奈良の旅を続けています
なべちゃりん一行。
大仏と興福寺を参詣いたしまして、
次なる目的地は?
薬師寺であります。
法相宗大本山薬師寺。
こちらも世界遺産であります。
伽藍配置は以下の通り…
均整が取れていますね。
伽藍の外側、南門正面から。
左右に塔が会って対照になっている
ことが良く分かりますね。
あと、ステディとPやん、同級生と
あって修学旅行気分ですねwww
回廊と繋がる中門の手前に入場口
がありまして、東大寺とは違い
『検問』的な雰囲気です。
ややおじさんの顔を見て緊張して
しまいました...
左右の塔にかなり沢山の人たちが
いらっしたので、先に金堂に向かいます。
大仏を拝する東大寺より小さく感じ
ましたが、色使いの荘厳さは
薬師寺の方が印象的でした。
ただ、享禄年間(1528頃)の戦火で
焼け落ちてしまい、創建当時のものは
有名な東塔だけ。
金堂や西塔、大講堂などは1970年代に
順次再建がなされたということ。
ステディが何やらポーズ取ってますね?
中央の薬師如来像のマネをしているよう
ですが、どうやら撮影禁止という振りも
込みだったようですね。
向かって左に月光菩薩、右に日光菩薩。
菩薩なので『修行中』ということゆえ
お弟子さんを左右に従えているって
ことでしょうか?
薬師如来は医薬兼備の仏様です。
人間にとって一番恐ろしいものは
死を招く病気です。
体が動かなくなるのも、身の不幸、
心の病も病気です。
欲が深くて、不正直で、疑い深くて、
腹が立ち、不平不満の愚痴ばかり、
これらもみな病気です。
応病与薬(おうびょうよやく)の法薬で
苦を抜き楽を与えて下さる抜苦与楽
(ばっくよらく)の仏様が薬師如来。
だそうです。
薬師如来像の台座の文様で、東西の
文化交流がわかるようです。
台座の框(カマチ)には上から
ギリシャの葡萄唐草文様、その下に
ペルシャの蓮華文様がなされています。
各面の中央にはインドや中国の神像が
あしらわれていて、国際交流の軌跡を
確認できる点で、奈良がシルクロード
の終着と言われる所以はここにある
というわけですね。
金堂を大講堂側から見てみました。
左奥が東塔。右奥が西塔。
後ろからの写真は中々ありませんから
貴重かもしれません...
続いて大講堂です。
2003年の再建され、正面41m、奥行20m、
高さ17mあり、伽藍最大の建造物です。
制作時期、本来どこにあった像であるか
などについて謎の多い像である三尊。
かつては金堂本尊と同様、「薬師三尊」
とされていたが、2003年の大講堂再建後
寺では「弥勒三尊」(みろくさんぞん)
と称しているそうで、大講堂を唯識教学の
真の研鑚道場[けんさんどうじょう]と
して親しまれることを望んでいるようです。
釈迦十大弟子
2500年程前インドで、お釈迦さまやその
多くのお弟子さまが、日々厳しい修行を
されていました。
中でも優れた十人が釈迦十大弟子です。
苦行の末に羅漢となられたその心や人格
精神性等を具象の像とし、お姿は原初形態
で制作し、平成14年(2002)に彫刻家
中村晋也師よりご奉納されたということ。
さて、伽藍の奥の聚賓館では。。。
ちょうど、我々が行った日から開催
されていた石井竜也さんの【顔魂】
(かおだま)の展覧会が行われて
いました。
そういえばテレビの番組で石井さんの
創作活動を紹介していたのを見た直後
だったので、非常に良いタイミング。
ダルマやお面の日本文化を石井さんの
個性で創意工夫した模様ですね。
米米クラブ時代からファンだった我々
にはとても嬉しい催しでした。
薬師寺に行ってまさか見れるとは、
本当に偶然でした。
最後に。。。
『薬師寺のハイライト』を撮り損ねて
いましたので、人気まばらになった
タイミングを見計らってカメラに
納めて参りました。
薬師寺東塔。
薬師寺で唯一創建当時より現存している
建物で、1300年の悠久の時を重ねてきた
歴史をその姿から感じられます。
『凍れる音楽』 と形容したのは、
明治期において西洋文化崇拝の風潮の
中で見捨てられていた日本美術を高く
評価し、研究を進め、広く紹介した
アーネスト・フェノロサ(米)である
と言われているが、
『建築は凍れる音楽』
というフレーズ自体がフェノロサ以前
からドイツなどで使われていたので、
実は出展不明の形容になるとのこと。
3人でようやく集合写真。
さて、日も暮れかかってきたので
法隆寺に行くことはどうやら無理
な情勢になってきました。
次回の旅への宿題が出来ましたね。
続く…