本日は長崎への原子爆弾の日
でありました。。。
1945年8月6日の広島には
ウラン235の核分裂を主体とした
『リトルボーイ』が投下された。
の核分裂を主体とした『ファットマン』が
投下されている。
なぜ、広島・長崎かは、多分
海軍の拠点が広島は『呉』で、
長崎は『佐世保』が近くて
軍需工場で働く方々の街でも
あったのかもしれませんね。
では、どうしてわざわざ違う元素を主体とした爆弾を製造し投下したのか?
それは、その主体元素の製造上、兵器利用上のメリット・デメリットを考察するという、いわば人体実験に等しいことを実際に大量虐殺兵器として投下し、さらに戦後の同盟国や大東亜圏の支配を巡ってソ連との対立に武威で政治利用しようとした、人類史上凄惨な国際犯罪行為なのである。
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アメリカ・イギリス・フランスなど連合国は、中世以来アジアやアフリカを産業革命によってその進んだ技術をもって未開の地へ土足で上がり込み、かの地を占領植民地化し、文化を奪い、単純労働や肉体労働などを強いて働かせ、そこから得た利益は各国で山分け独占し、当該占領地には公共になるものは与えず、教育などは反発を避ける意味でも享受せず、牛馬の如く扱い蔑んだ歴史があります。
一方、我が国は 『黒船』 で西欧文明の脅威を知り、紆余曲折あって明治維新を起こし、アジアで初の 『国家』 というもの持ち、農耕封建社会から 『国民』 として船出した。
それは先人たちが以上のような脅威を、長崎商人や蘭学という極小さな小さな穴から見取っていて、土足で日本を侵食させない闘争があったればこそ。
それと、教養階級の士族による潔い毅然とした『武士道』の存在で、白人たちから
『日本は支那やインドとは違う』という畏怖があったからでしょう…。
維新後、我々の祖先は外からの文明を 『鵜呑み』 にはしなかったことも、また文化・文明の上で幸いしている。
『文明開化』 は 『猿真似』 ではなく、『創意工夫』 と 『融合』 で行われ、同時に潔く懇親の大和魂による武士道を相続して 『富国強兵』 が行われ、20世紀初頭には北方の西欧からの脅威ロシアに勝ち、一躍維新から40年で世界の一等国になれた。
私のプロフィール画像である横須賀の
『三笠記念館』にお越し頂くか、ドラマではありますが今年の年末の第3幕
『坂の上の雲』をご覧になることをおすすめします。
その後我が国は、それまでの植民地支配や人種差別の否を訴え(1919年、パリ講和会議)議場多数決を得るも、アメリカは急に会議の席で議長役のウィルソン大統領が『重要案件は全会一致』を主張し、中座し、有耶無耶にした過去があります。
それがアメリカとの対立の伏線になり、アジアのいわれ無き蔑みから解放しようと、我が先人たちは闘った。それが先の大戦、大東亜戦争であり、我が祖父様もビルマで散りました。
そして延いては今日9日の長崎原爆投下に繋がるわけです。
このような経緯は語り継がれるべきで、今日の意味を噛みしめなければならないのです。