___前号から抜粋___
偏見と差別が醜いですが、偏見は衝動的で
ココロを自分で濁して、勝手な目線で判断する
あまり良い面ではありません。
しかし、差別は行為にまで及んでいるので、
差別の方がより醜いと思いました。
『私とは感じが合わないから』
『私とは共有する視点を持てないから』
『貴方には学が無くて知性もないから』
などと、勝手な判断で自物事象を
『一事が万事』 として見捨てて放り投げて
切り離していくことは、全く独善的です。
自分を護ると言う名の 『言い訳』 です。
会社経営などでは必要悪でしょう…。
しかし、家族間ではもう少し母親を理解させる
または、母親自身にも反省を促してこれからの
“シルバー・ライフ”に備えさせる時期だと
思い、毎日行動を共にしながら世間勉強を
私も同行しながらやっています。
母親が退院後のうつ状態で苦しんでいましたが
通所介護で70代のお化粧モデルになって、
突然『美容院へ行きたい』 と言い出した事件以来
必然的に予定が出てきて、逆に母親はそう転し
逸る馬を抑えるのに注意が必要なほど、
外出訓練や世間勉強の毎日を送っています。
老体では限界があります。
私も高齢化社会やハンデのある方々への配慮
を考えて進んで行動出来る人間になれて
本当に良かったです。
母親が覚醒した恩恵は、決して甘え合いではなく
助け合って、手を差し伸べて気づけた感謝も
あるので、素晴らしい体験を今、繰り返している
幸せをつかんでいます。
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私は家庭裁判所で面談して、既に母親の
“保護者”に認定されています。
よって、護らなければいけない。
外出訓練も通院付き添いも、仕事の一部です。
自立の範囲が増えても、うつ転や怪我で寝たきりに
なる恐れがありますので、見守りは仕事であり
最後の家族としての役割でしょう。
___以上、編集抜粋終了___
今現在、私は人にどう思われようが手をつないで
母親と外出訓練をしているでしょう…。
それをいわゆる 『マザコン』 と捉える偏見の目
で見る方もいらっしゃるでしょう。
当家の事情を知らない輩に何を思われても
平気です。他人ですから。
しかし、事情を知る方々の中にいるとすれば
それが偏見です。
私が母親にたかって甘え合っていると
勘違いしていることでしょう…。
なじることも受け入れます。
心中ではまだ 『偏見』 の段階だからです。
しかし、言葉に出した瞬間、それは非人情な
『差別』 的な発言で許し難いです。
実際に当家事情を知るべきです。
そして、その上で各々が出来ることや
手を差し伸べる術を考えて行動に表した結果が
『愛』 ではないでしょうか?
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ご家庭の事情もそれぞれが持っています。
人間社会は複雑な多面体であって、決して
一筋縄で語れるものではありません。
多面的に捉えるべきです。
この文鎮も、クリスタルな立方体に見えます。
しかし、正六面体のようであるようで、実は
角に当たる所が三角形にカットされていて
七面体なのです。
その三角形の面で自立しているために、
サイコロのような六面に見えないにすぎません。
こちらは、防災用や節電用も兼ねたキャンドル。
上面はお花になっています。
そして、ロウソクによる 『自立発光』 があり
光と影は複雑に見えます。
一つの物体であっても、いろんな輝きを
放つのです。
人間にも良い面も悪い面もあります。
それが、光と影です。
このキャンドルの側面など、曲線の立体ですので
グラデーション化されていて明暗が連続しています。
実に人間らしい愛着を感じます。
そう、
貴方の良い面は悪い面であり、
逆に、悪い面は良い面であり、
人それぞれで、事情があるのと同じです。
地球は球体です。
太陽の光に当たる昼間の地域(写真ではアフリカ?)
が経済を動かしている間、日本やアジアは眠りに
就いています。そうやって世界には繋がりがあり
相互補完して生きているのです。
一方的な文化や立場でのゴリ押しは
非常に気持ちが悪い反面、
理解に及ぶ面は、進んで取り入れるべきです。
向こうお隣り近隣様と一緒であって、
地球は一つです。
決して偏見や差別をしてはいけないのです。
続く…