り上げた件、謝罪申し上げます』

と、噂については謝罪の弁を遺してきた。



噂などを取上げるのなら証拠の開示を再三求めても

『申し上げられません』の一点張りで

『現場の証拠(店長の責任?)は追求せず、
 相談室に一括して対応させて欲しい』

と約束させようとします。



私は何かを隠蔽し当事者ではないことをもって
私を遠ざけようとしてはいないだろうか?

と直感します。

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まずは、エディソン氏が詐欺を繰り返すという
状況証拠に根拠があるかの聞き込み調査を
地元商店街で開始。



当該の〇〇弁当の向かいにあるコンビニの店長から
開店前から内装工事を優先し、自転車との人身事故
を起こしていながら無視しようとした件は、
商店街では知られていることで、



『あの弁当チェーンの経営陣はChina系だから
 相手にしない方がいいですよ。』

とまで聞き及ぶに至る。


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相手は全国展開するチェーン店なので当然、
【顧問弁護士】 もいることだろうから、
論破するには、法的な専門家に客観的な目で
判断してもらうことは必要不可欠である。


私は無料で相談できる法テラスや区民法律相談室
へ電話して予約を取り、弁護士さんに一部始終を
お話したり、元マスコミ業界出身の伯父
(母親の兄)に相談したりするが…



答えは同じ。

本人が冤罪を晴らす気がなければ意味がない。


私もそれは同じ思いであり、当事者でない自分の
限界に気付き始めた。


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そして…


2010年暮れ。

エディソン氏の下宿を最初にお願いに着た元コロンビア人妻が
玄関先へ現れ、エディソン氏は実は彼女からも200万円の
借金をしていると伝え聞くことになる。

『私はエディソンさんの妻と友人だから大ジョブ♪』と言う。



何の根拠で言ってんの???



私は呆れた。


これはもう諦めることも考えなければいけない
と思った。


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病状に障るといけないので、本当に貸し出した金額を
聞いていなかったが、母親の方から本当のことを言った…。



2009年9月1日にエディソン氏が転がり込んですぐ
数百万を現金化し、必要に応じて数十万円ずつ貸出し
最終的にこの金額の倍額がエディソン氏に渡していた。


さらに、10月某日に証券会社から数百万(外車1台分)
解約した分は…。





全額、エディソン氏に貸出し、それについては
2人で秘密にしていることを白状した…。





しかし、エディソン氏に事実関係に確認すると
母親とシークレットにしている手前か白状しません。

彼は明らかに動揺をしていました。



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そして、年が開けて2011年。。。


母親は週一度の通院のための身支度までも出来なくなり
段々と日常生活に支障が出て、介護が必要になった時、



2011年3月11日を東日本大震災が発生した。。。




【計画停電】 によって通院先を失った母親のためには、
在宅医療が必至となり、どうにか橋渡しをして下さる
NPO法人を知ることが出来き、医療の目処はたてられた。


そこで、忘れていたエディソン氏をフト思い出し
連絡してみると…。


なんと、エディソン氏は震災の相当前から家財道具を
勝手に放置し、家賃を滞納して目先の小銭稼ぎのバイトに
出てしまっていた。


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一方、4月になって母親は異常な頻尿に見舞われ、
大きな病院で入院させなければならない事態になる…。


紹介状を頂いたが、先方の病院からはまず外来で診察し
その上で待機リストに入って2~3ヶ月待ちだという。


再び袋小路に入ってしまった。



私は高齢者のうつからくる入院治療を積極的に看る
病院を検索しまくり、当たって砕けること数回、


ついに五反田にある●●(旧電信系公社由来)病院に
繋がって、外来で看てみてその場で必要に応じて
善後策を講じましょうという回答を得るに至る。。。



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『私は死にたいんです』 と朦朧と言ってしまった母親は

即刻 【医療保護検査入院】 が決まってしまう。



差額ベッド代の1日2万円を気にしている場合ではない。
3ヶ月は覚悟だと言われるが、生命に変えられない。


エディソン氏に貸し出したであろう金額の約30%に
相当するザックリ250万円は覚悟か…。


しかし、今は入院させることが最善の策だと信じて
先生に託す決意をしたのである。


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【医療保護検査入院】 である以上、


1) 【医療上の保護者】 を決めること。
2) 同居家族以外に保証人を選定すること。


が不可欠となった。

前者は、これまでの経緯を知っていて同居する私が
後者は、近くに住んでいて母親を扶養家族にしている
兄にお願いし快諾をいただけたが、どうやら
差額ベッド代の2万円に怯えていたのかもしれない…。


『どうにかしてエディソンからお金を返してもらおう』


と言い出した兄は、知らないうちに友人の知り合いの
弁護士さんに連絡を付けて、横浜まで訪ねることになった。



しかし、どこにも証拠が残っていないことだし、
第一エディソン氏の身分証明も分らない…。


相談しても意味がない


という、私の予感は的中した。



帰りの横羽線の、兄の運転は凄まじいものであった。


車間距離は詰める。車線変更は繰り返す。
揚げ句、入院する母親に対するこれまでの文句と悪口。
延々、品川で降りるまでその舌鋒は止まらなかった。










◆ここまでワープ◆








私は早速、エディソン氏の消息を抑えておいたが、
相変わらず八王子の友人宅で『プー太郎』 のまま。


とりあえず母親の回復を待って、もう一度しっかり
話し合うことと、状況が変わることがあったらすぐに
私に連絡するようにと約束させた上、2階に残された
彼の荷物はそのまま置いておくことを許可した。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



一方、母親の入院当初の状況に私は辛いものがあった。

それは 【被害妄想】 と 【膀胱炎】の診断までの時期。


精神科での入院とあって自他共に害を及ぼす危険性がある
という観点から、【拘束ベッド】 によって身体をベルトで
固定されることになった。


【拘束ベッド】 に固定されたまま2・3分の尿意のために
ナースコールするものだから、気は遣うし看護師さんにも
あまり良い気分ではないはずである。
【膀胱炎】 という診断が出るまでは…。



『なんでこんなところに閉じ込めるのよ!』

『あんたの顔なんか2度と見たくない!!!』


と母親に責められまくった。


今は意識朦朧のうわ言にすぎないのだから
言わせるだけ言わせてやろう。


しかし、さすがに私を見て兄の名前を呼んだり、
10年以上前に一緒に介護をして最期まで看取った
祖母を呼んできて欲しいと懇願されたりすると、
私の気持ちも折れてしまいそうだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


精神的疾患は 【患者力】 を発揮することが非常に困難で、
自分の身体がどういう状況にあり、今どう治療されていて
どう養生すべきか?


こういうことを判断することが出来ない。


母親に何を言われようと私が成り代わって状況を把握せねば…


と、洗濯物を受取りがてら頻繁に病棟に見舞いに行ったが
担当医の先生から最初のカンファレンスに呼ばれて
お話を聞かせていただいて、この先生に一任しようと、
全面的な信頼を寄せることになったのである…。







_____以上、前号から編集・抜粋______






5月の連休前に頻尿はどうやら 【膀胱炎】 だという診断が出て
状況は徐々に改善されていきます。


そして、CT・MRI他、各科連携した様々な総合鑑別診断のため
検査を繰り返して連休が明けたある日、初めて担当医のS田先生
から呼ばれて、第1回目の報告を受けることになります。




温和なその先生(以下S)は全く関係ないようなお話をされました。







S:『息子さん実はね、私は貴方と同い年なんですよ(笑)』


な:『そうでしたか…。』


S:『しかも、誕生日までそうは変わらないんです』


な:『さそり座でしたか(笑)』


S:『ええ、そうなんです。
   それとお母様と同じ関西出身でしてね(笑)』


な:『それにしては全く語尾に訛りが出ないですね(笑)』


S:『受験して大学入ってからもう20年はこっちですから』


な:『母親は18で東京に出てきたのに55年間京都弁です』


S:『うちの母親が今、66なんですがね。
   先日転倒して骨折してしまったんですよ。
   それでやや落ち込んだらしいんですが…。』


な:『大丈夫だったんでしょうか?』


S:『ええ、まぁ。何日か入院して治りましたよ。』


な:『良かったですね。』


S:『はい、それでね。
   66ですから、丁度お母様が最初にうつ病を
   発症された年齢と同じなんですよね。私の母親が』



な:『そうでしたか…。』


S:『私の母親を看るつもりで、お母様を必ず治しますよ』




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私はこの一言で救われたような感がしました。



しかし、また一方で現実的な話もされました。



S:『ただ、まだ先のことを考えても仕方がないのですが
   お母様には年齢並みの脳こうそくがありました。
   
   血液検査から高脂血症によって血栓が身体のどこに
   出来てもおかしくない状況でした。

   今回はそれが左眼のウラ辺りで、意識を司る部分への
   障害になり、放置しておくことでこのまま認知症に
   なってしまう典型的症例だったでしょう…。』



な:『では、場合によっては…、心筋梗塞なども?』



S:『うつ状態で極度に運動不足になったことは大きかった
   でしょうね。どこまで回復するかにも寄りますが、
   
   リハビリによって身体機能を回復させて、心身ともに
   健やかな状況へ持っていければと考えています。

   しかし、認知症については心積もりしておく必要が
   ありますね。今後、回復しても何年後かに認知症に
   なっていく可能性は高いかと思います。』



な:『そうですか…。』



S:『それが3年後か10年後かは分かりません。。。

   今は認知症を遅らせるのに有効なお薬が沢山出てきて
   いますし、新薬の開発もかなり活発になっています。』



な:『つまり、病気のように完治させる治療ではなく
   あくまで症状を遅らせる治療になるのですね?』



S:『私の方では疑っている病名はありますが、その診断に
   至るまでは少なくとも2ヶ月はかかるでしょう』



な:『そううつ病ということではないのですね?』



S:『そうですね。高齢者の病気ということになります』



な:『わかりました』



S:『あとはお仕事のご都合もあるかと思いますので、
   何年後かには施設に入れられることもお考えの中に
   入れておく必要はあるかと思います。』



な:『老人病院ということでしょうか?』



S:『いえ、介護老人ホームなどでしょうね』



な:『入居料の問題ですね…』



S:『都心では大変でしょうから、関東近県など郊外で
   ご検討されるために情報を集められた方が良いです。
   待機リストに入らなければ、入所は難しいですから』



な:『先生なら、施設へ入れられますか?』



S:『私なら大阪と東京で離れていますし、仕事がら介護
   することは出来ないですからね。
 
   施設も入られるとお友達が出来て良い場合もあります。
   もちろん、ご家族の方々とご本人と相談が必要ですが。』




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



医師が必ず治すと言い切ることは、並大抵のことではない
と思います。


しかし、一方で現実的な問題もお話されました。



少なくとも 【被害妄想】 と 【意識障害】 の現状からは
必ず救い出すことは約束して下さった。


そういう先生に巡り合うことが出来て、しかも私と同じ年で
『自分の母親を治すつもりで看ます』

と心強いお言葉をいただけた。






これだけで良かったではないか?







と思う反面、今後の介護や認知症への可能性、
そして施設に関しても心積もりしなければならない…。







悲喜交々で私の闘いは、まだ続くのであった。。。







続く…